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可笑しな話

作者: べんけい

     可笑しな話


     一


 地球温暖化が進む中、A市は日中、到頭、気温が40度に達した。あと10年もすれば、夏の世は灼熱地獄と化すだろうと男はアスファルトの照り返しが異常にきつい歩道を歩きながら思った。実際、体がうだるのを通り越して焼け焦げるように感じ、ぶっ倒れそうだった。頭が変にならない方が可笑しい位な陽気だった。

 そんな折、交番に差し掛かった。皆に変わり者扱いされるも自分こそ真人間と誇る男は、暑さの所為で頭が変になりながら交番の引き戸を開け、中へつかつかと入って行った。

「市民が熱中症で倒れそうに歩いてるのにお巡りさんがそんなのんびりとクーラーの効いた部屋の中で椅子に腰掛けているとは可笑しな話ですね」

 急に入って来て而も唐突に文句を言われた巡査は、こいつ、この暑さでちょっと頭が変になってるんじゃないかと思いつつ言い返した。

「あなた、汗も酷く掻いてるし、熱中症になったんですか?」

「いやいや、熱中症になったら立ってられませんよ、それ位、ふらふらしてるってことです」

「そんなことを言いに態々交番に入って来たんですか?」

「いえ、私とお巡りさんとの関係に何か理不尽なものを感じたものですから」

「ああ、そうですか、そんなに言うのならそこの椅子に座って休んでいても構いませんが」

「ああ、そうですか、では遠慮なく」

 男は汗をハンカチで拭きながら座るなり頭が変になっているお陰で普段、何気に疑問に思っていることを忌憚なく吐露し出した。

「あの、私は思うんですが、肌をこれでもかとばかりに露出して物凄く挑発的でセクシーな格好をした女を街で見かけたら見入るのは素より触りたくなるのが男の心情というものでしょう。女もそれが分かっていながら、また、男を挑発することが目的でありながら実際に男が触ってきたら痴漢だのセクハラだのと訴えるのは可笑しな話だと思いますがね」

「確かに女にも非が有りますが、法律は行為は罰せても意志は罰せませんからねえ」

「露出過剰なのは猥褻罪に当たらないのですか?」

「いや、おっぱいもろ出しなら兎も角ねえ、そこまでは流石にいないでしょう」

「乳首出さなきゃいいってことですか?」

「それと下乳ですかね」

「谷間は良いんですか?」

「それくらいはね」

「ああ、そうですか、それも可笑しな話ですね」

「まあ、考えてみればね」

「じゃあ、下はどうですか?」

「下って下半身のことですか?」

「ええ」

「あなただって常識っつうもんがあるでしょ」

「ええ」

「だったら聞かなくたって分かるでしょ、何を根掘り葉掘り聞いてんですか」

「だって女子高生自らが制服のスカートの丈を故意に短くしてパンチラさせて男の情欲を掻き立てているのにですよ、男がスカートの中を覗いたら男が全面的に悪いことにされて男だけが軽犯罪法に触れるとして逮捕されてしまうというのも可笑しな話でしょ、だから強いて聞いてるんですよ!お巡りさんは女が挑発するのは当たり前、それが常識だと、そう考えている訳ですか」

「いやいや、あのね、明らかにパンツが出てるならいけないと思いますよ、ですがね、風でちらつくぐらいなら風が悪いとも言えますし、挑発してると捉えるか捉えないかは人それぞれですからねえ、常識となる基準というものは曖昧なものですよ」

「大半の人の様にそうやって誤魔化すのは気に入りませんがね、まあ。この可笑しな話はこれ位にして

他の可笑しな話に移りますが、些細なことです、直ぐ済みますから聞いてやってください。あの私が勤めてる会社、まあ、零細企業なんですがね、零細企業にはブスが付き物と相場が決まってまして矢張りブスばっかり入って来ますからブスしかいないんですよ。でもね、内の会社の男連中ときたら矢鱈にブスたちに愛想が良いんですよ。上辺だけ見れば、非難されるべきことではないですがね、小さい会社の中でのブスの間で交わされる評判を良くしようと護摩を擦ってる小心者の浅ましい打算が感じられましてね、見てる方が情けなくなるんです。ですからブスたちが付け上がっちゃってましてね、先日なんかも仕事の帰り際、手洗い場で皆が集まってる時にね、或る五十代の不味い顔をした男性の上司が冗談で、「今晩、飲みに行くか」って或る二十代の不細工な女性平社員に持ち掛けたんですよ、そしたらね、その不細工女は入社してからすっかり付け上がっていて、すっかり不味い顔に馴れてますからね、「いい男となら飲みに行くけど」と敬語を使わずタメ口で臆面も無く身の程知らずな言葉で返したんですよ、そしたら不味い顔は、「俺じゃ駄目か?」って不細工女が更に付け上がる不味い顔その儘の不味い質問をしましたから不細工女は矢張り図に乗って、「もち駄目よ」って可愛い子なら別ですけど、思わずひっぱたいて、はったおしてやりたくなる様なふざけた言葉で返して来たんですよ。それなのに不味い顔はお互いに冗談半分で喋ってますから調子を合わせて、「やっぱり駄目か、こりゃ残念」と間抜けな落ちを付けて高笑いして見せて不細工女だけでなく周りにいた者達を残らず笑わせたという事が有りましたから、この場に居合わせた私がどう思ったと思います?」

