31.涙
5ゲーム目開始からすぐのことである。
ヘリオスの打球が完璧なカウンターとなって、ラポムの右腕ごと吹き飛ばした。
杖が床に落ちる。
衝撃で小さな体は枯れ枝のように折れて、少女は倒れるとそのままうずくまった。
ラポムは右手に触れてみる。
激痛が走った。
指が動かない。
杖を握ることさえできない。
レオニードが少女の元に歩み寄り膝を着く。
苦悶の顔に青年自身も苦しくなった。
ラポムは青年を心配させまいと、無理矢理笑おうとする。
「らい……じょぶ……れす」
「大丈夫なわけあるか……すまない……本当に……」
「わたしが……やるって……決めたんですから」
青年は後悔する。
もっと自分が強く止めていれば、こんな事態にはならなかった。
ざわつく会場。
レオニードは良く通る声で要請する。
「救護班を頼む! 早くッ!!」
審判がメディカルチェックのために試合を止める。
オジカもベンチから飛び出した。
台の対岸。双子の弟の顔に、かすかな怒気が混ざる。滅多に感情をあらわにしないムーナンらしからぬ異常事態だ。
「……兄さん。やり過ぎじゃないかい?」
「だから棄権しろって言ったじゃんよ」
ヘリオスは台に背を向ける。ラポムに駆け寄り心配する権利はない。自分が壊した相手なのだから。
これまでどれだけ雑魚が折れようが死のうが壊れようが、ヘリオスには関係なかった。
なのに見ていられない。
ラポムを傷つけ、いたぶり、トドメを刺したのはヘリオス自身だ。
こんなにも嫌な気持ちになることが、最強の矛にとっては異常事態である。
赤毛の少女は左手で台にしがみつく。
担架が来る前になんとか立ち上がった。
肩で息をするラポム。右の手首が腫れ上がって赤くなる。
「レオニードさん。オジカコーチ。まだ、やれます」
オジカが首を左右に振った。
「そんな右手でどうする? 手首や膝みたいな関節の怪我はまずいんだ。最悪、決闘者としての寿命を根こそぎ奪われちまうかもしれん」
自身が利き手の手首を故障し、杖を振れるようになった。一旦は感覚を取り戻すも完治には至らず、それでもツアーで無理をして怪我が再発。
今やコーチとしてレオニードの練習相手すらできなくなったオジカには、ラポムの怪我は自分のことのようだった。
「いいか嬢ちゃん。この試合の大切さはレオニードも俺もわかってる。けどな、無茶してお前さん自身の一生をダメにしちまうのは違うだろ?」
「けど、レオニードさんの未来は今、この戦いに……かかってるんです」
レオニードは少女の体を支えるように抱き止めた。優しく包むように。
青年の鼓動や体温を感じてラポムは一瞬、右手の痛みを忘れる。
貴公子は言う。
「私のことはもういい」
「ここまでいっしょにがんばってきたじゃないですか?」
少女の言葉は今にも消えかけたろうそくの火のようだ。
「君の戦いをみんな待っている。だが、今日じゃなくてもいい。君の才能は今や、みなが知るところだ。次がある。だから……」
「ここでわたしが諦めたらレオニードさんと、もう、こうして一緒に台に立てなくなるんです! そんなの……いやです! やっとわたしも巡り会えたのに……」
少女は涙をぽろぽろ落とす。
ようやくラポムも出会ったのだ。
自分と一緒に魔法決闘をしてくれる人に。
ずっと独りきりだった。
孤独だった。
同世代の子たちとも遊んでもらえなくて、たった一度だけ出た王都のオープン戦でも、対戦相手をみんな泣かせてしまった。
優勝しても悲しいだけだ。
自分が頑張るほど、みんなが不幸になっていく。
それがラポムには辛かった。
人を遠ざけた。家族とだけいるようにした。ぼっちのコミュ障になったのも、魔法決闘をしないのも、誰にも泣いてほしくないから。
ラポムはずっと、自分が悪者なんじゃないかと思ってきた。
最大の事件は王都のオープン戦のあと――
ブルフォレスト領に戻った少女は、父親に魔法決闘を挑まれた。
ずっとラポムと遊んでくれていた父が、そのときは鬼のようだった。
強かった。当たり前だけど、元々はプロの決闘者として世界と戦ってきたのだから。
本気で父親はラポムを倒しにかかる。
引退していても、幼いラポムよりずっとずっと強い……はずだった。
だが――
ラポムはそんな本気の父親を倒してしまったのだ。
大好きなお父さんを泣かせてしまった。
魔法決闘は誰かを傷つける。
本気はダメ。本気になったらいけない。楽しくないのはよくないから。
それからというもの、ラポムは右手で杖を振ることになった。
