5.疲労が回復して体も柔らかくなる。そう、リンゴ酢ならね。
放課後の講堂――
魔法決闘術部の部員は二十名ほど。全員男子になる。
そんな中、ラポムは学院指定の運動着に着替えていた。大きなバスケットには実家から送られてきたリンゴが山積みだ。
ラポムの隣に制服のままのロゼリアも立つ。
部員たちがペアやグループを作ったところで、練習着姿のレオニードが少女の元へとやってくる。
ロゼリアがバッと蝶の扇を開いた。
「ごきげんようレオ様。本日からラポムさんが魔法決闘術部に正式参加いたしますわ」
「ロゼリア。もしかして君が彼女を説得してくれたのか?」
「レオ様親衛隊長としての責務を全うしたまで。存分にこき使ってさしあげて。他の部員のみなさまもどうぞよしなに」
部員一同の視線が集まり、ラポムはちょこんとお辞儀した。
「よ、よろしくお願いします!」
男子の集まりである。くせっ毛赤毛の小柄な少女だが、レオニードを倒した姿が目に焼き付いている生徒ばかり。
とはいえ。
「やべ、なんか可愛くね?」
「近くで見るとほんとちっちゃいんだな」
「実は俺さ、お嬢より好みかも」
「おいばか聞こえたらヤバいって」
と、騒ぎだした。
レオニードが小さく息を吐く。
「すまないラポム。男所帯で女性に不慣れな連中でな」
「き、気にしてません! 大丈夫です! わ、わたしも男の子に慣れてないからおあいこです!」
隣でロゼリアはやれやれ顔だ。ぴしゃんと扇を閉じて「ほらさっさと練習なさい! レオ様がいないとあなた方は何もできないのかしら?」と、野次馬部員たちに発破を掛けた。
練習が始まり、レオニードも決闘台につく。杖を片手に視線をラポムに向けた。
「準備運動代わりに、まずは軽く打とうか?」
「はい?」
「そうか。いきなり実戦に近い形式で練習した方が良かったのだな」
「なんのことです?」
「…………杖はどうした?」
「ちゃんとバスケットの中にケースに入れてしまってありますけど」
「なぜケースに入れっぱなしなのだ?」
「使いませんし。一応、お父さんの言いつけだから持ってきてるだけです」
かみ合わない二人の間にお嬢様が割って入る。
「レオ様。ラポムさんは部員としてではなく、雑用係として入部したのではなくて?」
「なん……だと? これはいったいどういうことだラポム・ブルフォレスト!?」
少女はかごの中からリンゴを三つ取り出してジャグリングしながら首をかしげた。
「どうもこうも、わたしは部員のみなさんのお手伝いに来たんですよ? お腹が空いたら故郷からどっさりとどいたリンゴを剥いてあげますし、リンゴ酢ドリンクもご用意しました」
レオニードがロゼリアの顔を見る。
ロゼリアも「????」と、状況が飲み込めていなさそうだ。
青年は一度杖を台に置く。
眉間をきゅっと摘まんで目を閉じ考えた結果――
「まさか手伝うというのは、部の運営を手伝うという意味ではないだろうな?」
「雑用ならなんでもまかせてください! タオルとか肌着のお洗濯だってしますから!」
「違うッ!! 私が君に求めているのは……」
レオニードは次の言葉を放つのをためらった。
練習パートナーになってほしいと言うことはできる。
だが、オジカコーチの話では、ラポムは魔法決闘を「したくない」のだ。
(――考えろ。レオニード・ライオネア。ラポム嬢は野生動物のようなもの。こうして近づいてきただけでも今は十分)
リンゴジャグリングをやめると、ラポムが青年の顔を下からのぞき込んだ。
少女の不安げな顔に貴公子は――
「洗濯程度では生ぬるいぞ! 部室掃除や器材管理。不足品の補充発注に部員たちのメンタルケア。もし、この部の雑用をするというのであれば、やることは山ほどあるからな」
「は、はい! なんでもこなしてみせます! 至らないところがあれば叱りつけてやってください!」
片手でリンゴを抱えてラポムは敬礼のまねごとをした。
◆
ラポムは雑用係としてそれなりに優秀だった。
男子部員たちも鼻の下を伸ばしつつ、少女がわからないことはアレコレ教えてくれる。
