6、闇の商人
蝶々が案内した裏の商人の潜伏先は意外にも普通の民家だった。周りの民家と比べてみても可笑しなところは全くない。
もっと、暗くジメジメした場所や地下にある怪しい雰囲気の建物を想像して居たルゥとエーテルは肩透かしを食らったようななんとも言えない表情をしていた。
ネロがそんな二人に一切構うことなく扉を軽く叩くと、中から孔雀特有の美しい尾羽を持った男が現れた。
男はネロの指に止まっている蝶々を見て笑みを浮かべると、体をずらして三人を家の中へと招き入れた。
「いらっしゃい」
「取引をしにきたわ」
「まあ、そうだろうね。精霊種族の君は奥の部屋へ、付き添いの二人はここで待っててくれるかい?」
「僕も……精霊の力持ってるんだけど」
笑顔でネロを奥の部屋に誘う男に何故かルゥは苛立ちを覚えて一歩前に出た。しかし、男は貼り付けた笑みのまま素っ気なく断った。
「第三種族の力はいらないよ。と言うより、取引自体が無理だよ」
「なんで?」
「ルゥ、さっきも話したわよね? 純度が違うって。あなたは余計なことしなくていいの」
ネロに突き放すような言い方をされ、ルゥの耳と尻尾が情けなく垂れ下がった。
「そんなきつい言い方しなくても──」
「良いんだ、エーテル。行ってらっしゃい、ネロ」
エーテルがすかさず慰めの言葉を掛けたが、ルゥはそれを遮って笑顔でネロを見送った。
奥の部屋へと入って行ったネロを寂しそうに見つめるルゥを見て、エーテルが殊更優しい声で言葉を掛けた。
「情けない顔するくらいなら、文句の一つでも言ってやれば良かったじゃないか」
「ネロの迷惑には、なりたくないから……」
ルゥはネロに全幅の信頼を寄せている。
──何もわからない。自分が何者なのか、なんであんな森の中に居たのか……。
そんな不安の中、ネロが側に居て自分のことを教えてくれた。
複雑な事情で教えてもらえないことの方が多く、下手したら逆に不信感しか生まれないものかもしれない。
しかし、ルゥの中の魂が彼女の存在を受け入れている。彼女は安全だ。信じられる。と……。
今のルゥにとってネロの存在は全てなのである。
記憶喪失という事実を聞いた後じゃなければ、彼らの関係は不可解なほどの依存だと思うだろう。
実際、エーテルは歪とも言える二人の関係に微妙な顔をしていたが、記憶も何もない真っさらな状態で頼れる人物が一人しかいなければこの状態も致し方ないのかもしれないとも思った。
「今は、アタシも居るからな」
「うんっ……!」
一人で背負い込むなというように頭を撫でてくる、優しいもう一人の姉に心から感謝の笑顔を向けたルゥだった。
♦︎ ♦︎ ♦︎
ネロが男に案内された部屋は、よくある占いの館を彷彿とさせる暗さだった。
所々に置かれた蝋燭の火が、暗幕に覆われた室内を不気味に照らし出し、壁一面に取り付けられた棚には、力の込められて輝く晶霊石と、力を込められる前の晶霊石が整然と陳列されていた。
幻想的だが圧迫感のある部屋の中央には小さな机と椅子が据えられ、そこが職場だとすぐにわかった。
「うっわ……。最高に趣味の悪い部屋ね。今まで訪れた中でダントツの不気味さだわ」
「褒め言葉として受け取っておくよ。じゃあ、椅子に座ってもらって、早速だけどお願いしようか。ああ、その前に自己紹介がまだだったね。俺は見ての通り鳥の動物種族、キジ科クジャク属インドクジャク種のピコさ」
「は?」
ネロは男の自己紹介を半分も理解していなかった。
「あれ? 知らないのかい? 今、都会では細かい分類も名乗るのが流行っているんだ」
「分類?」
「そう。センティルライド大陸のコアルガに住んでる誰かが流行らせたらしいけど……。あ、君の連れの狼くんやお猿さんも分類が知りたかったらコアルガまで行けば、博士って呼ばれてる精霊種族が分類を教えてくれるいるらしいから、気になるなら行ってみると良いよ」
ピコが長々とした説明を終えると、棚から大きさも形もまちまちの、力の込められていない水の晶霊石を五つ取り出し、大きく形の整っているものから左に並べてネロの対面の椅子へと座った。
ネロが未だに頭巾を目深に被っているにもかかわらずピコが一切迷うことなく水の晶霊石を持ってきたのは、ネロをこの場所まで案内した蝶々が水の精霊種族に反応するよう躾られていたからである。
裏の商人は絶対数の少ない精霊種族との取引で生活をしていため、効率と守秘義務に関しては朝市の商人達の上をいく存在なのだ。
「好きなのを選んで良いよ。ただ、報酬欲しさに無理はしないでくれよ」
揶揄い半分に注意事項をさらりと述べて仕事を促すピコの言葉は、未だに立ったままのネロには届いていなかった。
口元に手を当てて深く考え込んでいるネロの頭の中は、ピコの言ったとある言葉に埋め尽くされて仕事どころではなくなっていた。
『分類を名乗るのが流行り』
『センティルライド大陸のコアルガに住んでいる博士と言う人物』
プリミールに流行はあまりない。むしろ、種類も好みも多様化している動物種族や周囲に無頓着な精霊種族に流行というものがあるのが不思議なくらいである。
新しい料理や衣服が多種族都市や多種族共和国で流行すればそれなりに広がりを見せるが、まさか自己紹介まで影響を及ぼすとは考え難い。
動物種族の分類とは相手に説明するときにある程度外見的な特徴が伝われば良いのである。
耳の形や尻尾、羽や鰭などの特徴でそれとなく分けていたはずのこの世界。分類学において"属"や"種"──ルゥはイヌ属タイリクオオカミ亜種である──はまだしも"科"まで教えられる存在など神以外にはあり得ない。
──まさか、コアルガに居るの? あいつが……?
