1 アニメ声の幼女
★転生〇~三年目、故郷の村での話
うんちくがうざかったら流し読みしてください。
目覚めると、薄汚いベッドで、砂と埃だらけの布団をかぶっていた。
身体を起こして考える。
おかしいな…。オレは昨日、ベッドに入らずにこたつでアニメを見ながら寝落ちしたような…。
いや、私は昨日、お母さんにちゃんとおやすみを言って寝たよ。
いやいや、オレは三十六歳独身の冴えないサラリーマンで一人暮らしなんだ。母親には正月以来会ってない。
いやいやいや、お母さんとは毎日おはようって言って、一緒にご飯を食べて、おやすみを言って一緒に寝てるじゃん!
うーん…。オレの頭の中に、お母さんと暮らす六歳の女の子、ユリアナの記憶の記憶が流れ込んできたようだ。
何いってるの?私の頭の中に、真北薫という日本人の男の記憶が入り込んできたんじゃん。
今、目に映る景色は、昨日までユリアナの見ていた景色だ。手や指は華奢で、薫のものではない。
二人の記憶が宿っているこの身体はユリアナのものだ。視界の端にちらちら写る灰色の髪はユリアナのものだ。この世界はユリアナの世界だ。
薫の記憶がユリアナの身体に宿ったと考えるのが正しいだろう。
薫としてはユリアナの身体に宿って、ユリアナの記憶を得たように感じるけど、ユリアナとしては突然、薫の記憶を得たように感じる。
若干の驚きはあるものの、妙に落ち着いている。薫はユリアナとして生きてきた記憶があるし、ユリアナも薫として生きてきた記憶があるからだろう。
アニメの見過ぎだろうか。昨日見ていたアニメの中には、そんなアニメもあったような…。もう一度眠れば、日本の家が待っているのか…。それともこの薄汚いベッドか…。
「ユリアナ、起きたの?おはよう」
「お母さん、おはよう!」
私のお母さん…、たしかナタシア…。お母さんを名前で呼ぶことなんてないから、名前がとっさに出てこなかった。
でも、寝室の扉を開けて入ってきたお母さんを、私は一目見て嬉しくなり、笑顔でおはようと返した。
ちなみにお母さんのしゃべる言葉も、私が返す言葉も、日本語じゃない。
「母さんもう仕事行くわよ。朝ご飯作っておいたからね」
「ありがと!」
「ユリアナは森に行くなら、マレリナと一緒に行くのよ」
「はーい」
私はお母さんといつものやりとりをした。
「じゃあ行ってくるわね」
「いってらっしゃーい」
さて…。オレは死んだのかな…。オレ、薫の記憶がなぜユリアナの身体に宿っているのかは考えてもしょうがない。開き直って、ユリアナと薫の記憶を整理しよう。
まず、ユリアナは六歳の女の子。少しウェーブがかった灰色のロングヘアー。といえば聞こえは良いが、実際はゴワゴワで絡まりまくっていてゴミだらけの髪…。
まあ、ユリアナの記憶を辿る限り、この世界の人間の髪はみんな灰色のようだ。白髪交じりの黒髪とかではない。お母さんのナタシアも灰色のロングだ。もちろんゴワゴワでゴミだらけだ。
人間が全員灰色の髪をしているなんて、ここはどうやら薫の暮らしていた地球とは違う世界のようだ。
ユリアナはどんな顔か…。分からない…。鏡なんてものがないからだ。
まあ、お母さんのナタシアは美人だし、ユリアナも美人だといいな…。お母さんはとても若いと思う。二十歳くらいかな。
ユリアナ自体は六歳だからなのか、お母さんと自分が似ているかどうかなんて考えたこともない。薫がそのように推測しただけだ。
お母さんは少なくとも日本人ではない。白人系だ。自分も手の肌を見る限りは白人系だろう。
服は象牙色で薄手の麻布、つぎはぎ、汚れだらけのワンピース一枚。いやワンピースというのも甚だしい。布を二枚重ねて縫い合わせたものに穴を開けただけだ。かなり大きめでだぼっとしている。成長を見越しているのか、それともたんに中古のお下がりだからサイズが合っていないのか。お母さんも同じだ。記憶をたどる限り、それ以外の服を見たことがない。
靴は木靴。クッション性ゼロ。脚は豆だらけだ。豆が堅くなりすぎて、もはや痛みも感じない。
身につけているものはワンピースと木靴だけ。
おなかが減った…。お母さんの用意してくれた朝ご飯をいただこう。寝室を出て、ダイニングへ向かった。
オレは歩きながら考える。
この家は木造。お母さんとの二人暮らし。
ユリアナの見てきた景色を思い出すと、この世界はかなり低文明のようだ。薫も他の国の昔のことなんて知らないから、具体的に何世紀のどこの国かとか詳しくは分からない。
家は隙間風だらけで、ほんの少し寒い。だけど、ユリアナの記憶を辿っても、あまり寒い思いをしたことがない。どうやら今は冬のようだけど、これ以上寒い時期はなさそうだ。
テーブルに置いてある朝ご飯は、固いパンと薄い塩味の野菜スープだ。
私は少し高い椅子によじ登り、ご飯を食べ始める。
このパンはスープに浸して柔らかくして食べるのだ。美味しいと思ったことはない。というかユリアナは美味しいという感情を知らない。だけど、お母さんが作ってくれるから全部食べるのだ。
私はご飯を食べ終わって、台所にお皿を下げた。
おなかが膨れたら、尿意を催した。
私はトイレの部屋を開けた。
くっさい!いや、知ってたけど!薫の感覚からすると吐きそうになる臭さだけど、ユリアナの身体はもうこの臭さに慣れていて平気だった。
トイレの部屋は日本のトイレと同じくらいの広さだけど、便器の代わりにツボのようなものが置いてある。
私はスカートを少したくし上げ、ツボの上にしゃがんだ。
薫としては、いろいろと言いたいことがあるが、薫の記憶がユリアナの心の片隅に住まわせてもらっている感が強いので、ここは我慢…。おしっこが脚やスカートにかかるのは普通のことで、疑問に思う余地すらない。ここは異世界。ユリアナの暮らしてきた世界。これが常識…。
このあとは森に出かける。その前に友達のマレリナを家まで迎えに行くのだ。
「ふんふんふんふんふーん♪(シ♭レファレシ♭)」
自然に鼻歌が出た。ユリアナは鼻歌好きなのだ。
ユリアナは自分の声がどうだとか思ったことはないのだけど、ユリアナの声は薫からすればとても可愛いアニメ声だ!
ひゃっほう!オレはアニメ声の幼女に転生したんだ!TS転生してしまうのは、女の子に間違えられがちな名前の男によくあることだ。三十六年間名前のコンプレックスに耐えたかいがあった。オレは薫って名前でよかったと思う。
ここで薫の記憶を振り返ってみる。薫は大のアニメ好きで、とくに可愛いアニメ声の声優の出演するアニメが好きだった。内容ではなくてメインキャストの声が可愛いかどうかがアニメ選定の第一基準だった。もちろんお気に入りの声優だって何人かいた。
そうだ、昨日も好きな声優のアニメを聞きながら寝たんだ。声優のアニメ声は心地よい子守歌なのだ。その声色だけで癒される。内容とかセリフとかは二の次で、アニメ声の女の子がキャッキャうふふ言っているだけでいい。
もちろん、アニソンや声優ソングも好きだ。大学の時はアニソンが子守歌だったけど、今はアニメそのものが子守歌だ。なぜなら、歌うときまでアニメ声を維持している声優は少ないからだ。
聞くだけでなく歌うのも好きなんだ。カラオケに一人で行き、十二時間、裏声でアニソンや声優ソングを歌い続けるのはざらだ。
オレは男だ…った。でも、ファルセットには自信があった。大学のとき男性合唱部にいたからだ。もちろん、大学の男性合唱部にカウンターテナーなどというパートはない。オレが独自に練習していただけだ。いや、大学のときはオレのカラオケに付き合ってくれる部員がたくさんいたんだよ。
でも、ファルセットで出せるのはせいぜいアルト声とかであり、いくら頑張ってもアニメ声を出すことはできない。男の声はもちろん、男が出すアルト声で女性のアニメ声の歌を歌ったってキモいだけなのだ。それが分かっていながら歌っていたのだ。
しかし今はどうだ。ユリアナの声はとても高くて可愛いアニメ声だ。オレは転生して、アニメ声というチート能力を授かった!ひゃっほう!それだけで転生したかいがあったというものだ。
いや、ユリアナは六歳の幼女なんだから、可愛い幼女声なのは当たり前か?
いやいや、アニメ声は幼女声とは違う。幼女の声というのはそれほど高くない。一方でアニメ声というのは高いのだ。高くて幼いのだ。それは幼女の演技になっていないのではないかといわれればそれまでだが、アニメ声は大きな子供の本能はもちろん、普通の子供の本能までもを刺激する研究された幼女声なのだ。
そして、ユリアナは幼女でありながら、ベテラン声優のような技術を伴ったアニメ声をしているのだ!
「ふんふんふんふんふーん♪(シ♭レファレシ♭)」
気分がよくなると、かってに鼻歌が出てくる。ああ、自分で聞いているだけで惚れ惚れする。
シ♭レファレシ♭というのは、薫のファルセットで出せる限界の音域に近い。女性歌手でもこの音域になるとファルセットを使うことが多い。この高さのファを地声で出せる歌手は記憶にない。レくらいまでならシャウト系の歌手の音域だろう。でもシャウトは可愛くないのでNGだ。
普通、シ♭レファレシ♭を口ずさもうと思ったら、今口ずさんでいる音域よりも一オクターブ下で口ずさむ。逆にシ♭は女性にはちょっと低いくらいになってしまうが。
でもユリアナにとってはこの一オクターブ上のシ♭レファレシ♭くらいが丁度いい音域だ。ユリアナは素晴らしいアニメ声の持ち主だ。普通の幼女だってその下のファからドくらいまでの音域が普段使いだ。やはりアニメ声と幼女声は違うのである。
それにしてもこのメロディ、どこで聞いたのかユリアナも覚えていない。でも、メロディなんて何でもいいのだ。
自分で出している声を聞いているだけで幸せな気分になれるなんて、変態ナルシストもいいところだ。だけど、ユリアナはメロディを鼻歌で口ずさんでいるだけで気分が良いし、薫もそれを聴いているだけで心地よい。一石二鳥だ。
なんだかよくわからないけど、オレはユリアナの身体に宿れてよかったと思う。
私としては、喜んでくれて何より、と思う。
トントンっ。ノックの音。
「ねー、ユリアナいるー?」
あ、マレリナの声だ。
しまった!自分の声に聞き惚れている場合じゃない。いつもだったらとっくにマレリナを迎えにいってる時間だ。時間といっても時計があるわけではなく、お母さんの出かけた時からだいたいこれくらいみたいな。
「ごめーん、今行くー」
私はドアを開けた。
「遅いよー。朝から倒れたのかと思ったよー」
「ごめんごめん」
ドアを開けると友達のマレリナだ。マレリナも六歳。髪は灰色のショートボブだけど、ユリアナと同じでゴワゴワでゴミだらけ。
髪がゴワゴワでゴミだらけなのは当たり前だ。ユリアナとしてはそのことに疑問を思ったことがない。日本で毎日風呂に入っていた薫だからこその発想である。
「じゃあ行こっか」
「うん」
私は篭を持って家を出た。
外から見た自分の家は、木造一階建ての平屋。周りに数件ある家も同じだ。あとは雑然と農地が広がっている。
日陰は家の中にいるときよりも少し寒かったが、日向に出ると家の中よりも暖かかった。これが冬なら、逆に夏はどうなるのかとも思うが、ユリアナの記憶には暑すぎてうんざりするような記憶もないのだ。一年を通して気温の変化が少ない地域ということだろうか。
マレリナと一緒に森へ向かう。マレリナも篭を持っている。
マレリナの服はつぎはぎだらけの汚れまみれだ。
って、自分の服も同じ服装だった。
そもそもベッドから出て着替えていない。この格好で寝ていた。
そもそも、ユリアナには寝るときに着替えるという概念がない。服を洗うという概念もない。
ああ、マレリナ…、ちょっと臭う…。いや、自分も同じくらい汚いので、自分も相当臭いだろう。だけど、自分の体臭というのは分からないものだ。
そもそも、ユリアナは人が臭いことに疑問を感じたことがない。
オレはこんな臭くて原始的な世界に来てしまって生きていけるのかちょっと不安にもなるけど、ユリアナは今までここで普通に生きていたのだし、ユリアナの考えに身を委ねていればなんてことない…はず…。
逆に、私からすれば、薫は便利で清潔な世界から来たんだね、へー、くらいにしか思っていない。それをうらやましいとか恋しいとか思わない。
「さて、今日はこの辺にしようか」
「そうだね。いっぱいなってる」
私は思いにふけっていたけど、マレリナに言われてハッと脚を止めた。
森には野草摘みに来たのだ。普段の食事の足しにするのだ。朝食べたスープにも入っていた。
私とマレリナは野草を摘み始めた。
「ふんふんふんふんふーん♪」
私はいつものように鼻歌を歌いながら野草を摘んでいる。
「あ、好きなのみーっけ!」
私の好きな野草を見つけた。名前は知らない。
「あ、いいなー」
「マレリナも見つかるといいね」
「よーし、見つけるわよー」
「がんば!」
物心ついたときからの仲良し、マレリナ。
マレリナも好きな野草が見つかるといいなと、私は思った。
「ふんふんふんふんふーん♪」
「あっ、ユリ……」
「……アナ、ユリアナ、そろそろ帰るよ」
「う、うーん…」
「起きたぁ?」
気が付くと、草むらに横たわっていた。マレリナが私を揺すっていた。
「あれ、私、またやっちゃった?」
「うん」
「いつもごめんねー」
「いいのいいの」
そうだ。私はいつも突然倒れるらしいのだ。だから、私は一人で行動してはいけないとお母さんに言われていて、森に行くなら必ずマレリナと一緒なのだ。
マレリナも慣れた様子で、「あ、また倒れた」くらいにしか思っていないようだ。
「それでどうだった?」
「大量だよ!」
「やったね!」
「はい、ユリアナの分だよ」
「私、寝てるだけなのにいつもありがとね」
「ふふふっ、ユリアナが倒れた時が狙い目だからね、いいよ」
「そうみたいだねー」
なぜか、私が倒れると、好きな野草がよく見つかるらしいのだ。まあ、それを分けてもらえるからいいんだけど。
私は倒れてしまったので、いつのまにか夕方だ。倒れるまでに摘んだ分と、マレリナがくれた分で、私とお母さんの夕ご飯と明日の朝ご飯は豪勢になるだろう。
ちなみに、この世界では一日二食だ。だけど、おなかはけっこう減っているので、薫の世界のことを知った今では、三食食べられるのはちょっとうらやましい。だからといって、そんなわがままを言ったらお母さんは困るだろう。
「じゃ、帰ろっか」
「うん」
マレリナと私は帰路に就いた。
「じゃあねー。また明日」
「またねー」
マレリナは私を家まで送ってくれる。
朝に倒れることは少ないので、行きは私がマレリナの家に迎えに行くことになっているけど、帰りは私がマレリナと別れたあとに倒れたことがあったので、それからはマレリナが家まで送ってくれることになったのだ。
まあ、目と鼻の先なのだけど、たったその区間で倒れることもあるのだ。
帰ったら、晩ご飯の下ごしらえをする。堅い野草を塩で揉んでおくのだ。
でもその前に、オレは裏の井戸から水を汲んで、手と野草を洗うことにした。ユリアナはいつも、泥だらけの手で土の付いたままの野草を塩もみしてしまう。そこはさすがに口を出すことにした。
「ふんふんふんふんふーん♪」
うーん。不思議だ。オレ…薫と、私…ユリアナは、まるで別々の人格が一つの身体に宿っているようだ。だからといって、右手をオレが担当して、左手を私が担当するなんて器用なマネはできない。
どちらが主体的かというと、どちらかというとこの身体は私のものなのだから私に薫の記憶が宿った感覚が強い。だけど、私は六年しか生きていないし、そんなに難しいことを考えたことなんてない。だから頭の中で難しいことを考えてるのはほとんどオレだ。
頭の中で「オレ」といっているときは、大抵薫の記憶を元に日本語で考え込んでいるときだ。
一方で、頭の中で「私」といているときは、ユリアナの記憶を元に、ユリアナの言語で考えている。
頭の中にオレと私が同時に住んでいて同時に別のことを考えたりできるわけではない。
もちろん、言葉をともわずに考えるときは、オレでも私でもないときがある。薫がユリアナの記憶を元に考えることもできるし、ユリアナが薫の記憶を元に考えることもできる。
ユリアナの行動範囲は村のごく一部だけど、オレはなんの知識も持たずにこの世界に放り出されたわけではないから、わりと落ち着いていられる。薫の記憶をもとにあからさまな行動したりしなければ、異世界から来た転生者なんて思われないはずだ。たぶん。
「ただいまー」
「おかえりー、お母さん!」
「ご飯、作るわね」
「待って、手を洗ってきて」
「あら、なんで?」
「いいから」
