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明晰夢とは、夢の中で「これは夢だ、現実ではない」と認識しながら見る夢のことである。自覚するだけの場合もあれば、自分の思い通りに夢を変えることができるケースもある。
――となると、おれの『これ』もある意味で明晰夢と言えるのだろうか。
いつもの客車でおれは目を覚ました。線路もない草原の中を走る蒸気機関車。この景色を見ただけで、ここは夢だと自覚できるようになった。
ポケットの中を確認する。
『ゆめきっぷ』と、いろんな味のソフトキャンディ。
図書館からの帰り道、コンビニに寄ったおれは、小春の好きなお菓子がなんなのか知らないことにようやく気付いた。前にあげたキャンディも喜んでくれてはいたが、何味が特に好きだとか、そういう話はしていない。
――今日好きなものを聞いて、明日はそれ渡そう。
ポケットにパンパンに詰め込んだソフトキャンディを軽くたたき、おれは頷いた。
機関車から降りると、お決まりのハチ公が見えた。都会の中にぽつんと作られた自然は、ほっとする反面どこか嘘っぽい。
ハチ公の後ろにある、曲がったポールのベンチに小春は座っていた。
「小春。おまたせ」
声をかけると、小春がふっとこちらに顔を向けた。そこでおれは、彼女の異変に気付いた。
「――……翔真くん」
こういうのを覇気がない、というのだろうか。淀んだ瞳に、血色のない唇。いつもの笑顔はそこになく、緊張しているのか、表情は妙に強張っていた。
「……何かあったのか?」
そう聞かずにはいられないくらい、彼女の様子は切羽詰まっているように見えた。
小春はしばらくぼんやりとおれの顔を見て、口を少し開き、けれどそこからまた何かを考えて、
「今日は、ドラゴンタワーに行くから緊張してたの」
そう言った。
――昨日と同じ、悲しい嘘だ。
おれは目を伏せた。本当は、昨日から気付いていた違和感。
『明晰夢とは、自分の思い通りに夢を変えることができるケースもある』
今日、図書館で借りた本にそう書いていた。初めて小春と会った時も似たようなことを言っていたし、現に伝説のドラゴントレーナーが『死ぬ』シーンは『失踪』に作り変えられていた。
つまり、小春がやろうと思えばドラゴンタワーの難易度なんていくらでも簡単に設定できるはずなんだ。
おれが怖がるのならまだしも、彼女が自分の夢を恐れる理由はひとつもない。
なのに小春は、昨日から何かをずっと怖がっている。
おれはこぶしを握り締めた。
現実のほうで、小春の身に何かが起こっているんじゃないか?
そしてそれを、おれには言えずにいる。
「――……っ」
何かあったなら言ってほしい。
そう言うつもりで口を開いた。
けれど実際は、中途半端に開けた口を閉じて、唇を噛むしかできなかった。
――なあ、おれってそんなに頼りないか?
いや、頼りないよな。ふたつも年が違うし……というか年齢以前の問題だ。
ここでは常に小春に頼りっぱなし。できることと言えばせいぜいキャンディを持ち込むことくらいで、連絡先を聞くこともできないヘタレだ。
仮に小春がおれに何かを話してくれたとしても、気の利いた返事やアドバイスができるとも思えない。
それでも。話を聞くだけでも、小春の抱えている何かが軽くなることはないだろうか。
話したくないことならせめて「今日はしんどい」とか、そういうことだけでも気軽に言える間柄になれないだろうか。そうすれば無理してドラゴンタワーを目指さずに、どこか落ち着ける場所でゆっくり過ごすことだって選べるのに。
「……翔真くん、大丈夫?」
小春が心配そうにおれの顔を覗き込んでくる。
大丈夫かと訊きたいのはおれの方だ。
けれどきっと小春は、「大丈夫だよ」って答えるんだろうな。
「――おれも、タワーに行くのに緊張してるみたい」
結局なにも聞き出せないおれがへらりと笑うと、小春もつられたように微笑んだ。
*
ドラゴンタワーは、山頂にそびえ立つ円柱型の高い建物だ。石造りで、ところどころに窓代わりの小さな穴が開いている。
初めてゲームをプレイしたとき、おれはこの風情ある見た目に感動したけれど、だいごは「どうやって山の上にこんないっぱい石を運んだんだろうな」なんて身も蓋もない言っていたっけ。
「よっと……ん?」
木製の扉を開けようとして、鍵がかかっていることに気付いた。そういえばゲームでも、かんぬきがどうこう言っていた。この扉からはタワーには入れない。確か地下牢につながる階段がどこかにあって、そこから本館に――。
「いや、今なら正面突破できるか。……マグマドラゴン!」
俺に呼ばれたマグマドラゴンが、のっそのっそと扉に近づいた。大きくなったとはいえ、足元のおぼつかない二足歩行は相変わらずだ。
「扉に向かって思いっきり火を噴け!」
「――グオオオオオオオオオオオオ!!」
