二話
その日から、僕が君を変えて見せるよとばかりに、変にやる気を出してしまった僕はマルグリットをかまいまくった。
用は無いけど彼女のもとへ行って、反応の薄さにめげず話しかけ続けて五分に一回は名前を呼ぶというウザ技炸裂。
女の子が好きそうな物は大体取り寄せてみせ、兄に頼み込んで伝授してもらった口説きテクを披露してもみた。
これは僕が途中で照れて不発だったんだけど。
とにかく、的外れも多々あったけど、女の子の扱いに長けてもいない僕にしては結構頑張ってた。
でも、彼女の反応は変わらない。
話しかければ頷くし質問すれば短く答えるけれど、人形の様に一度描かれた表情は変わらず、何か決定する時には僕に従うばかり。
ちょっと心折れた。あんまりにも無関心なままだから。その上僕としては結構無理していたものだから、段々イライラしてきた。
自分が勝手にやり始めた事で相手が思い通りの反応しないから怒るって、僕の不出来さ加減がわかると思う。
イライラしちゃった僕は、何だったかな……最初は本当に些細な事だったと思う。
お茶注いでだったかな? ああそうだ、食事中に手元が狂って彼女の足下に飛んでいったマリネ液ベタベタのセロリを、拾えって彼女に向かって言ったんだ。
周りに給仕係をはじめ使用人が多数いる中、まだ他国の王女で賓客扱いの彼女に向かって僕は命令した。
あまりにも無感情でこちらの言葉に対して頷くばかりだったからイラついて。
そうしたら、彼女は従順にもその通りにしてくれた。なんの躊躇いもなく素手でベタベタのセロリを拾ってナプキンに包んだ。深窓のお姫様が。
慌てて給仕係が飛んできたし、僕は後で兄達に怒られたんだけど。
でもその出来事でパチンと頭の中で何かが弾けて、僕は完全に調子に乗った。
自棄になってたとも言える。
こんなに心を砕いたつもりでもマルグリットには一つも響かないし、これから先こんな一方通行な生活が続くんだと思ってちょっと絶望してたから。
そこへきて彼女は今したみたいに言われたらなんだって逆らわずに従うんだって気づいてしまった。
それで思っちゃった。
何の意思も持ってない人形なんだろうから、だったら好きにしてやるよって。
あんな事もこんな事も従わせて辱しめて、楽しんでやるよって。
勝手に始めて勝手に絶望して勝手に逆ギレした。
最悪だなぁ。自分で思い返してみても本当僕って……。
まあ、でも元々ヘタレだから、言葉から想像する様な事は一つも出来なかったんだけどね。
笑わないけど本当に綺麗な子だから正面に立つと緊張しちゃって。何でも言うこと聞いてくれる可愛い子ちゃんが目の前にいるのに、思春期の妄想の欠片程もぶつけられなかった。
例えば——
「マルグリット!」
「……はい」
「……て、てー……て、て、手を出して」
「……はい」
「あ、手のひら、向きが……そうじゃなくて、あのぴーんって、あ、上じゃなくてま、前に……あ、ごめん両手じゃなくてその……うん、いいや、ごめん……」
手繋いでみたかっただけでもこれだし。
「マルグリット!」
「……はい」
「あ、僕、なんか急に、て、手が痺れちゃって……フォーク持てない、かなぁ……なんて」
「……はい」
「だ、だからさ、こ、このタルト一人じゃ食べれない……なぁ。その、だから……き、君にさ、その……あ——あ、ちが! 食べてって意味じゃ……あ、いいよ、うん。好きなの? タルト。なら、全然いいよ、食べな。へー、やっぱり甘い物は好きなのかな……あ、ごめん! 違うよ! 返して欲しくて見てたわけじゃなくて、いいのいいの。違うんだけど、いいんだ、もう。食べて」
あーん、ってしてもらいたかったんだけど出来なかったし。
でもケーキ類が好きっぽいことはわかった。無感情に見えてもそういう嗜好はやっぱり女の子なんだね。
こんな風に自由にしてやるって実際やってみたけど全然やれなくて。
結局自分のヘタレさ加減と、一国の王女に対して最低な行いを企てる自分の性根の卑しさを再認識して疲れるだけだった。
僕は毎日ちょっとずつ、マルグリットをより好きになるのに彼女の感情は一切動かない。
虚しくなって彼女に命令して自由にどうこうっていうのはすぐにやめた。
それでもまた一緒に過ごす内に、やっぱり好きになってもらえたら嬉しいな……に戻る。不毛だ。
でもせっかく結婚するんだから、無関心でいるよりは仲良くしていたいじゃないか。僕らの婚姻はいがみ合う国同士を結ぶ架け橋になる物のはずなんだから、表向きは。
そこで好きになってもらうまでいかなくても、せめて関心くらい持ってくれないかなぁと思って引き起こしてしまったのがついさっきの婚約破棄宣言だ。
女の子らしくケーキは好きみたいだったから、女の子の間で流行ってる物には興味あるのかなって考えたのが間違いだった。
そうだよね、そうなんだよね。
彼女が本当に何でも言うこと聞いてくれちゃうくらい従順で、逆らう意志も持たない人だってわかってたのに。
よりにもよって婚約破棄(嘘)するなんて。
いつも通り、はいって言って席を立つのは当たり前だったんだよ。
僕って本当にあっちもこっちも足りな過ぎて至らな過ぎて泣く気がなくても泣けてくる。
「ニルス、泣いてる暇があったら心当たりを探して来い」
「このまま見つからないと外交問題に発展するぞ」
「一方的に破棄して追い出したなんてルーシヤに知られたらここぞとばかりに大騒ぎされかねない」
「あいつら人を攻撃する時だけ異様に声がデカいからな。被害者アピールがえげつないだろう。自分達だってあのお姫様を厄介に思ってたくせにさ」
兄達が背中に蹴りを入れながら口々にとにかく探せと言ってくるが、心当たりなんてないんだよ。
ケーキが好きっぽいくらいしか知らないし。
何にも喋んないんだから。
興味とか以前に、距離全く縮まってなかったな。
でも自分の言動を思い返して、あ、と気づいた事がある。僕、彼女にこの城と国から出て行けって言ったんだ。
そう思った時、謁見の間に兵士が吉報を持って飛び込んで来た。
「見つかりました!」
「見つかったか! 何処にいた⁈」
「それが……隣国カナーと国境を一にする町です」
「城外に出たのか!」
「この短時間でよくあの交易都市まで……」
「だがあの町にいるとすると……下手をすると厄介だな」
ああ、やっぱりだ! 城から出て行ってた!
