20、もう一人の僕 2
フォロビノン大陸の雑多群サリューンから歩き続けること二時間。ルゥ達一行は捨てられた雑多群に辿り着いた。
捨てられた雑多群とはその名の通り、様々な理由で住民がいなくなった集落のことである。
ただでさえ住民の数が少ない雑多群で、高齢化や食糧不足、自然災害、強盗、住民同士のいざこざなどで簡単に群れは形を崩す。
この場所の元の名前はロッカルといい、現在は『ゴリアテ』の拠点の一つとして静かに機能している。
他の拠点は人が住めるような状態ではなかったものを少しずつ手直しして、なんとか生活ができるまでに復興したのだが、雑多群ロッカルは近くに川もなく、飲み水を貯める井戸もため池も、自給自足をするための畑も、人が住める建物も無い。あるのは瓦礫の山に雨をしのぐ板を乗せただけの小屋とも言えないみすぼらしい空間だけだった。
「久しぶりにここに来たけど、相変わらずだな」
「仕方あらへん。センティルライド大陸が近いここは『神の手足』も多いよって、ここまでの戦力をこさえてやっとこさまともに来られたんやないの」
「雨さえ凌げる場所があるだけまだマシだろう。本当に凌げるかは別だがな」
「クソが。早くまともな拠点を建てられるようにしようぜ」
「『神の手足』を無くさない限り無理な話やね」
それぞれ悪態を吐きながらも、手慣れた様子で地面に溜まっていたゴミをどかして腰を落ち着けられる場所を確保した。
「雨が凌げる場所は女供で使えー。ヤローどもは雨ざらしだ。もちろん、『始まりの精霊種族』であるお前もだ」
「俺様もか?!」
「当たり前だろ。そんな簡単なこともわかんねえのか? この廃墟を見ろよクソが! 全員入ると思うか? テメエは怪我人のシュカに地面で寝ろっつうのか? 雨に打たれて、死ねって? そんなことになったらアタシがテメエを殺してやる」
ネロ、エーテル、『ゴリアテ』が4人、『始まりの精霊種族』が4人、そしてアイネ。合計11人。
誰が小屋(笑)を使うのか……。
シュカを床に座らせたカザミが、それぞれの顔を見ながら小屋(笑)を使う面子を決めていく。
「エーテルと『始まりの精霊種族』の3人、あとは……いや、なんでもない」
ちらりとアイネの方をみたカザミはなんとも言えない顔をして、すぐに気を取り直したかのようにいつもの楽しげな表情に戻ってネロとカガリを順番に見遣って言葉を続けた。
「残念ながら女の子枠から外れたネロとカガリは外で寝てもらうけど構わないよな?」
「その言い方ムカつくんだよクソ団長がっ!」
「痛っ!? 石投げるなよ!」
小屋を使う面子が決まったことで、カザミとカガリのおふざけを横目に各自が体を休めるための体勢を取り始めた。
「私は全然構わないけど、なんでアイネは私の横で寝ようとしてるのよ」
「ふふふっ。私も外で良いわよぉ? 何かに遮られた空間って好きじゃないしぃ、私なら雨も風も避けられるものぉ」
「あ、そう」
「あの、天幕あるんだけど……使う?」
「……ありがとう」
エーテルから天幕を受け取り、いそいそと組み立て始めたネロを手伝うためにルゥは指先に小さな明かりを灯した。その炎は天幕を燃やすことなく、ルゥの作業を妨害することもなく淡い光を放ち続けた。
「便利ねぇ」
「……そう、ね」
「僕も、ネロやアイネみたいに力が強かったら、みんなを守れるよね? 僕、ちゃんと役に立ってるよね?」
「貴方は強くならなくても……いえ、そうね。きっとみんなを守れるわ」
モエギとミーシャとマイムとの別れを消化したと思っていたが、心のどこかではしこりとして残っていたのだろう。ルゥの行動は全て無意識であり、ネロの邪魔になりたくない。役に立ちたい。強くありたいと願っていたための言動でもあった。
「カザミ、邪魔だ」
「アーサーまで……酷い。俺、泣いちゃう」
「出入り口を塞ぐ方が悪い」
「有って無いようなもの──うわっ! 土投げんなよ!」
「うるさい。俺は警戒に行ってくる」
「俺、団長なのに……」
「はいはい、団長はん。早よ寝んと日が昇ってまうよ」
シュカに慰められながら、辛うじて屋根のある小屋の軒下で膝を抱えて小さくなったカザミをルルディは鼻で笑いながら小屋へ入り、リバディは一言「雑魚」という言葉を残していった。
二人の精霊種族によって見事に撃沈されたカザミに追い討ちをかけるように、もう一人の精霊種族であるレイディは呆れ果てたようにため息をつき、文字通り見下しながらこう言った。
「貴方、それでもシルフ様のお力を分け与えられた風使いなのですか? お仲間が貴方をどう思い、どう扱おうとも構いませんが、私達『始まりの精霊種族』の前で無様な姿は見せないでいただきたいですわ」
レイディの追撃は見事に決まり、カザミは抱えていた膝に顔を埋めて本気で落ち込んでしまったようだった。
ただ、感情を読み取ることに長けているルゥだけは、カザミの中に悔しさや怒りといった思いがあることに気付いていた。
だからといって優しい言葉や慰めをカザミが必要としていないことも理解していて、結局ルゥはネロとエーテルが用意している天幕の設置を手伝うことにしたのだった。