オレはこんな原始時代で生き抜くサバイバル知識なんて持っていないけど、ユリアナの生活にオレのつたない知恵を少しずつ取り入れていこう。ユリアナではないのではないかと思われたり、転生者とばれたりするルート一直線にならないようには気をつけよう。
晩ご飯は朝ご飯に対して、お母さんの買ってきた干し肉が加わっただけだ。ユリアナに美味しいとか美味しくないとかいう感情はない。おなかがすいて本能がそれを食べろと言っているから食べているだけだ。
「今日も倒れちゃったみたいね」
「うん。だから大量なの」
「まあ、何も体調に問題がないならいいんだけどね」
「大丈夫だよ。なんともない」
お母さんも、私が倒れたときはなぜか大量の野草が見つかることを知っているのだ。
私はたぶん、十日につき八日は倒れている。だけど、何かが悪化していくようなこともないし、徐々に倒れる回数も減ってきているみたいなので、お母さんもそれほど心配しているわけではないようだ。
「おやすみなさい」
「おやすみなさーい」
お母さんと私は、砂と埃まみれのベッドに入った。
今日はほとんど、ユリアナの考えに身を委ねて、ユリアナの生活を客観的に見つめてみた。ユリアナはこうやって何気ない日々を生きている。
鼻歌曲のラインナップは一つしかない。どこで聞いたのか覚えていない。ユリアナはせっかく可愛いアニメ声をしているというのに、この世界には歌なんてないのではなかろうか。こんな原始人の村に歌なんてないか…。いや、民族音楽とかあったっていいじゃないか。歌わせてくれさえすれば、曲はなんでもいいよ。たぶん。
ところで、たった五音からなる一つのメロディでは何も分からないと思うかも知れないが、ユリアナは絶対音感を持っているようだ。
絶対音感というのは、たとえば「あいうえお」と言われたら、それを頭の中で「あいうえお」という文字に変換できるように、ドレミファソという音を鳴らされたら、それを頭の中でドレミファソの文字に変換できるような能力である。
かく言うオレも絶対音感を持っていて、オレがファルセットに絶対の自信を持っていたのはオレが音程を外さないからだ。外した裏声なんてキモいだけだが、オレは外さないのでアルトパートのまねごとくらいはできた。
薫は国語のテストで十五点を取るような、言語能力に劣った生き物だった。人の話を聞くと、あいうえおに変換されるよりも先に、ドレミファソに変換されて記憶される。
寝る前に聞いたお母さんの「おやすみなさい」という声だって、だいたい「ミソソソソソソ」という音が記憶に残っている。階名では微妙な音程を表現できないからミとソで表したのであって、実際にはミより高い音と、ソより低い音で構成されていた。
他の人の絶対音感がどうだか知らないが、オレの絶対音感はドより少し低いとか高いとかが分かる。だいたい、ドよりも四分の一くらいド#寄り、みたいなことが分かったりする。
ちなみにドとレの間隔、つまりピアノで白鍵と白鍵の間隔を全音という。ドとド#の間隔、つまり白鍵と黒鍵の間隔を半音という。
ラの音の周波数が四四〇ヘルツというのを聞いたことがあるだろうか。音というのは空気が振動することによって伝わる。四四〇ヘルツというのは、一秒間に四四〇回振動するという意味だ。ラより一オクターブ上のラは周波数が二倍だラの音は、一オクターブごとに周波数が一一〇、二二〇、四四〇、八八〇ヘルツというふうに指数関数的に上がっていく。
ピアノでラから白鍵と黒鍵を合わせて半音ずつ右側に十二個移動すると、一オクターブ上のラに辿り着く。これは一つ半音を上がるごとに周波数が二の十二分の一乗倍上がることを示す。二の十二分の一乗というのは、約一・〇六だ。例えばラ#は四六六ヘルツで、ラ♭は四一五ヘルツだ。
一・〇六を十二回かければ二になる。これは鍵盤を半音ずつ十二回上に上がることが一オクターブ上であることを意味する。
ラは四四〇ヘルツ、ラ#は四六六ヘルツ、ラ♭は四一五ヘルツだが、もっと数学的にいえば、それぞれを四四〇で割ると、四四〇は一、四六六は一・〇六で、四一五は〇・九四だ。
それらに二を底とした対数を取れば、それぞれゼロ、十二分の一、マイナス十二分の一だ。
この対数を十二倍するとそれぞれ、ゼロ、一、マイナス一になる。
つまり、半音上がるごとに一ずつ増え、半音下がるごとに一ずつ減る数値になる。この数値にラとかラ#とかが対応付けられていると考えればよい。ドレミというのは音の周波数の対数に対応付けられたラベルなのだ。絶対音感を持っていない者でも、人間は脳内で音の周波数を対数に変換して処理しているのである。
対数は高校数学で、音と周波数の関係は高校物理で習う。しかし、音楽と周波数と対数の関係を扱った学問など、オレは知らない。ネットで検索すればそういう記事は出てくるが、音楽と物理と数学を習っていれば、こういう法則には自然に気がつくものだと思う。たぶん。
音を聞いて周波数を言い当てる絶対音感保持者の物語を見たことがあるだろうか。たしかに音は周波数に関連付けられているのだが、さっきから言っているように、音の周波数を対数に変換して人間は感じているため、音のドレミを言い当てることができればじゅうぶんなのである。周波数を言い当てるというのは、ドレミを数値に変換して、さらに一・〇六の二乗、三乗といった指数関数を頭の中で計算するか、もしくは答えを覚えているかにすぎない。
つまり、周波数を言い当てるというのは絶対音感とはあまり関係がなく、絶対音感保持者が指数関数の暗算能力を得ればそのようなことが可能になるだけのことである。もしくは、空気の振動回数をカウントする能力なのかもしれない。それはもはや音とは無関係だ。
絶対音感とはそういうものではない。勘違いしないでほしい。
世の中にはラが四一五ヘルツであると主張する人がいる。でもオレは三十代半ばになって気が付いた。人間の聞く音は年々上がっていき、三十年から四十年程度で半音ほど上がってしまうのだと。これは、人間の脳みその処理能力が三十年で六パーセント遅くなってしまったから、半音上がって聞こえるのだと仮説を立てている。
六歳の頃に覚えた音を三十六歳のときに聞こうと思ったら、半音低い音を鳴らさなければならない。そのことに気が付いていない三十台から四十台の人が、ラは四一五ヘルツであると主張するのである。だいたい、三十台の作曲者が半音低い音で作曲するのだ。個人差はあると思うが。
ちなみに、六十台になるともう半音上がって聞こえるようになるのかは知らない。オレはもう薫の身体に戻って、薫の六十歳を体験する可能性がなさそうなので、検証できない。いや、このユリアナの身体が三十歳になってさらに六十歳になったときに分かるだろうか。
なんでこんな大変長いうんちくを垂れたのかというと、オレはユリアナという身体に乗り移ってしまったので、今オレの聞いている音やユリアナの口ずさんでいる鼻歌が、実際にどんな高さの音なのかがまったく分からないということを説明するためだ。
三十年経って脳みその処理速度が六パーセント遅くなり半音上がって聞こえるという仮説が正しいのなら、まったく違う処理速度の脳みそを持つユリアナにオレが乗り移ってしまったので、何音分ずれて聞こえているのかまったく分からない。
音叉でもあればいいのだが、そもそもこの世界のラが四四〇ヘルツとは限らないし、それ以前にラとか階名があるかも分からない。それどころか、音楽があるかも分からない。
洗濯機や電子レンジのピーピーという音は、たいてい一キロヘルツとか二キロヘルツである。健康診断の聴力検査は一キロヘルツと四キロヘルツである。それらの音はシより二割だけド寄りの音である。それを聞けばオレとユリアナの聞こえる音の音程の差が分かる。だけど、そんなものはこの世界になさそうだ。そもそも、ヘルツという一秒間に振動する回数の単位があるかどうかあやしいのはもちろん、秒という単位があるかすらあやしい。
でも逆に考えれば、歌も音楽も何もないのなら、オレがラの音を決めればよい。オレがルールだ!一人で鼻歌を口ずさんで自分でそれを楽しんでいるだけなら、階名など必要ないのだ。
ここまでうんちくを垂れておいて結論がこれだ!
ちなみに余談だが、聞こえる音の音程を簡単に下げる方法がある。一つは頭を冷やすことだ。いや、この世界で氷枕を作るのは至難かもしれない。それはまあさておき、夜、氷枕を頭に敷いて寝ると、翌朝聞こえる音が半半音くらい下がっている。つまり、頭を冷やして脳みそが三パーセント加速するのだ。残念ながら、目覚めて一時間くらいすると、いつのまにかいつもの音程に戻っている。
まあ、頭を冷やさなくても、朝目覚めてしばらくは、ほんの少し音が下がって聞こえる日がある。今日は目覚ましの音が低いと感じながら目覚めるのだ。
もう一つの方法は、ナトリウムブロックという抗てんかん薬を飲むことだ。数時間、聞こえる音が半音下がる。よく分からないけど、ナトリウムイオンが神経細胞に入るのを防ぐ薬らしい。
半音下がることが脳の処理速度プラス六パーセントだとするのなら、ひどいドーピング薬だ。ところが、オレは絶対リズム感なるものは持っていなかったが、聞こえる音が遅くなった感じはしなかった。だから、今までいってきたことを完全に覆すことになるのだが、音が下がって認識されるだけなのだろう。第一、遅くならずに下がって聞こえるというのは物理的にはあり得ないのだから。
つまり、オレがユリアナの身体に宿っている現状、脳みその速度だけでなく、ナトリウムイオンの吸収量も薫とはまったく違うだろうから、とにかく、薫の覚えている音とユリアナの覚えている音には、かなりのずれがある可能性が高いということだ。いや、ナトリウムイオンの吸収量の微妙な差で半音ではない微妙な変化があるのかは知らないが、少なくとも薫が薬を飲んだ限りでは、丁度半音とハッキリ認識できるレベルで聞こえる音が下がった。
ナトリウムブロックの薬はてんかんや顔面神経痛にならないと処方してもらえないので普通は試すことはできないが、氷枕のほうは誰でも簡単に試せるので凍傷にならないように気をつけてほしい。オレは責任を持たない。
オレには絶対音感が物心ついたときからあった。逆にいうと、当然のように持っていた能力だったので、世の中の大半の人が絶対音感を持っていないと知ったのは、大学の男性合唱部に入ってからだった。
同じように、ユリアナも音を取れることになんの疑問も持っていない。そもそも、ユリアナ以外に鼻歌を口ずさむ人はいないし、他の人が音を取れるかどうかを問うたことがない。
ユリアナはいつも鼻歌を口ずさんでいるからか、けっこう声量や肺活量がある。
六歳の女の子にしては腹筋もしっかりしているから、出そうと思った高さの音を的確に出すことができる。
このままボイストレーニングを続けて歌手になりたいところだが、この世界には歌手どころか歌…、音楽すらないのではなかろうか。
言語が違うので前世の歌を歌ったところで誰も分からない。
まあいいや。オレは声が好きなのであって、そこに言葉を伴っている必要はない。歌うときも歌詞の意味を考えて歌う必要はない。
そもそも、誰かに聞かせるために歌うのではない。オレが自分を癒すために歌うのだ。
「おはよ、ユリアナ。母さん行ってくるわね」
「おはよ、お母さん。いってらっひゃい~…」
昨日ベッドの中で考えにふけっていたから寝不足だ…。
「ふんふんふんふんふーん♪」
あ、そうだ!ユリアナが唯一知っているこのフレーズじゃなくて、前世のアニソンでも歌ってみよう!
私としてもいつもと違う歌を口ずさめるのは楽しい。っていうか、違うメロディがあるなんて思いもしなかったよ。
「ふふふふ~ん♪(ソラシド)」
私は食事を終え、食器を台所に下げつつ、薫の前世のアニソンのフレーズを鼻歌で口ずさんだ。
「ひゃっ」
ばっしゃーん。
食器を台所に置いたところで、上から水が降ってきて、食器をぬらした。
私は突然現れた水に驚いて、手を引っ込めた。
「雨漏り?」
この家は何カ所か雨漏りのするところがあるけど、それは台所ではないし、ここ数日雨など降っていない。
屋根に新たに穴が空いたかな…。
トントン。ノックの音。
「ユリアナ~。今日も寝坊~?」
マレリナの声だ。またマレリナに迎えに来させてしまった。
「ごめーん。今行くー」
いつものように森に行き、野草を摘む。
今日はいつものフレーズではなく、アニソンを口ずさみながら。
「ふふふふ~ん♪(ソラシド)」
「何それ!聞いたことない!」
「でしょー」
「私、ユリアナの声、好きなの。他にもあるの?」
「ふっふっふーん♪(ラド#ミ)」
「いいね!教会で聞いたヤツの他にもあるんだね!」
「教会で聞いたヤツ?」
「いつものヤツだよ。ふんふんふんふんふーん♪(ソラシラソ)だっけ」
「ああ、ふんふんふんふんふーん♪(シ♭レファレシ♭)ね」
マレリナの鼻歌を初めて聞いた。リズムはともかく音程はめちゃくちゃだ。上下関係は合っていたのでなんとなく分かった。相対音感すら持っていない人でも、最低限上下関係くらいは分かるようだ。シ♭レファレシ♭をファルセットなしで出せる人は女性でもほぼいないだろう。音程の分からない人がそれを再現しようとしてソラシラソになってしまってもしかたがない。
でもそれは薫の知識と経験による判断だ。ユリアナは今まで自分以外も同じように絶対音感を持っていると思っていたので、違う高さの音を並べられても理解できなかっただろう。いつも自分は「あうおうあ」と歌っているのに、マレリナは「いうえうい」と歌ったのに等しいのだから。
「えっ?今何て言った?教会で聞いたヤツ?」
「うん。あれ、知らないで声に出していたの?」
「あー、うん。どこで聞いたのか覚えてなかったんだ」
「そっか。教会に行くと、他の音もあるのかもね」
「分かった!教会行く!」
「ちょっと待ってよー。野草は?」
「ああ、そうだった…」
ユリアナの辞書には、「鼻歌」とか「歌う」という言葉がない。マレリナも同じで、鼻歌のことを指示語的な言い方をして、歌うことを声に出すと言った。
そうか、いつも口ずさんでいるフレーズは教会で聞いたものだったのか。
教会に行ってみたいなぁ。でも、野草を摘んでいかないと、食卓が寂しくなってしまう。それでも行きたい!
「明日、教会に行ってもいいか、お母さんに聞いてみる!」
「えー?」
「だから、明日は野草摘み、お休みにするから、一人で行ってね」
「ちょ、ちょっと待って。一人で行っちゃダメって言われてるでしょ。私だってユリアナのお母さんに頼まれてるんだから。だから、行くなら私も行くよ」
「えっ、でもご飯が減っちゃうよ」
「ユリアナはそれでも行きたいんでしょ。私もそれを覚悟で付いていってあげるって言ってるの!」
「マレリナ…ありがとう…」
「ユリアナのこと、放っておけないからね」
「いつもごめんなさい…」
「気にしない!」
私は思わずマレリナに抱きついた。
幼なじみで親友のマレリナ…。大好き!
臭いけど。
うるさい!薫の世界のことはもう忘れてよ!
脳内で天使と悪魔が口げんかをしているようだ。
野草摘みから帰って、晩ご飯の時に、
「お母さん、明日教会に行ってみたいんだ」
「えっ、なんでまた教会なんて」
「ふんふんふんふんふーん♪っていうやつ、教会で聞いたの思いだしたんだ」
「ああ、いつも声に出している音ね。そうね、教会を通るときに聞く音ね」
「他にもそういう音がないか知りたいんだ」
「そう。いいけどでも、あなたはいつどこで倒れる…」
「マレリナも付いてきてくれるって言うんだ!」
「それならいいけど…」
というわけで、翌日。
野草摘みに行かないで教会に行ってみることに!ここは狭い村なので教会の場所は分かる。
ところで教会って何するところ?私は答えを持っていない。
オレはもちろん、教会は教えてくれるところだと知っている。おそらく宗教や神様のことを。
賛美歌とかあるだろうか!神様に興味があるフリをしていれば、教会で働いて音楽で食べていけるだろうか!
トントン。ノックの音。
「ユリアナー、倒れてないー?」
「あっ、ごめーん」
私は扉を開けて、マレリナを迎えた。
「もう、最近大丈夫?」
「あ、うん。身体はなんともないよ」
心に薫という記憶が同居しているから考え込んでいたと打ち明けるわけにはいかない。思考があっちに行ったりこっちに行ったりでまとまらず、いつのまにか時間が過ぎていることが多い。
「お母さんが教会に行ってもいいって。ユリアナは?」
「私もいいって」
「じゃあ行こっか」
「うん!」
これが教会…。例に漏れず木造一階建て。
扉は開かれていて、外に音が漏れていた。
私は基本、森にしか行かないので、音楽が鳴っているなんて知らなかった。
『ぽんぽんぽんぽんぽーん(ラド#ミド#ラ♪)』
ハープのような音。そうそうこれ!
