2、『神の手足』
寒空の下、多種動物種族村サイオスから西に向かうこと一時間。
ずっとネロに手を引かれて歩いていたルゥだが、ようやく歩みを止めることができた。
「……ルゥ、もう気付いているでしょう?」
「うん」
30分ほど前から、海の上で嗅いだような血の匂い(正確には金属である鉄の匂い)が徐々にこちらへ近付いて来ていることをルゥはきちんと嗅ぎ取っていた。
「悪い人達、なの?」
「海賊団よりも質が悪いわ。私たち、精霊種族や第三種族の、明確な敵よ」
月明かりに照らされ視認できるのは、ただただ乾燥して地割れを起こしている大地が広がっていることである。
ルゥは気付いた。
ネロが急いでいたのは、周囲に何も無いこの場所まで来るためだったのだと。これから起こるであろう出来事に、誰も巻き込まないようにと……。
──やっぱり、ネロは優しい。でも、その何も言ってくれない、教えてくれない優しさに、僕は時々不安になる……。
「来たわね。ルゥは後ろに下がっていなさい」
敵が目視できるところまで近付くと、ネロはルゥを背に庇うような形で一歩前に出た。
ルゥとしてはネロを守るために自分こそが前へと出るべきだと思うのだが、動物種族としての本能が『危険な相手だ』と警鐘を鳴らし、体を動かすことを拒絶していた。
それでも、体は動かずとも声は出せる。
小さな女の子に守ってもらうばかりの自分が情けないと思いつつ、彼女の身を案じることしかできない、その唯一のできることを全うする。
「待ってネロ! 危ない……危ないよ!」
「相手が危険なことくらい知ってるわよ。私を誰だと思ってるの? ルゥと、ずっと旅をして来たんだから……! 水に更なる力を与え給え! ディ・キュルムシド!」
水袋を取り出して祝詞を唱えたネロは、鉄の匂いのする方角へ向かって10個ほどの水弾を飛ばした。
月明かりに反射する水弾はキラキラと光って綺麗だが、普通なら視界に捉えることもできないだろう小ささと速さである。敵の戦力を正確に測ることができないルゥからすれば『勝ち』には至らないが相当な痛手を負ったと思った。
しかし、ネロの纏う空気は冴えないものだった。
「やっぱり、水と金属は相性悪いのよね……」
そう独り言ちたネロの言葉は、すぐに別の声に掻き消された。
「見つけたぞ! 反逆者め!」
「臭う、臭うぞ! 腐った水の精霊種族と忌々しい第三種族の臭いだ!」
「サイオスの住人から伝書トカゲが来たときは、己の幸運に震えました! ああ、神よ……。世界を脅かす大罪人に、私自らの手で罰を与えよと申されるのですね。ならば、その命、この命に代えても遂行してみせます! そして叶うなら、命尽きたときはどうか、どうかあなた様の身元へ導いてください……!」
銀色の防具を全身に纏った動物種族が三人。少しだけ凹んだ盾をそれぞれが手にしていた。
ネロの放った水弾はその盾によって防がれたらしく、身に着けている防具にも傷や凹みは見当たらなかった。
無傷の動物種族達に、ルゥは不安げな声を上げた。
「ネロ……」
「厄介ね」
しかし、ネロは目の前の敵に集中しているようでルゥの言葉に反応することはなく、水袋を振りながら何事かを考えているようだった。
「さあ、懺悔するのです! この世に生まれて来てしまった己の罪を!」
「御託はいいからさっさと殺しちまおうぜ?」
「キッヒャッヒャッヒャー! 嬲り殺しだ!」
動物種族の三人……神に祈るように胸の前で手を組んでいた烏の男は背に負っていた槍を構え、ギラついた目をしている猫の男は腰から剣を抜き、虎の男は手にしていた短剣を舐めつけて見せた。
明らかな戦力差と獰猛さ、精霊種族と第三種族を殺すことに対する執念。
ルゥは純粋に恐怖した。
──危険な相手? そう、危険なはずなんだ……。金属を持っているから? ううん、違う気がする。……なんだろう? 僕は、彼らじゃなくて、自分が怖い……?
