3
ドラゴントレーナーの世界に入り込むなり、おれは叫んだ。
「カリュー!」
「きゅうきゅう!」
俺に呼ばれたカリューが、一直線にこちらへと走ってくる。……不器用だけど愛らしい二足歩行だ。カリューはまだ生まれたての子供なので、走ってもヨチヨチ歩きのように見える。
「んきゅ!」
カリューはおれの胸元にジャンプすると、ぎゅっとしがみついてきた。後ろから「かわいい」と小春の声がする。確かに今はめちゃくちゃにかわいいけれど、進化するとかなりいかつい見た目になることを小春は知っているのだろうか。
「今日は旅をしてレベルをあげながら、ドラゴンタワーを目指そっか」
きゅうきゅう鳴いているカリューの頭を撫でていると、小春がそう提案してきた。
カリューが小春に手を伸ばしたので、彼女もカリューの頭を撫でる。
「できれば今日中に、タワー前まで行きたいね」
「え……。別にそんな急がなくてもいいんじゃないか?」
おれはカリューを撫でる小春を見ながら言った。
ゲームを再現するのなら、タワーに着くころにはカリューもチビリューも進化してしまう。ドラゴンらしくてかっこいい見た目にはなるものの、正直、女子ウケする姿だとは思えない。
それにおれは、ゲームを再現した世界に入れて最初こそはしゃいだものの、この世界をクリアしたいと思っている訳じゃない。このまま最初の村で、ちびっこのカリューたちと一緒にのんびり過ごすのも、悪くないんじゃないか。
「……もしかして、ドラゴンたちが進化したら、わたしがショックを受けると思ってる?」
図星だ。
黙りこくるおれに、小春は「あのね」と溜息をついた。その挙動は、ちょっと大人びて見えた。
「わたし、ストーリーモードもイチから始めて全部クリアしたんだよ。だからドラゴンたちがどういう姿に進化するのかも知ってる」
「えっ、一日でクリアしたのか!?」
「……ゲームを貸してくれてた子が、明日退院だから急いでプレイしたの」
少しばつが悪そうに小春が言った。
同室の子が退院と聞いて、おれは「よかったな」と言いかけた。その子と小春がなんの病気かは知らないけれど、一人が退院できたなら小春も近いうちに、と思ったからだ。
けれど小春の顔を見て、おれは口を噤んだ。
彼女は、複雑な表情をしていた。
嬉しそうにも見えたし、寂しそうにも見えた。それに、羨ましそうでもあった。
おれの目がおかしくなったのではなく、多分そのすべてが小春の本心なのだと思う。
普段ニコニコしている小春が、たまにほんの一瞬だけ見せる別の顔。
おれは小春のそこに惹かれていて、けれどなにも聞き出せずにいる。
「……カリューの進化した姿、すごく勇ましくてびっくりしちゃったよ」
沈黙が苦痛だったのか、妙に明るい声で小春が言った。表情も、いつもの笑顔に戻っている。
けれどそれが、かえって無理をしているように感じられた。
「――……爪とか牙とか、すごいもんな」
「そうそう。鳴き声も今の感じと全然違うしね」
話題にされているカリューが、「きゅあ?」と首を傾げた。小春が手を近づけると、猫みたいに頬を摺り寄せる。
「でもさ。ああ、カリューも大人になったんだな、成長したんだなーって思うと感動的だった。かわいいとかかっこいいとか、そんなの関係ないの。一緒に最後まで旅できたことが、嬉しかった」
「それは、まあ……」
「だからわたしは、大丈夫だよ」
微笑む小春に、おれはあいまいに笑い返した。
『大丈夫だよ』
――本当に大丈夫なのかと訊きたくなってしまう。
ドラゴンのことではなく、小春の身体――病気について。
「ね、そういうことだからさ。早く先に進もうよ、時間なくなっちゃうし」
小春はそう言うと、肩に載せているチビリューに「ねえ?」と同意を求めた。
確かに、おれたちが会える時間は限られている。
ゆめきっぷを使っても、会えるのは就寝中だけだ。しかも小春は入院中で規則正しい生活を送っているから、二十一時就寝の六時起床――最長でも遊べる時間は一回九時間しかない。これだって「二十一時にすぐに眠れたら」の話で、もしも寝つきが悪かったりすれば時間はズレこむことになる。
それに、『ゆめきっぷ』の残りは二枚しかない。
今日を含めても、あと三回しか小春とは会えないんだ。
「……なあ小春」
俺はスマホを持っていないけれど、小春は持っているかもしれない。
もしも連絡先を聞けたら、いつだって話せるし、会うこともできる。
おれが勇気を振り絞って、小春の連絡先を聞こうとした時、
【きゃあああぁぁぁぁあぁぁぁぁあああ!!】
