シャルマエ・ジャパエ~星川町篇~
リメイクしました!
かつて、旧人類と呼ばれる者達がいた。
彼らは大昔、自分達こそがこの惑星の盟主である……と思い上がっていた存在。
そしてその思い上がり故に、この地球上で多くの戦争を引き起こし……最終的にこの大地を、致命的と言えるレヴェルまで荒らすに至った。
後に荒らされた大地は、それを見て不憫に思った女神が世界樹を植えた事により一応は、人類の生存圏ができるくらい正常に戻った。
だがそれでも、旧人類がこの地球にした事柄は、帳消しにされたワケではない。今でもその戦争の傷跡は、深く大地に刻まれている。
にも拘わらず、旧人類はその罪を、まったく反省していなかった。
それどころか、女神の、この大地への慈悲の象徴とも言える世界樹より生まれる新たなエネルギー『魔素』を有効活用しうる生命体……後に新人類と称される存在を生み出し、酷使し……最終的には、その新人類の叛逆によって滅びを迎えた。
※
「ふぅ~~……やっぱり訓練の後の風呂は最高だなぁ」
己が酷使していた存在によって滅ぼされるという、因果応報な結末により旧人類が滅びた後も……数々の戦乱の時代があったものの、それらをどうにか乗り越えた新人類が建国した国の一つ『カーライル王朝・聖王国』。
聖騎士団と聖導教会によって統治されるこの国に所属するアウトクルセイダーの一人……クルセイダー第二師団ヴァース・アンセムを率いる立場になってしまった十三歳の少女――シャルロット・エル・ヴァースは、例によって団長と副団長……ついでに言えば、掃除担当の者しか立ち入る事が許されない聖なる場所とされる、国内の教会の最奥にある風呂場の浴槽でひと休みしていた。
シャルロットは、志願してアウトクルセイダーになってはいない。
かつてこの世界を救ったとされる聖剣エル・ヴァースに選ばれたせいで今の役職に就いている、元々は田舎の猟師の娘だった少女である。
なので彼女には、聖王国の法と秩序の番人たる聖騎士として学ぶべき事が多い。
現在は、副団長にして、姉の如き理解者にして、シャルロットを自らの使い手として選んだ聖剣エル・ヴァースの、かつての使い手を先祖に持つ女性ことクーリィ・クレセリオの補助もあり、日々、聖騎士としての仕事を、体に無理がない程度に勉強中なのであるが……それでも疲れる時は疲れるのだ。
アウトクルセイダーに、王国から正式に任命された直後のそれよりは、ある程度楽にはなった。だがいつまた王国に、魔獣――旧人類の負の遺産とも言うべき存在や隣国、さらには異界より侵攻せんと動く魔族などの脅威が襲ってくるのか分からない。なのでここ最近は、できるだけ早めにアウトクルセイダーとしての威厳云々を身に付けてもらうため、彼女の勉強量はほんの少しだが増えていたりする。
そんな彼女にとって、この風呂場での入浴タイムは至福の時だった。
張られた湯に浸かるだけで傷が、疲れが癒える。もしかすると、そういう効果が付与されている特別な湯なのかもしれない。
「…………ん? なんだあの亀裂」
そしてそんなお湯により、思わず鼻歌を歌いたくなるほど傷が癒えた時だった。
シャルロットは、その浴槽の片隅に入っている、亀裂を見つけた。この風呂場がいつ造られたモノかは分からないが……もしかすると経年劣化によるものかもしれない。
「うわぁ。お湯がこぼれてるじゃん。修繕の手配とか、クーリィに言えば大丈夫か…………なッ!?」
そして湯がこぼれる事を嘆いた……その時だった。
いったいいかなる不条理な理屈でそれは起きたのだろうか。
なんとその亀裂へ向かって、張られた湯が……まるで激流の如き凄まじい勢いで流れ始めた!?
