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天井のないタワーの最上階はまさに絶景だった。
テラスからは、これまで旅してきた村々が見える。探検した洞窟や、盗賊にあった山、圧倒的な大きさを誇る世界樹。おれと小春はそのひとつひとつを指さして、思い出を語りあった。
おれの隣ではマグマドラゴンが、小春の隣ではシップウドラゴンが、それぞれ気持ちよさそうに眠っている。こいつらと会えるのは『ゆめきっぷ』がある間だけで、それも明日には終わってしまうと思うと途端に寂しくなった。
「……楽しかったね」
しみじみと小春が言う。おれは頷いた。
「ヤトノカミ戦、まさに最終決戦って感じだったよな」
「ほんとに。翔真くん、かっこよかったよ」
「へへ。でもおれというか、ドラゴンたちがかっこよかったな」
おれの言葉に反応して、マグマドラゴンがぱちりと目を覚ます。「寝とけ寝とけ」とおれはドラゴンの背を撫でた。あんなに熱い炎を出すのに、その身体は少しひんやりとしている。
「グオ……」
寝ぼけているらしいマグマドラゴンが、おれの左ポケットにやたらと興味を示す。そこでおれはようやく思い出した。
「そうだ、今日はこれ持ってきたんだ。小春にあげる」
ポケットに詰め込んだソフトキャンディの数々を取り出した。いちご、ぶどう、レモン、サイダー、ミルク味。……あ、もしかしたら好きかもしれないなんて思って、あずき味までいれたんだっけ。忘れてた。
「……いっぱいあるね」
「だっておれ、よく考えたら小春のお菓子の好みを知らないんだよ。だからいろんな味を持ってきたんだ。……嫌いなのがあったら持って帰るけど」
「ううん、ぜんぶ好きだよ。ありがとう」
おれは小春の小さな手のひらに、次から次へとソフトキャンディを載せていく。さっき熱風をあびたから大丈夫かと不安になったけど、溶けていなさそうでほっとした。
「――そうだよ、訊こうと思ってたんだけどさ」
おれはあずき味のソフトキャンディを小春に渡しながら言う。
「小春、好きなお菓子とかないの? ポケットに入る大きさのやつで。あるいは、飴ならこの味がいいとかさ」
小春の手のひらからソフトキャンディが一粒落ちてしまった。これはおれが持って帰ろうと、自分のポケットに戻す。
「リクエストしてくれたら明日持ってくるよ。……あ、『そんなのいいよー』とかそういうのナシな。おれも一緒に食べるから、遠慮なく言ってほし――」
そこでおれは、小春の異変に気付いた。
目には涙がうっすらとたまり、唇はわなわなと震えている。いや、唇だけじゃない。全身が震えているんだ。
小春の手のひらから、ソフトキャンディがまた一粒落ちた。
「……小春?」
ただならぬ様子に、おれの声まで震えてしまった。
小春は落としたソフトキャンディを自分の手のひらに載せると、大事そうにきゅっと握りしめた。その姿は、何かに祈っているように見えた。
「翔真くん、あのね」
小春は目を伏せたままだが、緊張しているのがこちらまで伝わってくる。
おれは彼女の言葉を待った。
小春はしばらく悩み、深呼吸をしてから言った。
「明日はもう、わたしのところに来ないでほしいの」
「……え」
「『ゆめきっぷ』を使うなら、ここじゃないどこかに行ってほしいんだ」
なんで。どうして。
そんな疑問をおれが口にするよりも早く、小春はおどけてみせた。
「ほら、翔真くんって最初は『楽しい場所』に行こうとしてわたしの夢と繋がったんでしょ? たぶん、わたしなんかより楽しい夢を見てる人はたくさんいるよ。なのに毎回わたしのところにくるなんて、もったいないと思うんだ」
「……なんでそんなこと言うんだよ」
小春の発言全てが悲しかった。
彼女の言葉はおれを拒否しているようにも聞こえるけれど、なにより自分を否定している。それが嫌だった。
おれのことを嫌いになったなら、おれはもう『ゆめきっぷ』を使うこともやめるだろう。けれど小春の言動を見る限り、そうじゃない気がした。……おれが都合よく解釈しているだけなのかもしれないけれど。
「……そうだよね。なんでって思うよね」
小春は目を伏せたまま――おれがあげたソフトキャンディを包みこんだ手を見たままの体勢で、少しだけ口角をあげた。
「翔真くんのこと嫌いになったからだよ」と言うのは簡単なはずだ。けれど小春は優しいから、あるいは正直者だから。
本当のことを、おれに教えてくれた。
「わたしね。明日、手術なんだ」
「――……え」
「あ、正確には今日の昼過ぎか」
わざとらしく軽い口調で小春が言う。けれど不安に思っているのがこちらにまで伝わってきた。
「手術って……」