街の中心から、耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきた。
――……これは確か。
【なんで街に野生の『ドラゴン』が現れるんだ!?】
【だれか、あいつを倒せるドラゴントレーナーはいないのか!】
【助けて、いやあー!】
やっぱりそうだ。
これは、『ドラゴンの卵屋さん』で、旅立つために最初の卵をもらったあとに始まるイベントだ。
「大変! チビリュー、闘える!?」
小春が言うと、肩に載っていたチビリューが自ら地面に降りた。カリューとは違い四足歩行で、移動スピードも速い。
小春がちらっとこちらを見てきた。行こう、の合図だ。
「……カリュー、いけるよな!」
「んきゅ!」
あくまで小春の動きにあわせたが、おれは内心で違うことを考えていた。
――また連絡先、聞けなかったあ……。
いつになったらおれはスマートにこの話題を切り出せるようになるんだろう。小春がスマホを持っているかどうかもまず知らないし。そうだ、スマホだ。スマホの話題を先にしたらどうだ? 最新型のスマホ使い勝手よさそうだよねー、そういや小春はスマホ持ってんの? これだ、これでいくしか――
「翔真くん、野良ドラそっちに行ったよ!」
小春の声に我に返る。野生のドラゴン――通称『野良ドラ』――が大口をあけてこちらに飛んできていた。
肉食獣のような金色の目。ずらりと並ぶ尖った牙。地面を揺らす雄たけび。
ゲームを上回る恐ろしさに、一瞬足がすくんだ。けれど、
「きゅう!」
おれを励ますようなカリューの声に、救われた。
「っ……カリュー! 【こうげき】だ!」
「んきゅ!」
「あいつの目を狙え!」
「きゅうっ!」
おれの両腕におさまっていたカリューは、おれのみぞおちを踏み台にしてジャンプした。夢の中とはいえ、「ふぐぅっ」と変な声がもれてしまう。
「きゅうー!」
カリューは小さな爪を力いっぱい、野良ドラゴンに突き刺した。
【グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!】
野良ドラゴンの咆哮は、近くにあった宿の窓ガラスにひびを入れた。街のひとたちが【ひえっ】と悲鳴をあげる。
地面に着地したカリューは次の攻撃に備えていたけれど、戦意喪失した野良ドラゴンはそのままドラゴンタワーのほうへ飛び立っていった。
……ここら辺はやっぱり、ゲームに忠実だ。
「すごい、翔真くん!」
小春がスキップするようにこちらに走ってきた。その笑顔を見る限り、嫌われているようには思えない。
俺はふにゃふにゃと力なく笑った。
「……小春がアシストしてくれたから」
「ううん、翔真くんがやっつけたんだよ。私なんか怖くて腰が抜けそうだったのに、翔真くんは冷静に『目を狙え』って指示を出しててかっこよかった」
「……そうかな」
「そうだよ」
小春の表情にも声にも、嘘は混じっていないように思える。途端に「かっこよかった」という一言が照れくさくて、おれは小春から視線を外してガリガリと頭をかいた。
【ありがとう、助かったよ! 君たちはドラゴントレーナーなのか!?】
飲食店を営む店主が声をかけてくる。
ここからのストーリーは、やっぱりゲームそのままだった。
店主に勧められ、おれたちはドラゴントレーナーとして『ドラゴンタワー』にいるという伝説のドラゴントレーナーに会うため旅に出る。そうして、隣にある村を目指して洞窟に入るのだ。
洞窟ではドラゴンを悪事に利用しようと企んでいる悪の組織と出会い、やつらを壊滅させることを誓う。次の村では野生ドラゴンの討伐を頼まれる――。
まさにゲーム通りのシナリオだ。
違和感があるとすれば、チビリューとカリューのレベルアップが妙に早くて苦戦を強いられず、ストーリーがサクサク進んでいくこと。
そして、中盤にあるはずの『伝説のドラゴントレーナーが悪の組織に殺されてしまうイベント』が発生しなかったことだ。
【伝説のドラゴントレーナーは今、遠くに旅立ってしまっているから頼れないんだ。だから、君たちが悪の組織を倒してくれないか?】
聞いたこともないセリフに、おれは首を傾げた。
ここは本来、世界最強といわれている伝説のドラゴントレーナー「リュウ」が、悪の組織のボスに殺されてしまうシーンだ。そしてリュウは息を引き取る直前、主人公に「世界の平和を守ってくれ」と言い残す。主人公はその言葉を胸に、ドラゴンタワーをアジトとしている悪の組織のもとへと向かうのだ。
そこがまるまる、カットされている。
――……あのシーンを小春が忘れた、とか?
