5、風の祠
ここからルゥ主体の第三者視点を離れ、ネロやエーテルの元へ視点が向かいます。
ルゥ達と別れたネロは多種族町ムルドの北、町から少し外れた場所にある、四大精霊のシルフを祀っている石造りの風の祠へと来ていた。
ムルドがシルフの加護によって安定して暮らせるようになった昔は参拝する者も多かったが、時が経ち、晶霊石の使い方を学び、自然災害への手立てを得てからはシルフの加護を忘れ、祠に足を運ぶ者は全くと言って良いほど居なくなった。
反精霊種族派の活動も相俟って、今では信心深い老人か物好きな観光客しか来ない。
それでも一応"祠"と言う神を祀る殿舎である。清掃は行き届いており、花や干菓子はきちんと供えてあった。
その祠のすぐ側に、小さな池がある。
飲み水として利用できるほど清く澄んでいるが、水深が深く底が見えないために杭と麻縄で簡易的な柵が作られ、注意書きの看板も添えてある。それでも数年に一人はこの池で死体が見つかるのである。
ネロは周囲に誰もいないことを確認してから、その池に身を沈めた。
水の精霊種族は水を操る。
精霊種族の血が、遺伝子が、神によってそう設定されているからである。
彼女(彼)達は元は四大精霊、ひいては四大元素から生み出されたため、元素そのものが人形を取っていると言っても過言ではない。
故に、ネロが水の中で呼吸を必要としないのも、水中深くの暗い闇の中でも障害物に当たることなく泳ぎ進めるのも、水が彼女の一部であるからだ。
しかし、全ての水の精霊種族がそうであるとは限らない。
精霊種族の中にも力の強弱、ばらつきがあり、自らの体を元素に近付け同化させると言う離れ技は、滅多にできるものではないということを注記しておく。
……そうして、光の届かない池の奥深くへ潜り、水の流れを感知し、横穴へと泳ぎ進むこと5分(ネロが泳いでこの時間であり、普通のヒトが泳いだらここまで15分は掛かる)。ようやく上へと浮上し始めたネロは水中からほのかな明かりの揺らめきを視界に捉えた。
──問題はこの先ね……。ここまでは水中に生きる動物種族でも、普通の水の精霊種族でも来られるわ。
海面へと顔を出したネロは、自分の心配が外れなかったことに対して安堵したような、落胆したようなそんな気分になった。
洞窟内の小さな陸地へと上がった彼女の眼前には、先ほどの水路がお遊びに見えるほど凶悪な流れをした川がある。この先に誰かがいる、ということを決定付けるような、普通の種族の侵入を拒むような流れの川があることに、その誰かが今も居るということに安堵し、その誰かに会いに行くためにこの川を登らなければならないことに落胆したのだった。
ずぶ濡れの外套を脱ぎ軽く絞って鞄に押し込みながら、自然ではありえない流れをしている激流に逆らおうと考える輩がどれだけいるのだろうかと思考を巡らせた。
──……無理ね。この流れに逆らえる奴なんて、片手で数える程も居ないでしょう。逆に、この流れに身を任せても、待っているのは"最悪"でしかない。まあ、例え激流に逆らって川を上り切ったとしても、待っているのは"最悪"なのだけれど……。
これから会う誰かのことを思い浮かべて気分が下降したネロは、気持ちを切り替えるように軽く頭を振って気合を入れ直し、足元を確かめるようにゆっくりと川へ身を沈めていった。
普通、ネロほど小柄で体重の軽い者が激流に一歩でも足を踏み込ませようものなら一瞬で流されるのだろうが、彼女はまるで流れを感じていないように普通に川の真ん中まで歩き、大きく深呼吸をしてから潜った。
──っやっぱり、扱いづらいわね……。
まるで人魚のように滑らかに、そしてしなやかに泳いでいるが、この泳法を取るときは彼女が本気を出している時である。つまり、それほどまでにここが厄介な場所だということだ。
そして、本気で泳ぐこと10分、先ほどの空間と同じように揺らめく明かりを水中から確認したネロは、アシカやペンギンと同じように泳いでいた勢いのまま陸地に飛び上がった。
水流によって髪は乱れ、濡れて張り付いた状態のまま地面に手を付いて肩で息をする彼女は、しばらくその状態から動けなかった。
「っ……はぁ、はぁ……。やっぱり、不便っ……ね…………」
呼吸を整えて目の前に続く道を少し進むと、岩の檻に閉じ込められた妖艶な美女が居た。
女性は腰まで届く緑がかった銀髪を弄び、白い布一枚を体に巻き付けただけの色々と危ない格好で微笑んでいた。
「あら、珍しいじゃなぁい? こんな場所に来るなんてぇ」
「こんな場所、私だって出来るなら来たくなかったわよ」
ネロがスカートの裾を絞りながら苛ついたように言うと、美女は手を翳して風を起こしあっという間にネロの髪や服、荷物までをも乾かした。
「……一応、礼は言っておくわ」
「凄いでしょう? 幽閉されててもこれくらいは出来るのよぉ? それでぇ、こんな場所になんのようなのぉ?」
「貴女に聞きたいのは火の精霊種族が減って土の精霊種族が増えていると言うことよ。それは本当なの?」
「そぉねぇ……」
美女は口元に指を当てて、小首を傾げて虚空に視線を向けた。
「それは事実よぉ。エルくんはお母様派だったし、フーくんはお父様に会わないとどうしようもないんでしょぉ?」
「……相変わらず母とか父とか、家族ごっこしているのね」
「そう言うネロちゃんはフーくんを独り占めして恋人ごっこしてたじゃなぁい?」
「っそれは……!」
「まあ、私もフーくん大好きだけどぉ。どぉ? フーくんは元気にしてるぅ?」
「知らないわよ!」
──だから来たくなかったのよ、こんな所! あいかわらず人の神経を逆撫でして、何が面白いのかしら! っあーもう! イライラする!!
