1、目的と決意
箱庭の記憶、第二話です。
ここからようやくルゥとネロの旅が始まります。
R P Gでいう所の最初の町とは違いますが、世界の事や人々(人間は居ないですが)の暮らしの一部を少しばかり紹介していきたいと思います。
森を抜けた狼青年ルゥと精霊少女のネロは二日ほど歩き続け、日が傾き始めた頃にようやく最初の目的地である多種族都市ケイナンへとたどり着いた。
都市と言うだけあって、プリミールの一般的な建築方法である東屋に近い丸太小屋よりも立派な土壁に二階建てという造りの建物がある町並みで、通りにはぽつぽつと露店も出ていて、中々の賑わいをみせている。
露店からの呼び声に誘われることもなく、観光客に紛れてフードを目深に被った子供が早足で通り過ぎていった。その後を狼種族の青年がバタバタと追いかけ、住民や観光客は微笑ましそうに道を開けた。
「ちょっとネロ! 早いってば!」
「あんたが遅いのよ。出店に並んでる牛串を物欲しそうに見ちゃって……。昨日だってお金ない話したでしょ?」
「わかってるけど……美味しそうなんだもん」
ネロが外套の下にある斜掛けの鞄を軽く叩くと、とても情けなく「チャリ……」と音が鳴った。
「言っとくけど、この中には必要最低限しか入ってないのよ? 今日の宿代だってギリギリなんだから、贅沢してられないの」
鞄の中には、この世界の通貨である薄い板状の石が入っている。
高価な順に黒石、白石、灰石の三種類があり、灰石10枚で白石1枚、白石10枚で黒石1枚の計算である。
一般的な多種族都市の宿屋の相場は一泊二食付きで一人あたり白石2枚。
ネロの手持ちは白石4枚と灰石8枚である。今後何が起こるかわからない旅で、これ以上手持ちを淋しいものにしたくはない。
「それに、あんたは仮にも狼でしょ。空腹くらい我慢しなさいよ」
「我慢はできるけど、目の前に美味しそうなもの出されたら本能的に食い貯めしたくなるのも狼なんだよ……?」
「はいはい。宿屋ついたら夕飯まではじっとしてなさい」
ネロの、冷たいがその通りとしか言いようがない言葉に、ルゥは耳を垂れ下げてトボトボと先を行く少女に従った。
ケイナンは猿の動物種族が比較的多く住んでいるため、パッと見は普通の人間が都市の中で生活しているように見える。しかし、ふと視線を下げるとお尻から細く長い尻尾が生えていることがわかる。
彼らは霊長類という人に近しい立場にあるため、手先が器用である。
ケイナンも工芸品が多く存在し、中でも硝子細工はプリミール中に名を轟かせる名産品である。
通りに競うように並び立つ硝子細工の店を通り過ぎて人気の少ない方へと進む二人の目の前に、小さいく可愛らしい店構えの宿屋があった。
「……料金によるわね」
「僕はご飯が美味しければ何でも良いかな」
ルゥの要求を華麗にスルーしたネロは、可愛い宿屋の扉を開けて中へと入って行った。
店に似合った可愛らしい鈴の音に、受付のカウンター奥の部屋から猿の動物種族の女性が出てきた。
「いらっしゃいませ」
「一泊いくら?」
「一人部屋でしたら一泊二食付きで白石3枚、素泊まりならば灰石8枚。二人部屋でしたら一泊二食付き白石4枚、素泊まりが白石1枚となっております」
「ちょっと高いわね。ねえ、二人部屋、二食付きで一泊白3枚にならない?」
「はい?」
「ネロ?! 一緒の部屋に泊まるの!?」
「あんたは黙ってなさい。で、どう?」
「どう……と言われましても……」
「なら、白3灰5……いや、灰8は?」
「……かしこまりました」
ネロの勢いに押されたのか、フードの下から僅かに見える青い瞳に真っ直ぐ射抜かれたことで気圧されたのかは定かではないが、苦笑いをした女店主は交渉に応じて長机の引き出しの中から木札を取り出して宿屋の説明を始めた。
「こちらがお部屋の鍵となります。失くされますと黒石10枚の賠償となりますのでご注意ください」
「ふーん。晶霊石、ね」
ただの木札に見えるそれは、中に晶霊石という鉱石が入っている。
晶霊石とは、四大精霊の力が込められた不思議な石のことで、現代技術も科学も発展していないプリミールの唯一とも言える技術として独自の発展をしてきた。
絶対数の多い動物種族が精霊種族と近しい能力を使えるようになる晶霊石は、炊事や家事、移動手段や建築などの日常生活から、喧嘩や戦争まで多種多様な使い方をすることができる。もちろん、無限に使えるわけではないが、相性が良ければ四元素全ての力を使うことも可能である。
「使い方ですが……」
「念じるだけでしょ。これ、土の晶霊石よね? 私、土とは相性悪いのよ。水のはないの?」
