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ゆめきっぷ  作者: うわの空
一枚目
3/18

2

 


 二人を乗せたゴンドラが、ゆっくりと上昇し始めた。

 俺と彼女は対面する形で座っている。初対面でいきなり隣に座る勇気はおれにはなかった。かといって対面でも気軽に話しかけられるわけじゃない。学校では男友達とばかりつるんできたから、女子と何を話せばいいかわからない。

 ましてやこんな、嘘みたいなシチュエーションで。


「……名前」


 彼女が先に声を発した。


「聞いてもいい?」

「あ……っと。さかき……。榊、翔真」


 自分でも情けないくらい、ふにゃふにゃとした声が出た。

 彼女は口に手を当て、「さかきしょうまくん……」と繰り返した。自分の知り合いにそんな名前いたっけ? といった挙動だ。

 けれど多分、残念ながらというかおれたちは初対面だ。

 だって俺は、彼女のことをまったく知らない。


「――ってごめんね! わたしの名前教えてないのに、先に聞いちゃって」

「え、いや……」

「わたしは小春。松宮小春」


 ……やっぱり知らない名前だ。小春という名前はもちろん、松宮という苗字にも聞き覚えがない。

 本当に、どうなってるんだ。

 それは彼女も同じ気持ちだったらしく、さっきと似たような質問をぶつけてきた。


「それで翔真くんは、どうやってここにきたの?」

「ここって……東京さくら園のこと?」


 俺の言葉に、彼女――小春は変な顔をした。目が点になってるし、口も半開きだ。ていうか、なんかちょっと笑ってないか。おれは何か変なことを言ったのか?


「えーっとまあ、そうだといえばそうなんだけど……」


 小春はゴンドラの外に目を向けた。おれもつられて目をやる。そしてその異変に気付いた。

 遊園地の外は霧に覆われたみたいに真っ白で、何もない。おれたちがいる「東京さくら園」だけが、霧の中にぽつんと存在しているのだ。


「夢の中なんだよね、ここ。実在しない場所というか」


 おそらくはとても大事なことを、小春はどこまでもさらっと言った。

 俺はおろおろしているのを悟られたくなくて、ハーフパンツの裾をぎゅっと握りしめる。


「……さっきも夢だとか言ってたよね、それ。どういうこと?」

「うーんと。いろいろと説明が難しいんだけど……」


 小春は小首をひねって少し考えてから、


「翔真くんは、明晰夢って知ってる?」

「めいせきむ?」

「そうだなあ……。翔真くんは眠っている時――夢を見ている時にさ、『これは夢じゃないか』って自覚したことない?」


 おれは首を振った。夢の中のおれはいつだって必死で、見ているものをすべて現実だと思い込んでいる。それがたとえ、どんなにおかしな状況だったとしてもだ。

 小春はゴンドラの外に目をやり、続けた。


「明晰夢っていうのはね、『これは夢だ』って自覚できること。そして……自分の好きなように夢の中を作り変えることまでできるんだ」

「作り変える?」

「ええと、じゃあわかりやすくするね。今からこの観覧車は止まります」


 小春の言葉と同時に、ゴンドラがガタンと大きな音を立てて止まった。おれはびっくりして、バーにつかまる。


「大丈夫だよ、落ちたりしないから。……で、さっきよりも早く動かすね」


 ぐおおおん、と聞いたことのない大きな音を立てて、観覧車が動き始めた。いや、これは観覧車じゃない。ちょっとしたジェットコースターだ。移動スピードが速すぎて、胃が持ち上がるような変な感覚がする。


「うおわあああああああああ!」

「……ごめん。そんなに怖がると思ってなかった。ほんとにごめんね」


 心底申し訳なさそうな顔をして、小春はゴンドラを止めた。ちょうど頂上だ。


「この遊園地で一番高い景色、見放題」


「ほんとにごめんね」と小春はもう一度繰り返した。おれはなんだか悔しくなって、言い訳をする。


「いや、おれ、ジェットコースターとか好きだよ? 絶叫マシンはほんとに得意なんだ。お化け屋敷なんかよりも全然怖くないし。でもさ、ゴンドラが急スピードで回るのに慣れてないからそのせいで……」