「全身麻酔の大手術。十三時から始めるけど数時間はかかるって先生が言ってた。だからほら、明日はわたし、夜は寝つきが悪くなっちゃうかもしれないし。そしたら翔真くん、行き先に困るじゃない。『松宮小春という目的地はありません』なんて車掌さんに言われたら、ちょっとしたホラーだよ」
今までにないくらいの早口で、小春はまくしたてる。
おれに発言させないために。あるいは、自分の不安や恐怖を隠すために。
「だったらおれ……『ゆめきっぷ』を使う日を変えるよ。毎日使う必要はないんだから」
おれの言葉に、小春がまた困ったように笑う。
「明日がダメならさ、三日後とか、一週間後とかにして……。時間だって二十一時ぴったりにあわせないで、おれはちょっと夜更かししてから寝るようにする。そしたら絶対会えるだ――」
「わからないよ」
それは、少し怒っているようにも聞こえる静かな声だった。聞いたこともない声に気おされ、黙ってしまう。
小春は自分で自分の声に驚いたのか、「ごめん」と一言謝ってから話を続けた。
「いつだったら会えるなんて、そんな保証ないよ。もしも一週間後に、『ゆめきっぷ』でわたしに会おうとしてさ。それで会えなかったらやっぱりホラーじゃない」
「……なんで会えないと思うんだよ。たとえば連絡先を教えあってさ、せーので布団に入るとか」
「わたし、同室の子に『ドラゴントレーナー』を借りたって話したよね」
唐突に話題を変えられておれは面食らった。けれど、ゲームを借りたという話は覚えている。
「……退院した子だろ?」
昨日小春は、その子について『明日退院する』と話していた。ならもう、小春と同じ病室にはいないはずだ。
小春がようやく顔を上げた。けれど俺ではなく、タワーから見える風景に目を向ける。
「今朝、その子、急変したんだ」
「え……」
「もう会えないの。二度と」
遠くに向かって呟くように、小春は言った。
バカなおれですら、その言葉の意味ははっきりとわかった。そして、愕然とした。
――おれは、誰かの「死」に触れたことがない。
爺ちゃんも婆ちゃんも健在だし、クラスメイトもみんな元気なやつばっかりだ。近所のひとの葬式に呼ばれたこともいまだにない。
なのに、小春の近くでは誰かが亡くなった。
もしかすれば、彼女は何回もそういう経験をしているのかもしれない。だからおれの知っている小学生とは違う表情を見せるし、意味深な発言をしたりする。
生きていて当然、明日が来るのは当たり前。
そう思っているおれたちと違って、小春は向き合い続けているんだ。
生きるとか、死ぬとか、そういうことと。
「……正直、自信がないんだ」
小春は言った。
「明日でも一週間後でも。自分が生きてる自信がない」
「小春……」
「―――だめだよね、こんなのじゃ。気をしっかり持てって感じ!」
空元気だとわかる笑顔で小春は立ち上がった。おれがあげたソフトキャンディをすべて、ポケットに入れる。
「これ、せっかくだから現実のほうに持って帰るね。ありがとう」
「待てよ小春、おれは……」
「知らない方がいいと思うんだ」
小春がようやくこちらを向く。けれどその目には光がなかった。
「わたしの手術結果も、そのあとのことも、知らない方がいいと思う。そうすれば翔真くんの記憶に残るのは、ドラゴンといっしょに旅した楽しい思い出だけだから」
「小春……」
「ごめんね、ほとんどわたしのエゴなんだけどさ! なんていうか、翔真くんにかっこ悪いところ見せたくなくて」
小春の身体とおれの身体が同時に透け始めた。――まずい、現実世界で朝がきたんだ。
マグマドラゴンが小さく鳴いて、おれの身体にすり寄ってくる。おれはその背を撫で、小春に叫ぶ。
「待てよ小春! おれはっ……」
「楽しい夢をありがとう、翔真くん。この一週間、本当に楽しかった」
小春が微笑む。その頬が涙でわずかに濡れている。
「それと本当に嬉しかった。もらったキャンディ、勿体なさ過ぎて食べられないかも」
「こはるっ……」
「ありがとう、翔真くん」
――でも、ごめんね。
消え入りそうなその声は、けれど確かにおれの耳に届いたんだ。
**
「……なんで明日渡そうとか、いつか聞こうとか、そんなことばっかり思ってたんだよ」
耳障りな音を出す目覚ましを止め、うつ伏せでおれは呟く。枕カバーに大きなシミができていて、そこだけ嫌に冷たかった。
――「明日」が来るなんて、当たり前のことだと思っていた。
今日は明日に繋がっていて、明日は明後日に繋がっている。
そして、今日会えた人には、明日もまた会えると信じて疑ってなかったんだ。
今、この瞬間までは。
「おれ……」
ポケットの中の『ゆめきっぷ』を取り出す。
残り、一枚。
「小春に、今度こそ嫌われちゃうかもな」
でも、おれはおれにできることを――おれがやりたいことを、やるよ。
おれは目頭を手の甲で乱暴にぬぐうと、リビングへと続く階段を駆け下りた。