「嬉しそうだね」
「えっ、うん!」
音を聞いたら嬉しくなって顔がぱーっと明るくなっていたと思う。
もっと幼い頃にこれを聞いて、それから口ずさむようになったんだ。
私とマレリナは開いている扉をくぐった。
ハープのような音はもっとはっきり聞こえるようになった。
でも、ここに来て最初に聞いたときから思ったけど、半音低いのだ。聞いたのはもっと幼い頃だったし、間違えて覚えたのだろうか。
オレは六歳の頃に聞いた音を三十六歳になっても覚えている。だから三十年経って聞こえる音が半音上がったなどと言えるのだ。だけど、物心ついていないときのことをさすがに覚えてはいない。
この部屋は礼拝堂なのだろうか。
奥には石像が一体置いてある。いや、その周りに石像だったかもしれない残骸の石が散らばっている。
その前に、ローブを着た四十歳くらいの男が、ハープのようなものを奏でている。さっきから聞こえていた音の源はそれだ!
男の髪は、ほんのり黄色みがかっている。灰色じゃない人なんていたんだ…。ゴミも付いていないし、若干艶もある。ちゃんと髪を洗ってる人もいるんだな…。
小綺麗にしているけど神父だろうか。
私とマレリナはいくつかある長椅子のいちばん前に腰掛けて、ハープの奏でる音を聞いていた。
神父が演奏を終えた。
オレは思わず拍手をしたくなり、手を合わせて広げたが、この世界にそんな習慣はないだろうと気が付いて、ゆっくりと手を収めた。
神父は長椅子に私たちが腰掛けているのに気が付いたようだ。
「珍しいな」
「おはようございます!これはなんの音なんですか?」
「この音楽は祝福の魔法なのだが、私も歳を取り魔力がなくなってしまった。だから、今はただの音の羅列だ」
「音楽!魔法!」
今、二つの単語をユリアナの辞書に得た。音楽と魔法だ。二つとも薫の辞書にはあっても、ユリアナの辞書にはなかったので、この世界の言葉で表現のしようがなかったのだ。それを今表現できるようになったのだ。
せっかく音楽という言葉にたどり着いたのに、もうひとつ魅力的な言葉を得てしまった!魔法!ここは魔法のあるファンタジー世界だったんだ!
「あの、私、ユリアナといいます!」
「あ、私はマレリナです」
「私はこの教会で神父をしているレナードだ」
音楽もさることながら、がぜん魔法に興味が湧いてしまった。
「神父様は魔法を使えたんですか?私も使えますか?教えてください!」
「まあ落ち着け」
「あっ、ごめんなさい…」
興奮しすぎた…。
「まず、期待させても悪いので最初に言っておくが、キミに魔力はない」
「ガーン…」
終わった…、ファンタジーライフ…。
まあいいや…。まだ歌手としての道が…。
「魔力の強さは髪の色の濃さで決まっている。キミたちの髪は灰色なので、魔力はないということだ」
「なるほど…。じゃあ神父様は髪がほんのり黄色なので魔力があるんですね」
「そうだ。でも、もう歳なので魔法を使えなくなったのだ」
歳って、まだ四十代くらいに見えるけど、そんな歳でもう魔法を使えなくなるのか…。
「音楽が魔法って言ってましたが、音楽を奏でると魔法になるんですか?」
「そうだ。魔力を持つ者が意思を持って音楽を奏でた場合だがな」
「あの…、私、音楽に関わる仕事をしたいんです!魔法を使えなくても構いません!楽器の手入れでもなんでもします!私を雇ってください!」
「教会に人を雇う余裕はないし、楽器の手入れも不要だ。さ、神に祈る気がないのなら帰りなさい」
しまった。神様に興味があるフリをして取り入ろうと思ったのに、興奮して忘れてた…。
「か、神様にも興味があります!」
「取って付けたようなことを言うのではない。さ、帰った帰った」
「はうぅ…」
神父は私たちを追い立てた。私たちは教会から出るしかなかった。
「はぁ…」
「ユリアナがおと…、おんがくってのにそんなに興味を持ってるなんて知らなかったよ」
「そうだねー。いつも音を口に出していたからね。それが最近なんなのか分かって、もっと好きになったんだ」
「そっかぁ」
ウソじゃない。私は鼻歌や声を出すことが好きだった。薫の知識を得て、音楽というものが世界にあることを知って興味を持った。
オレはもともと歌うのが好きだ。そこで、アニメ声というチート能力を手に入れたから、歌うことを仕事にしたいと思ったのだ。
「まだ時間あるし、野草を摘んで帰ろうよ」
「うん」
いつもの森へ。
野草を摘みながら考える。
もうちょっとうまくやれば音楽への道が開けたかもしれないのに…。でも、いろいろ知ることができた。
この世界は魔法のあるファンタジー世界。魔力を持つ者が意思を持って音楽を奏でると魔法になる。
意思ってなんだ?魔法を使うぞ!って意気込み?
それと、私がいつも口ずさんでいた歌は、神父様の奏でていた曲よりも半音高かったけど、祝福の魔法だと言っていた。ワンフレーズだけじゃなくてフルバージョンも覚えた。
オレはいくら絶対音感があるからといって、物覚えは悪かったから、一回聞いて覚えるなんて芸当はなかなかできなかった。若い頃からだ。耳コピだってできるけど、何度も繰り返して聞き返さないといけなかった。速い曲はスロー再生しないと聞き取ることはできなかった。
でもどうやらユリアナの記憶力はなかなか良いらしい。簡単なメロディだったってのもあるけど、一回で覚えられた。これも薫の欲しかったチート能力だ。魔力はないらしいが、まだまだチート転生者の芽はついえていないぞ!
まあ、覚えたといっても、半音低いんだよ。少し違和感を感じながら、祝福の曲のフルバージョンを口ずさむ。
「ふんふんふんふんふーん(ラド#ミド#ラ)。ふんふん……♪」
「わー、それ、さっき神父様がやってた音楽だよね!覚えたんだね!」
「ふんふん……♪」
私は鼻歌を口ずさみながらマレリナの言葉にうなずいた。
祝福の魔法…。魔法…、使えたらいいのに…。
祝福ってなんだろ。歌手になれますように!とか。いやいや、自分の願いをいってどうする。他の者の幸せを願うのが祝福かな?
私は歌を止めて、マレリナに聞いてみる。
「ねえ、マレリナに何か望みはある?」
「突然だね。私は今日も野草がいっぱい捕れておなかいっぱいになりたいな」
「よーし!
ふんふんふんふんふーん(ラド#ミド#ラ)。ふんふん……」
マレリナが野草をいっぱい見つけられますように!おなかいっぱいになれますように!
一曲終わったけど、何も起こらないか…。やっぱり魔力がないんだな…。
「手が止まってるよ」
「あ、ごめん」
「ユリアナの食べる分が減るだけだけど」
「そうだ」
歌でおなかは膨れないか…。歌で食っていけるなんて、地球でもほんの一握りの人だけ。世知辛い。
失意のうちに、家に帰った。
お母さんとの晩ご飯にて、
「今日は教会で何をしてきたの?」
「音楽を教えてもらったんだ」
「それって教会で鳴ってる音のことね!聞かせて!」
「うん!ふんふんふんふんふーん(シ♭レファレシ♭)。ふんふん……」
あ、間違えた。癖で変ロ長調で始めてしまった。神父様が奏でていたのはイ長調なのに。
まあ、途中で転調するのは気持ち悪いし、そのまま変ロ長調で歌いきろう。
この曲は祝福の魔法。たとえ魔力がなくても祝福を込めて歌おう。お母さんの幸せってなんだろう。六歳の子供は母親の幸せなんてしらないよな。
とりあえずお母さんが健康にすごせますように!
「ユリ……」
「ん、ん~…」
「起きたぁ?」
目覚めると、薄汚いベッドだった。
「あれ、私、いつもの?」
「そうみたいね」
「いつもごめんね」
「いいのよ。それよりも、調子はどう?今日は慣れないところに行ったから疲れたんじゃないかしら」
「かなぁ」
「さあ、今日はもう休みなさい」
「はーい」
今までユリアナはいつ倒れてしまうかなんて考えたことがなかったようだけど、オレが客観的に見てみると、どうやら鼻歌を歌っているときに倒れているのではなかろうか。
祝福の曲で気絶なんて不吉だなぁ。じつは呪いの曲とか…。
でも私が倒れるとよくマレリナが野草をいっぱい集められるという幸運な出来事が起こったりもする。
となると、私が歌うことと、倒れることと、良いことがあるという三つに関連があることになる。私は倒れることを代償に、祝福の魔法でマレリナに良いことが起こるようにしてあげているんじゃない?
ちょっと理論が飛んでいるけど、例えば魔力がない者が魔法を使おうとするとMP不足で気絶するとかありそうだし。
あれ、でも、マレリナに祝福の曲のフルバージョンを歌ったのに何も起こらなかった。
あ、マレリナにはイ長調で歌って、お母さんには変ロ長調で歌ったんだ。ってことは、私の記憶にある変ロ長調が正解で、神父様が間違っているんじゃない?
オレは調を間違えて演奏しているヤツにはうるさいよ。
「おはよ。今日も遅いね」
「ごめん寝坊」
また寝る前に考え込んで寝坊した。マレリナに迎えに来させてしまった。
いつもの森で野草摘み。
今日はもう一度、仮説の検証だ。
「ふんふんふんふんふーん(シ♭レファレシ♭)。ふんふん……」
祝福の曲、変ロ長調、フルバージョン。マレリナが野草をたくさん摘めて、おなかいっぱいになりますように!
「起きたぁ?」
「はっ!野草は?」
「たんまり」
「やった!」
「倒れたのに元気だね」
マレリナの篭には溢れるほどの野草が積み上げられている。
って私の篭にも同じだけの山ができている。
「あ、篭借りたよ。もう入らないから、帰ろうか」
「いつもありがと!」
「不謹慎だけど、ユリアナが倒れたときがチャンスだから、いいんだよ」
「えへへっ」
私たちは篭いっぱいの野草をこぼしながら帰った。
「あら、今日はすごいのねえ」
「でしょー。いっぱい気絶したもん」
「なあに、それっ。うふふっ」
「あははっ」
魔力を支払う代わりに気絶すれば魔法を使えることが実証された!
生命力を代償にしているとかではないはず…。今まで何度も倒れていて今のところなんともないし…。
そして、フルバージョンなら効果が高くなることも分かった。
神父様の奏でていたのはやはり、半音下がっていたのだろう。神父様は四十歳くらいっぽかったし、薫のように脳みその処理速度が六パーセント落ちていてもおかしくはない。子供の頃に聞いた音を再現するために、ハープを半音低く調律してしまったのだろう。
そうなると、神父様が歳を取って魔法が使えなくなったというのは、半音間違えているからであって、元に調に戻せば魔法を使えるんじゃないかな。
でも私は神殿に出禁っぽくなってしまったし、そんなことを指摘しに行くのは無理そうだ。べつに神父様が魔法を使えようが使えまいがどうでもいいのだけど、仲良くなれていれば他の魔法を教えてもらえる可能性もあったのになぁ。
祝福の魔法で野草を多く摘めることが分かったのだけど、お母さんは健康になったのかな。お母さんも私も、泥だらけの野草を食べておなかも壊さずに生きているくらいだから、もともと頑丈なのかな。
まあでも、今までは祝福の曲のワンフレーズを口ずさんでいて、なおかつ、マレリナが野草をいっぱい摘めるといいなとか思っていたから魔法が発動してしまい私は倒れていた。
うっかり魔法が発動することで倒れてしまうとわかったから、無意識に祝福の曲を口ずさまないように気をつけないと…。
というわけで、とりあえずユリアナに宿る前日まで聞いていたアニソンでも口ずさんでいよう。
「ふふふふ~ん♪(ソラシド)」
「あら、それ初めて聞いたわ。それも教会で?」
「あっ、えっと、神父様の音楽を聴いてて思いついたんだ」
「ユリアナが作ったの?すごいわね!」
「えへへっ」
他人の発明や著作を自分のものと偽るのは転生者の嗜みだ。
「お母さん、洗い物手伝うね」
「ありがと」
洗い物っていったって、井戸で汲んできた水を木の皿にジャバジャバぶちまけるだけだ。
薫としてはツッコミを入れたいところだ…。
「ふふふふ~ん♪(ソラシド)」
ばっしゃーん。
「ひゃっ」
また雨漏り!いや、違う!天井からこんなに水が漏れてくるわけない!
「あら水浸しじゃない」
「ご、ごめんなさい」
台所を見ていなかったお母さんは、私が桶の水を流しの外にぶちまけたと思ったみたいだ。
だけど、床が水浸しになったからといって、何かとくに問題があるわけではない。家の中でも木靴を履いているのだから。
「み、水汲んでくる!」
「はいな」
桶を持って、家の裏の井戸へ。でも、桶に水を汲むのは井戸ではなく、
「ふふふふ~ん♪(ソラシド)」
ざばー。
「やった!」
桶に収まる程度の水が出てくるのを想像しながら、アニソンのワンフレーズを口ずさむと、意図したとおりの水が桶の少し上に現れ、重力で桶に入った。
これは水を出す魔法なんだ!
しかも私、倒れないし!私、魔力ナシじゃなかったのかな!
素晴らしい!メロディが魔法の呪文ってことかな?「シ♭レファレシ♭」が祝福で、「ソラシド」が水を出すだ!
他にもいっぱいあるんだろうけど、メロディとイメージが一致していないと魔法は発動しないんだ。神父様の言っていた「意思を込めて」ってそういうことかな。
偶然、台所の水を見ながらメロディを口ずさんだから魔法が発動したんだ。
無数にあるメロディと効果のイメージの組み合わせを闇雲に探すのは不可能に近いな…。
そうだ。祝福の曲は冒頭部分だけでもそれなりに効果を発揮するけど、フルバージョンの効果はかなりすごかった。祝福の曲の冒頭以外の部分のフレーズを細切れにして歌いながら、「野草をいっぱい摘める」と「おなかいっぱいになれる」と「健康になれる」のどれかをイメージしてみよう。メロディに該当する効果が見つかるかもしれない。
「健康になれる」の効果はよく分からないけど、気絶したってことは代償を支払ったってことだから、発動しているに違いない。
祝福っぽいこと…、豊作、満腹、健康…。あとなんだろ…。安全・厄除け、恋愛成就、金運、安産、学業成就。だいたい、いつからいつまでとか、強度とか、そういうのをどうやって指定するんだろ。祝福の曲を解析したら、何か分かるかな。
「ユリアナ、倒れてない?」
「あ、大丈夫!」
「もう、心配させないで」
「ごめんなさーい」
お母さんが裏口から顔を出して、様子を伺ってきた。薫の記憶が宿ってからこうやって一人で考えたり実験したりすることが増えて、お母さんとマレリナに心配かけっぱなしだなぁ。
翌日から、マレリナと野草摘みをするかたわらで、祝福の曲を細切れにしながら、祝福っぽい効果を一つ一つ思い浮かべて、どのメロディがなんの効果なのかを調べていった。もちろん毎日ぶっ倒れながら。ぶっ倒れたのに野草がたくさん見つからない日が多くなり、マレリナは詐欺だと文句を言うようになった。
中には、小さなとか弱いとかいう意味のメロディもあって、効果の強さを調整できるようになった。「ファソド」というメロディだった。
ちなみに、リズムも合っていなければならないけど、速さはけっこうなんでもいいようだ。
やはり、これはメロディを単語とした言語なんだ。
弱いという意味のメロディで効果を弱くしたら、気絶しないようになった。つまり、気絶していたのはMPが尽きたというヤツだったのだ。今まで効果が強すぎて消費MPが大きすぎたのだ。
ちょっと多く摘めるとイイね!と祈りながら「ファソド」のメロディとともに豊作のメロディを歌うと、気絶するまでに魔法を使える回数が増えた。「ファソド」を入れずにちょっととイメージしても、効果は弱まるのに消費はあまり変わらないみたいだ。
ちなみに、水を出す「ソラシド」の魔法だけど、そのまえに「ファソド」を入れても消費は減らなかった。奥が深い。もっと曲が欲しい。
こうして、毎日マレリナに少し多く野草を摘める魔法をかけて文句を言われないようにしつつ、残りの魔力で祝福の曲を解析し気絶する毎日を過ごして、祝福の曲の解析がほぼ完了した。
あとは新しい曲がないとなぁ。水の魔法みたいに偶然見つけるしかない。闇雲に探すのは不可能だ。
神父様、他の曲知らないかな…。私が魔力を持ってるって分かれば相手してくれるかな。
「ねえ、マレリナ、明日また教会に行きたい」
「えー?何しに行くの?また追い出されるよ?」
「他の音楽を教えてもらいたいんだ。私、どうしても音楽を仕事にしたい」
本音は歌と魔法を仕事にしたい。
「どうやって追い出されないようにするの?」
「それはね……」
というわけでやってきた教会。
外に漏れる祝福の曲、イ長調。
私は教会の開いている扉から
「神父様、おはようございます!」
「またキミか。お祈りの時間を邪魔するんじゃない」
神父様は、ハープ…のような楽器の手を止めることなく、遠くから私に怒鳴った。
「私に魔法を教えてください!」
「魔力なしに教えてなんになる!」
「魔力ならあります!ふふふふ~ん♪(ソラシド)」
神父様の目の前に現れる水の玉。そのまま落ちて床を塗らした。
「なん、だ、と…」
本当は祝福の魔法の一フレーズを歌いたかったけど、祝福は即効性ではないのだ。私が魔法を使えることを簡単に示せない。
だから目に見えて分かる水生成にしたのだ。
「声で魔法を使ったというのか…。そんな非常識な…」
あれ?楽器があるから歌もあると思ったのに、非常識なの?