思ってもいなかった場所での探し人の有力情報に、ネロはピコの存在を完全に忘れて考えに没頭した。
──コアルガに真っ直ぐ向かう……? いえ、でも絶対ではないわ。センティルライド大陸の多種族共和国コアルガですって? 旅の賃金を集めながら進むとなるとどれくらい掛かるか分からないじゃない。万が一博士っていう奴があいつじゃなかったら……。でも…………。
「──ぇ。ねぇ。……おーい」
「っえ?」
ピコの何度目かの呼びかけに意識を戻したネロは、目の前で困った笑顔を浮かべている取引相手を見て、自分が今ここに何をしに来たのかを思い出して恥ずかしくなった。
「っごめんなさい。私、考え事してて……」
「考え事だったら別に良いんだ。もしも具合が悪いなら無理に力を使わない方が──」
「大丈夫よ。私はそんなにヤワじゃないわ。さあ、取引を始めましょう」
ネロはそう矢継ぎ早に言って目の前の椅子に座り、机の上に並べられた晶霊石をざっと眺めて迷うことなく一番左の大きくて真円に近い晶霊石に力を込め始めた。
普通はいきなり容量が大きい晶霊石から手をつけることはない。
いくら高値で取引できると言っても、その晶霊石の容量が満たされる前に自分が力尽きては取引が成立したとは言えない。何故なら、中途半端に力を注いでも、それは晶霊石を求める側からすれば欠陥品と同じなのである。
しかし、そんなピコの心配をよそにネロは晶霊石の容量満タンに力を注ぎ、次の晶霊石へと手を付けた。
「……驚いたよ」
「ちょっと急ぐ用事ができたの。養分の補給はアテがあるから気にしないで良いって言うのは楽ね。ああ、やり方はちょっと荒っぽいけど、価値は下がらないから心配しないで」
話している間にも次々と力を込めていき、最後の小さい晶霊石もきちんと満タンまで力を注いで仕事を終えた。
「あー疲れた。これで良いでしょ? 報酬は?」
「え? あ、ああ……。報酬は、これでどうかな?」
ピコはテーブルの下から木箱を取り出し、中から黒石1枚と白石1枚、灰石3枚を袋に入れて渡してきた。
「……黒が入ってるけど、随分と多く貰えるのね」
「女の子にはちょっと色を付けてるんだよ」
「ああ、そう……」
白い目で見返すことしかできなかったネロだが、今回の報酬は素直に嬉しかった。
トワイノース大陸に渡るために船に乗らなければいけないのだが、海を渡る船に乗るには高い料金を支払わなければならない。
果たしていくら掛かるのかはっきりとは分からないが、黒石が1枚手に入ったのは嬉しい誤算であった。
目的の人物がどこにいるのかはっきりしない旅で、食費や宿代などの旅費はいくらあっても困らない。ここで貰い過ぎだと遠慮せず稼げるときに稼いでおかないと、いざとなったときにどうしようもなくなることを彼女は経験から知っていた。
表面上は平気なフリをしているネロだったが実際は結構体力を持って行かれており、緩慢な動きで報酬を鞄の中にしまいながら、この後朝市に出向いて追加の路銀をどう増やすか考えていた。
「本当はね……」
ネロが全ての報酬をしまい終えて立ち上がろうとしたところで、ピコがそれを遮るように話し始めた。
早くルゥ達と合流したかったネロだが、彼の表情に哀愁が見て取れてしまい、何故か立ち上がる勢いを失わせ体重を椅子へと戻してしまった。
「君が、ウンディーネの子孫だから……多く受け取って欲しかったんだ」
「どういうこと?」
「俺の命の恩人で、初恋の話。俺がこの街で裏の商人なんてものをやってるのもその関係なんだけど……それはおしゃべりが過ぎたかな? 今のは忘れて良いから」
自分の失言を誤魔化すように笑って席を立ったピコは出入り口の扉を開けてネロの退室を促した。
ネロもそれ以上話しを聞こうとはせず、素直にルゥとエーテルの元へ帰ったのだった。
うーん。あいつ……。
話のキーマンが出て来ました。
まだまだ当分謎に包まれたままですが、鍵はちょっとずつ開いていきたいと思います。
やきもきさせます。うへへ……。