仕事を覚えてテキパキこなした。
休憩時間になる。おやつのリンゴ剥きも二十人分があっという間だ。
皮を一本つなぎで剥いてみせるラポムにお嬢様は驚いていた。
「あら、ずいぶん綺麗に剥きますのね。しかも向こう側から光が透けるくらい薄いですわ」
「リンゴ剥きだけは得意でしたから!」
隣でカットリンゴを口にしてレオニードは眉間に皺を寄せる。
(――君にはもっと誇るべき得意なことがあるだろうにラポム嬢)
しゃりっとした食感はほどよく、甘みと酸味のバランスがとれた良いリンゴだった。
その美味しさすら、今のレオニードには苦々しい。
ラポムは剥いた皮を皿に集めていた。
「捨ててしまえばよろしいのに」
「もったいないですよ! この皮を天日干しにするとおやつになるし、アップルパイの生地に練り込んだり紅茶の香り付けにも使えるんですから!」
「あらあら、そういうものですのね。あと、このリンゴ酢ドリンクですけれど……酸っぱすぎませんこと?」
リンゴ酢の原液を水で割っただけの代物である。
「お酢は体にいいんですよ? 美容と健康のために毎日飲んでもいいくらいです。わたしも子供の頃からこれを飲んできましたから! だからめちゃくちゃ体が柔らかいんです」
俗説である。
が、部員たちが集まってきた。
「この地獄みたいに酸っぱいドリンクを飲めば、俺もラポムさんみたいになれますか?」
「飲みます! 毎日飲みます! 欠かさず飲みます!」
「あの手首の柔らかさの秘密は、匂いを嗅いだだけで涙が出るほど酸っぱいリンゴ酢なんですね!?」
味は不評だ。というか、人間の飲み物じゃないというレベルなのに、ラポムの用意したリンゴ酢ドリンクは一滴残らず部員たちの胃に収まった。
お嬢様が扇をバッと開く。アメジストの眼差しがラポムを標的に捉えた。
「蜂蜜を入れて飲みやすくしましょう」
「え!? でも、蜂蜜は高いんじゃ……」
「割り材を水ではなく炭酸水にするのも良いかもしれませんわね」
「炭酸水なんて用意できませんよ!」
「他にも覚醒作用や薬効のある成分を入れましょう。甘くシュワッとして酸味が爽やかな、飲むだけで活力が湧くドリンク。これは受けますわ!」
「なんだか危険な感じがするんですけど」
ロゼリアはぴしゃりと扇を閉じる。
「全てわたくしにお任せあれ。ラポムさんはリンゴ酢をもっとおくってもらうよう、ご実家にお話をつけておいてくださいまし。もちろん料金はお支払いいたしますわ」
「わ、わかりました! お母さんに手紙を書きます!」
勝手に話をすすめるロゼリアにレオニードが告げる。
「君の援助には感謝している。だが……」
「これは投資ですわ」
「どういうことか、詳しく説明してもらえないだろうか?」
「レオニード様もご覧になったでしょう。ラポムさんが毎日飲んでいたというだけで、ただ酸っぱいだけの液体をみながありがたがって飲む」
「それは……確かに」
「良薬口に苦しでは、リピーターは獲得できませんわ。商品力をアップして消費者の心を鷲づかみ。そして、レオニード様が大会で優勝。この特製ドリンクを飲んでトレーニングした……と、勝利者インタビューで一言付け加えていただければ良いのです」
「私が勝つことでしか投資を回収できないようだが?」
「わたくしはレオニード様の勝利を信じます。一方で、リスクを背負うのも出資者の務めでしてよ。今は勝利に向けて邁進なさってくださいまし。煩わしい些事は、わたくしとラポムさんで片付けてしまいますから」
ラポムもうんうんと頷いた。
ロゼリアはすごい。アイディアも実行力もある。
なんだか自分みたいなのがそばにいるのは、お門違いなんじゃないかと赤毛の少女は肩身を狭くした。
それからロゼリアは「企画をまとめる」と、一足先に講堂を後にする。
が、一度戻ってラポムに小さなメモ帳を手渡した。
「あ、あの、これは?」
「わたくしもずっと練習に付き合えませんし、不在時に何かあった時の対応マニュアルを作成しておきましたの」
「あ、ありがとうございます!」
「勘違いなさらないで。すべてはレオニード様の勝利のため」
