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ゆめきっぷ  作者: うわの空
五枚目
10/18

2

 


「――お客様。お客様」


 ふんわりとした低い声に起こされる。どこだここ、と思うよりも早くまぶたが開いた。


「チビリューは!?」

「……いかがなさいましたか、お客様」


 車掌が抑揚のない声で訊いてくる。

 座席の横、下の隙間、車内の前後まで確認したおれは、がっくりしながらも車掌に尋ねた。


「あの、おれ、ぬいぐるみを持ってきてませんでしたか?」

「いいえ。そのようなものは見ておりません」


 車掌はさらりと答えた。


 ――失敗した。ぬいぐるみは、夢の中に持ち込めなかったんだ。


 俺はうなだれた。左のポケットはパンパンに膨れ上がっているから、飴玉は持ち込めたのだろう。けれどどちらかといえば、チビリューを持ってきたかった。せっかく、父さんのくれた千円でギリギリゲットできたのに。


「……大丈夫ですか?」


 事務的な声で車掌が声をかけてくれる。おれは首を振った。


「いえ、いいんです。おれが……なんていうか、忘れ物をしちゃっただけで」

「左様でございますか。それはお辛いですね」


 本当にそう思ってくれているのかは分からないが、残念そうな顔をして車掌は言った。

 そして「ご傷心のさなかに申し訳ないのですが」と前置きしたうえで、


「きっぷを拝見」


 いつも通りの言葉を放ち、右手をおれに伸ばしてきた。手首のあたりからふわりといい香りがする。

 おれはポケットから取り出した『ゆめきっぷ』を車掌の手のひらにのせた。単語帳そっくりな『ゆめきっぷ』は、使うたび――車掌に一枚ちぎられるたびに薄くなっていく。

 返却された『ゆめきっぷ』をそっとめくった。

 きっぷの残りは、二枚しかない。


「行き先は?」


 ちぎったきっぷを眺め、車掌が言う。

 ――なんて答えるか、もうとっくにバレてるんだろうな。

 そう思いつつ、おれはいつもの返事をする。


「松宮小春のいるところ」

「承知いたしました」


 車掌はふっと笑って、車内から出ていった。




 機関車から降りると、夏らしい緑に染まった木と暗い色をしたハチ公の像が見えた。その背後にある、曲がったポールみたいなベンチに小春は座っている。

 昨日と同じピンクのパジャマ姿。その肩には既にチビリューを載せている。

 ここは彼女が創り出した世界だ、渋谷にドラゴンの子供がいてもなんら不思議ではない。

 ただ、その姿を見ると、やっぱりぬいぐるみをあげたかったという想いが強くなった。


「翔真くん? どうしたの、ぼーっとして」


 機関車から降りた後、一歩も動かないおれに小春が言った。チビリューも、小春からおれへと視線を移す。


「ん、いや、なんでもない」

「あのね、実はすっごいニュースがあるんだ!」


 小春が珍しく弾んだ声を出した。ベンチから腰を上げ、けれどすぐにおれの顔色をうかがう。


「……わたし、先に話して大丈夫?」

「え?」

「翔真くん、何かあったなら先に――」

「いや、小春が先に話してよ。すごいニュース、なんなのか気になるし」


 小春はしばらくおれに気を使っている様子だったけれど、やがて胸に手を当て「あのね」と口を開いた。


「翔真くん、昨日キャンディくれたでしょ」

「あ、うん。そういえばあれ、夢の中で食べたの? ていうか食べられた?」


 昨日は小春に飴玉を渡した後、鳴き続けるカリューを鎮めるためにドラゴン用のエサを買いに行ったり、その後は昼寝モードに入り始めたカリューとチビリューのために宿を探したりと、とにかくてんやわんやした記憶しかない。