おれは小春を見た。小春がさっと、おれから目をそらす。
視線を落としてみると、彼女の指先がほんの少し震えているがわかった。
――わざとだ。
わざと、ドラゴントレーナーが死ぬシーンをカットしたんだ。
なんでそんなこと、なんて思わなかった。むしろわかってしまった。
いまだに知らない小春の病気。
それらが「死」を意識するくらい、重いことを。
知って、しまった。
「……もうすぐ、現実のほうで夜が明けそうだな」
おれはドラゴントレーナーの一件にも、小春の病気にも触れずに言った。小春がほっとした面持ちでこちらを見る。
「そうだね。体内時計だから正確ではないけど……それくらいかな」
「――なあ」
おれはカリューとチビリューを見た。今日の数時間で大分レベルアップしたため、そろそろ進化が近づいているはずだ。カリューは「きゅあ?」とつぶらな瞳でおれを見つめた。
おれはカリューの頭をなでて、言う。
「ここで皆で、朝焼けを見れないかな?」
「え、ここで?」
小春が困惑した様子であたりを見回す。それもそうだ。おれたちが今いる場所は、高い山に囲まれた盆地にある街で、昼前にようやく太陽が拝めるという設定なのだから。
小春は「うーん」としばらく腕組みしたあと、
「ゲームの設定からはずれてもいいなら、できるよ」
と答えた。おれは思わず笑ってしまう。
「その能力、ほんとチートだな」
「能力というか明晰夢ね。……本当にやるの?」
「うん。タワーに入る前にさ、朝日を見て決意を固める、みたいなことしたいと思って」
おれの真剣な話に、小春がぷっと噴き出した。
「な、なんだよ、何がおかしいんだよ」
「いや、なんだか……翔真くんって意外とロマンを求めるタイプなんだなと思って」
「うっ……いいじゃんか別に!」
「ごめんごめん、そんな怒らないでよ」
小春は笑いすぎて目じりにたまった涙を拭いた。
「それじゃ、ゲームの風景から、わたしが創りやすい風景に変えるね」
そう言って小春は目をつむる。さあっと音もなく移り変わる景色。
そこは、二回目に小春と会った時に彼女がいた場所だった。
小さな花が咲く崖の上。うさぎの姿は今回は見当たらず、かわりにカリューとチビリューがおれたちのそばにいた。
空の色は群青色で、周囲はまだ薄暗い。けれど水平線から少しだけ、朝日が昇り始めていた。
「……こんな感じでどうかな」
小春がゆっくりと目を開ける。おれは頷いた。
小春がかつてうさぎを撫でていた大木の近くに俺たちは座り込み、朝焼けを眺めた。
群青色だった空が、青色や紫色、ピンク色を混ぜたような色に変わっていく。太陽の近くは空も海も明るい色に染まり、徐々にその面積を広げていく。
おれは横合いを見た。
いつもは落ち着きのないカリューが珍しく、じっと朝日を見つめている。赤いうろこの一枚一枚に朝日が反射して、それが宝石の集まりみたいに見えた。
「……明日のドラゴンタワー、頑張ろうね」
小春が、朝日に目を向けたままで言った。その声が若干震えているのに気づき、おれはまた小春の指先を見る。
やっぱり、小さく震えていた。
「――……小春ってさ。実は怖がりだったりする?」
「え?」
おれの質問に小春はぎくりと肩を震わせた。それからおれを――おれの視線の先を見て、「ああ」と苦笑した。
「バレちゃった?」
「……小春がどうしても怖いなら、おれとカリューの二人でタワーに」
「それはやだ! せっかくここまで来たんだもん。わたしとチビリューだってタワーに登りたいよ。ね、チビリュー?」
隣で一緒に朝日を見ていたチビリューに、小春は同意を求めた。そして目を丸くした。