「はい! わたしもお手伝いがんばりますね!」
広げた扇を振って「ではごきげんよう」と、お嬢様は颯爽と去る。
ラポムにはその背中がとてもかっこよいものに見えたのだった。
◆
学院には門限がある。
夜七時までが限界だ。その練習時間でさえもレオニードは自分のトレーニングを満足にこなせず、後輩たちに稽古をつけるばかり。
練習が終わり、ラポムは率先して決闘台を倉庫に片付け、床にモップをかけた。
部員たちも手伝うというが――
「みなさん先に帰ってご飯を食べて、ゆっくりしっかり休息をとってください! あとはわたし一人でできるので! おつかれさまでした!」
部員たちがそれぞれ「よろしく」「ありがとう」「お先に!」と声を掛けて講堂を出る中――
「本当に一人でまかせても大丈夫なのか?」
「はい! 困った時にはロゼリアさんが作ってくれた雑用マニュアルがありますから!」
先ほど渡されたメモには、まだざっとしか目を通していなかった。が、問題発生から解決までのフローチャートが組まれており、イラストに図解入りでとても手作りとは思えない完成度である。
貴公子は眉尻を下げた。
「そうか。では、消灯まで頼む。施錠はこのあと、学院の職員がするので作業が終わり次第、君も帰るといい」
「はい! 今日の練習お疲れさまでした!」
ラポムは深々と頭を下げた。
少女と別れて寮に向かいつつ、レオニードは思う。
(――それほどまでに献身的にしてくれるのなら、練習に参加してほしいのだが……いや、彼女にも事情がある。こちらから無理強いはできない)
青年の背中を見送ると、ラポムは講堂の灯りを消して回った。
少し遅れて外に出る。
すると――
「やあ、また会ったね」
魔力灯の下から灰色髪の青年が姿を現した。
「フォンさん? え? また偶然なんですか?」
「運命だよ……っていうのは冗談。講堂の灯りが消えたのが見えてね。誰かいるのかなと思って」
「こんな時間までフォンさんはどこにいたんですか?」
「図書室だよ。さっき下校時刻だからって追い出されちゃってさ」
青年の腕には三冊の本が抱えられていた。
困ったように笑う。
「図書室だけは二十四時間、開けておいてくれてもいいのに。あそこに住みたいとさえ思うよ」
「本当に読書が好きなんですね」
「親の期待には応えられてないけど、たくさんの本に囲まれて……留学して良かった。ラポムさんはなんで講堂に?」
「はい! このたび魔法決闘術部の雑用係を拝命しました! ここの活動のお手伝いなんです!」
フォンは赤い瞳を丸くした。
「驚いたね。僕は決闘のことはよくわからないんだけど、みんな君をすごいすごいと言ってるし、実際にこの学院で一番強いレオニード先輩を倒したのに。雑用なんてもったいない」
「一回だけ、たまたま勝てただけでみんな大げさなんですよ」
「仕事は楽しい?」
「やりがいがあります。部員のみなさんもいい人ばかりだし、ロゼリアさんも何も知らないわたしに色々と教えてくれて、だから恵まれてるって思います!」
「そっか。君が満足なら、きっといいことなんだね」
青年は魔力灯を見上げて目を細めた。
「この国はすごいね。夜さえ昼に変えてしまう。けど、いくら大きな月明かりが出ていても暗闇のすべてを照らすことはできないんだ」
ラポムの背筋がビクンとなった。
(――謎ポエムッ!? やっぱりフォンさんって変な人かも!!)
青年は続けた。
「昼間だって同じさ。王都には太陽の日差しが届かない暗い道がある。そういったところへは、あまり独りで出歩かないでね。君を見てると……心配になるんだ」
「す、すみません! 妹にもよく言われてます! ちょっと目を離すとお姉様はやらかす! って」
「それじゃあね。リンゴちゃん」
「り、リンゴちゃん?」
特に説明するでもなく、フォンは去った。
(――やっぱり変人だああああ。悪い人じゃないんだけど、ちょっと……苦手かも)
ひとりぼっちになる。
夜の学校は静かすぎて不気味だ。
(――は、早く帰らなきゃ!)
少女はそそくさと寮に戻るのだった。