三話
でも、ふと思った。彼女もしかして怒ってるのかなって。
今までは話しかけたら返事くらいはしてくれたし、ちょっとした事でも絶対従ってくれたのに今は全く動かないから。
人形みたいに無感情だと思ってたけど、違うのか。
そうだよね、だって本当に無感情だったらケーキを好きそうにもしないだろうしね。きっと感情はあるんだよね。それを殺して生きることを強いられてきただけで。
そう気づいたら堪えたはずの涙がボロボロ溢れてた。
僕はすごく酷いことしたんだなって思いでいっぱいで。
マルグリットはたまたま王様の血を引いちゃったってだけなのに、それが正統じゃないからって閉じ込められて。
従順に、ただただ逆らわず自分の意思を持つ事を許されない環境で育てられて。
道具として、半ば敵国の見ず知らずの僕みたいな良からぬ事を考えちゃう出来損ないの下に輿入れさせられて。
頼る人もいない心細い中、夫予定の最低な僕にあれこれ命令された挙句に一方的に追い出されて祖国にだって戻れない。
僕に怒るのも当然だし、それ以上に絶望してるよね。
僕は僕の都合だけで、笑ったらもっと可愛いだろうなくらいのくだらない理由でマルグリットをかまって、勝手に怒って、絶望して。
好きになってほしいなんて言いながら彼女の気持ちなんて何にも考えずにバカな事して結局突き放す形になったんだから。
あらゆるところが足りなくて出来が悪いって自分でもわかってたけど、今日ほど自分が憎いことはない。
「ごめん……。ごめんね、マルグリット……。ごめん、君を傷つけた。本当に酷いことばっかりして……僕は本当にバカだと思う」
溢れる涙でぼやけた視界の中、やっと銀色が動いて輝く青色が二つ見えた気がした。
でも涙が溢れすぎてもはや全てが滝の裏側から見てるみたいな状態だから、マルグリットの輪郭だってもう良くわかんないんだけど。
「ごめん、本当に。君がどんな生き方して来たか知ってたのに……。守ってあげたいなって、これからは楽しく暮らせるように僕が伴侶として味方になってあげたかったのに……従わせるような真似して、婚約破棄なんて宣言して……」
視界はぐちゃぐちゃな上に足にも力が入らなくなってきて、僕はその場に膝をついた。止まらない涙が地面にぼたぼたと落ちて染みを作る。
「あんなの嘘だよ、思ってないよ! 婚約破棄なんてしたくない! 流行ってるって聞いたから、君の興味を引きたくて言ってみただけだよ! 驚いたりしてくれるかなって……嫌だって縋ってくれたりしないかなって思っちゃっただけで、婚約破棄なんて望んでない! 僕は君と結婚したい! 君のことが好きです!」
もう殆ど地面に突っ伏す形になって、マルグリットへ気持ちをぶつけて泣き喚いていると、僕の視界にコツッと低めのヒールを履いた足先が現れた。
細かいフリルの付いたスカートから覗く華奢な脚の持ち主を見上げると、僕をじっと見下ろしていたのはマルグリットだった。
「……マルグリット……」
何も言わずに見つめるマルグリットに、僕は更に涙をこぼす。縋り付きたい所だけど、彼女はまだ国境の外にいるからそれは出来ない。
でもここまで来てくれた。僕の気持ちがやっと彼女に伝わった。
「……許してくれるの? 戻って来てくれる? 婚約破棄の話も忘れてくれ——」
そう思ってちょっと暖かい気持ちになってたんだけど、ハッと気づいて僕は黙った。
これもまた恭順かもしれない。
戻ってきて、許して欲しい。僕は初めにそう言ったのだから。
だとしたら、今目の前に立っているのは彼女の意志ではないのかもしれない。
「や、やっぱりいいです!」
僕は咄嗟に叫んだ。
「戻って来てとか許してとか、本当に思ってるし嘘じゃない。嘘なのは婚約破棄だけだから君のこと好きなのも本当だけど、で、でも戻って来なくてもいいよ! 許してくれなくてもいいし、結婚してくれなくてもいい!」
ここで僕の懇願にマルグリットが従うという事は、今まで通り人形に戻るという事だ。