「祝福の魔法も使えるんです。
ふんふんふーん(ファソド)、ふふふふふーん(シ♭ドレファソ)」
少し、おなかいっぱいになれるとイイね!というメロディを歌った。少し、といってもけっこう多めをイメージした。ケチると効果を疑われるかもしれないので。だからといって「ファソド」を追加しないと、消費MP過多で倒れてしまうのだ。
祝福の曲の中で両方使われているけど、連続しているわけではない。
「たしかに、祝福の曲の中に出てくるメロディだが…。いや…」
ぽんぽんぽーん(ミファ#シ)、ぽぽぽぽぽーん(ラシド#ミファ#)。
神父様はハープもどきで、私の歌ったメロディのイ長調版を奏でた。
私の歌ったメロディと調が違うと疑ってかかったらしい。ほう、音感、あるじゃないか。
「いや、すべて音がずれているではないか」
「いえ、神父様のハープがずれているのです」
「私のハープを馬鹿にするな!」
「では、今日、神父様がおなかいっぱい食べられたら、私を弟子にしてください!」
「ふっ、いいだろう」
神父様も、祝福の効果はすぐに現れるものではないことを知っているのか、私のかけた祝福の効果が今日現れるかどうかを試してくれるようだ。
ちなみに、神父様の弾いていた楽器の名前をユリアナの辞書に得た。
「では、今日はここで」
「ふんっ!」
帰り道にて、
「ねえ、怒らせちゃってよかったの?」
「知ってる?最近毎日野草が多めに取れるでしょ?あれも魔法なんだ」
「えっ…、そうだったの?すごい…。昨日、水を出す魔法にも驚いたけど、野草がいっぱい取れるのも魔法だったなんて…」
昨日、マレリナに教会に行きたいと言った後、水の魔法を披露したんだ。
「今までよく倒れていたのは、魔法をうまく制御できてなかったからみたい」
「そうだったんだね…」
翌日、私たちはふたたび教会へ。
今日は外に漏れ聞こえる祝福の曲、イ長調になんだか元気がない。
「おはようございます」
「ああ、キミか…」
勝った!神父様はげっそりとしていて、敗北感をあらわにしている。
「良いことありましたか?」
「ああ、満腹になった。昨日、旧友がやってきてな。うまいメシと酒をおごってもらった…」
ああ、敗北感ではなくて、二日酔いだったのか…。
「弟子にしてくれますか?」
「祝福の魔法は一回や二回では、ただの偶然と区別がつかない。もう二回ほど試したい」
「分かりました。何にいたしましょう?満腹はもうやったから、豊作、健康、安全、厄除け、恋愛成就、金運、安産、学業・仕事成就」
「キミは祝福の魔法の一つ一つのメロディの意味を知っているというのか?」
「はい。最初にここに来たときに弾いていただいた曲を覚えて、自分で一つ一つ試してみました」
「一回聞いただけで覚えただと?」
「はい」
「楽器もナシに試しただと?」
「はい」
「非常識な」
「えっ…。あの…、声に出して音楽を奏でることを何というのですか?」
「知らん」
「えっ…」
ユリアナの辞書には、まだ歌うという言葉がないのだ。ところが、歌うという言葉はこの世界自体の辞書にないのではなかろうか…。
「キミのように声で魔法を奏でる者などいない」
「あはは…。そうだ。神父様、その、神父様のハープを貸してください」
「バカを言うな。これは私の宝だ」
「そのハープは音がすべてずれているのです」
「なっ…」
「一つ上に音をずらして弾いてもらえますか?」
「いいだろう」
ぽんぽんぽんぽんぽーん(シ♭レファレシ♭)。ぽんぽん…。
神父様は、一つ隣の弦をはじくのに若干戸惑いながらも、祝福の曲、変ロ長調を弾き始めた。
「おおお…。魔力が流れる…」
私はまだその、魔力が流れるって感覚が分からなくて、いつも倒れるまでやってしまう。
「効果あるといいですね!」
「馬鹿にするな!そもそもだな、祝福の効果で腹が膨れるなんて、飯が一口でも増えればいいところだ。昨日のように普段の三倍も飲み食いできるようなものではない。あれが祝福であってたまるか!」
「ありゃ…、そうなんですか…」
「それで、今日はなんの祝福をしてくれるのだ?」
「じゃあ、分かりやすいので金運で」
「それで昨日の満腹感のような金が入るのなら、人生は苦労しないな」
「では。
ふんふんふーん(ファソド)、ふふふふふーん(レファソラシ♭)」
「その部分が金運か?まったく…。もう帰れ!」
「はーい」
「ねえユリアナ、神父様の弟子になりたいんじゃないの?あんな言い方したら、教えてくれないよ」
「あの神父様はね、こっちが実力を知って興味を持ってくれれば弟子にしてくれると思うんだよね」
「そう…。ユリアナ、ちょっと変わったね」
「えっ、そうかな」
「なんだか楽しそうだね」
「それはある」
転生者だとばれないように気をつけないと…。
その夜、
「わぁ、今日は干し肉が一つ多いね!」
「そうなの、大きい獲物が捕れたからって、ちょっと余分にもらったのよ」
「嬉しいね」
食卓に一つ余分に干し肉が並んだ。これってもしかして神父様の祝福?
翌日、教会からは、祝福の曲、変ロ長調が漏れ聞こえていた。
「おはようございまーす」
「おい。キミの祝福はどうなっている!」
神父様は私の声を聞くなり、演奏をやめて、私を怒鳴りつけてきた。
「いいことありましたか?」
「教会の運営資金支給額が上がった…」
「じゃあ私を雇ってください!」
「他人に与えた祝福の利益を自分で得るなど、ほんとうにキミの祝福はどうなっているのだ!」
「わかりません。そんなつもりで祝福したんじゃありません」
「そうか…」
「それで、今日の祝福はどうしますか?」
「もういい。私の負けだ」
「じゃあ私を弟子にしてください!」
「私がキミの弟子になりたいくらいだ」
「私、祝福の曲と、水の魔法しか知らないんです」
「そうだ!キミはマルチキャストなのか?なぜ髪の色が灰色なのに、魔力を二属性も持っている…」
「マルチキャスト?髪の色なんて知りませんよ」
「そうか。そこから説明してやろう」
「ありがとうございます」
神父様は今度はマレリナのほうを見て話しはじめる。
「その前に、そっちのキミも、雇ってほしいのか?」
「私はユリアナみたいにできません」
「話が長くなるが聞いていくか?」
「ユリアナはときどき突然倒れるので、私が見ていなきゃならないんです」
「それは魔力切れだろう」
神父様は今度は私に話しはじめる。
「キミは魔力切れも知らずにあんな常識外れの祝福をするのか」
「魔力の切れる時とかよく分からないです」
「まあいいだろう」
神父様はマレリナに話しはじめる。
「この子はユリアナといったか。この子が倒れたら私が送り届ける。キミはそれでよいか?」
「うーん。明日、ユリアナのお母さんに聞いてみます。今日は一緒にいていいですか?」
「いいだろう。人をすぐに信用しないのは良い心構えだ」
「はぁ」
「ではキミに魔法のことを教えてやろう」
神父様は私に魔法のうんちくを語ってくれた。
魔法には、
火、雷、木、土、水、風、心、時、邪、命、空間、聖、
という十二の属性がある。
火魔法や雷魔法と呼ばれたりするし、火属性とか呼ばれることもある。
前者六つを基本六属性と呼ぶ。
ちなみに、祝福は聖魔法に分類される。
それぞれの属性は、
赤、黄、緑、橙色、青、水色、桃色、茶色、黒、白、紫、金、
という色で表される。
人の髪の色は、持っている魔力の色になる。魔力が強いほど濃い色となる。
だから、灰色の髪の私が魔力を持っているのはおかしいらしい。
神父様は淡い黄色なので雷に思えるが、祝福を使えるので聖属性らしい。雷はもっとレモンイエローっぽいらしい。
ごくたまに、二つ以上の属性の魔力を持つ者がいる。マルチキャストと呼ばれる。
その者の髪の色は、持っている魔力の属性の色を混ぜたような色になる。
聖属性と水属性を使えるのに、髪が灰色の私って何?金と青は補色関係だから、混ぜてプラマイゼロってことかな?
ちなみに、マルチキャストは数が少ないので、詳しいことはよく分かっていない。
それぞれを司る神がいる。神は単に、火の神、雷の神などと呼ばれる。教会ではそれらの神を祭っているらしい?というのは表向きで、実は神なんていないらしい。神に祈ると祝福を賜るみたいな売り文句に使っているらしい。そんなこと私たちに教えてどうするんだ。
魔力を持つ者は多くの場合貴族の養子に取り立てられる。だから、平民の集まるこの村には、灰色の髪の者しかいないのだ。
「神父様は貴族なんですか?」
「私は男爵家の三男で、家を継がなかったから、すでに貴族ではない」
「なるほど」
「座学はこれくらいにして、今日は魔力の流れを学んでもらう」
「はい!」
「聖属性の魔力は金色だ。金色に血が体を流れていることをイメージするのだ」
「はい…」
神父様…。そりゃ、ユリアナのような六歳の幼女にする説明じゃないよ。血が流れるなんてユリアナに言ってもね…。薫の知識がないと分からないよ。
「金色の魔力は、人の幸せを願うためのものだ。その魔力の流れる先に、人の幸せがあるとイメージすると、魔力はそちらに流れるようになる。指の先に、マレリナや母親の幸せがあるとイメージしてみるのだ」
「はい…」
マジむずい…。指先にマレリナとお母さんの幸せ…。二人の笑顔…。
「飲み込みが早いな…」
今のでできたんだ…。
「身体から魔力が減って指に集まったのを感じたか?」
「はい」
「じゃあ、魔力を少しずつ流していき、気絶する寸前の身体に残る魔力の感覚を覚えるのだ」
「えーっ?」
「魔力が尽きるときの感覚は、自分で掴むしかない。やってみろ。少しずつ流せば、起きるのも早い」
「はい」
気絶しろとはむちゃを言う。なーんて、ここ最近、祝福の曲を調査してたのなんて、自ら進んで気絶していたけどね。
しかし、魔力を指先に集めていくが、いっこうに気絶せず…。
「これ以上、魔法を発動させずに魔力を集めるのは危険だ。ハープを弾いて、祝福にしてしまいなさい」
「えー。声に出すんじゃダメですか?」
「ああ、キミはそれで魔法にできるのか…。まったく非常識な…」
神父様は文句ばっかだ。
「ふんふんふーん(ファソド)、ふんふんふんふんふーん(シ♭レファレシ♭)」
マレリナに小さな幸あれ!
「シ♭レファレシ♭」は私が昔から口ずさんでいるメロディだ。これも何を意味するのか調べたのだけど、満腹でも金運でも、どれでもそれなりに効果を発揮した。つまり、何か特定の事柄ではなくて、幸せとかラッキーとか漠然としたことをいっているのではないかと思った。その代わり、消費魔力が大きいのだ。
「なるほど…。これが馬鹿げた規模の祝福の正体か…」
「私の魔力は多いんですか?」
「ああ。私など目ではない。私の髪の色などたいして濃くはないだろう」
「はぁ」
いや、灰色以外の人を見たのは初めてだから、比較しようがないし。
「キミはもう少し祝福の効果を抑える練習をした方がよさそうだ。あんな規模の祝福を連発されたら、世界のことわりが崩れてしまいそうだ」
「えっ…、祝福ってそんなに恐ろしい魔法なんですか…」
「昨日、私に友人が尋ねてきたことを話したな。その友人は何日前に王都をたったと思う?」
「すみません、王都がどこか分かりません…」
「ふむ。王都はここから馬車で十日の場所だ。キミの祝福は、友人が十日前に王都をたったという事実を作ったのだ」
「えっ…」
マジで…。そんな過去改ざんみたいなことができる魔法だったの…。
「だから、次からはその百分の一程度の魔力消費で済むような祝福にしなさい」
「は、はい…」
でも、厄除けとか健康とかはいいよね。マイナスのをゼロにするだけだから。金運とか仕事成就をお母さんとマレリナにガンガン掛けるのはやめておこう。
いつも野草がたんまり採れていたのって、実は野草がたくさんなっていたという事実を何度も作ったってこと?私って、物心ついたときから倒れてたみたいなんだけど、大丈夫かな。
「そして、小さな規模の祝福を百回行っても、魔力が尽きないようなので、魔力切れの判断の訓練はナシだ」
「あ、はい」
なんかめちゃくちゃな理由で特訓を打ち切られた。
「それでは今日はもう遅いので、これで終わりとする。ほれ、これが今日の給金だ」
神父様は私に手を差し出したので、私は両手で受け皿を作った。すると、銀色の小さな硬貨、三枚が手のひらに落ちてきた。
「えっ、私、今日は魔法を教えてもらっただけで、何も仕事を…」
「これから役に立ってもらうための先行投資だ。そもそもキミの祝福で増えた補助金の一部だ」
「だから私は自分でお金が欲しくて祝福したのでは…」
「当たり前だ。祝福は自分が利益を得ようと考えると、うまく発動しない」
「なるほど…」
野草採取量アップは、けっこう自分も美味しいと思ってマレリナにかけていた…。もしかして、罰として倒れていたとか…。
「さあ、もう帰りなさい」
「はーい。今日はありがとうございました」
「うむ。期待している」
私とマレリナは教会を後にした。
服にポケットなどないので、硬貨を手に持って帰るのは煩わしい。
「ユリアナってすごい魔法使いなんだね…」
「私もびっくりだよ…」
帰り道、マレリナと話ながら帰った。
「そうだ。あしたから私が付いていかなくていいか、ユリアナのお母さんに聞いてみよっ」
「あ、うん」
マレリナと一緒に私の家に到着。
「お母さん、ただいま。今日から私、教会で働くことにしたんだ」
「あら…。お掃除とか?」
「そう、そんな感じ。はい、給金」
お母さんに銀色の小さな硬貨三枚を渡した。
「えっ、ちょっと何これ…。こんなにたくさん?」
「これって多いの?」
「多いってもんじゃ…」
そういえば、ユリアナにはお金という概念がなかった。小さな銀色の硬貨は何円相当だろう?
「お母さん、ちょっとそれはあとにして、神父様は私が倒れる原因を知っていて、私がもう倒れないようにしてくれるっていうんだ。万が一倒れてもちゃんと面倒みてくれるっていうから、もうマレリナが付いていなくてもいいかな」
「まあ!ユリアナが倒れなくなるのね!それならいいけど」
「マレリナ、今までありがとうね」
「もうお別れみたいな言い方しないで」
「もちろんお別れじゃないよ」
私は玄関でマレリナを見送る。
「ふんふんふーん(ファソド)、ふんふんふんふんふーん(シ♭レファレシ♭)」
小さな幸あれ!