「くすくす。怒った顔も可愛いわよぉ、ネロちゃん」
「アイネ、私を怒らせてどうしたいの? 檻でも壊して欲しいの? それとも、貴女ごと壊して欲しいの?」
「怒らせたいわけじゃないんだけどねぇ。それにぃ、ただの精霊種族がこの檻を壊せるわけもないしぃ、シルフである私に敵うわけないじゃなぁい。それでもやるって言うならぁ、ネロちゃんも、自由を奪われたい? それがお望みなら、今すぐそうしてあげるわよ?」
一触触発の空気が流れたが、アイネと呼ばれた美女が「冗談よぉ」と言って両手をひらひらさせたことで張り詰めていた空気が霧散した。
「聞きたいことはそれだけぇ?」
「……もう一つ。センティルライド大陸に、ハカセと呼ばれている精霊種族が居るらしいんだけど、知ってるかしら?」
「ハカセ? さぁ、聞いたことないわねぇ。私が幽閉されたのはネロちゃん達がお母様を怒らせたすぐ後だもの。風の噂で精霊種族の力関係は届くけどぉ、流石にセンティルライドの個人的な噂までは聞かないわねぇ。幽閉されてる所為か分からないけどぉ、お母様もお父様も気配が読めないのよぉ。だから、ネロちゃんもこんな所に来たんでしょうけどぉ」
「……」
お父様とお母様。
アイネの言う彼らにルゥを会わせることで彼の記憶が戻る。
「話が終わったならぁ、外まで送ってあげるわよぉ?」
「……アイネは、フーの味方?」
「そうねぇ、私はエルくんもフーくんも、もちろんネロちゃんも好きよぉ。誰の味方もしないけどぉ、誰の敵にもならないわよぉ」
「そう……」
「あ、でもぉ……」
「何?」
「お父様がダメって言ったらぁ、私はそれに従うわよぉ?」
「…………一応、檻に細工しておくわ」
「細工なんて意味ないわよぉ。お母様とエルくんが作ったんですものぉ。ネロちゃんには絶対破れないわよぉ」
「やっぱり、無理に抉じ開けるにはフーじゃないと無理なのね」
「そういうことよぉ」
「それでも、あの子を助けるために力を貸して欲しい……。いつか、その時がきたら……」
「できることならしてあげたいわよぉ。私だって、こんな狭苦しい場所からさっさと出たいものぉ。さぁ、これでおしゃべりはお終いねぇ。お姉ちゃん、頑張ってねぇ?」
アイネはそれだけ言うとネロの周囲に空気の幕を張って宙に浮かせ、激流の中へと放り込んだ。
流れに乗った空気の幕は、ネロが必死に泳いで来た水路を易々と進み、地上にあるシルフの祠の前へと運んだ。
「言わなくても頑張ってるわよ……」
祠に向かって吐き捨てるように言ったネロは、多種族町ムルドに戻るため歩き出した。
今後もルゥの元から離れた視点が増えます。
第三者視点の難しいところは、登場人物の数によって視点がブレるところですね。トキモトが力不足なだけかもしれませんが……。
さて、以前からちょくちょく名前が出ていたアイネ。シルフの名前と分かったわけですが、ならばエルデとは……? もうお判りでしょう。
こうしてどんどん登場人物が増え、キーパーソンが増え、話はどんどんと複雑になっていきます。
そろそろ相関図を用意しなければ……w