 いつまでも一人でぶつぶつと言っていると、小春がついに噴き出した。


「ほんとにごめんって」

「いやいいよ、怒ってないし、怖くないし」


 俺はごほんと咳ばらいをして、続けた。


「でも、今のでちょっとわかったよ。小春はこの観覧車を自由自在に動かせる――自分の夢の中だから、好き放題できるってことだよな」

「うん、そういうこと」


 ゴンドラの外に目を向けた小春は、人差し指をたてて、スマホ画面をスワイプするみたいにすっと動かした。途端、遊園地周りの霧がはれて、花畑が現れる。……霧もおかしかったけど、花畑になると余計に現実感がない。

 やっぱりここは、小春の夢の中なのか。

 そう、納得せざるを得なかった。


「ここは私の夢の中で、今まで誰も入ってきたことがないんだけど……」


 言いよどみ、少し困惑した様子で小春が言う。


「失礼なこと聞いちゃうけど、翔真くんは私が夢の中で作った人間……じゃないよね?」

「ち、違うって! おれはちゃんと生きてる人間? だよ」

「だよね」


 小春はなんとも言えない表情で笑った。その顔はなんだか、無理して笑っているようにも見えた。

 何か、余計なことを言っただろうか。不安になるおれに、けれども小春は優しく笑いかけてくれた。


「……でも、翔真くんと会えてちょっと嬉しかったな」

「え?」


 小春は俺と視線をあわせないようにして、ぽつりと言った。


「――実は今日、最初に見た夢はちょっと怖かったんだよね」


 その声は明らかに、さっきまでとは違う感情をはらんでいた。

 不安とか恐怖とかそういうものに近い――けれどきっと、それよりもずっと悪い何か。

 どんな夢だったんだろう。

 けれどおれが訊くよりも早く、小春が話を続けた。


「でも途中で『ああこれ夢だ』って気づけてさ。だから夢の内容を変えちゃったの。場所は遊園地にして、乗り物乗り放題で、ソフトクリームもフライドポテトも食べ放題。そういう楽しい場所に――」

「ああ!!」


 思わず声が出た。小春も同時に驚いたせいで、ゴンドラが若干揺れた。


「おれっ……」


 ハーフパンツのポケットに手を突っ込む。焦りと興奮で中身をうまく掴めない。

 それでもやっとの思いで、俺は『ゆめきっぷ』を引っ張り出した。

 単語帳そっくりの、偽物みたいなそのきっぷ。


「おれ、これ使ったんだよ!」


 思いついたまま喋ったけれど、もちろん小春には伝わらない。それでも彼女は馬鹿にすることもなく、真剣な表情で「見せて」と手を伸ばしてきた。彼女の白い掌に、『ゆめきっぷ』をのせる。


