9.代償
レストランを出て、きらびやかな商業区をゆったり歩く。並ぶ店舗のショーウインドウを見るだけで、ラポムは楽しい気持ちになった。
今から歩いていけばエデンに着くのは三時過ぎ。ちょうどのタイミングである。
近道となる路地に入ったその時――
突然、背後から衝撃音が空を裂いてレオニードに牙を剥いた。
青年が反応するよりも早く、ラポムは杖を抜き払い魔力をこめて「何か」を切り払う。
「クソッ! なんだテメェは! 邪魔すんじゃねぇよ!」
ドスの利いた怒声が響いた。
ラポムに遅れて青年も振り返る。黒い外套の男が立っていた。
手には杖。最初の一撃は魔法(?)によるものだった。
「何者だ貴様は」
レオニードも自分の杖を手にしようとして動きが止まる。
予備の杖を作らなかったことを青年はこの時、初めて心から後悔した。
「ラポム。君は逃げてくれ。あの男の狙いは私のようだ」
「…………」
少女はぶつぶつと何かを呟いている。
腰を落として前傾姿勢。杖を手にして集中。
一瞬で少女は意識を別の領域に移した。
レオニードと決闘をした時の彼女である。
「偏向角度修正。威力の想定値をプラス200%。ニュートラルポジション。対上回転カウンターセット。対象のフォーム確認」
「ぶつぶつうるせぇんだよガキがッ! まずはテメェからぶっ殺してやる!」
黒衣の男が杖を振るい魔力を放つ。魔力球ではなく真空刃だった。
ラポムの右手が最速で動き、直線的な軌道で飛ぶ真空刃を打ち返す。
男は目を剥いた。
自分が放った殺傷力のある魔法が、弾かれるどころか返ってきたのだ。
魔力で作られた刃は右にそれて建物の壁に巨大な爪痕を残した。
こんなものを人間がくらってはひとたまりもない。
ラポムは小さく首をかしげる。
「レシーブミス。威力の想定値をさらにプラス100%。カウンター不可。逆手ブロックで対応」
少女の額から汗が流れ落ちる。
目の前の男の攻撃は、今まで受けたことがない威力だった。
防御。防御。防御。防御。
本能が警告を繰り返す。
黒衣の男は舌なめずりをした。
「ったくビビらせやがって。まぐれで防いだくらいでいい気になんなよガキが」
「…………」
ラポムは応えない。男の動きに全神経を研ぎ澄まし、集中し、反応速度を限界まで高める。
隣に立ってレオニードは前を向いたまま少女に告げる。
「あと一撃、返せるか?」
「はい。いけます」
ラポムは頷く。
レオニードは半歩下がった。下半身に力を溜める。
危険な賭だが、襲撃者の次の攻撃を少女が防ぐと同時に、青年は男に体当たりを食らわせるつもりだ。
もし、ラポムが失敗すれば二人そろって致命傷だった。
黒衣の男が吠える。
「女を残して逃げなかったことを後悔しながら死にさらせ! レオニード!」
三発目の真空刃。ラポムは一撃を逆手側で受けきった。弾くので精一杯で真空刃が地面をえぐり取る。
砂埃が舞った瞬間――
「うおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
決闘でも出さないような声を上げて、レオニードは襲撃者に肩からタックルをぶちかました。
男の体が「く」の字に曲がり倒れる。
黒衣の襲撃者の手から杖が落ちた。レオニードは馬乗りになって顔面を殴りつける。
他人に暴力を振るったことなどなかった。
だが、命を狙われたのだ。
自分よりも、ラポムが巻き込まれたことへの怒りが貴公子を戦士に変えていた。
「ひいいい! やめろ! やべでぐでぇ!」
「貴様、誰の差し金だ?」
「だ、誰でもねぇ!」
「なぜ私を狙う?」
ライオネア伯爵家は大貴族が故に敵も多い。
軍需とも密接なつながりをもち、獅子刻印は買った恨みで発展してきた側面がある。
「お、お、お前が……お前さえいなければ……俺はパピメルの契約決闘者でいられたんだ!」
「貴様、元プロ決闘者なのか!?」
男の落とした杖を見てレオニードは愕然とする。
はめられていたのは競技用の魔晶石ではなく、対人殺傷用の風の魔石だった。
王国内で流通しているものだ。
ライオネア伯爵家が財をなした「商品」でもあった。
