3、嵐
翌朝、眠りに就いていないルゥは誰よりも早く体を起こした。
船内に居るため今の時間帯を把握することはできないが、乗組員が本格的に働き始める早朝である。
甲板では乗組員が慌ただしく動いており、時々怒号も聞こえてくる。
「ん……もう、朝か……?」
「エーテル、具合は大丈夫?」
「ああ、モエギに貰った薬が効いたみたいでね、ぐっすり眠ったおかげで元気になったよ」
一睡もしていないルゥは、それを悟られないよう努めて普通に接する。
頭の中の炎はいつの間にか消えていたが、心に残った不安は未だ消えることなく、気を抜くとため息を吐いてしまいそうな重みを与えている。
「モエギ、ずっとエーテルについててくれたんだ……」
「みたいだな」
エーテルに寄り添うように眠っているモエギの手には、乾燥した葉っぱが数枚握られていて、枕にされている斜めがけの鞄からは粉末状の茶色い薬が僅かに溢れていた。
「それより、ルゥは怖い夢でも見たのか?」
「え?」
「ネロの外套、しっかり握ってるけど……?」
「……あ」
目覚めてから今の今まで気が付かなかったようで、思わずといった風にパッと手を離したルゥの頬は朱に染まった。
「あははは! そんな照れることないさ。怖い夢でも見たんだろう? よしよし、お姉さんが慰めてあげるから。ほら、もう怖くないぞ」
エーテルに頭を優しく撫でられ尚も恥ずかしそうにしていたが、どこか気持ち良さそうに耳と尻尾から力を抜いて垂れ下げた。
これもルゥは気付いていなかったが、横になっている時からずっと周囲を警戒するように耳と尻尾に力が入りっぱなしだったのである。
「にしても、随分と揺れてるな……」
「そうだね……。波の音も凄い鳴ってる」
「んぅ……。ふあぁ〜……。おはようなのですぅ」
「あ、モエギも起きたんだ」
「昨日はありがとう。おかげで今日はすごく調子がいいよ」
「それは良かったです! あれ? ネロちゃんはまだ寝てるです? お寝坊さんですね」
またしてもネロのことをちゃん付けで呼ぶモエギにルゥは、これはネロが聞いてたらまた喧嘩になるんだろうな……と、平和なことを考えられる余裕が出てきたことに自然と笑みをこぼした。
「よし、とりあえず朝食でも摂るとするか。モエギは何か食べるものあるのか?」
「モエギですか? 非常食のどんぐりがあるです!」
得意げに鞄からどんぐりを取り出したモエギだったが、非常食という言葉通り本当に僅かな量でルゥとエーテルは目で会話をして食料を分けることにした。
「良いんです?! ありがとうです!」
「ネロが知ったらアタシが怒られそうだね」
「大丈夫だよ。ネロは優しいから」
「優しいです?」
「優しいよ」
不器用でも、きちんと考えてくれている小さな女の子。
外見だけは一番年下なのに誰よりもしっかりしていて、頼りになる。
外套にすっぽりと収まっているネロを見つめるルゥの目は信頼と慈愛に満ちていた。
「なんか、悔しいです……」
「ネロ、愛されてるねえ。お姉さん妬けるんだけど?」
「え? 僕はエーテルも、もちろんモエギも好きだよ」
満面の笑みでそう返したルゥに、エーテルとモエギの頬は赤く染まったのだった。
──うん、僕はもう大丈夫。みんな可愛いから、元気でた!
