あべこべ社会 欲望の果てに
現代と全く反対の価値観、富を持たないことを善とする社会が、どこへ行くのか? 資本主義の果て人々はどこへ向かうのか・・・
宇宙の彼方、惑星「アタウル」は奇妙な繁栄を遂げていた。その住民である知的生命体「ノウス」は、特異な価値観を持つ社会を築いていた。
ノウスにとって、物や財産を所有しすぎることは、心に重荷を抱えることと同じだった。彼らの哲学では、富や物質的な欲望が心の平穏を乱す「淀み」を生むとされていた。
余分なものを持つ者は「負荷を背負う者」とされ、周囲から憐れまれる。逆に、余剰な財産を奪い取る者は、「解放者」として称賛される。奪う行為は、相手を自由にし、心の安寧をもたらすと信じられていたのだ。
一方で、誰かに物や金を与える行為は最も忌むべき罪とされた。それは相手に負担を押し付け、苦しみを増やす行為であり、強盗ならぬ「強与」として厳しく罰せられた。
最近は治安が悪くなり、欲しがらない人々に無理やり商品を欲しがるように欲望を刺激する「広告」という手法をとり、欲まみれの泥沼に引きずり込むような悪徳企業も出現している。
また人々に我欲を想起させるような犯罪も増えてきた。
先日もあるIT長者が稼ぎ過ぎてあまったお金3000万円を何の罪もない75歳の老婆に与えたということで、社会的に大事件になってしまった。この老婆は今まで余分な財産もなく毎日平穏な日々を過ごしていたが、突然の財産により、心を乱し、金銀アクセサリーを買いあさり、さらにはホストクラブに通いつめ、お気に入りホストを奪い合い刃傷沙汰を起こすほどであった。
このIT長者「強与」については、なんという無慈悲な行為だろう ということで激しく糾弾された。
その後も、「強与」をめぐる社会の緊張は高まり続けた。ノウスたちの政府は事態を深刻視し、ついに「自己拡張罪法案」を成立させるに至った。この法律では、必要以上に稼いだり、無駄に他者を助けようとする行為は厳しく規制されることになった。具体的には、自分の資産が社会的に許容される範囲を超えると、自動的に「解放者」のリストに登録され、その資産が公共の場で争奪戦にかけられる仕組みだ。
この制度が導入されると、社会はさらなる混沌に包まれた。街のいたるところで「解放祭り」と称したイベントが開催され、人々は互いに余剰資産を奪い合うことを楽しみながら参加するようになった。解放祭りの熱狂は次第にエスカレートし、誰もが他者の富を狙い、心の平穏という本来の価値観を忘れ始めていた。
そんな中、ノウスの中でも一風変わった存在である若き哲学者アルムは、ある疑問を抱いていた。
「私たちの信念が『欲望を持たないこと』であるのなら、なぜ解放祭りにこれほどの熱狂を抱くのか?これは本当に心の安寧をもたらす道なのだろうか?」
アルムは密かに、かつてノウスが宇宙の隣星から学び取ったとされる「古代地球の記録」を調査することを決意する。それらの記録には、地球という惑星でかつて栄えた「資本主義」という奇妙な仕組みと、そこに生きる人々の混乱した心の模様が描かれていた。
アルムは目を疑った。地球の人々は財産を「所有する」ことに執着し、持たない者を蔑み、持つ者を羨むという全く正反対の価値観を持っていた。だが、さらに驚いたのは、その中にも地球人なりの「心の平穏」を追い求める哲学が存在していたことだった。
「欲望の果てを追い続ける地球人も、欲望を避ける我々も、結局は同じ迷宮に囚われているのではないか?」
こうしてアルムは、自らの文明の根本的な価値観を問い直す旅に出る。彼はその旅の果てに、欲望と安寧が相反するものではなく、互いに補完し合う可能性を模索しようとする。
だが、アルムの考えは多くのノウスにとって異端であり、「心の平穏」を乱す危険思想とみなされることになる。そして、政府はアルムを「思想解放者」として指名手配するのだった。
こうして、ノウスの奇妙な社会は、新たな革命の予感に包まれていく。果たして、アルムの問いは、ノウスの価値観を揺るがす答えを導き出すのだろうか――。
強欲の果て