ヘルエスタ王国物語(10)
城内、地下牢───加賀美ハヤトの処刑まであと三日。
石の上に寝るのも慣れはじめていた加賀美ハヤトは、一心に、アンジュ・スカーレットのことを気にかけていた。
殺した、と意識を取り戻してすぐ戍亥とこに告げられたが、それが嘘であることは明白だった。
「あの顔は親友を殺した顔じゃない」
大切な人を殺した、その後の顔は嫌でも涙の痕が残るものだ───しかし、彼女にはそれが全くなかった。つまり、アンジュさんはまだ生きている可能性があるということ。助けを求めることも出来るが……私が気絶した後もずっと戦い続けていたのだとしたら、アンジュさんの受けた傷は相当に深いものだ。あれからまだ一日しか経っていない。そのことを踏まえて考えれると、回復している見込みは薄い。
さて、どうしよう……。
「助かる道……なくないですか?」
加賀美は天井にぶら下がった豆電球のような光をじっと見つめる。
「加賀美さん、お久しぶりです」
牢の前で声がして、加賀美は身体を起こす。
「いやー、これは本当にお久しぶりですね。元気にしていましたか、ローレンさん」
ローレン・イロアスは顔をしかめた。
「笑ってる場合じゃないんですよ。加賀美さん、嘘偽りなく答えてください。あなたは城内で警備隊が殺されたのを知っていますか?」
「城内で?」
今度は加賀美が表情を曇らせる。
「その様子だと知りませんか……」
「力になれず申し訳ありません。ただどうしてその話を私に?」
「この事件の犯人が加賀美ハヤトである、と。そういうふうに処理されるそうです」
「それはまた強引ですね」
「強引でも、この事件を解決したいっていうのがえる様の考えみたいですよ。それから明日、リゼ様との謁見があります」
「リゼ様と? また急なお話ですね。彼女が今さら私に何の用が?」
「それは俺も知りませんよ。加賀美さんが現役の時になんかよくないことでもしたんじゃないですか? リゼ様のスカートをめくったとか」
「ローレンさん流石にそれは私に失礼では? というか、そんなことをしていたら今頃この牢屋にはいないと思いますが」
「まあ、軽い冗談ですよ」
ローレンは笑って、口にタバコを咥える。
「タバコ、また始めたんですか」と加賀美。
「シスター・クレアに言われてやめてたんですけど……ちょっとストレスが重なってしまって。加賀美さんも一本やりますか?」
「私は生涯タバコは吸いません」
「そうですか」ローレンの吐いた煙が二人の間で輪を作る。「今回の警備隊の事件で、最初は城の中に侵入者がいるのか疑われたんです。だけどその痕跡はなかった」
「だから外の人間……私に目がついた、というわけですか」
「その通りです」
「戍亥さんの鼻も、フレンさんの直感も、えるさんの感知魔法も掻いくぐれる方法となると……私には思いつきません。出来るならとっくにやっています」
「俺もそう思います。でも、える様はそうは思ってない」
「どういうことですか?」
「加賀美さんは、葉加瀬冬樹と夜見れな……この二人と仲が良かった」
「ええ、二人とも私の宝物でした」
「……───」
ローレンは一度言葉を飲み込んだ。
「どうして彼女たちの名前が出てくるんです……?」
「その二人が加賀美ハヤトにそういった秘密を教えていた、というのがえる様の考えみたいなんですよ」
「そんな訳ないだろ!」
加賀美が声を荒げる。
二人きりの牢屋に鉄格子を叩く音が響いた。
「葉加瀬さんも、夜見さんも……もう死んでるじゃないか! どうして彼女たちが……どうして……また」
ローレンはここに来るまで、二人の資料を軽く漁っている。
葉加瀬冬樹と夜見れな───この二人の経歴に罪といった罪は見あたらない。
指摘する部分となればそれこそ限られてくる。
葉加瀬冬樹は実験に失敗し、城の壁に穴を開けた。
夜見れなは、国民を喜ばせようとした手品で失敗。何人かケガをさせた。
「二人とも処刑さるような罪は犯していない。夜見さんは……手品を見に来てくれた人たちにお金を払い戻していたし、ケガをした人たちの治療費も払っていた。葉加瀬さんだってヘルエスタ王国の発展を願っての実験だった」
加賀美の言うことは何も間違っていない。
しかし、処刑された。
「加賀美さんが城にスパイとして置いていたオリバー・エバンス。彼を通じてあなたに情報が渡り、城内で殺人をした」