「わあ、さっき神父様にあんまりやるなって言われたばかりだけど、大丈夫?」
「うん」
結構全力の小さな祝福を送った。
「なんだかユリアナが遠くに行っちゃうみたい…」
「そんなことないって」
たしかに、大きめの祝福を送ったのは、あんまり会わなくなるだろうと思ったからだ。
私は無性に寂しくなり、マレリナを抱きしめた。
「マレリナ、好きだよ」
「私もだよ、ユリアナ」
マレリナとは毎日欠かさずに一緒にいたんだ。それが、明日からは会わない日があるかもしれない。
翌日から、マレリナは迎えに来な…くならなかった。
いや、そもそも以前は私が迎えに行っていたのに、薫の記憶が宿って考えにふけることが多くなってからは、マレリナに迎えにこられるようになってしまったのだ。
そして、今日も変わらずマレリナはやってきた。
トントン。
「おはよう~」
「あれ?マレリナ?」
もう来ないと思っていたマレリナが来て、私は嬉しくなり扉を急いで開けた。
「あのね、私はユリアナみたいに声で音を奏でたりできないけど、楽器を弾けば魔法を使えないかなと思ってね、一緒に練習させてほしいの」
「そ、そうだよね!灰色の髪の私に魔力があるんだから、もしかしてマレリナにもね!」
というわけで、マレリナも一緒に教会へ。
「なるほど。いいだろう。普通は髪の色からなんの魔力を持っているかだいたい分かるものだが、ユリアナもマレリナも灰色だからまったく分からない。だから簡単なテストをしよう」
「「はい!」」
各属性の簡単なメロディによる基本的な魔法を教えてもらった。
この機会に、私もハープに触れることになった。というか、神父様の宝物のハープを触らせてもらった。信用を得たのだろうか。
大人用で大きすぎてまともな持ち方はできないので、とりあえずハープを床に置いて弦をはじくことにした。
まずはマレリナから。
ぽん……ぽん……ぽん……ぺん。
「ああ、間違えたぁ」
四から六程度の弦を順番どおりにはじくだけなのだけど、マレリナは苦戦していた。
「もう少し連続的にはじかないと、曲とは見なされない。まあ、ゆっくりやっていけばよい」
「はい…」
「次はユリアナ、やってみろ」
「はい」
ハープみたいなものを引くのは初めてだ。どこがラなのかは、神父様が弾いているのを見て覚えた。
これは火を出す魔法だそうだ。外から持ってきた木の枝に火が付くイメージで…。
ぽんぽんぽんぽんぽーん。
ボッ!
「うわっ」
イメージどおり、枝に火が付いた。
そして、私の体内を赤い魔力が流れた感じがする…。
「すごい…」
それを見たマレリナが驚いている。
「キミはハープを弾いたことがあるのか?」
「いえ」
「音を聞いただけで声に出して再現できるのだから、これくらいどうってことはないか」
オレはピアノやキーボード以外には、学校でリコーダーや木琴・鉄琴くらいしか触ったことがない。ハープのように白鍵と黒鍵が区別なく並んでいると、どこがなんの音なのか分かりづらいが、数音はじくだけなら戸惑うことはない。
「しかし、キミは聖属性と水属性に加えて火属性も持っているのか…。ほんとうに非常識だな…」
「ごめんなさい…」
オレは何も悪くないと思うのだけど、この世界に転生してアニメ声というチート能力を手に入れただけでなく、どうやらいろんな属性の魔法も使えるみたいだし、そろそろ謝らなきゃいけない気がしてきた。
そのあとも、マレリナと交互に一つ一つの属性を試していった。
「残念…」
「しかたがない。それが普通だ。ユリアナがおかしいのだ」
火、雷、木、土、水、風、聖、の七つを試したが、マレリナは一つも発動しなかった。
逆に、私は全部発動してしまった…。先に謝っておいてよかった…。
「残りの五つは試さないんですか?」
「心、時、邪、命、空間、聖、は特殊な属性だ。聖は私が聖属性だから知っているだけで、残りの五つの魔法は私も知らない」
「残念」
「ふっ、キミなら全部制覇してしまいそうだな」
「頑張ります!」
「頑張って新たな属性を得られるなら私もとっくにしている。頑張って得られるのは、既存の属性の魔力だけだ」
「じゃあ七つの属性を頑張って鍛えます!」
「今日はもういい」
「えっ、まだお昼ですよ」
「キミたちは臭い」
「はぁ?レディに向かって失礼な」
「何がレディだ。冬に入ってからまったく水浴びをしていないのだろう」
「水浴び…」
そういえば、寒くなる前に川で水浴びして身体を洗ったような…。
水浴びしなかったのは冬だからであって、暖かいときには川で水浴びして身体を洗っていたんだ。
ユリアナはまだ六歳なので、そういう毎年の習慣みたいなものが染みついていない。ユリアナの記憶がそんなんだから、オレはてっきり、生まれたときから一回も身体を洗っていないのかと思っていた。
「そろそろ暖かくなってきたので、水浴びをしてきなさい」
「はーい」
「水浴びをしたらなくしそうだから、今日の給金は明日まとめて渡すことにする」
「それでいいです」
そういえば、小さな銀色の硬貨三枚で何を買えるのだろう。三円?でもお母さんは「多いってもんじゃ」と言っていた。
私とマレリナは川に行った。思い出した。冬になるまでは一ヶ月に一回ほど水浴びをしていた気がする。
私とマレリナは、躊躇なく川に入った。服を着たまま。
川の深さは膝が沈むくらいだ。
「えいっ!」
「ひゃう」
ばしゃーん。
マレリナが私に水を掛けてきた。
「お返し!」
「当たんないよー」
ばしゃん。
マレリナは私の飛ばした水を避けた。むぅ…。
楽しいな。六歳の幼女とキャッキャうふふ。
オレはアニメ声の声優の出るようなアニメを好んで見ていたので、その中には当然、川や海で幼女が水を掛け合うなんてシーンもあったわけだ。まさかそれにオレが出演する日が来るとは思っていなかった。
オレはぬれぬれの幼女に欲情したりなんかしない。そういったものは、オレの大事なものと一緒に前世に置き忘れてきてしまったようだ。そして、この身体はユリアナのものなので、そういう変態さんな本能を生み出さないようだ。でも、はしゃいでいるマレリナは可愛いな。
いつもは洗い方も適当なのだけど、今日はもっと綺麗に洗おう。薫からすればユリアナは汚すぎる。
洗うといっても、タオルなんてないからどうしようかな…。
と思ったら、マレリナが服を脱いで、服で身体をごしごし擦っていた。
何度もいうが、オレは裸の幼女に欲情したりなんかしない。
オレの中のユリアナも、服を脱いでそれで擦ればいいと判断している。この世界の常識はユリアナのほうが詳しいので、それに従うとしよう…。
オレがユリアナに宿って、この服を脱いだのも初めてだ…。
何度もいうが、オレは幼女になってしまった自分の身体に欲情したりなんかしない。
このゴワゴワの髪は、シャンプーやコンディショナーもなしに、どうやったら綺麗になるのだろうか。とりあえず、ゴミを洗い流そう。
そうだ!さっき教会でお試しした土魔法!土を整形して一時的に形を作る魔法なのだけど、土をどこから持ってくるのかイメージするのだ。これを使って、私に髪と身体、服に付いてる土を元に、なんか適当なものを作ればいいかな。
「ふふふふふんふんふーん♪……おおお…」
私の身体に付いていた土がはげていく。どんだけ分厚い土をまとっていたのだろう。野球のボールくらいの塊ができた。
もちろん、汚れは土だけではなくて、垢や食べかすなど他のものが残っている。とりあえず、いたいろんなものが混ざって固まっていたものから、土だけが抜き取られて、スカスカの汚れになった。これなら水で流すだけでけっこう落ちそう。
「ふふふふ~ん♪(ソラシド)」
自分の頭上に大きな水球が現れた。
ざばああああん。
そして私を包み込むように落ちてきた。
まるで罰ゲーム。自分でそうイメージしたんだけどね。
桶もないのに、川の水を幼女の手でちまちますくって被っていては、いつまでかかるか分からない。使える魔法はまだ少なくても、薫のアニメ知識を組み合わせれば、できることは結構あるだろう。
「ユリアナ!」
「あ、大丈夫だよ。自分でやったんだ」
「魔法だったんだぁ」
「そそ」
髪や肌の汚れがぽろぽろと流れていった。ゴワゴワだった髪がちょっとストレートっぽくなった。
これで少しは可愛くなっただろうか。って、洗う前の自分の顔すら知らなかった。
川の流れの緩やかなところに移動して、水面を見てみた。おお…。お母さんより美少女なんじゃない?
そして、いつもはぶわっと広がっている髪が、今はペタッと張り付いている。そして、こめかみの後ろあたりに何か尖ったものが…。
恐る恐る触ってみると…、
「ひゃう…」
「なにやってんのよ」
触ったものは自分の耳だった…。耳にしてはちょっと尖っているような…。それに、なんか全身にびくっと電気が走ったような…。むしろ気持ち良いような…。
「ねえ、ちょっと見せて」
「えっ、何?ちょっと…」
私はマレリナのゴワゴワの髪をかき分けて、耳を探し当てた。だけど、普通の大きさの耳だった…。
「私の耳…、違う…」
「えっ、知らなかったの?」
「マレリナは知ってたの?」
「ユリアナの髪が短いときに見ていたもん」
「そっか」
耳が尖ってるって…、人間じゃない予感…。そう思うのはアニメの見過ぎだろうか。
「ねえ…、ユリアナの髪…、ピカピカ…」
「えっ?ホントだ」
金属的な光沢を帯びた銀の糸。あれ?灰色だと思ってたのに、もしかして銀色?
この世界の人の髪は灰色じゃなくて、ちゃんと洗えば銀色なのでは?
「マレリナも洗ってあげる」
「ありがと!」
「ふふふふふんふんふーん♪」
土を集めて整形する魔法と、
「ふふふふ~ん♪(ソラシド)」
「ちょ、ま、待って、きゃーがばばば…」
水球を落としたらマレリナが悲鳴を上げた。
「びっくりしたよぉ…」
「ご、ごめん…」
でも…。
マレリナはショートボブヘアの先を指でつまんで、自分の視界に入るようにした。
「あんまりキラキラじゃない…」
「なんでだろ…」
汚れが取れて少し明るくはなったけど、私みたいな光沢を帯びたりはしなかった…。
なんだか申し訳ない。
ユリアナは、アニメ声で、魔法をたくさん使えて、記憶力が良くて、銀髪幼女で、チート能力満載じゃないか…。マレリナにもチート能力を分けてあげたいな…。
失意のまま、川から上がった。
服を絞って着てみたけど…、ぬれた服はまだ春になったばかりでちょっと寒い…。
「ふんふんふんふんふーん♪」
左手に火をおこす魔法と、
「ふーふーふふふん♪」
右手に風を起こす魔法で…、火炎放射!ってちがーう!
「ぎゃー」
「きゃっ。何やってるのユリアナ」
「いやぁ…、暖かい風を起こそうと思ったんだけど…」
火に直接風を当てると、火の勢いが強くなってしまう。
じゃあ、火の上の熱気に風を当てればいいかな。
「ふんふんふんふんふーん♪ふーふーふふふん♪」
火を地面に起こして、その上から風を吹かせて、熱風のできあがり!
マレリナに風を向けてみた。
「あったかーい」
「でしょー」
音楽を終えた後、イメージを続けていれば、しばらくは効果が持続するようだ。しかし、だんだん消費魔力が多くなったり、効果が薄れたりする。効率よく使うのなら、音楽を演奏しなおした方がいいようだ。
「服も乾いたし、日も暮れてきたことだし、帰ろっか」
「うん」
服と一緒に髪が乾くと、ぺったりと頭にくっついていた髪はふんわり感を取り戻し、ほんのりウェーブのかかったロングヘアーになった。そして、耳は髪の中に隠れた。今までも隠れていたんだ。気がつかなかった。そもそも自分の顔を見る機会はなかったし。
私とマレリナは手をつないで帰った。
「あら…、ユリアナ…」
「ただいま、お母さん。ねえ…。お母さんの耳、見せて…」
「いいわよ…」
お母さんは私の耳を見ながら、自分の耳が見えるように自分の髪をかき分けた。
そこには、普通の大きさの耳があった。
「ねえ…、私の耳はなんで尖ってるのかな…」
私は自分の髪をかき分けて、尖った耳をお母さんに見せた。
「……それはね……、あな…」
「ごめん、やっぱ言わなくていい」
「そ、そう…」
そんなの、たくさんのアニメを見てきた薫なら予想が付きすぎる。
この家には父親がいない。ユリアナは父親というものの存在を知らない。薫の記憶がなければ、父親がいないことに疑問を持たなかっただろう。
お母さんはきっと、捨て子の私を育ててくれたんだ。知りたくなかった。私がお母さんの子供じゃなかったなんて…。
「ユリアナ…。髪…、綺麗ね…」
「今日ね、水浴びしたんだー」
「随分と綺麗になったのね」
「でしょー」
マレリナみたいにお母さんを洗ってあげようと思ったけど、私みたいな光沢のある髪にはならないかもしれない。それって詐欺っぽい。っていうか、マレリナをがっかりさせてしまったし、明らかに詐欺だった。
翌日も、私はいつもどおり寝坊して、マレリナに迎えに来させた。
「おはよー」
「おはよう、マレリナ」
いつもどおり教会へ。
「おはようございまーす」
「おはようございます」
「よく来た…。ってなんだその髪は…」
「洗ったらこうなりました」
「なるほど…。キミの髪は灰色ではなく銀だったのだな。マルチキャストの髪色は、複数の属性を混ぜた色になるというが、キミはいろんな色が混ざって銀になったのかもしれないな」
「そ、そうですか」
いろんな色を混ぜて銀になる原理が不明…。魔法だし加法混色とか減法混色ではないってことか。
「それからマレリナ、キミも髪色が明るくなっていないか?」
「えっ?そうですか?そうかも…」
「昨日、残りの五属性の魔法を知らないと言ったのだが、じつは命属性の魔法を知っている。だが、傷を治す魔法なので傷がないと実験できないし、面倒だから知らないことにした」
「そ、そうなんですね…」
「少し待っていなさい」
神父様は礼拝堂の横の扉から出ていってしまった。
しばらくして神父様はナイフを持ってきて、
「ユリアナ、これで指を軽く切ってみなさい」
「はぁ?」
幼女虐待ですか?
「できないのならやってあげよう」
「ちょっと」
神父様は私の手を掴んでナイフで傷を入れようとしている。
「ふんふふふんふんっ!♪」
バチン!
これは昨日教えてもらった雷魔法だ。雷というより、静電気みたいなレベルだな。
「っつ…」
神父様の腕に雷を当ててやった。
「楽器もナシにとっさにそれが出るとはとんでもないな…」
「さあ、神父様、腕が赤くなっていますよ。マレリナに傷を治してもらったらどうです?」
「してやられたな。まあいいだろう」
何がしてやられただ。この神父、けっこう人でナシだ。
「傷を治す魔法はこうだ」
ぽろろろろんー。
神父様はハープで音を奏でた。
「やってみろ。私のこの腕の赤みを治すつもりでな」
「はい」
神父様はマレリナにハープを手渡した。神父様は、先ほど私が雷を当てて赤くなったところを指さして、魔法に必要なイメージを伝えた。
マレリナは大きなハープを持てないので、ハープを立てて、立って弾き始めた。
ぽぽぽろろん。
「そうではない」
ぽろろろろんー。
神父様がマレリナに弾いてみせた。
「こうだ」
「はい!」
ぽろろろろんー。
おお、できたね!
すると、神父様の腕の赤くなったところが光に包まれた。数秒後光が消えて、赤みも引いていた。
「おめでとう。キミは命魔法使いだ」
「やったぁ!」
「おめでとうマレリナ!」
「良かった…。良かったよう…」
「ま、マレリナ?」
マレリナは泣き崩れてしまった。
「最近どんどんユリアナが遠くに行っちゃう気がしてた…。でも、私も魔法を使えるって分かったら、ユリアナに近づ…」
「マレリナ!」
マレリナはそのまま倒れてしまった。
「大丈夫だ。魔力切れだろう」
「なるほど…」
神父様は、マレリナを横抱きして、長椅子に横たわらせた。
「髪の色どおりの魔力なら、まだそれほど高くはない」
「魔力が上がると、髪の色が濃くなるんですか?」
「魔力を上げるのは大変だ。何度も気絶するほど魔法を使い続けなければならない。私だって若いころ毎日気絶してやっとここまで鍛え上げたんだ」
「そんなに大変なんだ…」
と言って、自分の薄金色の髪を指さした。
あれ、毎日気絶って、私がやってることじゃん。でも周りの理解があるからこそできるんだよね…。
マレリナは笑顔のまま気絶している。私と同じようにできることがほんとうに嬉しかったのだろう。
「よし、今度はキミが試してみなさい」
「ちょ、ふんふふふんふんっ!♪」
バチン!