台座に座って僕の呼びかけを無視してほんの少し見せた抵抗や感情も、また全部押し込めて生きるって事。
これから先はそうなって欲しくないって思ってやらかした何もかものはずなのに、これじゃあ同じだ。
不出来な僕がマルグリットを変えるだなんて奢った考えだったと思う。
変わって欲しいと思うことも、結局笑って欲しいなっていう僕の都合でしかないんだし。
彼女はもしかしたら、笑わず喋らず言われた事にただ従って、人形みたいに生きる事が幸せなのかもしれないから。
それならそれで今まで通り、話しかけられたら頷くだけで、何に対しても無関心で無表情でいいと思う。
でも、そうであっても、僕や誰かの言葉に従うんじゃなくて、彼女が選んでそうして欲しい。
ちゃんとケーキみたいに好きな物はあって、さっきみたいに抵抗したりする感情はあるんだ。
人形みたいなだけで人形じゃないんだから、したい通りに思った通りにして欲しい。
「君が今立っているのはルーシヤでもメリクでもない国だし、祖国の教えにも僕にも従う必要ないんだよ。だから全部君が決めていいんだ。君の好きにしていいんだよ」
それでこのままここから去って行くにしても、今まで通り人形として生きるにしても。
暫く、マルグリットを見上げて返答を待っていたけれど、彼女はやはり何も言わなかった。
そうだよね、余計な事は喋らず行わず、ずっと誰かに従う様に教えられて来たんだもの。急にそんな事言われても困らせるだけだった。
僕はやっぱり色々考えが足りない。
そう思って俯いた時、ガラスの鈴の音を思わせる声で、マルグリットが返事をした。
「——好きに?」
初めて疑問形で喋った。
はいといいえと質問に対する簡素すぎる答えしか返さない彼女が。
僕が驚いて顔を上げるとしゃがみ込んだ彼女の顔が目の前にあって、変な声を出しそうになった僕の左頬に、ひんやりと冷えた彼女の手がペタッと当てられた。
「……あ? え? な、なに、え?」
手も繋いだ事ないのに顔に触るって普通の事なのかな?
少なくとも僕の中の知識には無かったから、マルグリットが自発的に喋った事より動揺してしまう。
おまけに、近い。
青い瞳を縁取る長い睫毛の数までかぞえられちゃいそうな程近い。
「熱い。それに真っ赤に腫れています」
そりゃあ急にこんな至近距離で見つめられて、綺麗な女の子に触られてるんだから熱くもなるし赤くもなる。
おまけに僕はその女の子に惚れてるんだから腫れたりだってする……と思ったけど、そうだ今触られてる左頬はビンタされてエグいくらいに腫れてるんだった。
「お手当てを。戻りましょう殿下」
マルグリットはそう言って僕の手を取り立ち上がる。
僕は急に喋り出した彼女と瞬時に詰まった身体的距離に呆気に取られて足に力が入らない。手を引っ張られる形になったまま、立ち上がる事なくマルグリットを見上げる。
「マ……マルグリット……」
「……はい」
「も、戻ってくれるの? 城に?」
「……はい」
「僕が言ったから? 戻ってって。だから、従うってこと?」
僕の質問に、マルグリットは少し考えるように間を開けてから変わらぬ無表情で答えた。
「……はい。殿下が仰いましたのでそうしております」
ああ、やっぱりか。マルグリットは従う以外の生き方をしないんだ。
感情はあるけれど、押し殺して無い物にするだけなんだ。
だから、ここで城に戻るのは戻りたいからじゃなくて。
僕の伴侶になってくれてもそれは決められているからで。
好きでも嫌いでも関係なく頷くだけで、これから先も僕の気持ちは永遠に届かないし彼女は永遠に笑わない。
そう思ったら悲しくなってまた俯いたけど、すぐに彼女が言葉を続けた。
「ですから、好きにしております。殿下が好きにしていいと言って下さいましたから」
「マルグリット……?」
再び見上げたマルグリットは相変わらず無表情だけど、両の青い瞳はしっかり僕に向けられていた。
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