「そうだ……。おれ、そのきっぷをポケットに入れたまま寝ちゃったんだ。それで目が覚めたら、蒸気機関車の中にいて……」


 言葉にすると思考がまとまる感じがする。おれは思ったままに話し続けた。


「おじさん……客車の中に車掌のおじさんがいてさ、『きっぷを拝見』って言われたんだ。それできっぷを一枚ちぎられて、行き先を聞かれた。だからおれは……」


 ――それじゃあ、楽しい場所で……。


「楽しい場所って、そう答えたんだ」


 きっぷに目を落としていた小春が、はっとした顔でこちらを見た。


「……わたしは、楽しい夢を作った」

「おれは、楽しい場所に行きたいって言った」

「それで繋がったんだ。翔真くんの夢と、わたしの夢が」


 小春は再び、ゆめきっぷを見た。


「それじゃこれ、本物なんだね」

「……そうだと思う。この夢が、嘘じゃなければ」

「嘘じゃないよ」


 小春が言った。


「だってわたしは存在してるもの。夢じゃなくて、外の世界に」


 その言葉は、妙に力強かった。小春が自身に言い聞かせているようにも見える。

 何故かはよくわからない。けれど、小春はおれが知っている女子とは何かが違うと思った。言葉の選び方や時折見せる表情が、どうしても気になってしまうのだ。


「――あのさ、小春」


『ゆめきっぷ』をおれに返す、その細い指先を眺めながら俺は言う。


「よかったらなんだけど、おれさ、明日……」


 ――その時。

 ゆめきっぷを握るおれの指が、透けていることに気付いた。


「え!?」


 夢の中だとわかっていても、非現実なことが起こるといちいち驚いてしまう。

 小春はおれの異変を見ても驚かず、むしろ慣れた様子で――そして少しだけ寂しそうに、こう言った。


「翔真くん、夢から覚めるんだね」


 夢から覚めるって――つまりそれって、


「現実のわたしはもうしばらく寝てるはずだから……ここでお別れだね、翔真くん」

「そんな……」

「安心して。『東京さくら園』で目を覚ましたりしないから。ちゃんとおうちの布団で目覚めるはずだよ」


 心配しているのはそこじゃない。

 けれど小春に俺の気持ちは通じなかったのか、彼女はゆるゆると手を振った。


「じゃあね、翔真くん。……会えてよかった、楽しかったよ」

「いや、ちょっと待――」


 言いたいことがあるのに、時間は待ってくれない。

 おれの身体はどんどん透けて、見える景色は白っぽくなっていく。最後は声も出なくなった。


 ――なあ、待って。待ってくれって。


 おれは『ゆめきっぷ』を握りしめたまま、小春に訴え続けた。



 ――よかったら、おれ、明日も……。



       *



「翔真! 起きなさい翔真ー!」


 最悪な目覚めとは、まさにこのことを言うのだろう。

 俺はむくりと上半身を起こした。自分の服装を確認してみると、夢で着ていたTシャツにハーフパンツを着用している。周囲にはゲーム機やカセットが散らばっていて、一目で自分の部屋だとわかった。

 戻ってきた……という表現は正しくないのかもしれないけれど、それが一番しっくりくる。


「……なんだろ」


 訳の分からない夢の世界からようやく日常に戻ってこれたのに、心に小さな隙間があいたような寂しさがある。まるで、旅行から帰ってきて、家の扉を開けた瞬間みたいだ。

 安心と、もの悲しさ。

 そんなおれの感傷をかき消すかのような、


「翔真っ!」


 母さんの怒声が響いた。そしてノックなしの入室。


「ちょっ……勝手に入ってくるなってば!」

「外から何回も呼んだのに、なかなか起きてこないんだもん! あのね、S市のお婆ちゃんが階段から落ちて病院に運ばれたらしいの! お母さん今からお婆ちゃんのところ行くから、翔真、ちょっと留守番頼める!?」

「え! 婆ちゃん大丈夫なの!?」

「それがお婆ちゃん本人から電話がかかってきたのよ。『ちょっと転んだだけよ』って。でも念のためお母さんも様子見に行くわ、病院から家まで車で送ってあげたいし――って、もうこんな時間! ごめん翔真行ってくる! あ、宿題! ちゃんとやるのよ!」


 バタバタとあわただしい音を立てて、母さんは出ていった。


「……はあ」


 溜息をついて時刻を確認する。六時前。夏休みの期間中、おれがこんな時間に起きることは滅多とない。

 大丈夫かな、婆ちゃん。


「…………」


 おれは布団の中で握りしめたままだった『ゆめきっぷ』をそっと確認した。

 単語帳みたいな外見、水色の表紙、銀のリング。

 ぱっと見で変わったところは特にない。

 けれど。


「……一枚減ってる」


 おれがこれを使えるのは、残り六回。

 なくさないよう慎重に、おれは『ゆめきっぷ』を学習机の引き出しにしまった。




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