 最中に小春が飴玉を食べたかどうかは確認していないし、もしかすれば現実そとから持ち込んだものは夢の中では食べられないとか、そういうルールがあったのかもしれない。

 そう思っていたら、小春が意外なことを口にした。


「あれね、外の世界に持ち出せたんだ」

「え?」

「朝起きたら、手にキャンディを握ったままだったの! 翔真くんがここでくれたの全部! 味とかも同じだった」

「まじかよ! 小春、そんなことまでできるのか?」


 夢の中のものを持ち出せるなら、カリューもチビリューも持ち出し可能のはずだ。けれど案の定、小春は首を横に振った。


「今までできたことないよ。今回翔真くんがくれたキャンディだけできたから、わたしも驚いちゃって」

「……現実から夢に持ち込んだものなら、夢から現実に持ち出せるってことか」

「多分そうだと思う。でも私は、現実からここに何かを持ち込めた経験もないんだよね」


 もしかしたら、と小春は続けた。


「翔真くんの『ゆめきっぷ』が関係してるのかも」

「え、きっぷが?」

「うん。だってそのきっぷも、言ってみれば現実から夢に持ち込んでるじゃない?」


 確かにそうだ。俺はポケットに手を突っ込んだ。体温でぬるくなった銀のリングが指先に触れる。

 小春は続けた。


「それの影響で、翔真くんのポケットに入ってるものならこの世界に持ってこられるとか、そういう仕組みになってるのかも――」

「あああ、それだあ!!」


 あまりにも身に覚えがありすぎて、叫んでしまった。小春が口をぽかんと開けたまま凝り固まる。チビリューが小春と同じくぽかんとしているのがなんだか面白かった。


「いや、実はさ……」


 いざカミングアウトするとなると恥ずかしい。おれは頭をかいた。


「今日、家族で出かけた時に、UFOキャッチャーでチビリューのぬいぐるみを取ったんだ。まあまあデカいやつ」

「え、すごい! 取れたんだ」

「まぐれだよ、なんとなくやったら取れただけでさ」


 小春にあげたい一心だったこと、父さんに千円札まで貰ったことは伏せた。


「んで、そのぬいぐるみ、小春にあげようと思ったんだ」

「え、わたしに?」

「うん。だってその……おれはぬいぐるみとかそういうガラじゃないし」


 小春が喜ぶと思ったし、とはやっぱり言えなかった。


「でもそのぬいぐるみ、ポケットに全然入らなくてさ。それで結局、ここにも持ち込めなかったんだ。……期待させちゃってごめん」


 頭を下げると、小春が「いいよいいよ」と顔の前で両手を振った。チビリューはよくわかっていないらしく、ぽかんとした顔のままだ。

 小春はにやけた口元を隠すように、両手で口を覆う。


「翔真くんがぬいぐるみをくれようとしてくれてたのが、もう嬉しい」

「持ってこれたら一番よかったんだけどな。ほんとにさ、結構大きかったんだ」


 おれはがっくりと肩を落とした。


「小さいサイズなら夢に持ち込める……。そのルールがわかってたら、ポケットに入るサイズのキーホルダーとかにしたんだけどな」

「でも、わたしのこれもあくまで仮説だよ?」


 だってね、と小春は付け加えた。


「わたし、ポケットのないパジャマを着てるんだ」

「え、そうなの?」


 おれは小春の腰あたりに視線をやった。確かに、ポケットらしきものは見当たらない。


「だからさ、昨日ドラゴンたちのお世話をしてる間、キャンディはずっと手に持ってたの」

「えっ。言ってくれたらおれのポケットに入れといたのに。邪魔だっただろ?」

「ううん。その……翔真くんがキャンディをくれたの、本当に嬉しかったから、ずっと持っておきたかったんだよね」


 小春は顔を赤らめた。その表情に、こっちまで顔が赤くなってしまう。


「それにほら、ここは私が自由に創れる世界だから。必要になればポシェットでもなんでも用意できるし」

「……確かにそうだな」

「でもずっと持っておきたかったんだよね。食べるのも勿体なくて。……そうこうしてるうちに目が覚めたら、現実でも手にキャンディを握りしめてたんだ」


 小春は自分の左手をまじまじと見た。手のひらには血の気がなく、彼女の顔色同様真っ白に見える。


「翔真くんがここに持ち込めるのはポケットの中身だけ。私が持ち出せるのは手の中に入っているもの……。そういうルールなのかも。やっぱりこれも仮説だけどね」

「なるほど。――でもあのぬいぐるみ、やっぱり小春に渡したかったなあ」


 おれはちらりと小春の顔を見た。

 ぬいぐるみを渡したいというのは本心だ。

 けれど、これを機に入院先を教えてくれたら、という下心もあった。

 そんな想いがバレたのか、それとも小春が天然なのかはわからないが、


「ごめん、どうしても気になるから違うこと訊いてもいい?」


 さらりと話題を変えられてしまった。

 俺は内心で軽く落ち込みつつ「なに?」と問う。

 小春は、おれの太ももあたりをじっと見た。


「翔真くんのそっちのポケット、すごく膨らんでるのは何?」

「……ああ、これ?」


 そうだ。ぬいぐるみはダメでもこっちは持ち込めたんだった。

 おれは左のポケットに手を突っ込むと、大量の飴玉を引っ張り出した。


「ぬいぐるみと一緒に、小春にあげようと思ってね」


 わざとらしく肩をすくめ、ちょっとかっこつけてみる。

 小春は想像した通り、しばらく口を開いて凝り固まった後、とても嬉しそうに笑い始めた。




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