天幕が張り終わるまで少しの身動ぎもせずに蹲っていたカザミに、流石に何か言葉をかけたほうが良いのかとルゥが悩み始めたとき、周囲の警戒と簡易的な防壁を設置したアーサー戻ってきて、当たり前のようにカザミの隣へと腰掛けた。
しばらくは二人並んで座っているだけの滑稽な状況だったが、やがてカザミが観念したかのようにポツリと話し出したのをルゥは聞き逃さなかった。
「俺、格好悪いよな」
「何を話し出すのかと思えば、随分と今更なことを言うな」
「……アーサー、俺は今、真面目にへこんでるんだけど?」
「精霊種族に何を言われたか知らないが、お前は『ゴリアテ』の団長だろう。格好が悪いから何だというんだ。俺は、俺達は、お前だから付いてきたんだ」
アーサーの言葉を聞いたカザミの、頼りなく下がっていた耳と尻尾が、ゆっくりと意思を持って動き始めた。それは落ち着きなく彷徨うような動きで未だ心が不安定であることを示していたが、ルゥは今なら話しかけても問題ないだろうと、何気ない風を装って会話に混ざりに行った。
「二人で何話してるの?」
「っルゥ?! おま、いつの間に居るんだよ!」
「いつって……さっき?」
「じゃあ何も聞いてないか」
「カザミが格好悪いってこと?」
「しっかり聞いてんじゃねえか!」
「待て、カザミ。こいつはお前と同じ狼だろう。聴力が優れていればさっきの会話が聞こえていても不思議ではない。後、夜も遅いんだからあまり大声を出すな。うるさいぞ」
「悪い……」
これぞカザミである。アーサーに注意されるくらいがちょうど良い。
落ち込んでいるときに、自分を取り戻させてくれる存在が身近にいることはとても幸福なことである。それはこの旅の中で、ルゥが自分という存在の不確かさを実感しているからこその共感であった。
「シュカに教えてもらったんだが、馬鹿の考え休むに似たり、という言葉があるらしい。意味は──」
「言わなくて良いって。何となく分かるからな……」
「そうか? とにかく、お前に悩むとかは似合わない。考えるのは俺とシュカがやる。だから、お前はお前らしく、進む道を迷わないでまっすぐ行け」
「アーサー……ありがとうな。ルゥも、俺が落ち込んでると思って声をかけてくれたんだろ?」
「そんなことあるけど、カザミが素直なのってなんか変」
「お前なぁ。良いから素直に受け取っておけよ」
「はーい。ふふふっ。僕も、ありがとう。じゃあ、僕はもう寝るね! おやすみ!」
ルゥの「ありがとう」の意味はカザミにもアーサーにも分からないだろう。
カザミを励ますつもりだったルゥの心は、二人と会話したことによって少しだけ軽くなった。
『お前はお前らしく』という言葉。この言葉は何度言われても、誰に言われても嬉しいものだったからだ。
ネロ達の寝ている天幕の横に、外套と地面に敷いただけのお粗末な寝床に戻ったルゥは、木々の間から覗く星の明かりに目を細めながらもう一人の自分と会話する。
──『お前はお前らしく』だってさ。僕は僕、君は君ってことで良いんだってことだよね?
『俺に聞かないでよ』
──あはは。やっぱり僕に難しいこと考えるのは無理みたいだ。考えることは、ずっとネロがやってくれてたし、きっとこれからもそうだよね?
『それは違うと思う。いろいろ考えて、悩んで、いつまでも行動に移さないのが性に合わないだけだよ。考えることはやめないし、それこそ俺は俺らしく生きるだけだよ』
──そうだよね! 僕は僕、君は君なのは変わらないけれど、やっぱり僕らは別々にはなれないね。
『まあ、もともと一人だったわけだし、根本的には一緒なんだ。でも、俺はお前と同じ存在だって認めないけどね』
おやすみと言いつつ唐突に始めた脳内のもう一人の自分との会話も、以前ほどの違和感や忌避感を抱かなくなってきているなと思ったルゥは、ふと彼の口調が以前より自分に近い喋り方になっていることが気になった。
──ねえ。君の話し方ってそんな感じだっけ?
『君の心境の変化が俺に影響しているんだと思う。俺だって、こんな大人しい口調に違和感はあるよ。けど、以前みたいな荒々しい口調に戻そうとは思わないし、むしろ何であんなに粋がってたんだろうって恥ずかしく思うんだ』
つまり、ルゥの心が安定してきたことで彼の心も安定し、それが性格ないし口調に影響を及ぼしたということである。
心の成長。もう一人の自分である彼のことを思い出し、昔の自分を知り、逃げずに立ち向かい、受け入れる。
自分を取り戻すためには辛い記憶を思い出し、彼のことを深く知らなければならない。しかし、彼を知れば知るほど自分の存在は希薄になっていくのではないか。それに抗うために心を強く、自分の存在を疑わないようにしなければならない。
もしも、このまま互いに互いの存在を認めつつ過ごしていったらどうなるだろう。
もしも、どちらかの存在が強くなってしまったらもう片方はどうなるのだろう。
ネロは、一体どちらを助けるのだろう? どちらも助かる未来があるのだろうか……。
自分が消えてしまうのではないかという漠然とした不安。ネロはきっと自分のことを助けてくれるはずという期待。どちらの自分も助かってほしいという願望が入り混じった感情に悶々としながら、疲れているはずの体とは裏腹に冴える思考によって眠れぬ夜を過ごすのだった。