何か思案し始めた兄等をよそに、兵士の報告を聞くや否や、僕は弾かれたように立ち上がりすぐさま国境沿いの町へ急いだ。
「マルグリットォッ!」
「馬鹿待てニルス!」
背中で待てって声が聞こえた気がするけど待ってなんていられない。
だってマルグリットは多分この国からも出て行こうとしてるから。
もう一つの隣国カナーとは、ルーシヤとは違いしっかりとした友好関係を結んでいる。とはいえそこに至る迄には過去何度も領土争いをしてきた仲でもあった。
戦争の度に国境線や属領は勝敗によって西に東に揺れ動き、国境沿いにある町はその度にメリクになったりカナーに組み込まれたり、分断されて壁が立ったことも……。
そんな歴史を経て友好国となった現在、向かっている場所はメリクとカナーに跨る形で一つの都市として成り立っている珍しい町だ。
町の真ん中を走る国境線が東をメリク、西をカナーに分けるというこれこそ融和って感じの交易都市。
一応国境付近には両国兵士を立ててはいるけど、町の中は治外法権といった風で、特に住民なんかは東も西も行き来自由。
町の外からが隣国って扱いをお互いがしてる平和な地だ。
なんだけど、国境は国境。
町の西側は他国なわけで、辛うじて王族な僕は勝手に他国へは渡れない。
護衛の従者だって王国の兵士なんだから、そんなの連れて無断で国境越えたら侵略になっちゃう。
あ、だから皆この町にマルグリットがいるって聞いて難しい顔したのか。
もしもマルグリットが西側にいたら、連れ戻すのに煩雑な手続きして方々への連絡と調整が必要になるもんね。
というかカナーとルーシヤは友好国でないから、ルーシヤの、それも王族が無断で入国してたらヤバいのかも?
でもそのヤバい事が十中八九起こってるんだよね。だって僕がメリクから出て行けって言ったもんだからきっと……。
うわぁ、どうしよう。
それって国境云々以前にこの町にまだ留まってるかもわからないって事だよね?
町を出てカナーにがっつり不法入国しててルーシヤ人ってバレたら?
今度こそ本当にスパイだなんだって疑われるし、ルーシヤに連絡行っちゃうよね?
そうなるとマルグリットはどうなっちゃうの?
バカバカほんとに僕のバカ!
……と、思って町に着いたら、いた。マルグリット。
国境線の部分だけ地面に青色のレンガを敷いて示している町の中央の広場に。
領土を争っていたその昔、東と西を分断する壁が立っていた名残として、崩された壁の一部を使ったモニュメントが広場に立っているんだけど、その台座にちょこんと座ってた。
良かった、いた。
ってホッとしたのも束の間、駆け寄ろうとした足を止めて僕は困った。ものすごく。
それなりの大きさのあるモニュメントは国境線上に設置されていて、当然それを支える台座も大きくて色付きのレンガの幅を遥かに超えているわけだよ。
つまりさ、町と同じく台座は両国に跨っているわけで、左側はメリク国内だけど、右側は隣国なんだよ。
その隣国側の台座の端にマルグリットは座っていたんだ。
足先は揃えて、青いドレスの裾を綺麗に広げて姿勢良く。本当に人形みたいでとっても可愛い。
移動中に報告を聞いた所、マルグリットは城へ献上品だとかを搬入に来ていた馬車が帰るところに、勝手に乗り込んでこの町へ来たらしい。
どう見ても町民じゃない身なりをした女の子がヒラッと馬車から降りて来たと思ったら、スタスタ国境を越えて台座に座り動かなくなったものだから不審がって連絡が来たんだって。
ってことはさ、ここは半分カナーなんだから当然そっちにも連絡が行ってるんだよね。
しかも彼女はカナー側にいる。
兵士が動いて事情聞くから拘束しますなんて事になったら、身柄は隣国預かりになってその内ルーシヤ人ってバレて更に王族だってなったら……ぎゃぁ! ヤバい⁈
今すぐ連れ戻したいけど他国には入れないから、とにかく声をかけるしかない。
僕は国境ギリギリに立ってマルグリットに呼びかける。
「マ、マルグリット!」
絶対聞こえてると思うのにこっちを向きもしないよ。早くも心折れそう。
「聞こえてるよねマルグリット? ごめん、僕が悪かった。許して欲しい。話がしたい。とにかく一回そこから動こうか。ちょっとこっちの青いレンガの内側に戻って来るだけでいいからさ……」
その青い瞳に何を映しているものか、真っ直ぐ前を見つめているだけでマルグリットは僕の呼びかけにちょっとも反応してくれない。
これ無視だよね。止まった涙がまた溢れそうだよ。
お読みいただきありがとうございます。