満足そうに頷いたルゥは更に激しくなった船の揺れにただならぬ危険を感じ取り、未だ眠り続けるネロを起こしにかかった。
「ネロ。ネロ! 船が凄い揺れてるんだ。起きないと大変だよ!」
「……ぁと、五分…………」
「呑気なこと言ってる場合じゃないです! 沈んじゃいます!」
「いやいやいやいや、沈むとか……そんなこと、ねえ? ……ネロ? ちょっとネロ! 起きてこの状況を説明してくれないと、アタシ不安なんだけど!?」
「もう! 起きろ!!」
いつぞやの如くネロの耳元で吠えたルゥは、ネロが飛び起きた拍子にフードが外れて正体がバレないようにと身構えた。
ルゥの先読みは功を奏し、飛び起きた勢いと船の揺れとで外れかけたフードを彼女ごと抱きとめることで何とか周囲に正体が露見することなく無事に目を覚ませることに成功したのだった。
「なになになに!? えっ? えっ……?」
「船が凄い揺れてるの! 寝てる場合じゃないんだってば!!」
「それは……今気付いたけど…………いつまでこの状態なのよっ!」
「痛っ!」
「ネロちゃん酷いです! ルゥ君はネロちゃんを支えてたですよ?!」
「貴女、またちゃん付けで呼んだわねっ……って、こんなことしてる場合じゃないわ。ちょっと様子を見てくるから貴方達、特にルゥは泳げないんだからここにいなさい」
ネロに突き飛ばされ尻餅をついた状態のまま頷いたルゥだったが、一段と大きく揺れた船体にネロが体勢を崩して転びそうになっているのを見て、エーテルやモエギと共にひっそりと後ろについて行った。
外の状態は最悪の一言だった。
黒雲が一面を覆い尽くし、暴風雨が吹き荒れ、白波はこの船を飲み込もうと大口を幾度となく開けている。
乗組員の必死の作業で何とか船は持ちこたえていたが、このままでは沈むのも時間の問題である……。
「酷いね、こりゃ……」
「エーテル?! 何で付いてきてるのよ! しかも全員!!」
「だって……心配なんだ……」
「モエギも何かお手伝いするですよ!」
「足手まといよ!!!」
雨風に負けないような音量で怒鳴ったネロに、勝手に付いてきた三人の耳と尻尾は情けなく垂れ下がったが、ルゥの優れた嗅覚は雨と潮の匂いに混ざった異質な香りを嗅ぎ取り、耳と尻尾を立てて周囲を警戒し始めた。
「ネロ! 今、一瞬だけど血の匂いがした!」
「誰かが怪我したとかじゃないか?!」
「わかんない! でも、ちょっとずつ強くなってる!!」
「ここに来て海賊とかだったら笑えないわよ……」
「ネロちゃん、何か言ったです?!」
「何でもないわよ!!!」
グラグラと激しく揺れる船の上、強風で海に投げ出されないように近くの柱や手すりに捕まりながら会話を続けるルゥ達。
この船に水と風の晶霊石は付いているが、ここまで酷い嵐では太刀打ちできない。そもそも、船についている晶霊石は乗客の安全を守るためのものではなく、船の航行を補助し、最悪沈まなければ良い。という程度のものである。
予定ではトワイノース大陸に着くまで後一日。しかし、この天気では後一日でたどり着くとは到底思えない。
乗客達(乗組員もだが)は一刻も早く嵐が収まることを祈るしかないのである。
「ネロ! 僕に捕まって!!」
「何でよ!」
「片手じゃ危ないよ! もっと大きい波が来る!!」
頭巾が外れないようにと、片手で頭を抑えているため体を支える手段が片手しかないネロを見兼ねてルゥが叫んだ。
ルゥの言う通り、遠くもない距離で大きな波が大口を開けて船に迫っているところであった。
「っわかったわよ!」
「ネロちゃんずるいです! モエギもルゥ君に捕まるです!!」
「じゃあアタシも……って言ってる場合じゃないっ!」
ネロを引き寄せてエーテルの軽口を聞いた瞬間、ルゥ達は船ごと大波に飲み込まれた。
──苦しっ……! でも、この手は、絶対に、離さない!!
呼吸が出来ないということに心臓が拒絶反応を示して鼓動が早くなる。
潮水が目に染みて目を開けていられない。
しかし、腕の中に感じる僅かな温もりだけは手放すまいと必死にしがみついていた。
「全く、しょうがない子ね……」
水中とは思えないほどはっきりと聞こえたネロの声に、染みて痛む目を気合いで開けたルゥは、穏やかな顔で微笑む青い女神を見た気がした。
魂を抜かれるほどの美しさを持った青い女神に見惚れて思わず口を開けて息を吐き出してしまったルゥは息苦しさに錯乱し、ジタバタと手足を動かして──気付いた。
──ネロ!!
腕の中に収まっていたはずの温もりが己の手を離れていることに……。
しかし、ルゥの意識は焦りと不安を煽り塗り潰すように闇へと沈みつつある。
落ち行く意識の中、青い光が見えたきがして最後の希望とばかりに手を伸ばした。
ルゥの記憶が徐々に戻りつつあります。が、まだまだ全然ですね。
終盤でのどんでん返しが大好きなトキモトとしては、まだまだ溜めます。
そしてルゥが泳げないのは、火の力を持っているから……とは少し違います。これも終盤でネタバラシ予定なので、今はそれだけしか言えません。
20.5.9 誤字修正