寒さではない体の震えに、自分を抱きしめるように縮こまったルゥを視界の端に捉えたのか、ネロが力強く「大丈夫よ」と言った。
「ルゥは、何も心配することはないわ。私を、信じなさい。……水に、強大なる力を与え給え!」
ネロの声に応えるように、水袋からはその許容量を遥かに超える水が湧き出し、空中で大きな球体になった。
「ルゥは目を閉じていなさい。酷い惨状を見ることになるわよ」
「たかが飲み水に何ができる?」
猫の男が嘲りながらネロに肉薄した。
目を塞いでいろと言われたが、この状況で素直に目を背けることができず事の次第を見ていたルゥは、恐怖に囚われた体を叱咤してネロの前へと躍り出た。
「ルゥ!?」
「馬鹿が! たかが第三種族に何ができる!」
ルゥは戦いを知らない。知らないはずである。
船の上で海賊団『暁の水平線』を相手にしたときでさえ無意識に体が動いただけで、意識的に戦っていたわけではない。
──そう。僕の身体は戦いを覚えている。だからこそ、僕は怖い。自分が自分で無くなってしまうような感覚が襲ってくる、"戦い"が……。
上段から振り下ろされた剣の横腹を軽く叩いて軌道を逸らし、割れた地面へと剣先を誘う。うまい具合に地面の割れ目へと剣が突き刺さり体勢を崩した猫の男に向かって回し蹴りを叩き込んだ。
もちろん、隙だらけだが防具に守られた胴体などに攻撃はしない。
狙ったのは西洋甲冑の額当てのような、防御の薄い物では守れない側頭部。その場所にある急所……そう、こめかみである。
こめかみを蹴りによって強打された猫の男は痛みに呻き、三半規管をやられ、地面へと吐いた。
「…………嘘、だろ?」
「あくまでも『神の手足』である私達に、逆らうというのですか?」
猫の男を沈めたルゥに、他の二人はあり得ないものを見る目で見つめ、やがてその目は徐々に怒りへと変わっていった。
「ルゥ、伏せなさい! ディ・キュルメリオ!!」
反射的に伏せたルゥは、ネロの祝詞で彼女の頭上にあった大きな水の塊が弾け無数の光線となって二人の動物種族に襲いかかったのを見た。
動物種族でも危機回避能力に長けた烏の男は上空に逃げて無事だったが、虎の男は無数の水に防具ごと貫かれ、血を撒き散らしながら生き絶えたのだった。
「……なんという、おぞましい力でしょう。ああ、これも神に逆らったがゆえの非道の力……。私が、等しく滅して差し上げます!」
頭上から攻撃範囲の広い槍で安全に攻撃できる烏の男に、ルゥは為す術もない。
唯一、遠距離での攻撃手段を持っているネロも、先ほどの攻撃で力を使い切ってしまったのか、大きく肩で息をして今にも倒れそうなほどフラフラと体を揺らしながらも必死に男の攻撃を避けていた。
──力を使っただけじゃない。相手が持っている、身につけているのは僕らが嫌いな金属。僕よりも金属が嫌いなネロが、あれだけ近くにいて何も感じないわけがないっ!
ネロの危機にルゥは考える暇もなく……無策で突っ込んでいった。
攻撃手段も防御手段も持ち合わせていない。
あるのは、大切な者を守りたいという想いだけ。
「哀れな子羊が自ら命を差し出しに来ましたね」
「……ルゥ……逃げ、なさいよ……」
フラフラしているネロを抱えながら、烏の攻撃を紙一重で避けていく。
船の上ではなく陸地の上で、体格的にモエギよりもネロの方が小柄な分、避けやすさは今の方がある。相手の獲物が長物の槍という点も大きい。
槍の構造上、主な攻撃手段は突きか上下左右への振り・薙ぎである。
攻撃範囲の狭い突きは反射神経で避ける。
攻撃範囲は広いが長物故に攻撃到達速度に若干の遅れが出る振りを避けるのはそこまで難しいことではい。
しかし、回避し続けるのも体力が要る。
「ちょこまかと……! 大人しく神の鉄槌を受けなさい!」
「神の、鉄槌?」
どこか聞き覚えのある単語に、ルゥは一瞬動きを止めた。
「その命、いただきました!」
迫り来る鋭い槍の切っ先を他人事のように見ていたルゥの脳内で、何かが弾けた気がした。
戦闘シーンは想像すると楽しいですが、文章に起こすとなると大変なので、トキモトは苦手です。
因みに、ネロの使った祝詞ですが……
ディ・キュルムシド
ディ・キュルメリオ
ディ・キュルムス(水の弾丸)の上位版ですね。
変わるのは水の量(強度)と自由度(変化率)です。
風でも火でも土でも、ほぼ祝詞は変わりませんので……。
19.8.19 誤字脱字、加筆修正。




