5.魔王、甘露に感動の涙を流す
イセスとシャノンの二人は、購入した衣類の手直しが終わるのを待つため、仕立て屋のおばさんが勧めていた食堂を訪れていた。
カランカランと言うドアベルの軽い音を鳴らしながら入店した二人は、壁際のテーブル席に案内される。そして、この地方のおすすめ料理をウェイトレスに注文した二人は、料理の到着を待っていたのだった。
中途半端な時間帯であるため、店内の客は少ない。しかしそれでも、屋内にもかかわらず、クロークのフードを目深くかぶったイセスと、板金鎧一式を身につけたシャノンは、やや目を引いてしまっているようだった。
「お嬢様、室内では被り物を脱ぐのがマナーかと思います」
「む、お主こそ、その兜は脱がんのか?」
「私は、お嬢様の護衛ですので。それに、妖精族の一員としては、謎が残っていた方が心地よいんですよ」
「ふむ、そういう物かの」
イセスは被っているフードの上から頭をポンポンと軽く手で叩いた後、その手でフードをばさりと上げた。その頭部からは角が既に消えていて、深紅の長髪がふわりと広がって行く。
フードの下から現れた美女の姿に周囲からは思わず感嘆の声が上がっていたが、その声に振り向いたイセスと目が合うと、彼らは慌てて顔を背けたのだった。
「お待たせしましたぁ。白ビールとプレッツェルに白ソーセージです。腸詰めは皮をむいて、マスタードをつけてお召し上がり下さぁい」
店員は木のジョッキに注がれた白ビールと、料理の皿をテーブルの上に置いて去って行った。イセスはまずは塩味が効いたプレッツェルを口にし、続いてジョッキを傾けビールを流し込む。
「なるほど、なかなかの美味じゃの」
シャノンの方は、面をわずかに開けてその隙間からプレッツェルとビールを口にしていた。
「この地方はこれがありますからね。久しぶりですよ」
「そういえば、お主は人間界にはよく来ておったのかの」
「妖精族の自分たちは召喚されなくても来られますからね、割と敷居は低いですね。もっとも、私たちの本場はアルビオンですから、ここまでは滅多に来ませんが」
しばらくは黙々と食事を続ける二人。
「そういえば、この後はどうされます?」
「ふむ。特にこれと言って決めてはないな……ま、適当にブラつきながら、面白そうな店があれば覗くと言った感じでよかろう」
「お嬢様が興味を持ちそうな物ですね……うーん、仕立て屋は行ったから、あとは鍛冶屋、細工屋、図書館に……教会とか、興味あります?」
「天界の奴らの偶像を拝みに行くのか? 現実より盛ってたら、それはそれで指差して笑えるから構わんが」
シャノンはその光景を少し想像した後、ゆっくりと首を振ったのだった。
「――止めておきましょうか」
◇ ◇ ◇
二人が料理をほぼ食べ終えたタイミングで、ウェイトレスがデザートを持ってやって来た。
「デザートのイチゴのトルテです。ごゆっくりどうぞ」
イセスは首を傾げた後、皿を持ち上げてトルテをしげしげと観察する。
「トルテじゃと? なんじゃ? これは」
「お菓子ですね。焼いた小麦粉の生地の上にクリームとイチゴを載せた物です」
そしてトルテの皿をテーブルの上に戻し、フォークで少し切り分けて、口の中に恐る恐る入れてみる。
「…………」
イセスは無言で視線を虚空にやって考え込んだ。
そのまま、もう一切れを口に。
更に一口。
無言で総てを平らげると、顔を伏せ、一息だけ、大きく息をついた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
「お嬢様、お気に召しませんでしたか?」
恐る恐る確認するシャノン。イセスはテーブルに顔を伏せたままで、その両手は、固く握りしめられたまま、ぷるぷると震えている。
「余は……」
イセスは一言発して絶句し、そしてゆっくりと顔を上げた。
「余は、未だかつて、これほどの甘露を食した事はないぞ!」
そのまま立ち上がりかねない勢いで、両手を振り上げているイセス。
「そこなウェイトレス! シェフを、シェフをここへ!」
何事かと顔色を変えたウェイトレスが奥に行き、慌てて調理人らしきでっぷりした中年男性を連れて戻ってきた。
「あ、あの、お客様……トルテに何か問題でも?」
「これを調理せしめたのは汝か?」
「は、はい、その通りです」
調理人は質問の意図が読めないまま、おどおどと首を縦に振る。
「なるほど。いやなに、いたく美味であったぞ。余は汝にこの感動を伝えたいだけじゃ」
「あ、ありがとうございます」
「まずはこの紅き果物であるが、甘みと酸味のバランスが絶妙であり、更にこの微妙な固さがアクセントになっておる。そしてそれを受け止める白きクリームの部分であるが――」
と、いかに美味しくて感動したかを、イセスは調理人に向けて身振り手振りを交えて全力で語り始めていた。ウェイトレスと調理人は、勢いに押されてカクカク頷きながら拝聴するしかない。
「うーん、そんなに美味しいのかな?」
と、一人盛り上がっているイセスを余所に、シャノンも自分のトルテを一口つまんでみた。
「あ、美味し。――でも、そこまで感激するほどかなぁ?」
イチゴの酸味とクリームの甘さ、そして生地のサクサク感がマッチしていて、確かによくできている。でも、そこまで大騒ぎする程でもない気がする。
「でもまぁ確かに、よく考えると、あっちに甘味って、無かったような気がするなぁ」
(おいそれと人間界には来られない、やんごとなき人達ほど、甘味には飢えているのかも。バフォメット様が食べたとしても、この勢いで感動するのかな?)
黒山羊の頭部と黒い翼を持った巨人であるバフォメットが、トルテ片手に感涙にむせんでいる姿を想像して、シャノンは肩をすくめるしか無かったのだった。