水の精霊種族であるネロが土の晶霊石を使えないのは当然の事になるのだが、精霊種族ということが周囲に知れると色々と面倒なため、ネロは自らの存在を伏せて旅をしている。
ルゥもその説明を聞いていて、ネロが精霊種族であると露見しないように下手な口出しはしなかった。
「かしこまりました。では、こちらをどうぞ」
宿屋の女主人も晶霊石の相性については知っているためネロの言葉に疑問を持つことなく、すんなりと代わりの木札と取り替えた。
「お部屋は階段を上がって左の通路を行った端のお部屋です。お食事は受付の右奥を行きますと食堂があります。夕食は17時から、朝食は7時からとなっています。ご用意ができましたらお呼びいたしますので、なるべく遅くならない時間でご利用ください」
女主人の案内を聞き終えた二人は、早速部屋へと向かった。
小さな外見同様、左の通路には扉が二つあるだけで、その扉の間隔も狭かった。
「こんなものよね」というネロに、ルゥは一部屋の大きさを想像して少し顔を赤くしたが、そんなことを気にしていない様子のネロがさっさと木製の引き戸に木札をかざすと、木札と扉が淡い青の光に包まれ、カタンという木が軽くぶつかる音がした。
「うわあ……凄いね。今ので扉が開くの? どんな仕組みなの?」
「水の表面張力で木と木の間を埋めてあったんでしょ」
どこまでも冷静なネロに、ルゥは出会って一週間しか経っていないにも関わらず懐かしさを感じた。
──やっぱりネロはこうだよね……って、あれ? 僕たち、そんなに長い付き合いじゃない、よね? でもまあ、出会った時からネロはこんな感じだし、一週間も一緒に居れば性格くらいわかってくるものだよね。
「ルゥ、何ぼけっとしてるのよ。さっさと部屋に入りなさい」
「はーい」
両親の記憶もないルゥだったが、ネロに呼ばれて「親がいたらこんな感じかな?」と本人が聞いたら激怒しそうなことを考えながら、それ以上難しい話に意識を向けることなく大人しく部屋へと入った。
部屋の内装は小さな木製のベッドが二つ、小さな椅子が一脚と小さな机が一つ。そして硝子細工が名産品のケイナンらしく、色付き硝子を使った窓が設えてあった。
「……一応、ベッドは分かれてるみたいで良かったわ」
「え? ネロは一緒の布団に寝ると思ってたの?」
「っそんなわけないでしょ! バカ!!」
ルゥからは頭巾に隠れて表情は見ることはできないが、ネロの表情は怒りと羞恥で真っ赤に染まっていた。
「全く、何でこう中身が子供なのかしら……。普通そういうことは思ってても言わないものよ」
「そういうネロは見た目子供なのに──」
「良いからさっさと座る!」
余計なことばかり喋るルゥに、ネロは外套を脱いできちんとたたみ、ベッドの枕元へと置いた。
対するルゥはネロに強い口調で座れと言われたにも関わらずベッドへと飛び乗った。
身長が170近くあるルゥの体を受け止めた寝具は少し軋んだ音を立てたが、木製ベッド本来の弾性によって壊れることはなかった。
「この布団ふかふか!」
「……はぁ。せめて外套は脱ぎなさいよ」
色々と諦めたネロはため息を吐いてやり過ごし、鞄から地図を取り出して布団の上へと広げた。
彼らがいるケイナンは地図の右下。そこから先へ進むと草原地帯が広がり、更に進むと海が広がる。
「私たちのいるデューズアルト大陸がこれ。で、今いるケイナンがここ。必要なものを揃えたら、次は港町のカジュカに行くわ。大草原地帯を越えなきゃ行けないからしっかりと準備をして行くわよ」
ルゥにも分かりやすく一つ一つ指をさしながら説明するネロに、ルゥは外套を脱いで適当にたたみながらベッドの端に座り直してうんうんと頷いた。
彼が本当に理解しているかは微妙なところだが、ネロはそれを知っているのか早々に地図をしまってルゥの顔をまっすぐ見つめた。
真剣な雰囲気を醸し出すネロに、ルゥも本能的に姿勢を正した。
「あんた、本当に覚悟は良いの?」
「旅の目的のこと?」
「それもあるけど、これからの旅はどんどん過酷になっていくわよ。森を抜けてからケイナンに着くまでの二日間、碌に食べる物もなかった。雨も降らなかったし、危険な場所でもなかったからまだマシだった。でも、ケイナンを抜けたら大草原地帯を最低でも一週間は歩くわ。お腹いっぱいも食べれないし、雨が降っても雨宿りするところもない。もしかしたら変な輩に襲われることだってあるわ」
そう語るネロの表情は、決して小さな女の子がするような顔ではなかった。
苦痛、悲しみ、怒り。負の感情が全て込められたような、大人でもそんな表情が形成されるような人生はなかなか送れないだろう。
──もったいない。
ルゥは素直にそう思う。
