ヘルエスタ王国物語(11)
城内、王の間───加賀美ハヤトの処刑まであと二日。
豪華絢爛な扉を前にして加賀美は苦い唾を飲み込んだ。
昨日はよく眠れず、悶々と宝物だった少女たちのことを考えていた。いつの間にか思い出さないようにしていた二人の笑顔が脳裏に浮かぶ。
加賀美が彼女たち───葉加瀬冬樹と夜見れなのことを忘れたことなど、一度たりともない。しかし、思い出せば自分の中で何かが崩れてしまうような、そこに危険な香りがしていたのも事実だ。
躊躇っていた。
どうしようもなく臆病になり、絶望したふりをしながら生きる毎日。今思えば、貧民街で自分がやってきたことも、ただ逃げ道を探して、彼らに甘い蜜を吸わせてもらっているだけの寄生虫だったのかもしれない。
鈍い音をたてて扉が開く。
扉の先にはリゼ・ヘルエスタを守るために誓いを立てた四人の怪物たち。
フレン・E・ルスタリオ。
シスター・クレア。
ローレン・イロアス。
戍亥とこ。
加賀美は兵士に連れられ、王の間の中央に座らされる。
見上げた先には、海と空を合わせたようなドレスに身を包み、見惚れるほど美しい銀の髪をなびかせる少女が一人。
少女の名はリゼ・ヘルエスタ。ヘルエスタ王国の女王───加賀美の教え子である。
しかし、直接会ってみるまで加賀美は目の前にいるのがリゼだとは到底信じられなかった。影武者ではないか? と疑うほど少女の瞳は冷めきっている。
かつての真面目で優しい、いたずら好きのリゼとは似ても似つかない。
リゼの紫紺の瞳に見つめられ、あらためて覚悟を決める。
加賀美は自分が消えてなくなってしまうことを想像し、宝物だった少女たちと同じように理不尽に殺されるのだ、と。
沈黙を破るように……花のような声が王の間に響き渡る。
「お元気そうで何よりです。加賀美さん」
その笑みは王の前で膝をつく加賀美ハヤトに向けられたもの。
加賀美は、リゼの隣に立つ五人目の怪物に目を向ける───スノー・ホワイト・パラダイス・エルサント・フロウ・ワスレナ・ピュア・プリンセス・リーブル・ラブ・ハイデルン・ドコドコ・ヤッタゼ・ヴァルキュリア・パッション・アールヴ・ノエル・チャコボシ・エルアリア・フロージア・メイドイン・ブルーム・エル。
「ええ。お久しぶりですね、えるさん」
加賀美も笑ってみせた。
「相変わらずクソ生意気なガキですね。まあ、いいでしょう。楽しいのはこれからです」
えるの指示により、加賀美を押さえていた兵士は王の間を後にする。
五人の怪物がいるこの状況ではリゼの安全は保障されたも同然。それにただの人間がいくら足掻いてもこの場から逃げきることは不可能だ。
少しでも動けば即座に身体と首が離れ離れになる。
「では、これより加賀美ハヤトへの刑を言い渡す」えるは告げる。「加賀美ハヤト、死刑。ヘルエスタ王国広場にて、斬首刑とする」
誰も異議を唱えないまま、えるの声が淡々と続く。
「貴殿は警備隊二名を殺害し、リゼ様の暗殺を計画した。動機は、葉加瀬冬樹と夜見れなを処刑されたことに対する強い憎しみ。この罪に異論があるなら───」
「異論はありません。罪を認めます」
加賀美が言い放つ。
「社長は認めるんですか? この罪を」
目を丸くするクレアに、加賀美は深々と頭を下げた。
「クレアさんは私を助けてくれようとしたみたいですが……申し訳ありません。私は真実を知りたいんです。理不尽に殺された二人の真実を」
「? 社長は何の話を……」
「える、ここで殺さない理由を教えてもらおうか?」
加賀美とクレアの会話を戍亥が遮る。
「見せしめですよ。リゼ様に逆らったらどうなるか。それを国民の皆さんに理解してもらう必要がありますので」
「そんなのどうでもええやろ。今ここで殺せば解決する」
戍亥が爪を立てる。
その横でフレンが腰にぶら下げた剣に手を置いた。
「おレン、アンタもえるの味方か?」
「違う。わたしはレイナ様との約束を守るだけだ」
「それがリゼを傷つける結果になってもしょうがない、と?」
「ヘルエスタ王国に牙を剝くものは斬る。それだけだ」
「ほんまに……お堅い脳みそだこと」
険悪な雰囲気にローレンは息をつく。
この状況に対して自分はどうコメントすればいいのか。第一、罪をすんなりと認めた加賀美のことも理解し難い───冤罪なのは誰がどう見ても明らかだ。加賀美さんが言った葉加瀬冬樹と夜見れなの真実ってのも気になるが。それは俺がこの職に就く前の話だ───調べようにも、王族に関するすべての詳細はえるの手元にしかない。
ローレンはこの場を傍観することに決めた。
「二人とも落ち着いてください。今は加賀美社長の方が優先です。それに、わたしの前でケンカするのはダメです」
クレアの落ち着き払った声が二人をたしなめる。
フレンは冷静に、戍亥は不満そうに殺気を消した。
「クレアさん……ありがとうございます」
「いえいえ、そんな。気にしないでください」
加賀美の感謝にクレアが微笑む。その笑みは聖女と呼ぶにふさわしいものだった。
加賀美がこの場に来ようと決めたのも彼女の存在が大きい。彼女がいれば最低限の話し合いは出来ると分かっていたからだ。もしいなければ、処刑を待たずして、加賀美は八つ裂きになっていただろう。
