3.強さの秘密を知りたくて (レオニード視点)
魔法決闘術部の活動場所は講堂だった。
放課後から夜までの練習を終えて、部員たちが帰ったあと――
レオニードは独り残っていた。
今日の練習は張り詰めたムードで最悪だった。適度な緊張感は持つべきだが、過剰すぎては身が入らない。
すべて自分の敗北の責任だ。と、主将は思う。
「よぉ青少年。辛気くさい顔してんなぁ」
講堂の入り口で、ぼさっとした黒髪の男がレオニードに手を振る。
「オジカ先生……」
「二人きりだからって呼び名を戻すんじゃねぇよ。三年前に家庭教師の契約は終わってんだろうが」
家庭教師といっても勉学ではない。オジカは現役引退後、決闘術のプロコーチとしてライオネア家に呼ばれたのだ。
パピメル家からの紹介だった。
先生呼びはその時からだ。言い出したのはレオニードの方からだった。
戦型が似ていることもあり、オジカの指導でレオ少年はめきめきとその実力を伸ばしていったのだが……。
結局、彼が指導した間もレオニードが表彰台の一番上に乗ることはなかった。
表向きは契約満了。実質クビである。
「私にとって先生は先生ですから。というか、呼び名にこだわっているのは先生の方ですよ?」
「学院にゃちゃんとした教師がいるんだから、困るんだって」
オジカは苦笑いだ。
「そうですか。わかりましたコーチ。ところで、職場放棄して練習も見ずにどこに行っていたんですか?」
「悪い悪い。ちょっと上からの呼び出しでな。ま、お前さんが心配するようなことはなんもないって。大人に任せておけ」
「わざとらしく気になる言い方をするのはやめていただきたい」
「うっせーよ。それより久しぶりに軽く合わせてみるか?」
オジカが外套の裏から杖を抜く。
「かまいませんが……手首の方は?」
「遠慮すんな。かかってこい」
二人は決闘台を挟むとラリーを始めた。オジカは順手側から杖を振り、受けるレオニードは逆手で返す。
「相変わらずフォアは使い物にならんか?」
「今日の一件で感覚が消し飛びました……なら、バックハンドを磨くまでですッ!!」
逆手から放たれた重い打球に、受けたオジカは押し切られた。制御不能になった魔力球がコートの外にこぼれて独楽のように回転しながら、フッと空気に溶けて消える。
オジカは苦笑いだ。
「やっぱもう俺じゃ練習パートナーも務まらんな。いや、まいったねぇこりゃ」
「コーチ……」
「悲しい目をすんなよ。雨の日に捨てられた子犬か?」
「い、いえ……そのようなつもりでは」
「しかしまぁ、お前さんにゃ苦労かけるよ。自分の練習じゃなく後輩の指導をさせちまってるしな」
「…………」
「意地張らずに練習相手のプロを雇ったらどうだ? パピメルんとこのお嬢様に頼めば、苦手な左利きの決闘者も見つかるだろ?」
「ロゼリア嬢なら出来るでしょうが、それでは……」
「勝つだけなら学院の決闘術部に所属してる必要もない」
「コーチが言って良いことではありません」
「いいや言わせろ。ライオネア家ならタウンハウスもデカいからな。お前さんの専用練習場くらい用意できんだろ」
「父にこれ以上頭を下げれば、額が地面についてしまいます」
「恵まれてるくせにわがまますぎんだよ」
「わかっています」
「この頑固者め」
オジカはぼさぼさの黒髪を掻いた。まいったなという顔だ。
「ここもかつては名門だったのに、今じゃ万年グラーヴェ学園の後塵を拝してる。こんな環境でお前さんに腐ってほしくねぇんだ」
「変えて見せます。今年が最後。もう、後がありませんから」
金髪の貴公子は手元に魔力球を生み出した。オジカのコートに放つ。
リズムを刻む二人の軽打が講堂に響いた。
「双子のどっちかくらいは倒せそうか? お前の親父さんとの約束じゃ、一人に勝てたらいいんだろ?」
「二人まとめて倒してみせますとも」
万年三位。レオニードには同世代に、勝てない相手が二人いる。
ヘリオス・ジェミナスとムーナン・ジェミナス。双子は外見こそ瓜二つだが、その戦型は180度違う。
右の猛攻ヘリオス。左の鉄壁ムーナン。
最強の矛と最強の楯。常に王都の大会で表彰台の上二つを独占する双生児だ。
「このままじゃどっちにも勝てんだろ」
「…………」
「双子ってのはずるいよな。練習パートナーに困るってことがねぇ。おまけに右と左でダブルスじゃ呼吸もぴったりと来る。一日ごとに差は開くばっかだな」
「何を仰りたいんですか? 単刀直入に願います」
オジカはラリーを止めると杖を決闘台の上に置く。かばうように右手首をさすって真剣な顔になった。
「お前、去年より弱くなってんだよ。後輩相手に抜いて打つようになったし。俺の怪我に遠慮して威力を抑えてんだろ? 以前のお前さんなら杖ごと吹っ飛ばしてたはずだ」
「それは……」
レオニードはうつむく。
オジカは上着のポケットから紙煙草を取り出すと火をつけた。
「講堂は禁煙ですコーチ」
「いいじゃねぇか一服くらい。ちゃんと携帯灰皿だって持ってんだし。ぷはー。今日はいつもより毒煙が肺に染みやがる」
紫煙を揺らして男はニヤリ。
沈黙を挟んでオジカは訊く。
「なんでお前さんが魔力値5の嬢ちゃんに負けたかわかるか?」
「抜いて打ったつもりはありません。2ゲーム目からは本気で倒しにいきました」
「久しぶりにお前さんらしさが出てたぜ。ま、チキったフォアは全部カウンターされてたけどな」