チビリューの身体が、光り輝いていたのだ。
「進化だ!」
驚いたおれは思わず叫んでしまった。
カメレオン程度の大きさだったチビリューが、ぐんぐんと成長していく。生まれた時から生えていた小さな角は五十センチ程度に伸びて、背中には大きな翼が生えはじめた。片翼だけで二メートルはありそうなその翼は、確かにトレーナーを載せて難なく飛ぶことができそうだ。
鱗の色が黄緑から深緑に変わり、進化が終わる。琥珀色の目がおれたちを捉え、そして咆哮した。ビリビリと大地が揺れ、崖から剥がれ落ちた岩がいくつか海に落ちていった。
「……シップウドラゴンだ。すっげえ……」
おれは声を振り絞った。驚きのあまり腰が抜けそうだ。
「おめでとう、チビ……シップウちゃん!」
小春はシップウドラゴンの喉元に抱き着いた。……どう見てもシップウドラゴンの頭の方が小春よりデカい。ドラゴンがその気になれば、小春もおれも一飲みしてしまいそうだ。
そんなことを考えていたら、おれの隣から「きゅう……」とか細い鳴き声がした。
まさかと思って振り返る。
カリューの身体が、光に包まれていた。
「カリュー!」
おれが叫ぶと、カリューが再び鳴いた。その間にも爪がメキメキと伸び、牙が増えるのにあわせて顎が発達していっている。小さな翼も少しだけ立派になり、人ひとりくらいなら載せられるくらいの体格になっていく。
赤色のうろこはワインレッドに変わり、瞳の色は水色から深い青色に変わる。まるで朝焼けみたいだ、と思った。
「――マグマドラゴン」
おれがその名を呼ぶと、「ぐおお」と低い声で返事をして、大きなしっぽを地面に叩きつけた。俺たちの立っている場所にヒビが入り、それを見たマグマドラゴンが一気にオロオロとし始める。
――ああ、姿は変わっても、中身は今まで旅してきたカリューのまんまだ。
おれはそっと、マグマドラゴンの腕に触れた。普段は火山の中で生活しているというマグマドラゴンのうろこはとても分厚く、ちょっとやそっとの攻撃では傷ひとつ入らなさそうだと思えた。
「……かっこいいなあ、お前」
俺はマグマドラゴンの腕に、こつんと額を当てた。赤い見た目とは裏腹に、うろこはひんやりしていて気持ちがいい。マグマドラゴンは照れ隠しのように、上空に向かって火を噴いた。
「……明日、絶対にタワーを攻略しようね」
背後から小春が声をかけてきた。おれは「おう」と小さく返事をする。
――ゲームをプレイしたからこそ知っている。
タワー攻略には、一晩もかからない。
けれど、『ゆめきっぷ』は二枚ある。小春もそれを知っているはずだ。
明日でドラゴンタワーを攻略するのなら、最後の一枚は。
最後の一枚は、どうするつもりなんだろう
「翔真くん、朝だよ」
小春の声にはっとして、彼女を見る。
彼女の身体が透けていた。
現実世界で目を覚ます合図だ。
見ると、おれの両手も透けている。小春と同じ生活リズムを送るために、朝の六時に目覚ましをセットしているからだろう。
「じゃあ……」
小春がそのまま消えようとするので、おれは一言付け加えた。
「また明日な」
小春ははっと目を見開いて、けれどそのまま消えていった。
**
忌々しい電子音を鳴らし続けている目覚まし時計を、おれは速攻で止めた。
そのままの姿勢で、目覚ましに乗っかっている自分の右手を見る。
思い出す、小春の指先。
「言いたいこと、いっぱいあるのにほとんど話せてないな……」
――本当に、情けないやつ。
おれはチビリューのぬいぐるみに顔をうずめ、足をじたばたさせた。