「では、加賀美ハヤト。あなたからの質問を受け付けます」
えるが言った。
加賀美は玉座に座るリゼを見つめる。
「リゼ様、なぜ私に内緒で葉加瀬さんと夜見さんを処刑したのですか?」
「目障りだったからだ」
加賀美は自分の身体から血が抜けていくのを感じた。
「そんな……まさか……」
えるの思い描いた光景よりも、予想を遥かに超えて美しく絶望している加賀美の表情───ふふ。理由なんてものがあると本当に思っていたんでしょうね。
「では! あなたの気分で殺したというのか!? 何の罪もない二人を。目障りだったから! そんな理由で!?」
「他に理由が必要か?」
ゆっくり、音を立てて。
「ああ、ああ、あああ、ああああ、ああ、ああああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
リゼの何気ない言葉に、加賀美ハヤトは耐えられなかった。
頭を床に叩きつけ、額から赤い血が流れる。
加賀美を囲む四人もその光景を見ていた。汚い言葉を床に吐きつけながら、冷静になろうと必死に血を抜こうしている。
そのことに同情するつもりはない。が、理解は出来る。
「クソ! クソ、クソ、クソ! どうしてだああああああああああ!!!!!」
加賀美は玉座に座るリゼを睨みつける。この少女はもう、人の気持ちに寄り添うことが出来なくなってしまった。
何もない真実に絶望したわけじゃない。加賀美は、期待していたのだ。彼女に、リゼ・ヘルエスタに───希望があると信じて罪を認めたのだ。
だが、それは呆気なく打ち砕かれ、崖っぷちにまで追い詰められた人間のささやかな抵抗も空しく散った。
ほんの少しでも……彼女が昔のままでいてくれたら優しい王様になれたハズなのに。
「本当に滑稽な男ですね」
ぽつり、と呟く。
えるはこの瞬間を、ずっと待ち望んでいた───彼に寄り添いどんな気持ちなのか問い質してみるのも面白そうだけれど……今はこの絶叫を聞いていたいですね───救われない現実に、どうしようもなく打ち砕かれ苦しんでいる彼の姿こそ、平等な絶望だ。
「黙りなさい、加賀美ハヤト」とえる。
加賀美は口を閉じ、涙で荒れた顔を上げる。
正しいこと、正しくないこと。
それをどれだけ受け入れられるかで人生は決まる。
だが、これは違う。
宝物だった少女たちは殺され、貧民街で出来た大切な人たちは焼き払われ、この国を繫栄させていくであろう王にも希望は見出せない。
「いったい……どうやって……生きていくんだ」
それでも、まだ。
「他に質問がないようでしたら、今日はここまでとさせていただきます」
「まだ、だ……」加賀美は続ける。「リゼ王女……あなたはこれからも先も……このようなことを続けていくおつもりか?」
「……───」リゼは答えない。
「あなたがその道を進むというなら誰も付いてこないでしょう。王に相応しくないと民に石を投げられ、いつかは民に殺される。そうなるのが関の山です」まだ遅くない。「あなたに変わる勇気がるのなら───」
「お前は、誰に物を言っている」
眉ひとつ動かさず、リゼは語気を強めた。
「我はこの椅子に座るために父を、母を、弟を殺した。今更、何に怯えろというのだ?」
全ては自分が王座につくために。
「殺した?」
それは加賀美の知っている真実とは大きく異なっていた。
「リゼ様の家族は病気で亡くなったのではないのですか? まさか、それも嘘だった、と?」
「そうだ」
「この場にいる人たちは……そのことを知っているんですか?」
加賀美は四人の顔を見回す。
全員が沈黙した。
「なぜ、そんなことを───」
「民からの信頼を得るためだ」
信頼?
「……あなたは何を言っているんだ」
「悲劇があれば人は魅せられ、同情する。誰も裏など見ない。見る必要がないからだ」
「そこに躊躇いはなかったんですか……」
「躊躇う?」リゼは言った。「躊躇う必要などない。王には強さが必要だ。絶対的な強さが。それを証明するために一族を殺した」
「……では、貧民街に毒を撒いたのは」
「価値のない虫を処分しただけだ」
それだけ言うと、リゼはえるに視線を送った。
加賀美はがっくりと肩を落とす。
「話は終わりました。ローレンさん、この男を牢へ連れて行きなさい」
「了解しました」
短く答え、ローレンは敬礼する。
もはや会話は断たれた。これ以上どんな言葉を投げかけても彼女の心には響かない。
王の間を出る瞬間、加賀美は振り返る。
そこには彼を慕っていた少女の姿はない。あるのは自分の家族を皆殺しにし、民の命などなんとも思わない暴君───氷のように無感情な怪物───そんな悪魔のような存在が頬杖をついて座っている。
「……ああ」
王座の後ろに輝くステンドグラス。ヘルエスタ王国を象徴とする藤の花があしらわれたそれは、眩しく光り、加賀美ハヤトに最後の夢を見せた。
葉加瀬さんが実験していて、夜見さんが手品を披露している。自分はあっちこっちに振り回されて……それでも笑っていた日常。
しかし、それは夢でしかない。
藤の花はとっくに枯れ落ちてしまっていたのだ。
もうどこにも、希望は見出せない。




