7.貴公子、用具店でちょっぴりテンション上がる
アグリトは手元で磨いていた杖を置く。
使い込まれているが、傷んだ部分は補修され新品同様とはいかないまでも、綺麗に直されている。
ラポムが目を見開いた。
「これ、アグリトさんがお直ししたんですか?」
「ええ杖技師ですからねぇ。ものによっちゃあ替えが効かない。廃盤品でも大事に使いたいって人のお役に立つのも仕事のうちですよぉ。いっひっひ」
笑い方の癖が強い。レオニードが「脅かすような真似は止していただきたい」と注意した。
アグリトは眼鏡の縁を指でクイッとさせる。
「別に取って食おうってんじゃありませんって。で、坊ちゃんのご用件は?」
技師は直したばかりの杖をケースにしまい、受け取り待ちの棚に戻す。
レオニードが自身の杖を取り出しカウンターに置いた。
アグリトが口をすぼめる。
「ほっほ~う。相も変わらず、ずいぶんと酷使されてますなぁ。いっそ新調なさっては?」
「次の大会まで一ヶ月。新しい用具に換えて慣熟するには半端な時期でな」
「そういって何年経ちますのやら。二回戦負けしたあとに、大人用の用具にしろと言ってから、ずっと使い続けてるじゃありませんか。もうかれこれ六年。ご自身の年齢の三分の一を供に過ごした戦友なのはわかりますけどねぇ。大会で何かあった時のため、サブの杖を持つのも必要かと思いますよぉ。これは商売っ気抜きにしての忠告です」
「わかっている。それより、補修の仕事は受けてくれるんだろうな?」
「ええ。もちろんですとも。半日ほどお時間いただきます。明日にでも取りに来ていただければ……」
「午後三時には出来上がっているということだな」
「相変わらずせっかちですねぇ。おっと、魔晶石もすり減ってるじゃありませんか。張り替えサービス込みでお安くいたしますよ。石の硬度指定はいかがなさいます坊ちゃん?」
「任せる。君の調整は間違いないからな」
「腕を買っていただいてるんですねぇ。では、いつも通り、ティーゲル五式を両面に。フォア側だけ硬めで。いっひっひ。大事な杖を預からせていただきますねぇ」
杖を手渡しレオニードは安堵の表情だ。
ちょっと不気味な店主だが、よほど信頼しているのだとラポムは思う。
と、貴公子が少女に顔を向けた。
「君の杖も見てもらったらどうだ? お守り代わりにいつも持ち歩いているのだろう」
「あっ……ええと……」
「アグリトは腕だけは確かだ。それにその……私も君の杖には興味がある。頼めないだろうか?」
そこまで言われてはラポムも拒否できない。
「わ、わかりました。別に普通の杖だと思いますけど……」
ラポムも外套の内側のホルダーから杖を外してカウンターに置く。
アグリトが「では、拝見しますねぇ」と手に取った。
「176グラム程度でしょうかねぇ。重さの割にグリップが細くて短い。こりゃ子供向けですなぁ。かなり詰まった芯材……ブナか……いや待てよちょっと違う?」
「あ、あの、お父さんが言ってたんですけど、良く乾かしたリンゴの木だそうです」
「なるほどぉ。木目からしてなかなかに大きな古木から切り出した、詰まり具合の良質な木材でしょう。魔晶石は……っと、順手側にグラディア一式……逆手側はモリサワの特式ですか? 玄人向けのピーキーな組み合わせですなぁ」
「ちょっと良くわかんないです。ずっとこれが普通だったので」
「ほうほう。かなり特別な『感覚』をお持ちのようで。ふむふむ……ま、いいでしょう。並みの決闘者じゃ扱いが難しいでしょうが、防御性能も十分といったところ。魔晶石もほぼ新品ですし、目立った傷みも無し。よほど杖の使い方がお上手なのでしょう。補修する箇所もありませんので、こちらはそのままお返ししますねぇ」