「な、なんっ……わっぷ!?」
そしてその勢いに、まだまだ肉体的に発展途上なシャルロットは、なす術もなく流され――。
※
「――っと……ちょっとアンタ、大丈夫!?」
暗闇だけの世界に、突然声が響いた。
と同時に、顔を軽く叩かれるような感触も伝わってきた。
そのおかげで、徐々に意識が覚醒し始めたシャルロットはまず、いったい自分の身に何が起きているのかを考えた。
湯に流されたところまでは、思い出せる。
だがその直後から……記憶がプッツリと途絶えている。
湯に流される最中に、どこかに頭をぶつけた。もしくは酸素不足により……意識を失ったのだろうか。
とにかくシャルロットは、一度意識を手放したようである。
(という事は、この声は……アタシを心配してくれた人の声、か……?)
まだ意識が完全には覚醒していない上での思考の末、シャルロットはその結論に至るが……直後にある事に気づき、サァッと青ざめた。
風呂場でなんらかの事故に見舞われたのならば、そんな自分を発見するのは教会の関係者……もしくはクーリィでなければならない。
しかし現在進行形で自分に呼びかける声は、まったく聞き覚えがない声だった。
(ちょ、ちょっと待て!? い、いったん落ち着こう……とりあえず、言葉は理解できる。それに相手はアタシの心配をしてる! という事は……とりあえず相手は味方だ! 間違いない!)
しかし混乱しているのもあるだろうが、声をかけてくれた相手が、自分の味方であってほしいという願望もある程度あるだろうが……若干、自分にとっては都合が良い解釈で状況を把握した。
そして、そろそろ起きなければさらに大事になる可能性を考え、ついに彼女は目を開け…………思わず絶句した。
なぜなら、シャルロットの目に映ったのが、彼女を心配そうに覗き込む、彼女が資料でも見た事がない未知の……平たい顔の人種と、そんな人種の背後に広がる、これまた未知の世界だったからだ。
自国の照明魔導具とは異なる照明器具。
プロペラを回して涼しい風を起こす謎の器具。
大衆用なのか、脱いだ服を入れる多くのロッカーが設置され、そして自分の知らない物語のポスターや大きな鏡が壁に貼りつけられている部屋。
どう見ても、聖王国には存在しない物ばかりだ。
「…………………………ッ!? あ、あれ!? ここは!?」
しかし異常事態ゆえに、言葉を失っている場合ではないと、すぐにシャルロットは我に返り……しかしやっぱり驚愕する。
その際に、反射的に上体を起こそうとしたせいで、自分を心配そうに覗き込んでいた未知の人種――おそらく自分とそう変わらない年頃であろう短髪の少女に頭をぶつけそうになったが、相手の少女の方が一瞬早く回避したために事なきを得た。
しかし頭をぶつけかけた事実は変わらない。
そしてそのせいで、相手の少女に睨まれたため、非があるシャルロットは慌てて彼女に「ご、ゴメンよ!」と謝った。
「まったく。次からは気をつけてよね」
すると相手は、シャルロットに悪気がない事が分かったからか、体に巻いたバスタオルを直しながら、しょうがないなと言わんばかりに表情を柔らかくした。
しかし直後に、
「ところでアンタ、この辺では見かけない顔だけど……この町の新しい住民?」
と言いつつ訝しげな表情を見せた。
するとそこで、ようやくシャルロットは。
ここでは自分の方が異端の存在である事を自覚した。
しかし説明しようにも、いったい何が何やらさっぱり分からない。
少なくともここは周囲の状況からして、自分が知る『カーライル王朝・聖王国』ではないだろうが、そうするとここはどこなのか。
もしや授業で習った、魔族が住む世界なのか。
だが、もしそうなら、自分はなぜこうして生きているのか。魔族は新人類に対し好戦的ではなかったか。なら相手の少女は魔族ではなく……彼らとはまた違う存在なのか。
シャルロットは混乱した。
するとそれを見ていた相手の少女は「湯船に浸かりすぎて、記憶が混濁してるのかしら」とシャルロットを心配そうな目で見た。
なんか誤解されてしまい、シャルロットは苦笑するしかなかった。