俺の意図を理解したマグマドラゴンが、扉に向かって灼熱の炎を吐いた。
木製の扉はよく燃え、鉄製のかんぬきもドロドロに溶けていく。そこまではよかったけれど、とんでもない熱風や火の粉がこちらにまで飛んできた。おれの前髪が、チリチリと音を立てて縮れる。
「あちっ! あっちちち!」
「オウ!? グオ、グオウ!」
おれたちが慌てふためく様子に、小春とシップウドラゴンが笑い転げた。
炎のせい(というかおれのせい)で床がものすごい熱さになっていたので、おれと小春はドラゴンの背に載ってタワーの中に入った。マグマドラゴンは熱さに強く、シップウドラゴンは空を飛べることに心底感謝した。
悪の組織のアジトとなっているそこには、いかにも悪党が好みそうな趣味の悪いオブジェが飾られ、組織のマークが入った石像まで掲げられている。
ボスがいる最上階は七階だ。そこにたどり着くまで、各階にいる子分たちを倒していかなくてはならない。
「小春、タワーの地図は?」
振り返ると、シップウドラゴンにまたがった小春がいた。シップウドラゴンは背中にまたがれるのが羨ましい。なんていうか、さまになっている。
一方おれのマグマドラゴンは二足歩行なので、おれはドラゴンにおんぶされるような形になっていた。悲しい。
「あるよ、これ」
小春がどこからともなく地図を出した。というか、今作り出したのだろう。
おれはマグマドラゴンにおんぶされたまま地図を広げた。このタワーには宝があればトラップもあるし、先に進むためにカラクリをとかなければならない箇所だっていくつかある。正直そのすべてを覚えているわけではないので、トラップにひっかかったり、カラクリが解けなくて躓くこともあるだろう。
そう思っていたら、
「最悪、七階までの天井ぜんぶ吹き飛ばしちゃおうか?」
物騒なことを小春が言った。見ると、シップウドラゴンが戦闘体勢に入っている。
おれは唖然とした。
「……なかなか恐ろしいことを言うんだな」
「そこの扉を翔真くんが正面突破したのを見たら、なんかそれもアリだなと思って」
小春が肩をすくめる。
おれはしばらく考えてから、首を振った。
「いや、せっかくだから順当に行こう。ただ……」
「ただ?」
「おれ、カラクリ解いたりするの苦手なんだ。だからそこら辺は、小春にめちゃくちゃ頼っちゃうかも」
「……ふーん」
「ちょ、なんだよその顔! 自分だけ先に解いて進んでやろうとか考えてないか!?」
「ゼンゼン、ソンナコト、カンガエテナイヨー」
「なんだそのロボットみたいな声! どこから出してるんだよ!」
「――あはは!」
小春が笑い出した。我慢の限界を迎えた、そんな笑い方だった。
「ごめん、翔真くんがあまりにもムキになるから面白くて」
「だ、だって小春が!」
「――ちゃんと最後まで翔真くんと一緒にいるよ。一人で先に進んだって寂しいだけだもん」
急に変わる声色におれはどきりとする。小春はいつもそうだ。
楽しそうに笑ったかと思えば、寂しそうな顔をする。
その落差に、おれはいつまで経っても慣れない。
「よし、それじゃさっそく進も。翔真くん」
小春が言った。その時には、いつもの笑顔に戻っていた。
シップウドラゴンが気合をいれるといわんばかりに大きな翼をバサバサと動かす。近くの小石がいくらか動いた。
――また何も聞けなかったな。
おれは考える。
明日こそ……最後の日にはちゃんと聞こう。
小春のこと。小春が思ってること。隠そうとしていること。
愚痴でも弱音でも、あるいは自慢でも嫌みでもなんでもいいから。
小春が、おれになら話してもいいって、そう思ってくれたなら。
ちゃんと、聞こう。
内心でそう決意した。
「よっし、行くぞマグマドラゴン!」
「グオウ!」
おれをおんぶしているマグマドラゴンが、目の前に見えている階段に向かってドスドス走り出す。直後、小春の叫び声が聞こえた。
「翔真くんそこ、落とし穴があるよ!」
「へ!?」
「グォッ!?」
がこん、という音と共に身体が沈み込んだ。おれたちを中心に、放射状の大きな亀裂が床に入っていく。
「しまっ……!」
ばかん!
床が大きな黒い口を開けた。おれをおんぶしているうえ、体勢を崩しているマグマドラゴンは何もできそうにない。
――やばい、ここって確か初見殺しの即死トラップだったんじゃ……。
そう考え絶望した矢先、
「シップウちゃん!」
「ガアアアア!」
小春のシップウドラゴンがものすごい速さで飛んできて、おれたちを背中でキャッチした。さすがは、ドラゴンの中で最も飛行能力の高いシップウドラゴン。飛んでくるスピードも速いし、おれとマグマドラゴンを載せても軽々空を飛んでいる。
下を確認すると、鉄製の槍がこちらに向かってびっしりと生えていた。
「た、助かったぁ……」
心の底から安堵の声が漏れた。マグマドラゴンも同じ気持ちなのか、ほっと溜息をつく。小さな火が口先から漏れた。