クソ神父がナイフを持って、私の腕を取ったので、また雷魔法をお見舞いしてやった。
「っつ…。よし、じゃあ、キミも傷を治す魔法を奏でてみるのだ」
「あ、はい」
神父様の腕がまた赤くなった。
もしかして、私が反撃するのは織り込み済?そりゃまあ、攻撃しろって言われて攻撃したくはないから、私が自然に攻撃できるように配慮してくれたってこと?これぞ、身をもって教えるというやつか。
でも、最初のは明らかに私の指を切ろうとしてたよね。
「ふふふふふんー♪」
神父様の腕が光に包まれ、赤みが引いた。
「はははっ。キミはどこまで行くのだろうな」
「全属性コンプまでがんばります!」
「だから、がんばって得られるものではない」
「うぐぅ…」
「だがな…。キミはまたマレリナに大規模な祝福をしただろう」
「えっ、そんなこ…」
「マレリナはキミと一緒にいたいと思っているのだろう」
「そ、そうですね」
「マレリナの幸せはキミといることなのかもしれない」
「えっ…、それってもしかして…」
「キミの祝福がそれを叶えたのかもしれない」
「マレリナが私といられるようにするには…」
「じつはな、教会というのは、神に祈ったりする場所ではなく、祝福を餌に民を集めて、魔法の素質があるものを探し、貴族に紹介したり、王都にある学園に送ったりするのが仕事なのだ」
「えっ、私を売るんですか」
「そうだ。それが私の仕事だ」
「そんな…」
「逃げないのか?」
「マレリナを置いて逃げられるわけないじゃないですか。マレリナも売るんですよね」
「そうだ。だから、キミと一緒に引き取ってもらえるよう、できるだけ便宜を図ろうと思っている」
「神父様は優しいですね」
「キミを売り飛ばそうとしているのだぞ」
「マレリナの魔力が発現しなければ、私のことも黙っておくつもりだったんじゃないですか?」
「そうだな。こんなド田舎に左遷した魔力もない神父のことなど、中央は誰も期待していないからな。キミの髪は灰色だし、たとえ監査が来ても黙っていられると思っていた。だが、マレリナの髪は少し明るくなってしまった。もし監査が来れば逃れられないだろう」
「なるほど…」
「だが、キミは楽器や魔法に関わる仕事をしたいのではないか?」
「はい、そうです」
「王都の学園に行けば両方学べるぞ」
「それは素敵ですね!あっ…」
「このことはいずれ話すつもりだった。キミのことだから、王都に行くと言うだろうと思っていた。マレリナと別れることになっても」
「私はマレリナと別れる道なんて…」
「そうだな。マレリナと一緒にいることはキミの望みでもある。だからキミの祝福によってそれが叶ってよかったな。マレリナの髪はじつは白で、マレリナは命の魔力持ちという事実を作り出したのだ」
「うわっ…」
「魔法使いを生み出すなどとんでもないぞ。祝福の威力を抑えろと言ったのに、分かっていなかったようだな」
「はい…」
「しかも、マレリナの望みを叶えると見せかけて、ちゃっかり自分の望みを叶えてしまうキミに祝福は、いったいどうなっているのだ」
「さあ…私に言われても…」
「まあいい。キミとマレリナの王都行きは決まりだ。母親との別れは早めに済ませておきなさい」
「えっ…、お母さんとお別れ…」
「キミの選んだ道だ。もう後戻りはできない」
「そんな…」
「できるだけ良い待遇の引取先を選んでやりたいが、私はたかが男爵家の三男の伝手だ。あまり期待するなよ」
「マレリナと別々はイヤです!」
「それは叶うのではないか?魔力が発現することに比べれば、同じ貴族が引き取ってくれるなど些細なことだろう。キミの祝福は、マレリナのキミと一緒にいるという幸せをもたらすものなのだから」
「じゃあ、お母さんも連れて行けるように祝福します!」
「そんな私欲に満ちた祝福もキミなら発動できるのかもしれないな。ちなみに祝福は悪事には使えない。悪意を含む願いを叶えるのは邪魔法だと言われている。それもキミなら使えるかもな」
「悪事じゃないですし、そんな魔法いりません!」
「ふっ、どうだか」
人のことをなんだと思っているのだ。このクソ神父め。
マレリナの望んだことだから、マレリナは私と王都に行くことになるのだろう…。
でも、私が望んでもお母さんを連れていくことはできないんだろうな。今からお母さんに祝福をかけてお母さんに私と離れたくないと望んでもらっても、そんな見返り目当ての祝福は今度こそバチが当たるだろう…。
私としては薫の記憶が宿らなければ、魔法を発現させることもなく、お母さんと離ればなれになることもなかったんじゃないかと恨みの感情が湧かないわけでもない。
でも好きなの歌の道に進むことができるかもしれないと思うと、興奮を抑えられない。私は薫の記憶が宿らなくても、たとえお母さんと離ればなれになったとしても、歌の道に進めるのならその道を選んだと思う。
そんな私の趣味にマレリナを付き合わせちゃってよかったのかな…。マレリナだってお母さんとお父さんがいるだろうに…。
★ユリアナ七歳
「そうだ、私のハープを調律してもらえないか?」
「いいですよ。基本は一つずつ音を上げていけばいいですか」
「ああ」
ハープの弦は四十九本のようだ。あくまでハープのような楽器であり、地球のハープの弦の数が何本かオレは知らない。四十九本あれば四オクターブ表現できる。
ぼんー。オレはいちばん下の弦を弾いた。
とりあえず、いちばん下の音はラ♭…に聞こえる音になっている。
幸いなことに、ユリアナの覚えている音と薫の覚えている音は一致している。一致しているというのは、薫の知っているドとド#の間の音をユリアナが記憶しているというわけではないという意味である。
薫は六歳ごろから三十六歳までの間に、聞こえる音が半音、一つ分上がってしまったのだ。その過程…つまり二十歳ごろには、半半音、〇・五個分上がって聞こえるという時期があった。そのときは、世の中のCDラジカセなどの水晶振動子がすべて劣化したのだと思っていた。なんてことはない、劣化していたのはオレだった。
まあつまり、オレとユリアナの脳みその処理速度はまったく違うのかもしれないけど、処理速度の比は、二の十二分の一乗、つまり一・〇六を何回か掛けた数値ということだ。
ユリアナは音を覚えているだけで、それに階名を割り当てていたわけではないから、薫の記憶が宿ってからユリアナの覚えていた音にも名前が付いたことになる。
「あ、音に名前はあるのですか?」
「音の名前?なんだそれは」
ほら、ユリアナどころか、この世界には階名がないのだ。
だから、前にもいったように、オレの知っているラがたとえ四四〇ヘルツでなかろうと、オレがラに聞こえるものはラだ。
ハープには、弦の張りを調整する下のつまみとそれを固定する上つまみが二重になっている。
この村は原始時代にしか見えないけど、金属のこんな高度な作りのものもあるんだな…。
「ふんぎいいいぃ…。私の力じゃ開かない…」
「どれっ」
神父様は上のつまみを反時計回りに回して緩めてくれた。
私は弦を弾きながら、下のつまみを反時計回りに回して音を高くしていった。どうやら、下のつまみは反時計回りに回すときつくなるネジのようだ。
「キミは調律したことがあるのか?私は自分でつまみを回しながら音を引いて、キミに正解か当ててもらおうと思ったのだが」
「あ、いや…、まあ見ればどういう構造かだいたい分かるじゃないですか…」
「ふむ。こんなものの構造の分かる六歳児…、いや春が来たから七歳児か?まあそんな七歳児はおかしい。相変わらずキミは非常識だ」
「文句ばっかり」
春が来たら歳を取るのか。数え年ってことかな。
オレはいちばん下のラ♭だったいちばん下の弦を、自分の知っているラになるように下のつまみを回しつつ、動かないようにしながら上のつまみを時計回りに回して固定した。
「最後、強く締めてもらえますか」
「うむ」
最後は大人の力で回してもらった方がいいだろう。
オレは下のつまみを固定し、弦をぽんぽんと弾いて音が変わっていないか確認しながら、神父様に上のつまみを締めてもらった。
次は十二個隣の弦を同じように調律した。つまり一オクターブ上のラだ。いちばん下のラと同時にならして、ちゃんと同じ音色の一オクターブ高い音になっているか確認する。
絶対音感だけに頼ることもできるのかもしれないが、基準とした音との相対関係で合わせていく方がいいだろう。
続けて二オクターブ上のラと、三オクターブ上のラと四オクターブ上のラを調律した。
すべてのラが終わったら、次はラとの和音になる音を調律していく。オクターブと同じで、基準となる音との相対関係で合わせていくのが正確だ。
昔、ピアノの調律をしているところを一度だけ見たことがあって、いろんな和音で相対関係を聞きながらやっていたと思うんだ…。もちろん細かい手順は知らない。そんなあやふやな経験を元に、調律師のまねごとをしているだけだ。
「できたのか」
二時間くらいかかっただろうか。やっと全部できた。
「はい」
「貸してくれ」
ぽんぽんぽんぽんぽーん(シ♭レファレシ♭)。ぽんぽん…。
神父様は祝福の歌、変ロ長調を弾き始めた。今まで弾いていた音よりも一つずれているので、若干の戸惑いがありそうだ。
「おお…、魔力の流れが良いな…。これが正しい音だというのか…。私には少し高い音に感じられるが…」
「人は歳を取ると音が高く聞こえるようになるんですよ」
「まるで歳を取ったことがあるような言いようだな」
「あはは…」
やばいやばい、オレが三十六歳のおっさんだとバレないようにしないと…。
「ありがとう。私は長らく、歳を取って魔法を使えなくなったのだと思っていた。そういう者は多いので、私にも漏れなくその時が訪れたのだと思っていた。しかし、実際は聞こえる音が狂っていただけだったとはな」
「そうですね。魔法は正確な音程を奏でることが重要なんですね」
オレが前世でまったく活かしてこなかった絶対音感という能力は、どうやらこの世界ではチート能力のようだ。
ユリアナはもともと絶対音感を持っていたようだが、オレの音に対する知識がそれを後押しする形となった。
「ん、ん~…」
「あ、マレリナ、起きた?」
マレリナは身体を起こして長椅子に腰掛けて、目をこすっている。
「私、どうしたのかな…」
「いつもの私のヤツだよ」
「ああ、そうなんだ…。ユリアナは魔法を使って倒れていたんだったね。そうだ、私、魔法を使えたんだ…。これでユリアナと一緒にいられるかな…」
「うん…。でもね…、魔法使いは王都に行って勉強しなきゃいけないんだって。私とマレリナはこの村を出て行かなきゃならないんだ…」
「それって、お母さんとお父さんと離ればなれってこと?」
「そうみたい…」
「そっか…」
「妙に落ち着いてるね」
「うん…。お母さんとお父さんと離ればなれになるのは寂しいけど、ユリアナと一緒にいられる方が嬉しい」
「マレリナ…、だーいすき!」
「わぁあ」
私は感極まって、座っているマレリナに飛びついて抱きついた。
「まあ、王都の学園に行くのは十歳からだ。それまでに、できるだけ好条件の貴族を探してやる。男爵家の三男の伝手だから当てにはするなよ」
「そっか…、私たち、お貴族様のところに行くんだね…」
「そうだ。だが、それまではここで勉強していくとよい。自分の価値を高めれば、それだけ良い貴族に引き取ってもらえる」
神父様の仕事は、私たちのような魔法使いの卵を発掘して、貴族に紹介するのが仕事。貴族に引き取らせずに学園に行くこともできるが、ろくな待遇を受けられないし、学園で有能であることを見せればどのみち貴族に引き取られるだろうとのこと。
「それでは、これは今日の給金だ」
神父様は左手で私に六枚の硬貨を、右手でマレリナに九枚の硬貨を手渡した。
「えっ、私も?」
「うむ。ここで魔法を学ぶことは、魔法使いとして働くことだと思いなさい」
「はい」
「だがな、無駄遣いするなよ」
「はい。私、お金の使い方、わかりません」
「む…」
そういえば、お母さんにお金のこと聞きそびれたままだ。
「ユリアナ、お前はどうなのだ…」
「わ、私もわかりません…」
そもそも、六枚だとか九枚だとか、薫の知識でいっているのであって、ユリアナは数字すら知らなかった!っていうか文字も知らなかった!
「音楽と魔法にたいしてそれだけの才能を発揮しておきながら、金の使い方も分からないとは…」
「あの…。数字と文字を教えてください…」
「おい!そこからなのか!」
「ねえユリアナ、すうじともじってなあに?」
「お前ら…。やっぱり金は預かっておく。返せ!」
「数字と文字を習ったら返してくれます?」
「ああ、いいだろう。だが、今日はもう遅いから帰れ」
「「はーい」」
私たちは受け取ったばかりの硬貨を神父様に返して、教会をあとにした。
「はぁ…。ユリアナと一緒にいられると思ったら、安心しちゃった…」
「ごめんね、私ってそんなにどっか行っちゃいそうに見えた?」
「うん…。ユリアナは王都に行くって決めていたんじゃないの?」
「えっ?マレリナが倒れてる間に初めて聞かされた話だよ」
「そうなのぉ?もう旅に出る気まんまんに見えたよ…」
「そ、そんなのことはなかったはず…」
たしかに、歌手になるぞって燃えていたかも…。
「ただいまー」
「こんばんはー」
「あらマレリナ、いらっしゃい」
「お母さん、あのね…」
私たち二人は魔法を発現させたことを話した。
そして、十歳になるまでには貴族に引き取られて、十歳からは王都の学園に通わなければならないことも。
「ふふふふ~ん♪(ソラシド)」
私は台所に水を出した。
「それが魔法なのね…。マレリナもできるの?」
「私が使えるのは傷を治療する魔法なんです」
「まぁ…。それは素敵ね…。二人とも、座りなさい」
私たちは食卓の椅子によっこらせと登った。
「いつかこんな日が来ると思っていたわ…。ユリアナはね、拾った子なの…」
「やっぱそっか…」
「耳のことを聞いてきたときに気が付いていたのね」
「うん…」
「耳が尖っているエルフという種族がいるらしいのよ」
「私…、エルフ…」
「たぶんね…。玄関の前に捨てられていたから、誰の子かは分からないの。捨てられていたときは、今みたいに髪がキラキラに輝いていてね、でも、一緒にすごしていたらキラキラはなくなっていったし、耳も髪に隠れていったから、気にせずに普通の子として生きていけると思ったんだけどね…」
「私が魔法で洗っちゃったから…」
「魔法でそんなに綺麗になるのね」
「お母さんは髪はキラキラにならないかもしれないけど、お肌は綺麗になるから、お母さんも洗ってあげるよ!」
「今度お願いね」
お母さんは苦笑いだ。
「マレリナも王都に行くのね」
「うん」
「お母さんに話した?」
「これから」
「許してもらえなかったらどうするの?」
「私が自分で行かなくても、魔法の使える子は貴族がかってに連れていっちゃうんだって。だから、私はユリアナと一緒に受け入れてもらえるようにがんばるんだ」
「そうなのね…。私たちにはどうもできないのね…」
待っていると、悪い貴族にかってに連れていかれてしまう。そうならないように、私たちは力を見せつけて、好条件で貴族に受け入れてもらうんだ。
「お母さん、ごめんね…。こんなことになっちゃって…」
「そんなこと言って、ユリアナはけっこう嬉しそうよ」
「えっ」
「ユリアナのやりたかったことをできるんでしょ?」
「うん!」
「ほらっ」
「あれ…」
「あなたの行きたい道に進みなさい」
「うん…」
「私は応援しているわ」
「お母さんと別れたくない。でも、私は音楽の道に進みたい」
「いいわよ。お母さんはずっとここにいるからね」
「ありがとう…」
「まだ王都に行くまでは時間があるんでしょ?」
「うん」
「母さんもユリアナとマレリナにできるだけのことをするわ」
「ありがとう…」
「ユリアナのお母さん、ありがとう…」
「マレリナのお母さんにちゃんと話せる?私たちも行った方がいいかしら?」
「大丈夫。私、何があってもユリアナと一緒にいられるように頑張るんだもん」
「そっ。いつもユリアナの面倒を見てくれてありがとうね」
「えへへっ」
マレリナは帰った。
その日から、私はお母さんにべったりくっついて寝るようになった。
翌日。マレリナが迎えに来た。もうマレリナが迎えに来るのが当たり前になってしまった。
「お母さんとお父さんがね、自分で進むべき道を見つけたなら、がんばりなさいって」
「そっかぁ。よかったね」
放任主義なのかな。そういう世界なのかな。
教会にて。
「そうか。すんなり行ってよかったな。まあ、ごねても悪い結果にしかならないんだが、それが分かっているのならよいことだ」
「あの、私ってエルフなんですかね」
私は髪をかき分けて、尖った耳を見せた。なんかちょっと恥ずかしい…。
「そういうことは早く言いなさい!」
「私だって最近知ったんです!」
エルフは魔法に長けた種族で、マルチキャストも多いらしい。
主に、ここから南のほうに生息している種族で、人間とも少なからず交流があるらしい。王都や学園にもいるらしい。
「エルフは差別の対象になることもあるし、人さらいにも会いやすいから、そのまま耳を隠しておきなさい」
「はい…」
「マレリナはどうなのだ」
「私は違いますよ」
「さらわれずに済みそうでよかったな」
「ユリアナと一緒がよかったのに…」
さすがに、「じつは髪が白みがかっていた」という設定の他に「じつは耳が尖っていた」という設定は追加できなかったようだ。「じつは実子でない」とか、かなり面倒な設定も追加しなきゃなんないしな…。
今まで礼拝堂で勉強していたけど、今日から別の個室で勉強することになった。
なぜなら、読み書きの練習などで机が必要だからだ。
「キミは羽根ペンの持ち方がうまいな」
「そうですか?」
この身体はユリアナのものだけど、薫が手先でできることはユリアナもできるようだ。
文字は漢字みたいに何万文字もなくてよかった。
「これは…、お・ん・が・く…、音楽ですか?」
「そうだ。覚えが早いな」
アルファベットのような母音と子音の数十文字を組み合わせて単語となる。英単語と同じで、前後の並びによって読み方の変わる場合もあるけど、法則さえ覚えれば読みはすぐできるようになりそうだ。
薫の持っていなかった記憶力というチート能力をユリアナは持っている。薫は漢字も英単語も壊滅的だったのだ。
数字も十進法で助かった。数字さえ覚えてしまえば、こんな原始時代の算数でやることはもうないだろう…。
「聞いているのかユリアナ!」
「えっ、五たす七は十二でしょう」
「なっ…。じゃあこっちはどうだ」
「十二かける十二は一四四です」
「はぁ…。数字を覚えたばかりの子供の計算能力ではないだろう。音を覚える能力といい、魔力といい、キミはほんとうに非常識だ」
「ありがとうございます」
「ふんっ」
ユリアナはチート転生者なので、非常識なのは常識だ。
「ユリアナぁ、分かんない」
「四たす三か。指を出して、一、二、三、四と、こっちの手で一、二、三。まとめて数えてみて」
「一、二、三、四…、五、六、七…。七だ!」
「そそっ」
「わーい!」
「そうだ、今のうちに給金を渡してやる。ほれっ」
私は銀色の硬貨九枚、マレリナは私と同じ硬貨二枚と銀色の大きめの硬貨一枚を受け取った。
なるほど、小さいのが一円玉で大きいのは十円玉かな。
「小さい硬貨一枚で何が買えるんですか?」
「キミはあれだけ算数ができるのに、金の価値も知らないのか」
「もったいぶってないで教えてください」
「小さい硬貨は銀貨だ。銀貨一枚で、そうだな、大根十本か干し肉十枚ってところか」
「えっ…」
それって、何日分のご飯…。
小さいのは一円玉じゃなくて千円玉ってこと?