しかし少し経つと、誤解されていた方が異端者である自分にとっては都合が良いのではないかと思い立ち、すぐに話を合わせた。
「あぁー。確かに……まだ頭がぼーっとするかも」
「ッ! た、大変! だったらまだ横になっていなさい!」
シャルロットが嘘を告げるや否や、相手の少女は、無理やりシャルロットを横にした。さらに少女は、シャルロットが上半身を起こした際にめくれてしまったバスタオルを、再びシャルロットの慎ましき胸部にかけると「すぐ冷たい飲み物が来るからねッ!」と、シャルロットの意識を持たせるために声をかけ……それを聞いたシャルロットは罪悪感を覚えた。
けどすぐに彼女は、異常事態なのだから仕方ない、と自分に言い訳し、なんとか罪悪感を抑え込んだ。戸籍などを調べられ、この世界の住民ではないと発覚したらどうなるのか……まったく予想できないのだから。
だが、罪悪感を抑え込んで平常心に戻ったのも束の間。
罪悪感に代わり、今度はそれ以前の問題――原因不明の、不条理な現象が起きて転移してしまったこの未知なる世界から、元いた世界に戻れるのか――が頭の中に浮かんでしまい、シャルロットは頭がぼーっとすると言ったにも拘わらず、それに反して顔をまたしても青ざめさせるほどの不安感に襲われてしまう。
そしてその矛盾する顔色に、シャルロット自身はまったく気づかず。
逆に、目の前の少女にそれを気づかれてしまう……まさに、その寸前。
「かなえお姉ちゃん! 番頭さんに貰ってきたよ! 豆乳カルピス!」
そんな彼女の罪悪感や不安感を吹き飛ばすような出来事が突然起きた。
聞くだけで心地良さを覚えるソプラノボイスが耳に入ると同時に、脱衣所のドアがガラリと開けられ、そこから自分や目の前の少女――かなえと同じく、体にバスタオルを巻いた少女が。緑色の頭髪と、その上に装着されたネコミミカチューシャのような物が特徴的な少女が入ってきたのだ。
(テミルと……ほぼ同い歳か?)
少女を見た時、最初に抱いた印象はそれだった。
テミルとは、シャルロットの故郷である村にある寺子屋に通う少女だ。
寺子屋の生徒の中では年少で、そして彼女自身がシャルロットに懐いているためシャルロットがよく世話を焼く、妹のような存在でもある。
(…………なんとしてでも、帰らなきゃなぁ)
謎の少女を見ていて、テミルの事を思い出したシャルロットは……改めて、元の世界への帰還を決意した。未だに帰還方法は分からない。だが、とりあえず今は、記憶が混濁しているフリをしておけば、いつかは帰還方法が分かるかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、シャルロットは帰還できないかもしれない不安や、目の前の少女達へと嘘をつく罪悪感を……ついでに言えば、緑色の髪の少女に耳があるのに、なぜ頭に猫耳があるのかなどの疑問も、なんとか誤魔化した。
「はい、これ飲んで!」
そして、シャルロットが自分の気持ちの整理をつけた時だった。
かなえは、緑色の髪を生やす少女から飲み物を受け取り、その蓋を取ると、中身の入った瓶の方をシャルロットに差し出した。
「のぼせた時は豆乳が一番だって、TVでやってたから!」
「とう、にゅう?」
それは、シャルロットにとっては初めて聞く単語だった。
そしてそれ故に、彼女は反射的に警戒してしまうのだが……記憶が混濁するほどのぼせていると勘違いされているところからして、おそらく、かなえと呼ばれた少女に助けられるまで、シャルロットは湯船の中にずっといたのだろう。そしてその勘違いに便乗し、今ものぼせていると嘘をつき続けている身の上のシャルロットがここで躊躇えば……のぼせていないのではないか、と怪しまれるかもしれない。
(い、いや躊躇うなアタシ! アタシを助けてくれたくらいだぞ!? 毒とか混入させるワケが…………………………ないよな?)
未知の飲み物を前に、どうしても危険性を考え躊躇ってしまうシャルロット。
だが飲まないなら飲まないで怪しまれる事を考慮し……結局彼女は、その白色の液体――豆乳カルピスを、上半身を起こしてから飲んだ。
(ッ!? こ、これは!?)