一般には流通しておらず、本来であれば魔石には登録番号が刻まれて管理されているのだが……。
番号部分は削り取られていた。
「この魔石をどこで手に入れた!?」
「うるせえクソガキ!」
レオニードの一瞬の隙をついて、男の右手が短刀を抜いて脇腹を刺そうとする。
違法魔石に目を奪われて青年の反応が遅れた。
ラポムも先ほどから動かない。
切っ先が迫った瞬間――
「っと、何してるんですレオニード先輩?」
分厚い本が貴公子と短刀の間に割って入った。刃は本の表紙を貫通したものの、辞書ほどもあるページに阻まれてぴたりと止まる。
同時にレオニードの拳が男の顔面にめり込み、襲撃者は短刀から手を放すとぐだっと動かなくなった。
立ち上がろうとする貴公子に灰色髪の青年が手を差し伸べる。
レオニードはその手をとった。
間一髪のところで青年を助けたのは、留学生のフォンだった。
「君はたしか……」
「留学生のフォン・ロン」
「どうしてこのような場所に?」
「運命かな……っていうのは冗談。このあたりに古書店があってね。良い本が買えたんだけど、なんだかすごい音がして。気になってさ」
買ったばかりの本はレオニードの楯となり、穴が空いてしまった。
金髪を揺らして貴公子は小さく頭を下げる。
「君には命を助けられたようだ。感謝する。本も必ず、同じものを返そう」
「いいですよ別に。気にしないで。それに先輩を助けたのは僕じゃない。でしょ?」
促されてレオニードが向き直ると、地面にへたりこむラポムの姿があった。
彼女も無事だ。
安堵すると同時に、貴公子は赤毛の少女の異変に気づく。
ラポムの手にした杖は、グリップから先が折れてしまっていた。
「あははは。ぽっきりいっちゃいましたね」
まるで他人事のように少女は呟いた。
レオニードにはかける言葉が見つからない。
それでもなんとか絞り出す。
「ラポム……大丈夫か?」
「ええ。それよりもレオニードさんこそご無事ですか?」
「ああ、君とフォンのおかげでな」
「よかった。大会まで一ヶ月なんですから」
「よくはないだろう。君の杖が……」
「いいんですよ。こうしてレオニードさんを助けることができましたし、お父さんが言った通りでした。ちゃんとお守りになりました」
「だが……」
「もう魔法決闘はしないんですし、気にしないでください。この子もきっと、本望だったと思います」
折れた杖に手を添えて少女は儚げに微笑む。
フォンが思い出したように言う。
「先輩たちはこの人を見張ってて。大人、呼んで来るから」
ほどなくして路地裏に警邏の王国衛兵が押し寄せた。
襲撃者は現行犯逮捕となり、レオニードとラポム、それに通報者のフォンは最寄りの詰め所で事情聴取を受ける。
レオニードの身元がこれ以上無いほどにしっかりしたものだったのも手伝って、三人はすぐに解放されたのだった。
――後日。
取り調べで襲撃者の犯行動機が判明した。
男は元プロ決闘者だが大会で戦績が振るわず、パピメル家から支援を打ち切られてしまったという。
もともと金遣いも荒く、酒と女と博打好きで練習嫌いだったため、ピークが過ぎれば早晩引退と目されていた。
自分は悪くない。まだ学生のレオニードの用具開発をする金があるなら、もっと俺に投資しろ。
と、訴えたもののパピメル家から見捨てられ、素行不良で王国軍への士官も断られ自暴自棄。
レオニードが「エデン」に行くのに使う裏道で、いつかいつかと待ち構えていたらしい。
たとえ青年を消しても男にプロ復帰の目はない。それどころか、ロゼリアの逆鱗に触れるだけなのだが……。
問題は犯行に使われた凶器――獅子刻印の風魔石である。
男は記憶がはっきりしておらず、酒を飲んでいるときに誰かから貰ったとしか証言しない。
相手が誰なのかはわからない。
管理番号を削られた魔石の出所も辿れなかった。
謎を残したまま事件は迷宮入り。
レオニードが追えたのもそこまで。
本来であれば王都を揺るがす襲撃事件にも関わらず、捜査は打ち切られた。
万が一にも、獅子刻印の魔石が違法に流出したなどという話があってはならない。
全ては闇の中に葬られたのだ。
ライオネア家の当主――レオニードの父親の手によって。