本来の利き手ではない、右手で。
大きいものの代名詞だった父親の背中が、とても小さく見えた日を境に。
そうしないと「遊ぼう」と誘ってくれる父親を超えてしまうから。
左手を使うとみんなが不幸になる。
怖がられる。嫌がられる。
泣かれてしまう。
だけど――
(――お父さん。ごめんなさい。みんなを幸せにするんです。だから今日だけは、今だけは……お父さんを悲しませるかもしれないけど……)
少女は顔を上げるとレオニードに言う。
「レオニードさんに嫌われたくなくて、ずっと嘘ついてました」
「嘘……だって?」
青年から離れると少女は落とした杖を左手で拾う。
「本当は左利きなんです」
「だ、だが君は普段の生活もずっと右利きだったではないか?」
「お母さんが厳しくて直してくれたんです。けど、まだ左手の感覚は残ってます。戦えます。黙っててごめんなさい」
「謝ることなんてないだろう。驚きはしたが……」
「で、でも、ムーナンさんと戦うための特訓の時に、わたしが左手で練習してたら……違った結果になっていたかもしれません」
きっとレオニードは準決勝でムーナンを撃破していた。
と、思うほどにラポムの左手は傲慢だった。
青年はフッと力が抜けたように笑う。
「君が左利きだろうと嫌ったりしないさ」
それにムーナンを倒せても、自分一人ではヘリオスにかなわないと青年は思う。
ラポムは焦って早口だ。
「けどけど、苦手っていうか嫌いかもって言ったじゃないですか!」
「それはそれ、これはこれだ。まったく、君は額面通りに受け取りすぎるところがあるぞ」
「ぼっち舐めないでください。コミュニケーション苦手で言葉の裏とか、ぜんぜんまったくわかんないんですから」
「開き直ってしまうあたり、君らしいな。そういうところも……嫌いじゃない」
「それってつまり、す、好きってことですか?」
「ああ、そうだとも。人間として尊敬している」
「んもおおおおおおおお」
「牛かな?」
「なんでもないです」
言い合いをしているのにお互いどこかリラックスムードだ。台の向こうから見物していたムーナンは思う。
急にいちゃつき出した。わけがわからない……と。
審判が試合続行可能かを、両校のコーチに確認する。
が、決定付けたのはラポムだった。
「わたしを止めたいと思うなら……」
少女は台に背を向けたヘリオスを名指しした。
「ヘリオスさん。わたしに……わたしたちに勝ったつもりでいるなんて百年早いですよ! 勝利宣言はこの左手を攻略してからにしてくらさい!」
最後にちょっと噛み気味になって、少女は恥ずかしそうに笑う。
最強の矛がくるんとターンした。とびきりの笑顔だ。
「マジかよ。もう一回遊べるってか? よっしゃやろうぜ! 遠慮しねぇかんな! 左のラポちゃんもぶっ飛ばす!」
ヘリオスはあっさりとラポムの左利きを受け入れた。なにせ彼女はグラーヴェ学園にかち込み試合にやってきた時、弟ムーナンから奪った最後の1点を、杖を持ち替えた左手で決めたのだから。
両方使えてもなにもおかしくない。
一方、弟ムーナンはじっとラポムを見つめてポツリ。
「……そこまで同じだったんだ」
守備型。カウンターやブロック重視。左利き。
魔力値は2400のムーナンに対して、たったの5しかない。
なのに自分よりも強い少女に、鉄壁の心音はちょっぴり大きくなった。
誰かのことを考えて胸がドキドキするのは、兄を心配した時くらいだ。
救護班がラポムの右手に応急処置を施し、ベンチ脇に待機する。
審判も台に戻った。
全てを仕切り直し、試合の再開が場内にアナウンスされると客席は沸騰した。
◆
教会前の投影版の最前列にかぶりつき、ラポムの父親は娘のメアリに言う。
「いいかいメアリ。ここからのお姉ちゃんをしっかりと見ておくんだよ」
「はい! もちろんこの目にしかと勇姿を焼き付けます。それにしてもお父様とっても、とってもとってもとーっても嬉しそう。あれ? 泣いてるの?」
「ああ……ああ……感無量だ。あの子を王都に送り出して本当によかった。いい人たちと巡り会えて、本当に……本当に……」
ラポムは父親を倒した時に、その涙の理由を誤解していた。
負けて悔しかったのではない。
父は娘の持つ天賦の才が開花したことに、喜びで打ち震えて涙したのだ。
ただ、幼いラポムには涙は全部悔しい時に流すものだという認識しかなかった。
今の赤毛の少女ならきっと、理解できる。
優しい涙も喜びの涙も、この世界にあると知ったのだから。