すると、その直後。
シャルロットの脳天を……今まで感じた事がなかったタイプの爽快感が突き抜けた。
「な、なにこれッ!? ほどよく甘いけどちょっと酸っぱさもあって、それでいて後味が残らなくてさっぱりしててとにかくうまいぞ!?」
のぼせていると先ほど言ったにも拘わらず、まるでその言葉を否定するかのように思わず元気に、そして饒舌になってしまうシャルロット。
そんな彼女を見たかなえ達は、さすがに訝しげな表情になり、顔を見合わせた。
しかし豆乳カルピスを褒めてくれた事は嬉しいので、とりあえずはシャルロットに「気に入ってくれたようで何よりよ」とだけ、かなえは返しておいた。
すると、その時。
かなえは重要な事を忘れていたのに気づいた。
「あ、そういえば自己紹介してなかったわね」
シャルロットを助ける事に夢中で、今まで気にしなかったが、名乗らぬ相手からいきなり飲み物を受け取って、疑ったりしない方がおかしいではないかと。
「私の名前は天宮かなえ。この星川町の住民よ」
今さらその事に気づいたかなえは、恥ずかしさのあまり少々赤面をしたが、すぐに自己紹介をした。
「私の名前はエイミー! これからよろしくね!」
かなえに続き、緑色の髪の少女ことエイミーも、シャルロットが星川町の新たな住民であると勘違いした上で自己紹介した。
「あ、アタシの名前は――」
そしてシャルロットも、二人に続いて自己紹介をしようとしたのだが……。
(あ、あれ? 急に意識が……? ま、まさか毒と、か……?)
意識が、暗転する。
そして彼女は……再び深い眠りの中に落ちていった。
※
「――ルちゃん……シャルちゃん!」
暗闇だけの世界に、声が響いた。
しかし今度は聞いた事のない声ではない。
(…………………………クー、リィ?)
どう聞いても、その声は自分の部下にして良き理解者にして、姉のような存在であるクーリィ・クレセリオの声だった。
いったい何がどうなっているのか。
シャルロットはまたしても混乱した。
まさかさっきの、未知の世界の事は夢だったのか。
だとしたら自分は今、いったいどういう状況なのか……そこまで考えて、シャルロットは慌てて目を開け上半身を起こした。
浴槽の水に流され、そしてその直後に見たモノが全て夢だとするならば、自分は浴槽で眠っている状態。今度こそ湯に浸かりすぎて、のぼせた状態ではないのか。だとするとクーリィのこの声は、自分を心配しての悲痛な声に他ならない。そう判断したのである。
すると案の定、目の前に、涙目になったクーリィがいた。
彼女はシャルロットが起きるや否や、感極まりそのまま彼女に抱きついた。
「シャルちゃん! ああ良かった! 湯船に浸かってのぼせていたんですよ!? 心配したじゃないですか! もしシャルちゃんが目を覚まさないって事になったら……うぅぅ……」
「く、クーリィ……ゴメンよ」
自分の一番の理解者に心配させた事を、シャルロットは申し訳なく思い、素直に謝った。浴槽の湯に起きた激流などの、なんだか釈然としない出来事はあったが、それ以前にクーリィを泣かせた事は反省点だと思いつつ。そしてこれからの入浴時は、もっと慎重に入ろうか……そう思った時だった。
足元をコロコロと転がる何かに、シャルロットは気づいた。
いったい何だと思い、彼女はすぐにそれを視線で追い…………瞠目した。
それはどう見ても。
かなえとエイミーから貰った物。
豆乳カルピスが入っていた瓶ではないか!!
(ゆ……夢じゃ、なかった!?)
まさかの事実を前に、シャルロットはまたしても混乱した。
その後、瓶の中にかすかに豆乳カルピスが残っていたおかげで、その成分が分析され、聖王国で豆乳カルピスが流行る事になるのだが……それはまた、別のお話。
入浴後。
「ところでクーリィ、浴槽に亀裂なかった?」
「亀裂、ですか? いえ、私は見かけませんでしたけど」
「ッ!? え、じゃああれは……夢???? 現実????」
後にこのシャルロットの体験が、王都七不思議の一つにカウントされる事を……シャルロット達はまだ知らない(ぇ