7、精霊種族 2
商業地帯の空き地から入り組んだ場所に入って行ったルゥは、袋小路で追い詰められている、ネロと似たような格好をした女性と木の棒を手にした鼠の動物種族の男三人を発見した。
「ちょ──」
「待ちなさい!」
勇んで出て行こうとしたルゥを息を切らしたネロの小声での制止と外套を掴んだ手が止めた。
「なんで止めるの? あのお姉さんを助けないと……!」
「いちいち厄介ごとに首を突っ込まないの。それに、どっちが悪かわからないでしょう? あの女が盗人だったらどうするのよ」
「でも、女の人に男の人三人っていうのはずるいよ」
「……確かに一理あるかもしれないけれど、助けるにしてももう少し様子を見ましょう。恐らくだけどあの女、精霊種族よ」
ならば尚更助けた方が良いんじゃないかと思ったルゥだったが、頭巾の下から覗いたネロの青い瞳がとても冷たい色をしていた気がして、それ以上何も言えなくなった。
「おい女! お前、精霊種族だろう」
「こんなところに一人でのこのこ来やがって、プリミールの害悪め!」
「悪魔! さっさと消えろ!」
「……わ、私は、何もしてない」
「何もしてない? 存在そのものが罪だ! この世界に精霊種族など不要!」
「そうだそうだ!」
次々に吐き出される精霊種族への暴言に、ルゥの心は怒りに震えた。
「ネロ……僕、もう我慢できない」
「あいつらも馬鹿よね。まあ、ルゥ、見てなさい。痛い目に遭うのはあいつらよ。下手に関わってこの都市にいられなくなるより、どうしても無理そうな時だけ助けに入るのが利口なやり方よ。酷いとは思うけど、それが賢い生き方なの」
「でも……!」
「良いからじっとしていなさい。変に目を付けられでもしたら今後の旅に影響出るわよ。私達は、きちんとした目的があって旅をしているの。それを忘れないでよ」
真剣に言い聞かせてくるネロの言葉には重みがあった。
自分と出会う前に何か似たようなことがあったのかな……とルゥは考え、今すぐ女性を助けに行きたい気持ちを我慢して、ひとまず見守ることにした。
「神罰を下してくれる!」
「……っ風に力を与え給え! ディ・ヴァイタル!」
男の一人が勢いよく棒を振り上げたのを目にした女性は、両手を前に突き出して何ごとかを唱えた。すると、女性の手から空気の塊が打ち出され、男を軽々と吹き飛ばした。
「え……?」
ルゥと残りの男の疑問の声が重なった。
「あ、悪魔だ! 悪魔の力だ!!」
「殺せ! 俺らが殺すんだ! そしてこの世界に平和を……!」
女性の精霊種族としての力を目の当たりにした男達は、手にしていた木の棒を無我夢中で振り回した。
「風に力を与え給え! ディ・ヴァイタル!」
「ぐあっ!」
「グフゥ……!」
女性は続けざまに残りの男二人を吹き飛ばし、逃げ出した。
もちろん逃げた先にはルゥとネロが居て、誰かが居ると思っていなかった女性はルゥとぶつかってしまった。
「あ……」
ぶつかった拍子に頭巾が外れ、中から淡い緑色の髪と瞳が現れ、ネロとは異なる美しさを持つ女性を目の当たりにしたルゥは一瞬見惚れてしまった。しかし、よろめいた女性を支えることは忘れずにしっかりと抱きとめているあたり流石と言えよう。
女性の無事を確認しようとしたルゥだったが、女性は自分の容姿を真正面から見られたこと、先ほどの出来事を見られていたかもしれないということに恐怖と動揺を感じたのだろう。ルゥの手を振りほどき、先ほどと同じように両手を前に突き出した。
「風に──」
「待ちなさい。私も、精霊種族よ」
頭巾を少しだけ持ち上げて青い髪と瞳、この世界では特徴的と言えるなんの変哲もない耳を見せて女性の祝詞を止めた。
祝詞とは、争い事を好まない神に何か(誰か)を傷付けることを許し願い請うために作られた精霊種族のみに伝わる言葉である。
祝詞を使わずに何か(誰か)を傷付けてしまった場合、精霊種族は体に相当な負荷が掛かる。最悪、死に至ることもあり得る。
更に、精霊種族と言えど自由に力を使えるわけではない。
彼女達も、晶霊石の補助無しでは祝詞を唱えない時と同様に身体への負担が大きいのである。
「平然としてるってことはちゃんと持ってるのね」
「……うん」
「ああ、この狼は私の連れよ。害はないから安心しなさい」
チラチラとこちらを気にしている女性に、ネロは彼女が欲しい答えを的確に提示した。
どうやら動物種族であるルゥを警戒していたようだが、害はないと説明されてルゥは安心させるようににっこりと笑ってみせた。