「そうだ! 彼は、オリバーさんはどうなったんです? 無事なんですか!?」
「ここに俺たち二人しかいない時点で察してください。オリバー教授は戍亥さんに拷問されて……消し炭ですよ」
自分と関わってしまったばかりに不幸にさせてしまったという罪悪感。
その思いが加賀美に嗚咽を漏らさせる。
「バレたら私のことは売ってもいいと言っておいたのに」
「オリバー教授は加賀美さんを最後まで売らなかった」そのかわり、とローレンは続ける。「尿路結石には気をつけろって話をしてましたね」
「ぐぅ……オリバーさん……あなたは一体何の話をしてるんだ」
「彼に白状させたのは───喋らせたのはえる様の魔法です」
「なんですって?」
「オリバー教授が口を割らないと分かってすぐ、える様が教授の脳をぶっ壊したんです。あとはトントン拍子にあなたが貧民街にいることが分かった」
「人の心を破壊してまで……えるさんは、私を犯人にしたいんですか?」
「さあね。あの腹黒エルフの考えることなんて理解したくもない」
「千年は生きているらしいですからね」
「ある意味バケモノですよ」
それで、とローレンは加賀美に近づく。
「俺はここからあなたを逃がすよう言われて来ました」
「え?」
予想外の展開に加賀美の目が泳ぐ。
「そんなことをしたらローレンさんが危ない。それこそ騎士団総出で襲ってきますよ」
「まあ……そうなりますね」
「私を逃がしたあと……ローレンさんはどこに身を潜めるつもりですか」
「教会に泣きつくしかないですね」
「守ってくれる保証がないじゃありませんか! それに私を助けても何の得も───」
加賀美は言葉を切る。
そして、
「私を逃がそう、そうあなたにお願いしたのは誰ですか?」
「シスター・クレアです」
「どうして彼女が?」
「俺にも分かりません。でも、その指示に従っていいものか……」
ローレンは加賀美から離れ、
「しかし、この機を逃せば加賀美さんが真実を知ることはなくなるでしょう」
「真実? 真実って……」
加賀美は言葉を待った。
「明日、あなたの処刑がリゼ様から言い渡されます」
「それは覚悟しています」
ローレンは声を低くして、
「問い質すならそれが最後のチャンスになるでしょう」
「話が見えてこないんですが……」
「葉加瀬冬樹と夜見れなをどうして殺したのか。それを知ることが出来るのは明日だけ、ということですよ」
「っ!」
「今逃げ出せば次はない。見つけ次第、即処刑ということになる。だからここは……あなたの心を尊重します」
加賀美はしばらく何も話せなかった。
頭の中でぐるぐると二人の記憶が錯綜する。
歌った時間。
踊った時間。
そのすべてが加賀美にとって輝かしい、人生最高の瞬間だった。
私は、と加賀美は言う。
「ここに残ります。私は真実を知りたい!」
「分かりました。それじゃ、俺はこれで」
牢の出口に向かうローレンを加賀美が呼び止める。
「タバコ! やめた方がいいですよ!」
ローレンは手を振り、出口へ消えていった。
「話は終わりましたか、える様」
「ええ、終わりました。やっぱり彼が警備隊を殺した犯人で間違いありません。彼が処刑される日まで、決して油断しないように」
「は! える様もお気をつけてお帰り下さい」
「ありがとう」
えるは兵士に歩み寄り、おでこを人差し指でつつく。
兵士は力なく倒れ、そのまま眠ってしまった。
「さようなら。目が覚めたら今日のことは忘れてると思いますけど。えるに触ってもらえたのだから、あなたはラッキーですよ。クソ人間」
えるは月明りを楽しみながら悠然と歩を進める。
道中、加賀美のことを思い出し、口角が吊り上がった。
「なんて滑稽な男でしょう。真実なんてものは最初からないっていうのに。信じちゃって……ホント、笑いをこらえるのが大変でした」
しかし、これであの男は逃げられなくなった。
不満点があるとすれば───。
「あのクソ男。どうしてこんなものを吸っているのでしょう。吐き気がしてしょうがありません」
えるはポケットに忍ばせていたローレンのタバコを握りつぶす。
「えるを不快にさせたんです。もしものことがあれば、今度は彼に汚名を被ってもらうとしましょう。人間なんてどこにでもうじゃうじゃ湧いていますからね」
えるが笑う。
「そう。絶望こそ最大の平等なのですから」