杖を返却されてラポムはホッと胸をなで下ろす。
アグリトが付け加えた。
「大切に使ってくださいねぇお嬢さん。芯材が特殊なんで修理や替えが効くもんじゃあないんで」
「は、はい! だ、だだ大丈夫です。もう、使わないんで」
「おやおや? そりゃあ……ま、いいでしょう」
どうやらアグリトという男の口癖らしい。レオニードが腕組みする。
「グリップだけでも付け替えてみてはどうだ? 小指が余っているではないか?」
「だ、だだ大丈夫ですから! 本当に! 大丈夫なんです!」
「そうか。持ち手の変化一つで色々変わってしまうしな。余計なことを言った。すまない」
「あやまらないでください! 気にしてませんから!」
実はちょっぴり握りづらいとラポム自身も思っていたのだが、もう使わないのだからと言葉を呑み込んだ。
青年は続ける。
「今後は他の部員からの要請で買い物を頼むこともあるだろう。誰がどの用具や魔晶石を使っているのか説明するので、メモしておくように」
「わ、わかりました!」
アグリトも「ええ、存分に見ていってくださいねぇ。それじゃ、あたしは奥で作業してますんで、何かあれば一声どうぞ。あと他にお客さんがきたら呼んでもらえると助かります。いひひ」と、カウンター奥の工房に引っ込んでいった。
レオニードが魔晶石の棚に少女を手招きする。
「こっちだ。説明する」
「は、はい!」
ラポムはロゼリアお手製マニュアルを開く。
レオニードの講義が始まった。
記入欄に部員それぞれの用具をメモし、実際に棚に並ぶ魔晶石と照らし合わせて確認する。
「レオニードさん。なんでこんなに種類があるんですか?」
「戦型によって必要とする特性が変わるからな。結晶板の厚みでも性能が違ってくる。君はすべて父君任せのようだが……」
「こ、これからしっかり覚えます! けど、そもそもなんで杖には魔晶石が必要なんです?」
「そこから説明が必要なレベルか。頭が痛くなりそうだ」
レオニードはケースに入った魔晶石のサンプルを手にして続けた。
「まだ魔法決闘術が競技になるよりずっと前、魔法による殺し合いが行われていた」
「おっかないですね」
「魔法は戦争の道具だったからな。杖に魔力のこもった石……魔石をはめ込むことで、人間の魔力を様々な力に変換することができるようになったのだ。戦乱の中、一人の天才が杖の魔石を付け替えられるように改良したのが、現代用具の興りになる」
「そうなんだぁ。けど、わたしの杖から火の玉とか出たことありませんよ?」
「当たり前だ。競技決闘者は魔石ではなく、魔晶石を使うのだから」
「魔石? 魔晶石? なにが違うんです?」
レオニードは自身の眉間をキュッと摘まむ。
怒っても仕方なし。
というか、ラポムほどの使い手が用具にここまで疎いとは、青年には想定外だった。
「魔晶石は魔石を人工的に作り出したものだ。天然の魔石は宝石と同等の価値があるからな。現在は軍属の者にしか魔石の所持は認められていない」
「は、はぁ……」
用具のことになったとたんレオニードは饒舌だ。
少し置いてけぼりなラポムをよそに、青年は続ける。
「競技用に魔晶石は進化し、物理的な破壊力ではなく、相手の魔力に反発する力や魔力の回転を起こす性能が研究されていった。ロゼリアのパピメル家も開発に力を入れている」
「すごいんですねロゼリアさんって!」
「彼女が開発に直接携わっているわけではないが、ここ数年、パピメル家の用具は質が上がっている。おそらくロゼリアが陣頭指揮を執っているのだろう」
貴公子は柳眉を下げた。
「なんだかレオニードさん、悲しそうです」
「む……いや、その……そうだな。悲しいというよりも悲しませていることが心苦しい」
「悲しませる……ですか?」