じゃあ、日当三千円か…。日当としてはちょっとしょっぱいけど、勉強してるだけで働いてないのに三千円もらっちゃって悪いな…。
私の祝福で得た運営補助金っていくらなんだ…。
その日、家に帰って、
「お母さん、はい。お給金」
「えっ…」
私は銀貨九枚を手渡した。
「あの…、魔法使いってこんなにお金をもらえる仕事なのかしら…」
「あ、これね三日分なんだ」
「いえ、一日銀貨三枚でもすごく多いのよ…。母さんは普段は食料をもらってくるからお金としてもらっては来ないのだけど、食料がいっぱいあるときはお金でもらってくるのよ。そのときは大銅貨五枚なのよ」
「えっ…」
教会で習ったお金のこと。
まず、物価が違うからなんともいえないけど、銅貨が十円、大銅貨が百円。銀貨が千円、大銀貨が一万円ってところだろうか。
一日働いて三千円ってしょっぱいと思ったけど、お母さんは五百円なの?
「これってユリアナの稼いだお金でしょ。母さんこんなにもらえないわ」
「私、持ってても使えないし、お母さんが貯めておいてよ」
「でも、置いておくところなんてないわよ」
「んー」
よく考えたら、家の扉に鍵なんてない。家に盗まれて困るようなものはほとんど置かないってことだ。
「分かった。一枚だけお母さんに渡すから、それでご飯を買ってね。残りは神父様に預かってもらう」
「そうね…、それがいいわね…」
私が教会に行くようになってから、野草を取らなくなったので、食卓が寂しくなってしまった。たまに銀貨一枚渡して、食費の足しにしてもらおう。
翌日、給金に関してはマレリナもおよそ同じ結果となったようだ。
「いいだろう。預かっておく。必要になったら言いなさい」
「「はーい」」
毎日教会で勉強の日々。
読み書き、算数、ハープの練習、魔法の練習。
あ、私は算数を卒業した。小学校三年くらいの内容までしかなかったので。
魔力トレーニングは、教会でやらないで、毎日夜寝る代わりに気絶している。
あとは、魔法の種類が少し増えた。といっても、神父様は聖魔法専門で、他の属性はあまり知らないようだ。魔力を調べるために使った魔法以外は、一つか二つしか教えてもらえなかった。
有用な魔法は、
火を使わずに温める火魔法。
灯りをともす雷魔法。
植物の生長を促進させる木魔法。
土を成形してしばらくのあいだ形を保つ土魔法は魔力を調べるのに使った魔法だ。
ものや空気を冷やす水魔法。
風魔法は…風を起こすだけなんだけど、威力を強めると飛べそうだということが分かった。
筋力を高める命魔法。
聖魔法には命魔法と同じように人の傷や病気を癒すものもあった。ただし、自分には使えないし、傷や病気そのものを治す魔法じゃなくて、治るという出来事が起こるという効果だ。即効性もあまりない。健康祈願に近い。
やはり、心、時、邪、空間の魔法を神父様は一つも知らないようだ。
命魔法と聖魔法以外はありふれた魔法らしい。ありふれたといっても、楽器で聞かせて伝えるという手段しか取られていない。楽譜というものはないようだ。
そして、効果の高い魔法になると、弟子から弟子へとしか伝えられず、それ以外には秘匿される。
楽譜もないのに、使えもしない魔法の曲を覚えている神父様は変態の部類に入るらしい。
この世界には私のように聞いただけで音を覚えられる人がいないのか、人前で音楽を披露しているというのに、秘匿できてしまうらしい。
ちなみに、聖魔法のトレーニングは、こっそりやっている…。私の祝福は危険なので、プラスになるようなお祈りはせず、マイナスをゼロにするようなお祈りをメインにやっている。健康祈願とか厄除けとか。マレリナとお母さん、神父さんに始まり、道ばたで出会った人に辻祝福をやっている。
覚えた魔法を駆使することで、家での生活が豊かになってきた。
「お母さん、お風呂入ろっ」
「そうね、お願いするわ」
「ふふふん、ふんふんふん、ふふふふふーん♪」
一フレーズごとに転調して、音楽としては成り立っていない。気持ち悪い。
土魔法でバスタブを生成。一日くらいしか形状を維持しないので、毎日作る必要がある。その代わり、形状を維持している間は、土が溶けたり、水がしみたりしない。
そして、水魔法で水を出して、火魔法で加熱。
湯船で垢を浮かせて、疲れを取る。
土魔法で私とお母さんの身体や服の土を落として、仕上げにお湯の水球をかぶる罰ゲーム。
風魔法を火魔法で加熱して、全身ドライヤー。
命魔法で肌荒れの治療。
石けんはないけど、お肌つるつるだ。
髪もつやつや…なのは私だけで、お母さんの髪はどんなに洗っても艶が出ない。
寒い日は加熱の魔法で部屋を暖めたり、暑い日は冷却の魔法で部屋を冷やしたり。
それから、うちのお庭にちょっとした畑があったので、土魔法で耕して、成長促進の木魔法を使って早く収穫できたり。この世界は歌でおなかが膨れるじゃん!素晴らしい!
神父様は、ときどき私たちの勉強をお休みにして何日間か出かけている。私たちの引取先と交渉しに行ってくれているようだ。神父様は人でナシだけど、私たちのことをほんとうによく面倒見てくれていると思う。
夏も盛りのある日。
「キミたちにこれを授けよう」
「おおお…」「わあぁ!」
木造のケースを開けると、子供用の小さなハープだ!これなら手に持って弾ける。ケースにはベルトが付いていて、背負うこともできるようになっている。
弦は二十五本。大人用の半分だ。長い側の弦が二十四本足りない。つまり、低い音を二オクターブ分出せないということだ。
魔法の曲は音程さえ合っていれば一、二オクターブ上でも下でも問題ない。低い側に音が足りなくなったら、一オクターブ上を弾けばよいだけだ。
それなら、小さい方がハンディでイイね!娯楽や芸術向けの音楽はなくて、魔法を発動させるためだけのハープなのに、大人のハープに四オクターブ分必要な意味が分からない。ちなみに、大人用のハープには、学園を卒業するときに切り替えるものらしい。
魔法の音楽は、音楽性に欠けている。音程の正確性が一番重要だ。全体の速度はかなり遅くてもよい。速いほうはどこまでOKか調べて切れていない。リズムは全体の速度に対して相対的に合っていればよく、リズムのミスには音程のミスよりもかなり寛容だ。
まるでカラオケマシーンの採点基準のようだ。だからといってビブラートやしゃくりを入れたら減点である。
「馬車に揺られて弦が緩んでいるだろう。キミが調律しなさい」
「はーい」
私は自分とマレリナのハープを同時に調律した。
まず、三つのラを合わせて、そこから和音が合うように。
「ありがと、ユリアナ」
「うん」
最後は神父様に強く締めてもらったけど、こういうものは時間とともに緩んでいくものだ。脳みその緩みと偶然に一致してしまうと、神父様のように永久に半音下がってしまうのだろう。
ユリアナのうちもマレリナのうちも銀貨一枚ですら置いておけるような家ではない。ハープなんて何十万円もしそうな代物は教会で預かってもらうことにした。
ハープを手に入れてからマレリナの命魔法の音楽は、めきめき上達していった。
あと、神父様の特訓メニューとは別に、私が音当てクイズなるものをやって、音感を鍛えた。神父様よりは音を取れるようになったんじゃないかな。だけど、声で魔法の曲を歌うというのは、なかなかできないようだ。
マレリナは髪もだんだん明るくなってきて、魔法の練習中に魔力切れで気絶することも少なくなってきた。魔力が上がると髪に属性の色が付いていくんだ。
私も鼻歌で魔法を使うだけではなく、ハープを弾いて魔法を使う練習をした。
オレはピアノみたいに白鍵と黒鍵の区別がないとぱっと見なんの音なのか分からないので、黒鍵にあたる弦の両端に筆でインクを塗った。すると、玄が重くなり音が低くなってしまったので再調律した。
これでピアノ感覚…とはいかないものの、かなり弾きやすくなった。
マレリナもマネをして黒鍵の音にインクを塗った。何の意味があるのかは理解していないようだ。
そして、オレはもう一つチート能力を手に入れた。弾き語りだ。いや、歌詞はないから語ってはいないのだけど、魔法の音楽はメロディに意味があるから語っているのに等しい。
薫は引きながら歌うということができなかった。マルチタスク全般に苦手だった。だけど、ユリアナはハープを弾きながら鼻歌を歌えてしまう。
ハープで水を出す魔法を弾きながら、鼻歌で暖める魔法を歌うと、最初からお湯を出すことができる。でも。だけど、これがあまり気持ちのいい音にはならない…。二つのメロディはちょっと和音とは言いがたい。幸いなことに、水を出す魔法はト長調で、暖める魔法はハ長調っぽい。ハ長調とト長調はファに#が付いているかいないかの違いなので、不協和音というほどでもないが、でもやっぱり和音ではないし、伴奏と歌としても調が違うので気持ち悪いのである。
★ユリアナ八歳
季節は過ぎ、冬が来た。
冬でも火魔法で水や風を加熱して、お風呂に入れる。
マレリナも一緒にお風呂に入っていくようになった。
そして、また春が来た。私たちは八歳になった。
銀髪幼女は銀髪少女になった。声も少し大人っぽくなった。だけど、私はボイストレーニングを欠かしていないので、アニメ声を相変わらず出すことができる。これで、幼女キャラだけでなく、大人っぽいキャラにも少しは対応できるかな。って、声優なんて職業はこの世界にあるわけないし、そもそも歌手という職業すらなさそうだ…。私は相変わらず一人で鼻歌を歌って、自分のアニメ声に自分で癒されているだけだ。
白人系だからだろうか。私もマレリナも八歳の日本人と比べると背も高いし、大人っぽいと思う。
だからといって、オレは八歳の少女になった自分やマレリナに欲情したりなんかしない。この身体はユリアナのものなんだ。オレが大事なものと一緒に前世に置いてきた本能を、ユリアナが持ち合わせているはずがない。
それから、マレリナの髪もかなり明るい灰色になってきた。魔力が上がってきたことが明らかだ。
私の銀髪にも磨きがかかっている。私の魔力の高さは色の濃さや明るさではなく、光沢で表されるのだろうか。
マレリナの声も少し大人っぽくなってきた。だけど、マレリナにはアニメ声というチート能力を持っていないので、アニメ声を出すことができない。
ごめんね、私はチート転生者なんだ。
神父様は毎日三枚の銀貨を見せて、私たちに持って帰るかどうかを尋ねる。私は三日に一度一枚だけ受けとっている。それでじゅうぶん食費の足しになるのだ。だけど、ちゃんと貯金してくれているのだろうか。昨日預けた分をもう一度出しているだけだったりしないだろうか。すでに、一年以上貯金しているので、三日に一度一枚だけ抜いているから、三日で銀貨八枚。三六〇日で九六〇枚。少なくともそれくらい貯まっているはずだ。
あれ、一年って三六五日でいいのかな。
「神父様、預けているお金を見せてもらえますか」
「分かった」
神父様に物置部屋に連れて行かれた。そこには金庫らしきものがあった。
鍵を開けて扉を開くと、左側と右側、奥側の三箇所にお金が分けてあった。左側と右側には、金貨が十枚と銀貨が数十枚ずつ。奥側には金貨三枚と大銀貨が数枚、銀貨が数十枚。
「左側がユリアナの分で、右側がマレリナの分。奥が教会の運営費だ」
「なるほど…」
金貨一枚で銀貨百枚分だ。金貨は十枚あるので、銀貨千枚分。つまり、一年とちょっとの分の給金はそこに貯められていた。小銭は大きい貨幣に両替されているということだ。
「満足いったのか?」
「はい…。疑ってごめんなさい」
ちゃんと貯めていてくれた…。逆に運営費として分けられていた分は私たちの給金より少なかった。
「疑うのはよいことだ」
神父様は人の指を切りつけようとするので、油断ならないと思っていたのだけど…。
「だが自分が受け取ったはずの金額を数えていたというのか?」
「いいえ、計算しただけです」
「一年前まで読み書きできなかった者の計算力ではないな」
小学校三年生の算数を逸脱しているらしい。
「ハープっていくらだったんですか?」
「一つで金貨三枚だ。支払わなくていいぞ。運営費から出した」
「はい…」
じゃあ、運営費と私とマレリナの分で三等分くらいにしてるってことか…。
神父様は人でなしだけど、優しい人だ。
授業に地理や歴史が加わった。
貴族に引き取られるというのは、まだどのような扱いになるかは分からない。良い待遇を得るためには、良い教養が必要だということだ。
マレリナは覚えることが多くて大変そうだ。
薫は地理や歴史などの覚えるだけの教科は全滅だったが、ユリアナは記憶力というチート能力を持っているので、けっこう普通に覚えられる。いや、別に瞬間記憶ってレベルじゃないんだけど。
瞬間記憶できるのは音だけだ。
授業にはもう一つ加わった。戦闘訓練だ。魔法使いって戦闘職なのか…。
マレリナと私は筋力強化の魔法を使って、互いにパンチや蹴りを入れあっている。もちろん、そんなにひどい攻撃はしないけど、最後は治療の魔法をかければ、傷は残らない。
私は身体を動かすのが楽しい。筋力強化を使ってトレーニングしてると、普段の力もどんどん強くなっていく。
最近、身体が大きくなってきたけど、自分に欲情したりしないというのは先ほどいったとおりだが、そろそろどうにかしたいものがある。服だ。このおんぼろ服は、薫の記憶が宿った六歳のとき、いやもっと前からずっと着ている。
問題なのはボロボロなことではない。サイズが合わなくなってきているのだ。
肩幅は最初からかなり余裕があったし、袖口も大きいから、袖のあたりに肩が着ても着られている。
胸や腰部分もだぼっとしているので、まだ余裕がある。
なんのサイズが合わなくなってきているのかというと、丈だ。上から下までの長さだ。スカートとしてちょっと短くなってきているということだ。
スカートをたくし上げるだけでトイレできてしまうことからも分かるように、このワンピースの下には何もはいていない。
そして、最近スカートをたくし上げなくてもトイレのときにスカートにおしっこがかからなくなりつつある。つまり、しゃがむだけで大事なところが見えてしまっているのではないか…。
「お母さん…」
「どうしたの?」
「そろそろ、新しい服が欲しいな…」
「まだ綺麗だけど、どうして?」
「えっ…」
たしかに、魔法を覚えてから頻繁に洗っているから綺麗なんだけど、論点はそこじゃないんだよ…。
だけど、もしかして大事なところを見せちゃいけないと思っているのはオレだけなのか?ユリアナはまだ子供だし、そういう羞恥心を持ち合わせていないのかもしれない。マレリナの服もちんちくりんになってきているけど、恥ずかしがる気配がない。
でも子供だけじゃなくて、お母さんもこの短くなってきたスカートに何も疑問を抱かないのかな…。大事なところを見せちゃいけないどころか、オレが大事だと思っているところがじつは大事だと思われていないとか、そんなことはないよな…。
お母さんはオレの服がどういう状態になったら買い換えるつもりだったんだろう…。劣化状態じゃなくて、成長の状態的に…。
「じゃあ、ユリアナのお給金で買ったらどうかしら」
「あ、そうする」
うーん。原始人の村のお母さんに相談したのは間違いだったのか…。女の子の服だから、神父様に相談することではないと思ったのだけど、原始人の村の外から来た神父様なら理解してくれるだろうか。
「というわけなので、服を買うためのお金を引き出したいです」
翌日、積み立てているお金を神父様に出してくれるよう頼んだ。
「ふむ。では、隣町から仕立屋を呼ぶので、それまで我慢しなさい」
「はぁ?それって、オーダーメイドってやつですか?」
「なんだそれは。服を買うということは服を作らせるということだ」
「あの…。それはお貴族様のやり方でしょう。私はこの村の古着屋のでいいんです」
「キミたちは貴族に引き取ってもらうのだから、そんなみすぼらしい格好ではダメだ」
「それはお貴族様に引き取られるときでいいじゃないですか。今綺麗な服を作ったって、引き取られる頃には大きくなっていますよ」
「ちゃんとした服でないと、礼儀作法を練習できない」
「礼儀作法に必要なのは分かったので、仕立屋を呼ぶことに反対はありませんが、綺麗な服を着ていたらこの村では浮くし、さらわれるんじゃないですか?」
「ああ言えばこう言う」
「ムキー!」
「二人とも仲良いね」
マレリナにはこれが仲良く見えるのか…。
こうして、なぜか突然お貴族様の服を作ることになり、そして、私の普段着の買い換えは忘れられたのであった。
って、それじゃダメじゃん!