硬さは残るものの、女性も少し笑みを返してくれたことからどうやら警戒を緩めてくれたようだった。
「さあ、彼女の安全も確認できたことだし、さっさとこの場所から離れるわよ。貴女も、この都市に特に用がないのなら他の村なり町なりに移動することね」
「あの、ありがとうございます」
「私は何もしてないわよ。ほら、ルゥ。行くわよ」
「うん! お姉さん、気を付けてね!」
精霊種族の女性と別れた二人は、朝市が開かれている西側へと移動した。
南西からケイナンに入って来た時も道のそこかしこに露店が出ていたが、北西の朝市はひしめき合うように店が並び立っている。
「うわぁ……! 朝市ってすごいね!」
「今はまだお客も少ないからいいけど、その内人でごった返すから逸れないように注意するのよ」
「わかった!」
ネロの注意を聞いたルゥはすぐさま彼女の手を取った。
「なっ……! ちょっと! 何してるのよ!」
「え? だって逸れちゃダメなんでしょ?」
「そうだけど……! は、恥ずかしいじゃないの!」
──あ、ネロが照れてる。
勢いよく手を振りほどかれたにも関わらず、ネロの行動が自分を嫌ってのことではないと知ったルゥは終始笑顔であり、尻尾も楽しげに揺れていた。
「っ何笑ってるのよ!」
「ネロ、可愛いなあと思って」
「はぁ?!」
人々の行き交う往来で、兄妹の仲睦まじいじゃれ合いを目にする朝市に居る面々の顔はとても朗らかだ。
喧嘩にもならない喧嘩をする二人の仲を取り持とうと売り物である菓子パンを無料で渡そうとしている人まで居て、エーテルの一件と先ほどの精霊種族の一件とで朝から鬱々としていた二人の心内は日の出のように徐々に明るくなっていった。
だが……。
「っ待て! おい! その女捕まえろ! 風の精霊種族だ!」
何処からともなく聞こえてきた怒号に、朝市の明るい雰囲気は一気に暗雲立ち込めるものとなった。
「精霊種族? 多種族都市なんだからおかしくないだろう」
「そうよねえ」
朝市を営む商人達は概ね精霊種族に好意的だが、一部の商人と観光でケイナンに来ていた者や僅かな近隣住民はそうではなかった。
「精霊種族?!」
「異端者だ! なんで異端者が堂々と歩いているんだ!」
「怖いわ……」
「みんな逃げろ! 殺されるぞ!!」
穏やかだった時が緊張感漂う殺伐とした空気に塗り替えられる。
次々と上がる怒鳴り声と悲鳴に、朝市どころではなくなってしまった商人は店を畳み、買い物客も戸惑いながらも散り散りに逃げて行く。
そんな中、ルゥは"風の精霊種族"と聞いて先程の女性を思い浮かべ、ネロに確認しようと彼女の方を見た。
「ねえ、ネロ? ……あれ? ネロ?」
隣に居たはずの少女の姿が何処にも見当たらず、辺りを見回してみるが人が多くて見つけられない。
匂いを追おうにも、色々な匂いが混ざり合ってそれも叶わなそうである。
耳をピンと立てて彼女の声を拾おうにも、叫び声が大き過ぎて意味をなさない。
「ネロ! 何処に行ったの?」
もう一度名を呼ぶが返事は聞こえず、そうこうしてるうちにルゥの危機感を煽る発言が耳に届いた。
「おい! 精霊種族がもう一人居るぞ!」
──っネロ!
耳を塞いで目を閉じる。
神経の全てを嗅覚に注ぎ込み、混ざり合った匂いの中から目的の香りだけを探る。
──……見つけた!
「ネロ!!!」
人を掻き分け、時には押し退けて辿り着いた先。
数人の男に囲まれた、頭巾が外された状態のネロを見て、ルゥは無我夢中で男達を彼女から引き離し、隙を見てネロを抱え上げて逃走した。
「ごめん、ネロ」
「貴方が謝ることじゃないわよ。それより助かったわ、ありがとう」
抱えられたままの頭巾をかぶり直したネロに、ルゥはもう一度謝った。
「ごめん」
「この話はもう終わり。それより、このままケイナンを出るわ。真っ直ぐ行って、次の角を左。後ろからまだ追ってきてるから全速力で駆けなさい」
「わかった!」
ネロと出会ってから立て続けに見せられた精霊種族への酷い扱いに、ルゥは悲しみよりも怒りを覚えた。
抱えているネロにもそれは伝わったのだろう。優しく頭を撫でられ、荒んだ心を深呼吸で落ち着かせ、駆ける速度を上げたのだった。
お待たせしました。
これで先日中に書きたかった部分は一区切りです。
予想以上に長くなってしまいました。
次回はネロの独白を挟む予定です。
21,6,4 サブタイトル表記訂正