臆病な鶏呼ばわりされても、レオニードは頷くしかない。
今日の決闘。重要な場面での失点はカウンターによるものだ。
一般人目線では攻め続けるレオニードが優勢に見えるのだが、終わってみればラポムが勝っていた。
キツネにつままれた……というかタヌキに化かされたといった感じだ。
「彼女は……ラポム・ブルフォレストとは何者なのですか?」
「俺の先輩で師匠みたいな人の娘さんだ。おっと、約束でな。名前は出せん。婿入りして名字も変わった後だ」
「コーチの師匠ということは、元プロ決闘術者なんですね」
「ったく、詮索すんなよ。けど、まあそういうこった。ラポムはプロだった父親と毎日打ち合ってたからな。それこそ三百六十五日。時間の許す限り」
「いかに特別な指導環境下とはいえ、彼女の魔力値は5なのですよね?」
「ああ。普通じゃありえん」
「ではなぜ? あの強さに説明がつきません」
「つまりよぉ、あの嬢ちゃんは普通じゃねぇんだ。生まれ持った魔力値が一般人並みだったからこそ、相手の力を利用することに特化した技術を磨き続けた」
「プロだった父親を相手に……ですか」
「その通り。俺はお前さん……レオニード・ライオネアには決闘者の才能があると思う。が、ラポムは別のベクトルの天才なんだ」
煙草の半分ほどを残してオジカは携帯灰皿にもみ消す。
「なあレオニード。魔法決闘術がなんで生まれたか知ってるか?」
「かつてあった戦乱の時代……絶大な魔力値を誇る悪の魔法使いたちが、その欲望の赴くままに暴れ回った。魔力値で劣る普通の魔法使いたちは、対抗すべく魔力制御の訓練を行い、技術によって自分たちよりも高い魔力値を持つ、悪の魔法使いたちの力を利用して戦う術を編み出した……」
気づいてレオニードはそれ以上続けない。
「そうだ。柔よく剛を制す。魔法決闘というルールの中で、極限まで磨かれた技術は魔力値の差を超えることがある。ラポムが対戦相手の魔力を利用する限り、その力は相手よりもほんのわずかに上回る。魔力値2000のお前さんと戦えば、アレは試合のある局面において、限定的な状況下という条件はつくが……実質魔力値は2005になる」
力が劣ることで輝く才能があることを、レオニードはこの時初めて理解した。
「彼女が……ラポム嬢が天才なら、もっと早くにその名を耳にしていたはず。女性の魔法決闘者はただでさえ珍しいのに、目立たぬはずがありません」
「大会に出たのは昔に一度きりらしい。以来、なんやかんやあって親父さんとしか練習してないみたいでな。まあ、詳しい事情は俺にもわからんが、あの通り決闘はしたくないそうだ。誰かさんのおかげで余計にガードが堅くなっちまった」
彼女が決闘を遊びと言ったから。と、反論したくなったレオニードだが、グッと言葉を呑み込んだ。
言い訳にしかならない。
「では、どうして決闘者として無名の彼女が学院に?」
「俺が呼んだ」
「まさか推薦入学の推薦人というのは……」
「おっと、嬢ちゃんには秘密にしておいてくれよ。びびりだからプレッシャーに感じちまうだろうし。匿名の誰かって方が緊張せんだろ」
「しかしコーチ一人の権限で推薦入学者を出すなど無理ではありませんか?」
「無理したんだよ。この首をかけた。一年で成果が出せなきゃコーチもクビだ。手首をやっちまったし再就職のめども立たんがな。はっはっはっは!」
オジカは自分の首元を手刀でスパッとやるような素振りを見せる。
「賢明な判断とは思えません」
「今年、双子のどっちかに勝てなきゃ生涯二度と魔法決闘はしないって、親に約束しちまった困った教え子がいるんだよ」
「私のために……すべてを賭けたというのですか!?」
「言ったろうが。俺はレオニードという決闘者が天才だと思ってる。ここで終わるような人間じゃねぇし、終わらせちゃなんねぇ。それに分の悪い賭けじゃないからな」
「コーチ……」
期待をかけてくれることにうれしさを感じつつも、オジカの進退を賭けた覚悟にレオニードの胃は重くなった。
「勝つための秘密兵器がラポムだ。お前さんの攻撃を受けきれるってのは今日、証明された」
「彼女を練習パートナーにしろ……と?」
「もう少し穏便に紹介するつもりだったんだが、初日に決闘しちまうとは思わないだろ。ま、面白くていいけどよ」
「段取りがあったなら事前に相談してください!」
「お前さんのことだから、どんな出会い方でも『力を証明してみせろ』って、決闘ふっかけてただろ。遅かれ早かれってやつさ」
「否定は……しません」
実力もわからない、しかも女性の決闘者を練習パートナーにすると突然言われたら、自分がどういった反応をするのかレオニード自身にも予測が付いた。
オジカが息を吐く。
「ま、今の状況はなるべくしてなったんだ。で、お前さんにお願い、いや提案? じゃない。コーチとして命じる」
「なんでしょうか」
「ラポムと仲直りして魔法決闘術部に入部させろ。すべてはそっからだ」
「グッ……それは……」
「お前さんがまいた種だろ? それにもっと知りたくないか? ラポムの戦い方を」
こちらから頭を下げるのは屈辱的だが、レオニードの決闘者としての好奇心は、ラポムに興味津々だった。
彼女の戦型も使用する杖や魔晶石も知らない。
あのカウンター技術を得られれば……。
「わかり……ました。善処しますコーチ」
オジカはニヤリと笑うと2本目の煙草に火をつけた。