翌日神父様にお金をもらって、マレリナと大きめの古着を買いに行った。古着の値段は銀貨五枚。日々、ギリギリで食いつないでいたお母さんと私にとって、かなりの贅沢だったのかもしれない。だから、ちんちくりんになったくらいで買い換えるという発想がなかったのだろう。
だけど、こうしてオレが大事だと思っているところは守られたのであった。
数日後、教会に仕立屋がやってきた。
「この二人のドレスを仕立ててほしい」
「かしこまりました」
ちょっと…、ドレスって言った?
神父さんは部屋から出ていった。
仕立屋は私とマレリナの身体のサイズを測っていった。私とマレリナはボロ着のワンピースを脱いですっぽんぽんだ。
オレは成長した自分とマレリナの身体に欲情したりはしない。
そして、仕立屋はサンプルのドレスを何着か持ってきた。
「どれかお気に召すものはございますか?」
「これにします」
私はシンプルな白のドレスを選んだ。
「私もそれがいい!」
「じゃあ、これはマレリナに譲るよ」
「ううん、ユリアナと同じのがいいの」
「できますか?」
「同じのをもう一着となると、少し時間がかかりますがいいですか?」
「はい」
私たち貴族に引き取られるのはまだ先だろう。
一ヶ月後、仕立屋が私たちのドレスを持ってやってきた。
「まずはこちらをお召しください」
渡されたのは、カボチャパンツ…。ドロワーズというやつだろうか。腰部分と太もも二カ所を紐で結ぶようになっていてはくのが面倒だ。やけに膨らんでいる。なんというか、ずっとノーパンで生きてきた私としては、蒸れて気持ち悪い。
慣れないのはオレも同じだけど、前世でパンツをはくのが当たり前だったので、ほんの少し安心感を得た。
それから、ドレスを着付けてもらった。膝下丈のスカートがふわっと膨らんでみるようにドロワーズが膨らんでいたらしい。なるほどそういうシステムだったのか。
靴もちょっとかかとの高いヒール。今までの木靴とは大違い。
「マレリナ可愛い…」「ユリアナ可愛い…」
ハモってしまった。二人でちょっと頬を赤らめて見つめ合ってしまった…。
「マレリナの明るい髪色と白いドレスが合ってるね」「ユリアナのキラキラの髪と白いドレスが合ってるね」
「「あれ」」
またもやハモってしまった。
「「あははは」」
オレがユリアナに宿ったとき、ユリアナは可愛い銀髪幼女だったし、今ではちょっと大人っぽい銀髪少女だ。だけど、違ったんだ。ユリアナはせっかくの女の子だというのに、どちらかというと野生児って感じで、オレは女の子っぽいことを何一つやっていない。いや、可愛いアニメ声で歌を歌うという女の子っぽいことをやっていたのだけど、それだけだった。
だけど、今のオレはどうだ。可愛いドレスを着た可愛い銀髪少女だ。野生児ではない。ドレスを着て自分を着飾ることがこんなに心躍ることだとは思いもしなかった。オレ、女の子っぽい!ハイヒールも履いてみたかったんだ。
うっさいよ!私はどうせ野生児ですよーだ。
脳内で天使と悪魔が喧嘩を始めた。だけど、今回はオレが天使でユリアナが悪魔だ。
マレリナもだいぶ明るくなった髪が可愛さを引き立てている。マレリナも野生児だったんだよな…。それこんなに可愛くなるなんて…。
「さまになっているな。今日から礼儀作法の稽古だ。よろしく頼む」
「はい、かしこまりました」
仕立屋さんは、そのまま礼儀作法の先生をやってくれるらしい。ドレスを着ているときの歩き方や食事マナーなど。
隣町の仕立屋さんは、この辺りの商人の御用達で、商人が貴族の相手をするための指導なども行っている、総合サービス屋さんらしい。そんなことをやっている仕立屋は都会にはおらず、田舎だけの習わしのようだ。
「うう、動きづらい…」
「がんばろうね!」
マレリナは慣れないドレスや靴に、すでに疲れ果てているようだ。
一方、オレはお嬢様ごっこにうかれている。ヒールで女の子っぽく歩くのも心が躍る。疲労感など全くない。
「ユリアナはよくできていますね」
「ありがとうございます」
オレはアニメを見るといっても、基本、アニメ声の女の子がキャッキャうふふしているのを聞いていることが多かったが、内容だってそれなりに覚えている。その中には、お嬢様やお姫様の出るアニメだってあったんだ。お嬢様のまねごとぐらい、まあ多少文化が違ってもなんとかできる。たぶん。
ちなみに、ドレスの代金は教会の必要経費だそうだ。私たちを高く売るために着飾るんですか。そうですか。
ドレスを着て礼儀作法の練習をするようになってから、仕立屋さんに髪を伸ばすように言われた。長い髪は貴族の嗜みだそうだ。
こうして勉強や魔法の練習に明け暮れて、もうすぐ春になろうかというある日。
「キミたちの引取先が決まった」
「ついに来ちゃったか…」
「いよいよだね…」
私とマレリナは、とっくに覚悟を決めていた。だけど、いざお母さんとお別れの時が来たと思うと、やはり寂しくなってしまった。
「マシャレッリ伯爵家だ。当主の名をセルーゲイという。弱小だが伯爵家だ」
「それはまたずいぶんな玉の輿ですね」
「なんだそれは」
「えへへ」
神父様は男爵家の三男。男爵というのは貴族の中ではいちばん下らしい。
男爵の上に子爵、伯爵、侯爵という順に身分が上がっていく。そして、この国には一つだけ公爵家というのがあるらしい。
ほんとうに、たかが男爵の三男が、よく伯爵家なんてものと話を付けてきたなぁ。
「キミたちはマシャレッリ家の養女にしてもらるだろう」
「てっきりお嬢様のお世話係くらいかと思ってました…」
「ああ、私も最初はそのつもりだった。伯爵家にもアナスタシアという娘がいるのでな。だが、キミたちの属性を伝えたら食いついてくれた。実際に自分の目で見て、気に入れば養女にしたいとのことだ。そこで活きてくるのが、教養と礼儀作法だ。キミたちは魔力が高いだけの田舎娘ではないことを見せつけてやれ」
「大変だった特訓はこのときのため…」
マレリナが遠い目をしている。
「ちなみに、二人とも命魔法使いとして紹介してある。ユリアナはマルチキャストであることを隠しなさい」
「えええ?」
「八つも属性を持っているマルチキャストなど聞いたこともない。キミたちは命魔法使いであることを買われたのだ。アナスタシア嬢は病弱らしい。当主のセルーゲイは娘の日々の生活を命魔法でサポートさせたいと考えているようだ。だからお世話係というのも間違いではない」
「なるほど」
「それに、ユリアナのその艶のある髪は、明るい灰色と言い張れば命魔法使いであることも説明が付くだろう」
「むちゃくちゃですね」
「いいからそれで通しなさい」
「はい」
「嫌なら小麦粉でもかぶっていくとよい」
「そんなの嫌です」
クソ神父、むちゃくちゃ言いやがる。
「ちなみに、キミがエルフだということも伝えてある。エルフというのは差別の対象とされることもあるが、高い魔力を持つことから優遇している者もいるのだ。マシャレッリ家はキミに好意的に接してくれる家だ」
「それは助かります」
「キミたちは一年ほどマシャレッリ伯爵領の屋敷ですごして、春になったら王都の学園に通うことになる」
「「はい」」
「それから、キミたちの名前はこれから、ユリアーナとマレリーナだ」
「「えっ?」」
「貴族らしい名前と平民臭い名前というのがあるのだ」
「臭いとかひどいです」
「キミたちがここに来たばかりのときは、ほんとうに臭かったのだ」
「もういいです。神父様が失礼なのは今に始まったことではないので」
「ほんとうにこの二人仲良いなぁ」
マレリナは相変わらす私と神父様の仲が良いように見えるらしい。
「出発は一ヶ月後だ。今度こそ親との別れを済ませなさい」
「「はい…」」
私はもう倒れることがないというのに、マレリナは私を家まで送ってくれる。
「マレリナ、ありがとね」
「うん。ばいばーい」
マレリナもこれから両親に重い話を伝えるんだ。
大丈夫、一年以上前から知らせていたことだ。
「ただいまー」
「おかえり」
「お母さん、一ヶ月後に貴族が迎えに来ることになったんだ…」
「そう…。ついにこの時が来たのね…」
お母さんは私を抱きしめた。
まだ一ヶ月あるんだけどな。
それからの一ヶ月、私は毎日お母さんとべったりしてすごした。
ちなみに、お母さんは毎日お風呂に入れてあげているので臭くない。大人の女の人の匂いがするだけだ。
だけど、私がいなくなったらまた臭くなっちゃうのかな。
あっ…、お母さんは私を拾ってずっと育ててくれたんだ。そうだ…。
「お母さん…。私が行ったら、お母さんは普通に結婚して、子供を産んでね…」
私がお母さんの幸せを奪ったんじゃないかな…。そんなこと、考えもしなかった…。
「結婚はしないわ。私の子はユリアナだけよ」
「私がお母さんの幸せを奪っちゃったんだ…」
ぺしん。お母さんは私の頬を叩いた。
「お母さんはユリアナを育てられて幸せよ。そんなこと言わないの」
「ごめんなさい…」
私とお母さんは最後の一ヶ月をすごし、ついにその日がやってきた。
「お母さん…。行ってきます」
「身体に気をつけるのよ」
「ふんふんふんふんふーん(シ♭レファレシ♭)、ふんふん…」
「あら、ありがと」
私はお母さんに祝福の歌フルバージョンを歌った。
お母さんはこれが祝福の魔法だと知っている。
成長したからかそれとも訓練のたまものか、フルバージョンでも気絶しなくなった。魔力の残量も分かるようになってきた。フルバージョン一回で魔力消費八割くらいだ。
祝福ではあまり具体的なことを願わない。お母さんに、ただ漠然と、日々を幸せに過ごしてほしい。
ほんとうは、個人の幸せを願うものでもないらしい。でもいいのだ。
「またね!」
「行ってらっしゃい!」
永遠の別れではない。そう信じている。
「ユリアナ、行こっか」
「うん」
マレリナも家族と別れを済ませてきたらしい。
私たちは手を繋いで教会に向かった。
「よく来た。これに着替えなさい」
「えっ、これでいくんですか」
「そうだ。これは貴族令嬢の普段着だ」
「マ…ジ…で」
これが普段着…。パーティに行くための衣装だと思っていたのに…。
ドレスを作って一年たつけど、仕立屋さんが礼儀作法の授業で来てくれていたので、サイズは頻繁に調整されていた。
スカートの丈は膝丈だ。子供はこれくらいが丁度いいらしい。
髪もだいぶ伸びた。ドレスを仕立ててから前髪以外切っていない。私は腰の辺り、マレリナは胸の辺りまで。私は相変わらずキラッキラの銀髪。マレリナの髪はどんどん明るくなっていく。若干艶も出てきた気がする。
「それから、今日までの給金だ」
「「ありがとうございます」」
私とマレリナそれぞれ、大金貨が二枚、金貨が一枚、大銀貨が三枚、銀貨が十枚、大銅貨が十枚。
毎日銀貨三枚で、三日おきに一枚抜いていたから、だいたいそんなもんかな。
ハープ代とドレス代を引いてくれてもいいんだけどね。私たちの軍資金にしてくれたんだ。
「金を見せないようにしておきなさい。伯爵と夫人は盗むような者には見えなかったが、家人がそうとは限らない」
「「はーい」」
私たちは、腰に下げた革袋をしっかり握りしめた。
「それから、そのドレスをまとったキミたちは、もう貴族令嬢だ。言葉遣いには気をつけなさい」
「「はい」」
教会の前に馬車が着けられた。
馬車は、うーん…、けっこうボロい…。一頭の栗毛の馬もくたびれている。
馬車の中から降りてきたのは護衛一人、メイド一人。もう一人、御者席から御者が降りてきた。
護衛の革鎧もベルトが切れていたり、メイドと御者も服がほつれていたり…。
三人とも髪は灰色。ゴミは付いていないが艶はない。
「ごきげんよう、私はユリアーナと申します」
「ごきげんよう、私はマレリーナと申します」
私とマレリナは片脚を交差させて少しかがみ、スカート少しつまみ上げて会釈した。カーテシーという挨拶だ。
お嬢様ごっこ…、胸躍る…。仕立屋さんとの練習の時から、お嬢様ごっこにはしゃいでいたのはユリアナではなくオレだ。
「初めまして、私はメイドのオルガです」
「私は執事、兼御者のデニスです」
「私は執事、兼護衛兵のニコライです」
兼務が多いなぁ…。
ニコライは槍を背負っている。槍使いか。
「これからお世話になります」
「よろしくお願いします」
「それではな、ユリアーナ、マレリーナ」
「お元気で。今までありがとうございました」
「ありがとうございました」
私とマレリ…ーナは御者のデニスにエスコートされて、馬車に乗り込んだ。
■ユリアナ(六歳~九歳)
灰色のロングヘアー。
ゴワゴワで絡まりまくっていてゴミだらけの髪(特に表記のない限り村の人は全員)だったが、洗ったらウェーブのかかったキラキラの髪になった。
エルフだがほんのり尖った耳を隠した髪型。
本人の記憶はそのまま、日本人、真北薫の記憶を宿す。
■私
ユリアナの記憶に基づく一人称。
■オレ
薫の記憶に基づく一人称。ただし、脳内でオレといっているときも、声はユリアナのイメージで。
脳内で「オレ」とも「私」ともいわないときは、どちらで考えているか曖昧。
出来事や見たものについては、基本的に淡々と書く。
■ナタシア
ユリアナのお母さん。灰色のロングヘアー。ユリアナより十二歳くらい年上。
■マレリナ(六歳~九歳)
灰色のボブカット。
■レナード(四十歳くらい)
神父。
■アナスタシア・マシャレッリ伯爵令嬢
引取先の貴族のお嬢様。
■セルーゲイ・マシャレッリ伯爵
引取先の貴族。
■オルガ
マシャレッリ家の老メイド。
村の外の人の髪は、汚いことに変わりはないが、ゴミはついていない。
■ニコライ
マシャレッリ家の執事、兼護衛兵。
■デニス
マシャレッリ家の執事、兼御者
◆ふんふんふんふんふーん(シ♭レファレシ♭)
薫が宿る前からユリアナが口ずさんでいる鼻歌。
祝福の魔法が発動する曲。
◆ふふふふ~ん♪(ソラシド)
薫が前世で見ていたアニソンの一フレーズ。
水を出す魔法が発動する曲。
◆ふっふっふーん♪(ラド#ミ)
薫が前世で見ていたアニソンの一フレーズ。
◆ファソド
祝福の曲で、少し、小さい、弱い、のような意味のメロディ。
◆シ♭ドレファソ
祝福の曲で、食欲を満たすというような意味のメロディ。
◆レファソラシ♭
祝福の曲で、金運アップの意味のメロディ。
※以降の話ではたくさんの魔法のメロディが出てくるが、「ふんふん……♪」としか表記しない。
◆階名と音名
階名はドレミファソ。
本来なら音名はハニホヘト(CDEFG)であるが、音楽に携わらない読者には馴染みが薄いと思うのでここでは調が変わっても音名としてドレミファソと表記することにする。
◆ナトリウムブロックの薬
聞こえる音が半音上がってしまったと訴えても処方してもらえません。音が半音下がって聞こえるだけでなく、体中にブツブツができたりいろいろな副作用が出ることがあるので、遊び半分で飲まないようにしましょう。
24/6/28 挿絵を入れてみた