40.その部屋に居たのは
学院の同級生であるエヴァとのお茶会の日。
少し色の薄い青空が広がっているけれど、天気のいい日は寒さが厳しい。陽射しは眩いくらいなのに、気温が上がらないのもこの季節特有のものだ。
わたしはヘレンのメゾンで作って貰った、明るいオレンジ色のデイドレスを着ていた。
明るい色は纏うだけで気持ちも上向くようだった。襟元を結ぶ大きなリボンも同じオレンジ色で、真ん中には真珠で花を形どったブローチが飾られている。
両サイドを編みこんだ髪は、結い上げても艶めいているのが分かる。これは毎晩ミラがお手入れをしてくれているおかげなのだけど。
馬車でオールセン伯爵家に向かう。
もちろんミラも一緒についてきてくれているし、わたしの手首にはルーファスがくれたブレスレットが輝いている。だから何も怖い事なんてないし……そもそも同級生と親交を深める為の場所だもの。心配するような事なんて何もないだろう。
伯爵家のエントランスでは、エヴァが出迎えてくれた。
わたしよりも背が高いエヴァは豊かな栗毛を結い上げていて、その髪型も素敵だと思った。イヤリングに使われているエメラルドと同じ緑色の瞳が、わたしを見て細められた。
「久し振りね、サフィア。来てくれて嬉しいわ」
「お招きありがとう。学院を卒業して以来だから、四年ぶりかしら」
「もうそんなに経つのね。学院で学んでいた日々はつい先日の事だったみたいに、今でも思い出せるのに」
「楽しかったわね。素敵な思い出がたくさんあるわ。今日はゆっくりお喋り出来たら嬉しいわね」
「……ええ」
にっこりと微笑んだエヴァが、「こちらへどうぞ」と案内してくれる。
着ていたコートをミラに預けたわたしは、エヴァについて歩きはじめた。
「あなたとルーファス様が結婚したって聞いて、驚いたわ。仲が良いのは知っていたけれど」
「そうよね。学院時代のわたしも、そんな未来があるなんて言われても信じられなかったと思うもの」
そんな話をしながら廊下を歩く。邸内は静かで、廊下の窓から差し込む陽射しがわたし達の影を伸ばしていた。
エヴァの歩調がゆっくりになって、ひとつの扉の前でその足が止まってしまった。
ここが目的地なのだろうと思ったのだけど、ドアノブに手を掛けたままエヴァは固まってしまったかのように動かない。
「……サフィア、ごめんなさい」
「何が……?」
急な謝罪に、鳥肌が立った。
思わずブレスレットを覆うように左手首を右手で掴んでしまう。
エヴァは何を謝っているのか。
開けられないその扉の向こうに、何があるというのか。
『君の元婚約者はまだ帰国していないらしい』
ルーファスの言葉が頭をよぎる。
まさか──
わたしがエヴァに次の言葉を掛けるよりも早く、彼女はドアを開けてしまった。
その扉の先は応接室だった。
足を踏み出せないわたしの背をエヴァが押す。自分の吐く息がやけに大きく響いていた。
ソファーに座って紅茶を飲んでいた人が立ち上がる。嬉しそうな笑みを浮かべて。
「……どうしてあなたがここにいるの」
応接室に居たのは、ロータル・ガイスラー。わたしの、元婚約者だった。
「オールセン伯爵とは伝手があってね、今日は夫人に頼んで君に会う為の席を設けて貰ったんだ」
「そう。……エヴァ、あなたと親交を深められるかと思ったのは間違いだったようね。わたしは失礼させて貰うわ」
そう口にすると、後ろに控えていたミラがわたしとエヴァの間に入り込む。
胸がもやもやして、気持ちが悪い。吐き気を逃す為に、深い息を吐いた。
「サフィア、ごめんなさい。でもお願いだからロータル様とお話をしてほしいの」
「わたしに話す事はないわ」
「……オールセン伯爵家と、ガイスラー伯爵家の間で提携している事業があるの。この事業が躓くわけにいかないのよ」
エヴァがわたしの腕を強く掴む。必死な様子にその腕を振りほどく事も出来なかった。
オールセン伯爵家とガイスラー伯爵家の事業はわたしに関係ない。そう言いたかったのに……エヴァの顔色が悪くなっているのに気づいたら、それを口にする事は出来なかった。
ミラが、わたしの腕を掴むエヴァの手を離させる。
わたしは左手首に右手で触れて、ほんの僅かばかりの魔力を魔石に流した。一瞬だけ赤い魔石が色を深めた気がするけれど、それだけだった。
魔導具は確かに起動しているのが分かる。でもこの場の誰も気付く事はないだろう。
何があっても、ルーファスに繋がっている。そう思うと少し落ち着きを取り戻す事が出来た。
「……わたしの侍女もこの部屋に同席させるわ。それが条件よ」
「ありがとう……!」
ほっとしたようにエヴァが息をつく。
ミラに目を向けると大きく頷いてくれるから、その力強さにまた安堵してしまった。
「そろそろ座ったらどうだい? ゆっくり話そう」
わたし達のやり取りを気にした様子もなく、ロータルはにこにこと微笑んでいる。
それが何だか不気味だったけれど、促されるままに対面するソファーへと腰を下ろした。わたしの後ろにはミラが立って警戒をしてくれている。
わたしが座るのを見てから、ロータルもまたソファーへ腰を下ろした。
オールセン家のメイドがお茶を準備してくれるけれど、それはわたしの前にしか置かれなかった。エヴァは同席しないらしい。
「お話が終わったら、そのベルを鳴らして頂戴。……ロータル様、くれぐれも無理強いする事はないよう、お願い致します」
「分かっているさ」
エヴァは小さな声で「ごめんなさい」と呟いて、メイドと共に去ってしまった。
扉は薄く開かれているけれど、この部屋にはわたし達三人だけ。ミラが居てくれるけれど、それでも少し恐ろしい。
「さて……会えて嬉しいよ、サフィア」
「そうですか。ガイスラー様、わたくしはもう結婚した身であります故、ベルネージュ侯爵夫人とお呼びください」
「俺達は幼馴染なんだ。ここは私的な場だ、昔のように崩して話したって構わないだろう」
「いいえ。わたくしがそれを厭うているのです。それで、わたくしに何の御用ですか。わざわざオールセン伯爵夫人に、こんな席を頼む程に大切な用があるのでしょうか」
わたしの様子に肩を竦めたロータルはまた紅茶のカップを手に持った。その仕草に、最後にわたしの実家で彼と会った時の事を思い出してしまう。不機嫌そうで眉をしかめた、あの姿を。
「うん。まぁ……なんだ、綺麗になったな」
「……はぁ」
「いや、君は昔からずっと綺麗だったんだけど。ずっと一緒にいたから、君がどんなに美しくて優しくて、俺の事を想ってくれていたのかを忘れてしまっていたみたいだ」
ずっと一緒にはいなかったのだけど。
隣国で暮らしているという事を念頭においても、彼との時間は少なすぎた。婚約解消を告げられたあの日だって、三か月ぶりに会ったというのに。
内心でそんな事を考えて、カップから立ち上る湯気を見つめていた。
指先で、赤い魔石をなぞりながら。
明日2月4日の更新は、小説家になろうのメンテナンス終了後になります。
メンテナンス終了時間は夜7時頃を予定されています。どうぞ宜しくお願い致します。