「面白いですねえ、お聞かせ願います」

「嗚呼、嫌だ嫌だ、こいつらと一緒にいるだけで虫唾が走る。第一、こんな会話でブスと和んでいられる神経が理解出来ん。ブスが、『いい男となら飲みに行くけど』って言ったんだぞ!腹立たんのか!お前ら!『お前なんかいい男が相手にする訳ないだろ!』って言ってやれ!それは無理にしても、そう思わんのか!まあ思っても、お前らはあの例の空気を読むというさもしい了見を起こしてブスに合わせて微笑んでいられる訳だが、『もち駄目よ』ってこれは幾ら何でもブスの冗談にはしておけん聞き捨てならん事だと思わんか。こんなふざけた事をブスに言われている様では、嗚呼、はっきり言って男としておしまいだな。それ位、屈辱的な事を言われているのにそれに対しブスが益々付け上がる冗談で返すとは全く呆れる。同調するのも大概にしろ!この阿呆上司は今までも俗物の御多分に漏れず常に勘定づくで物を考えて生きて来て、その場その場で姑息な手段を用いて皆を和ませ人望を集め良い人として出世して来た経歴が有るから、この場に於いても自分を笑いの種にする様な不味い顔その儘のプライド無き軽蔑に値する冗談に因ってブスを始め俗物どもを笑わせ首尾よく成功したと喜んでいる訳だ。どうやら俗世でみみっちく成功している者というのは、こういう低俗を極めた者が大半なのだろうな。つまり世の俗物どもが人望の有る良い人と呼んでいるのは大方この阿呆上司の類を指して呼んでいるのだろうな。全く阿呆ばっかりだとまあ、斯様に思った次第です」

「アッハッハッハ!いやあ、痛快、痛快、そこまではっきりとずけずけ言えるあなたが羨ましい。全く可笑しな話だ。平々凡々とした在り来たりな人ばかりに接して来て可笑しな話に飢えていた私にとってあなたは心のオアシスだ!」

「ところが、私の奥さんは私を心のオアシスと感じないもんですから先日、私のアパートから出て行って、それっきり居なくなっちゃいました。全く可笑しな話ですよね」

 男は自分の窃視症や痴漢癖が原因で奥さんが逃げてしまって自棄を起こしたこともあって交番に入って巡査と四方山話をするという常軌を逸した行動に出たのだ。


     ニ


「はあ、奥さんに理解されず・・・ふふふ、分かりますよ、私も理解されませんからねえ」

「と言うと、お巡りさんも逃げられた口ですか?」

「いえ、私の女房は逃げませんよ」

「ああ、そうですか、だから同情せずに笑ったんですね」

「いやいや、すいません」

「ふ~ん、全く今のお巡りさんの態度を見ていると、『私がドクトルで君が精神病者だということには道徳性も論理もない。只、無意味な偶然性があるきりです』というチェーホフの言葉が思い出されます」

「はあ、こらまた話が高尚になって来ましたねえ」

「つまりです。私はこう置き換えて考えてみたんです。私が痴漢であなたが警察だということには道徳性も論理もない。只、無意味な偶然性があるきりですと」

「えっ、あなた、自分のことを痴漢ってよく警察の前で言えますねえ」

「ええ、私は痴漢です」と男ははっきり認めた上でチェーホフの言葉を換骨奪胎して言った。「しかし、何十、何百の私よりもっともっと狂人が自由に外を散歩してますからね。と言うのはあなた方の無学が健全な者と彼らとを見分ける力がないからです。どうしてまた私は贖罪の羊のように皆の代わりに罪人病人扱いされなければならないのですか?あなた方は全て道徳的な点では私よりずっと下等なのにどうして私が罪人病人扱いされてあなた方が罪人病人扱いされないのか?何処に論理があるのです?無いでしょ、これまた可笑しな話です」

