水底に散りぬる白拍子
舞う、舞う、舞う。
我はただ、戦場より船の皆方を哀願して舞う。
散り散りに海神住まう、海にて血潮を上げる者たちに贈る、我のみぞ成し得ぬ追悼の意を含め。
袖括りの緒を大振りに、されど袖自身は水面のように静かに。
柏原帝と水尾帝より受け継がれし、同じ貴き血共の舞う歪みを儚みさめざめと我は舞う。
「万の仏の願よりも」
前には幼帝を抱え、凛と居住まい美しき建礼門院様(平徳子)。
眼は静かに、而して真直ぐに私を突き抜けた遥かな都の面影を見据え。
隣で儚むは二位尼様(平時子)。手には三種が一振り、鈍き美しげと称される天叢雲剣の収るゝ櫃あり。
「千手の誓ひぞ頼もしき」
我は舞う。
ともに建礼門院様にお仕えした、琵琶の者と共に後白河法王様より受けし今様に合わせ、音を奏で平都に馳せる郷愁を噛み締めた一時と共に。
御簾の下がった岸辺の向かう、をとこ共の血の舞う外界を隔ち、琵琶の唸る音と水干の衣擦れと飾太刀の甲高き音を融和させて。
全てのものから見捨てられようとて、我は建礼門院様のお傍近くにて果てるのみ。
我はこの海原を母とし、また故郷と仰ぐ。
そして建礼門院様を、我の身命を捧ぐるべき主人と定めて我の舞と琵琶の音を奉す。
然れども我、のこりおほしきかな。
それは祇王様。
孤児で道端に打ち捨てられていた我を、その優しき御心と抱擁を持ってお育てあそばされた。
故に我は祇王様のお子にして、無二の門徒。
「枯れたる草木もたちまちに」
あゝ祇王様。入道相国(平清盛)の御寵愛を受けしころの遠き日が懐かしきかな。
追い立てられた仏御前様を、その慈悲を持ってお救いなされた御心は、我がしかと受け継いでおります。
余りの悲しびに朽ち果つご覚悟を、我たちお引き留めしたは御前に未だ未練を残していたが故。
どうか今一度と、祇王様の舞を拝見いたしくと縋ったがため。
御前に、世を儚むのは早きことと教うるためでした。
されど入道相国は無常な御人でございました。
我らを裂きて、我を仏御前様と共に御寵愛せむと囲われた。
その仏御前様も、暫くして腹たかきまゝに御出家あそばされ残るは我のみとなり……。
琵琶の音も一層と哀しびを帯び、次は我もかと肝を据えた心地で朝と夜を追い続ける日々でした。
唯一の光は、祇王様を思うこの心のみ。
暮む日と入道相国に奉す舞を行う時しも彼の御方は顕われました。
建礼門院様でございます。
彼の方、入道相国より我と琵琶の者を強引に引き取りて囲われました。
定めてあの頃より、建礼門院様は入道相国に対し何か思うところがあったのでしょう。
小松内府公(平重盛)の六波羅の小松第にて舞う今様は、真に光満ちて素晴らしき頃でした。
その後は、法皇様にも今様を奉しいたし、まるで夢見の心地にございました。
また、建礼門院様の女房建礼門院右京太夫様(伊子)に想いをお寄せされていた小松新三位中将卿(平資盛)や横笛の名手であられた左中将卿(平清経)とで、琵琶の音に合わせ舞えたことは実に喜ばしきこと。
建礼門院様と法皇様の麗らかな眼差しを受けた日はこの心に常より刻まれております。
「花咲き実熟ると説い給ふ」
ゆらりゆらりと荒波と怒号を背に、穏やかな眼差しを受け我は舞う。
この心は、吾が君のために。
この声は、貴きもの共の魂鎮に捧ぐ。
この舞は、全てを儚み躍動す。
然らば、そこへばさりと御簾を勢いまゝ引き上げる者ありけり。
其は新中納言卿(平知盛)の姿。
詰め寄る女房共を縫い、息整えこう申す。
「めづらしきあづま男をこそ ご覧ぜられ候はめ」
新中納言卿、朗らかに憑き物の落つる様相にて高らかに上げる。
皆そこで察す。
我もまた肝据えたる思ひで舞止む。
琵琶の音も何時しか止む中、新中納言卿に負けぬ泣き響むをんな共の声渡る。
二位尼様、持ちて櫃より宝剣取り出し建礼門院様のお傍へ参る。
我もまためしひ(盲目)の琵琶の下へ寄り、小さき手取りて告げる。
「其方はお逃げ。其方は落ち延び、この遠き栄華の盛衰を伝えよ」と。
然れども琵琶の者は首振りて「御身と共に」と握り返す。
入道相国の頃よりの長きに渡る付き合いなれど、我もまた折るる訳にも行かぬ。我は、建礼門院様と幼帝のお傍にあらねばならぬ故。
柏原帝の血と共に、我もまた海原の下へと参ろうぞ。
祇王様、仏御前様、妹御様、大母様。
我、今御許へ。
立ちて建礼門院様のお傍へ近寄りてしずしずと膝突き合わす。
濃き濡れ羽色の眼が我射止むる。
建礼門院様お抱きあそばされていた幼帝、二位尼様の懐で笑ふ。
そのご尊顔、真建礼門院様と上皇様瓜二つ。をかしき目尻、笑窪、幼き御口許。
我笑ふめば、幼帝朗らかにゑ笑む。
「こちをみなさい、小松原童子」