「ロゼリアが開発に資金を投じるのも、私を勝たせるためだ。彼女はそうは言わないが、私が今使っている魔晶石は、私の戦型に合わせて作られたものだ」
「そ、そうなんですか!?」
「開発テストの協力という形だったが、いくつかあった試作品の中で私が良いと思ったものを彼女は正式な製品として採用した。私がライオネル家の……父の力を借りないと知っていて、ロゼリアは尽力してくれている」
「なのに悲しいんですか?」
「勝利でしか、ロゼリアの恩義には応えられない」
ラポムの胸がキュッと締め付けられる。
ロゼリアにお茶に誘ってもらった時、レオニードがいつも優勝を逃しているという話を聞いていた。
「大丈夫ですよ! レオニードさんは勝ちます!」
両手を軽く握って少女はふんすと鼻息も荒い。
レオニードは思う。
根拠のない励ましだ。と。しかも、直近で自分を負かした少女に言われたのだ。
だとしても――
「ありがとう。次の大会、必ず勝ってみせる」
青年は軽く咳払いを挟んだ。
「話を戻そう。ともあれ魔晶石の特性によって打球の威力も打感も様々なのだ」
「じゃあ、二種類別のをつけてもルール違反じゃないんですね」
ラポムは自分の杖を手にして確認した。順手側と逆手側で別の魔晶石がはまっている。
「別々にした方が利点もある。君の打球はフォアとバックで質が違うものだった。力を十分に発揮できるよう、君の父君が考え抜いた組み合わせなのだろう」
「お父さん……」
「私も君も決闘者として愛されているようだな」
「あぅ……こ、困ります。わたしは雑用係ですから」
良い雰囲気になった瞬間を狙ったレオニードだが、ラポムにスカされてしまった。
愛されているだなんて、口にしてしまったことが青年には恥ずかしい。
「お顔、赤いですよ?」
「な、なんでもない。気にしないでくれ。さて、一通り部員たちの用具も説明したし……杖の調整が終わるまで王都を案内しよう」
「えっ!? いいんですか?」
「あまり遠出はできないがな。行きたいところがあれば遠慮はしないでほしい。あと、どこかで昼食も摂ろう。付き合ってくれたお礼も兼ねてな」
「ご、ごご、ごちそうしてくれるんですか?」
「君さえ良ければだが」
「もももももちろんです!」
少女の頭の中がパンパンになった。
今度こそ本当にデートである。
レオニードが奥で作業するアグリトに「三時に戻る」と声を掛け、少女の元に戻ると店を出た。
カランコロンとドアベルの音に送り出される。
ラポムはちんまりと肩身を狭くしてうつむき、呟く。
「初めてなので優しくしてください」
「急にどうしたんだ?」
「い、いえなんでもないです!」
このままデートしてしまっていいんだろうか。
ロゼリアはどう思うだろう。
けど、レオニードのそばにいないと王都で迷子になって野垂れ死ぬかもしれない。
たすけて妹ちゃん。
と、ラポムが心の中で祈ると――
『お姉様。お誘いを断る方が失礼です。ここはどーんとエスコートしてもらいましょう!』
『え、エスコート!?』
『地の利はレオニード様にありますから。ああ! レオニードお義兄様と呼ぶことになるかもしれませんね♪』
『メアリストップ! メアリステイ!』
とんでもない妄想を膨らませるイマジナリー妹を少女は一旦、心の奥に封印した。
「……ポム……ラポム・ブルフォレスト? 君はたまにボーッとしたまま動かなくなるようだが?」
「は、はひ!? 問題ありません!」
上からのぞき込む心配顔の貴公子に、少女はびしっと挙手で返した。
「それで、どこに行きたい?」
「わかりません! ぜんぜんわかりません!」
「そうか。ではひとまず中央区画の王城を見に行こう」
こうしてレオニードによる観光案内が始まるのだった。