ネロは少女だが、美人と形容できるほど容姿が整っている。肉体的にも未発達だが、それ故に蠱惑的な彼女のふとした仕草や表情に、付き合いの短いルゥは時々ドキリとすることがままあるのだ。
そんな感情を持ちながらも、動物種族と精霊種族が交わることは遺伝子情報的にありえないとされている。しかし、その言葉から察しがつくように、時々遺伝子が誤作動を起こすのか異種族で交わろうとする者が少なからず存在する。
プリミールで禁忌とされるその行いをした者は、長く生きられないとされているにも関わらず……。
「記憶についても、思い出されるのは辛いことばっかりかもしれないわよ? それでも、旅を続ける?」
「うん。僕は続ける。続けたい。辛い記憶かもしれない。でも、ちゃんと思い出したいんだ。自分のことや、ネロのこともね」
ニッコリと笑ってそう告げたルゥに、ネロは不意打ちを食らって頬を染めたのだった。
──やっぱり、可愛いな。
そんなあどけない表情をするルゥは、肉体的には青年だが、何故か性の知識がすっぽりと抜け落ちている。
女性に対して紳士であろうとするところや、ネロの表情や仕草、際どい格好に照れを見せるところはきちんとした雄なのに、記憶がない所為なのか、はたまた別の事柄が関係しているのか欲情の類が一切ない。
ゆえに、ネロを見ても宿屋の女主人を見ても、旅の途中で出会う数々の魅力的な女性を見ても、頬を染めて心臓を跳ねさせても、そういう行為をするには至らないのであった。
「なによ。ルゥのくせに……」
照れ隠しなのか、独り言のように悪態をついているネロを置いてけぼりにして、ルゥはふと頭に浮かんだ疑問を口にした。
「ねえ、ネロ。もしも僕が記憶を取り戻すのが嫌だって言ってたらどうしてたの?」
「え? ……まあ、私のやることは変わらないから、あんたをここに置いて一人で旅を続けたでしょうね」
「ちなみにネロの目的は?」
「人探しよ。ルゥの記憶についても関係してる。どこに居るかもわからないから、凄く長い旅になることは確かね」
「じゃあ、ネロのためにも旅をするよ。僕の方が大きいから、何かあったら僕がネロのことを守ってあげるね!」
耳をピンと立てて尻尾をパタパタと振る狼青年は、青年なのにとても幼く見える。
先ほどに引き続いて不意打ちを食らったネロだったが、今回は照れよりもルゥの成長を喜んでいる方が大きいようで、頬を染めながらも慈しみの表情をしていた。
その表情にドキッとしたのはルゥである。
互いに互いを意識してしまい、変な空気が部屋を満たした。向き合う形で座っていたのも、変な空気を増長させる一因となった。二人の、まるで付き合いたての男女のような初々しさとじれったさに包まれたこの空気感を壊したのは、コンコンという扉をノックする音だった。
仲良く体を大きく跳ねさせた二人は余計気恥ずかしくなり、いたたまれなくなったネロが乱れてもいない衣服の裾を軽く整え、上擦った声で返事をしてそのまま訪問者を確認するために扉へ向かった。
「っネロ!」
「え?」
そのまま、ということは、ネロは外套を羽織っていない。そのことに気づいたルゥは手に持ったままの外套を広げながら一足飛びでネロの元へ向かい、彼女を抱き隠すように外套で包み込んだ。
「ちょっ!? なにす──」
「失礼します……あらあら。仲が良いんですね」
講義の声をあげようとしたネロだったが、扉が開く音と女主人の声を聞いて咄嗟に口をつぐんだ。
女主人は二人の様子を見て微笑ましそうにそう言い、そして本来の要件である「夕食の準備ができたので、遅くならないうちに食堂にきてください」ということを伝えて静かに扉を閉めたのだった。
パッと見は動物種族がじゃれ合っているように見えるだろう。実際、愛情表現は動物種族の日常的な行為であり、恋人でなくても抱き合ったりじゃれ合ったりは普通にする。特に狼の動物種族は仲間意識が強く、他の動物種族よりもその行いが顕著である。
しかし、実際の彼らは動物種族と精霊種族──。
「い……いつまで抱きついてんのよ!!!」
──下から突き上げるように顎に掌底を叩きつけられ、尻もちをついたルゥだった。
ネロは床に倒れたルゥに外套を投げつけ、鞄と外套を引っ掴んで足早に部屋を出て行ってしまった。
「いたたたた……。なんだよ、もう……」
殴られた顎をさすりながら、出て行ったネロを追いかけるために投げ捨てられた外套の埃を払って後を追ったのだった。
悩みました。ええ、悩みました。
この世界の通貨です。
ウシオの中では灰石一枚500円相当の計算ですが、後々設定がガバる可能性が高いです。
基本矛盾が起こらないように書き溜めて設定を見直しつつ加筆修正を加えて投稿していく予定ですが、設定にミスがありましたら申し訳ありません。