いみじき様相にて徒ならぬ雰囲気醸し出す建礼門院様。我向きて真に受ける眼は、肝据え申したと告げんとする。
然れど建礼門院様に我の心、伝わらぬ。
「其方もまた、浮舟と共に落ち延びなさい。其方たちは、二人で一体の存在――――沙羅双樹なのですから」
「我の身は既に、建礼門院様の御身のお傍にあらねば生きられませぬ。どうかお許しを」
はらりはらりと涙零せども我の思い断ち切り、建礼門院様は首振る。
我に「残りて平家の世を伝え詠えよ」と申される。
我、口惜しさに歯噛みし拒絶す。建礼門院様への初めての反意。
この身建礼門院様に捧ぐと誓ふと定めた者。
共に極楽浄土へ参ろうぞと告げようとするも、新中納言卿の御声とあずま男共のむつかしげなるもの共の声により消ゆる。
――――時来る。
「小松は浮舟と共にここにて身を潜め、我等を見届けなさい」
「建礼門院様、建礼門院様。どうか御身と我を供に」
縋る手解きて船上踊り出で、幼帝抱えし二位尼様も女房共も御簾超え行く。
薄暗き中に留まるは、我と浮舟のみ。
たちまち鳴り響くは、聞き慣れぬ音。
どぼん、どぼん。
重たげなる音共が次ふに連なる。
まどひて浮舟と共に御簾超えれば、辺りは地獄の園と成り果つる。
眼にて広がるは、二位尼様宝剣抱きて女房たる按察使局伊勢に幼帝抱えさせ船頭より身投げなり。
女房共も念仏往生しつつ次ふ連なり身を投げ行く。
それ見届けし柏原帝の血筋共、つぎつぎ手取り合ひて海原に身を投ず。
その中、嘗ての小松新三位中将卿の御姿あり。
兄の傍ら挟むは、弟御右少将(平有盛)と従兄弟左馬頭(平行盛)を両の手に添え、澄む空と海原に身を投ず。
休らふことなく、貴き血共は極楽浄土へ沈み行く。
二位尼様の仰せ通り、竜宮なるものがあろう母の水底へ沈み行く……。
平家棟梁方、八嶋内府公(平宗盛)も嫡子と手取り入水す。
中には碇持ちてはらからの門脇中納言卿(平教盛)と修理大夫卿(平経盛)共に入水せしもの顕る。
然れど水尾帝の血の者共源氏方、面目故か平家の者らを捕らえはじめけり。
海浮かび上がる者共を召し取りて捕虜とす。
正に地獄を体現せしむる光景なり。
このまま生き恥を晒すべからず。我も続こうと船梁にて身を上げ海原を眺むる。
空には水鳥が雄大にそよぐ。真自由なり。
それ眺めやれば、隣に建礼門院様が我の手取りてほほゑみをされる。
我も取られし手握りかえし給へば縁乗り上げる。
あゝ我無常の喜び。建礼門院様と共に竜宮へと参りませう。
「見るべき程の事は見つ。いまは自害せん」
遠きより聞こえし新中納言卿の響む御声。
我もまた平家と同じ驕れる者なり。母御祇王様に拾はれ、建礼門院様といふ主人得た者。この身に余る過分な人世たり。
ゆふらりと身を傾け海原へ落す。
不意に我の身がくりと止まりて我の目に映るは建礼門院様笑ふまるゝ御姿。
何事かと眼開けど投じたはずの我の身兵船に引き戻される。
どぼん
代わりに聞こゆる水の音。
水底に沈み行くは建礼門院様のみ。そのくはしき御口許微かに動きて我に別れ告ぐ。
その御姿見て一度、我の心に湧くは……。
「建礼門院様! 御前様はここで世を儚むには早き御方にございます!」
祇王様や仏御前様の、早きに召されし思ひなりけり。
平家の都落ちの前に、祇王様も仏御前様もおかくれになられ我の心の支えは唯一建礼門院様のみとなる。
而して建礼門院様までもおかくれになれば、我生きる道無し。
それに共にかくるは我の身には厚かましきなりて我、建礼門院様の下へ身を投げうる。
どぼん
制止の声振り切りて海を掻きて水を掻きて、沈み行く建礼門院様の御衣掴み抱き寄せる。
建礼門院様のお傍に僅かながらいたこの身。然れども彼の方の苦しみ計り知れず……。故に、永らえて世を見ていただきたし。
この世をば、笑ふむに足るものであった、と。
眼閉じし建礼門院様の御身を、上にいる者共に向け軽らかに差し出す。
どうか、御前様と我の魂合ふこと願ふ。
上より微かに聞こゆるはめしひ琵琶の浮舟の声。
さめざめと音泣くがごとくその声口遊む。
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす』
遠き日が我の頭へ過ぐ。
彼の日の栄華、しかとこの胸に我とどむる。
『奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ』
身の程知れずな者の我、彼の日が夢であったといふなれば長き夢なりけり。
しかれど、栄華の日は我の胸の内にしかとありし――――。
我、遥か底の竜宮目指し落る。幼帝と二位尼様ら向かわれし極楽浄土へ向けて。
おわり。
見ていただきありがとうございました。
平家物語好きに刺さればと思います(*^^*)