「へへへ、警察が痴漢より下等だと言うのですか?」

「いえ、皆が私より下等だと言ってるんです」

「へへへ、あなた、この暑さで頭、可笑しくなってませんか?」

「いえ、ここへ来たことは可笑しいですが、言ってることは可笑しくありません」

「あなた、自ら痴漢と白状したし、実は自首しに来たんでしょう」

「な訳ないでしょ、被害届けでも来てるんですか?」

「来てはいないですが、あなたはどうも普通じゃない。それに言い回しが一々馬鹿にしてるようで憎々しい。私は断然あなたを逮捕したくなりました!」

「でも出来ないでしょ」

「残念ながら」

「悔しいなら立件できるよう足を付けてみるんですね。では、ここらでお暇しますかね」

 男が立ち上がると、巡査は卑劣にやり返すべく敢えてにやにやしながら言った。

「あなた、帰っても誰もいないんでしょ」

「そうやって弱味に付け込もうとする、そういうところ一つとってもあなた方は道徳的な点において下等なんだよ!」

「自分独りだけが道徳的だって言うのかい!あんた、痴漢である上に独善的と言うか自己中だね!」

「痴漢と言っても露出狂にしか触れないからあなたが思ってるような痴漢じゃないよ!って言うか、痴漢には当たらないよ!それに独善的でも自己中でもないよ!現に道徳的なのはマイノリティじゃないか!ほんとに何で露出狂や会社の連中やあなたのような俗物が罪人病人扱いされないで私が罪人病人扱いされなきゃいけないのか?全く可笑しな話だ!」

 男は悲憤慷慨しながら言い残して交番を去って行った。


     三


 アパートへ帰ってみると、日曜の夕方だというのに中は真っ暗、妻は無論、いなくて森閑としている。居るべき者が居ないというのは寂しい限りだ。リビングのテーブルの上には三日前、妻が出て行った時に残しておいた置手紙が萎れた差し花の横に置いた儘になっている。

 男は取り敢えず電気をつけ、コンビニで買って来たウィスキーをテーブルに置いてから熱気でむんむんしている中を開放すべくカーテンを開け、掃き出し窓を開け、ベランダに出てみた。男の部屋は二階にある。外の空気をちょっぴり涼しく感じ、直ぐに見飽きた景色に目を背け、部屋に入ると、こりゃ扇風機じゃ駄目だと思ってエアコンを付け、冷えてから掃き出し窓を閉め、カーテンを閉めた。

 男は冷蔵庫に向かい、製氷機から氷を取り出し、アイスベールに入れてテーブルに向かい、ソファに腰を下ろすと、早速、オンザロックでやり出した。その内、自然と置き手紙を手にして読み返してみると、妻の潔癖な性格が手に取るように分かった。夫婦それぞれ別の目的のため駅のプラットホームで別れる時に先に乗り換えた男が電車の中で痴漢行為を働くのを見逃さなかったことなどが克明に書いてあり、男がまるで浮気をしたかのように手紙の中で執拗に責めている。彼に痴漢を働かせた女がへそ出しルックで露出度が非常に高かった上に挑発的だったので、その後、肉体関係に至ったのではないかと疑っているのだ。

 男は出て行った妻に昨夜、電話をかけ、只、女の尻を触っただけだと弁明したら女に誘われなかったの?と問われたので痴漢男を誘う女が何処にいると答えたが、売春婦っぽかったじゃないと言うので、いやいや普通の女だよと答えておいた経緯を思い出しながら苦笑した。実際、女が売春婦で女を買ってしまったからだ。

「嗚呼、俺は悪い男だ。何が道徳的だ」と今日の昼間、交番でやらかした巡査との会話を回想し出した。「否、挑発する女が悪いんだ。挑発する女さえいなければ、俺は道徳的だ。これは盗人にも三分の理と貶すべからざる歴とした理屈だ。それはそうと俺は昼間、本当にどうかしていた。これといった用が有る訳じゃないのに交番に入って行くなんて正気の沙汰じゃない。おまけに自分が痴漢だと白状するなんて実に今日の昼間の俺は可笑しな上に大胆極まりなかった。嗚呼、それにしても可笑しな会話をしたものだ。それもお巡りとだ。ハッハッハ!いやはや全く可笑しい。而もチェーホフの言葉を持ち出したりして我ながらふるってたなあ。そう、自分が道徳家で、てめえらが卑劣漢だと力説する為に・・・」

 だって実際そうじゃないかとグラスを傾けながら思っていると、玄関から物音がした途端、帰って来てやったわよ!と妻の甲走った声が聞こえて来たので男はアルコールで紛らわしていた心が晴れ晴れして光風霽月となった。

「私、頭来て実家に帰ってたんだけどお母さんがねえ、政治さんはいい人だ、あんないい人から逃げるなんて、あんたはよっぽど頭が可笑しくなってるねって言うもんだからさ!」

 玄関でハイヒールを脱ぎながら言う妻の言葉を聞いて男は再び苦笑した。


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