10、子供
重くなった空気をさらに悪くするように、遠くの方から殺気と共に大勢の足音が近付いてくるのを感じ取ったルゥや『ゴリアテ』の面々は、急いで臨戦態勢を取流のだが、彼らは自分達に戦う力が残っていないことを理解していた。それは始まりの精霊種族である4人やネロにも言えることであり、どう頑張っても中位の祝詞を一回出すのが精一杯であった。
「ネロ、どうする?」
「……はぁ〜。面倒だけれど、足音からして逃げ切れるような数ではないのでしょう? なら、死ぬ気で迎えるしかないわ。アイネ、不本意だろうけれど手伝ってくれるわよね?」
「本当は干渉しちゃいけないんだけどぉ、今回は特別よぉ?」
アイネが本当に楽しそうに笑っていたが、ネロに伺いたてたルゥとしてはそれこそが不服であり、きっとネロの心の片隅にあるであろう案を提案することにした。
──ネロは、僕が力を使うことでまた記憶を無くすんじゃないかって心配してると思うけど……。
「ネロ、大丈夫だよ。俺は自分を受け入れてるから」
決意表明に近い発言をしたルゥは、そのまま流れるような動作で右手を胸の高さで水平に薙ぎながら祝詞を唱えた。
「ウル・フォルナード」
ルゥが唱えた祝詞は中位の火の防壁。しかし、その火力はリバディが唱えた高位の風の防壁に劣ることはなく、『神の手足』の行く手を阻むことを成功させた。
強大な力を目の前にして呆気にとられている一行を尻目に、ルゥは手をパンパンと叩いて全員の意識を戻して話を進めた。
「さて、これで良いかな? 問題は大陸を渡る方法だけど……フォロビノンからセンティルライドに渡るときはどうするの?」
「…………」
「ネロ? カザミ? 俺の話聞いてる?」
「え? あ、えっと、何の話?」
「あ、悪い。俺も聞いてなかったわ」
案の定、話を聞いていなかった二人はしどろもどろになりながら再び質問の内容を聞き返し、ルゥはしょうがないなともう一度同じ内容のことを詳しく聞いた。
「だから、センティルライド大陸に渡る方法だって。まさか、またシュカに運んでもらうわけでもないでしょ? カザミだってリバディだってボロボロだし、アイネは俺らを手伝えない。海でも泳いでいくつもりなの?」
「海……もしかして船があるです?」
「船か、懐かしいな。アタシが船酔いして、モエギが薬をくれてさ」
ルゥが聞いたのはネロとカザミだったはずだが、反応を返したのはモエギとエーテルだった。
船上で出会い、海賊たちと戦い、無理やりに近い形で旅路を共にし、楽しいことも恐ろしいことも経験し、共に思い出を作ったが納得のいかないまま別れた。そして今再び出会ったが、その過程の記憶がルゥにはない。楽しそうに話す二人に寂しげで曖昧な笑みしか返せない自分に少し腹が立ったのだった。
「モエギ達のことを忘れてても、ルゥくんはずっとモエギのロビンフッド様です!」
「そうさね。ルゥはずっと……可愛い弟みたいなもんさ」
「エーテルおばちゃん、おれは?」
「マイムは可愛い可愛い、アタシの大事な甥だよ」
「あの狼より?」
「うーん、二人とも一番じゃないからおあいこ……って言いたいけど、やっぱマイムの方が大事かな。ルゥには内緒だぞ」
最後の方に小声で答えたくれたエーテルの言葉を聞いたマイムは嬉しそうに抱きつき、側で見ていたミーシャも「良かったね」という感じでマイムの頭を撫でたのだった。
本当に小声で話していたため、最後の方はルゥの耳にも聞き取ることはできなかった。それでも彼らの幸せそうな表情を見ればエーテルがどういう返答をしたのか理解することは簡単だろう。
──エーテルとモエギのことはまだ思い出せないけど、彼女達は俺にとって家族に近い存在な気がする。信頼と愛情。血の繋がりは無いけど、『ゴリアテ』も一つの家族の形なら彼女達もそうだといいな。
「それで? 結局どうやってセンティルライド大陸に渡るんですかー?」
暖かい雰囲気に郷愁と疎外感を感じていたルゥや、結局ルゥの問いに答えられずにボーッと話を聞いていたネロとカザミも、ルルディの至極つまらなそうな言葉で意識を元に戻した。
「そう、ね。センティルライドへの行き方だったわよね」
取り繕うように急いで説明を始めたネロの話によると大陸を渡る方法は全部で三つ。
先ほどは却下されたが、力があるものならば不可能ではない陸路が一つ。
見た目の穏やかさとは裏腹に恐ろしい海洋生物が生息し、海賊も尻尾を巻いて逃げ出すほどの海路が一つ。
そして、一番確実であるが一番時間が掛かる陸路が一つ。
「私達はもちろん陸路を行くわ」
「どれくらい歩く?」
「最低でも一ヶ月くらいかしら」
「「一ヶ月!?」」
ルルディとカガリの驚愕の声が重なった。
「最低でも、よ。実際はもっと掛かるでしょうね」
「一体どんな道を歩かされるんだよ……」
カガリの疲れ切ったような声に、シュカが何かを思い出すような素振りをしながら答えた。
「確か……フォロビノンからセンティルライドは海上道路言うんが通ってた思うけど、それを使って行くいうことやろか?」
「そうよ。通るのは海上道路。もちろん、様々な事故は起きてるわ。道が崩れたり、高波に攫われたり、雨が続けば道自体なくなるわ。海賊は出ないけど海洋生物はいるし、そういう危険なことを気にしながら進むとどうしても時間が掛かるのよ」
「じゃ、じゃあ船はどうです?」
乗った経験のある船ならば何とかなるだろうというモエギの提案をネロは、にべもなく突っぱねた。
「貴女ねぇ、恐ろしい海洋生物がいるのに船で渡れると思う? それに、私達では到底乗れないわよ」
「何でさ? もしかして、料金がすごく高いのか?」
「それもあるけど……。エーテル、私達はただの動物種族や精霊種族じゃないのよ? ミーシャやマイムみたいなただの動物種族や、ルルディ達『始まりの精霊種族』だけならまだ誤魔化しようもあるでしょうけれど、私達は『神の手足』に顔が割れているのよ? 特に『ゴリアテ』は主要都市に行けば行くほど有名でしょうし」
「ああ……」
「何だよ。カガリのはまだしも、エーテルやミーシャまで俺を残念なそうな目で見るなよ!」
「……どっちみち海から行こうが空から行こうが、誰かの手を借りなければならない状況は使えないでしょうね」
濁してはいるが、結果的に言えば徒歩で行くしか方法はないと答えるネロに対して、マイムが嫌そうな顔を隠しもせず文句を言った。
「なんだよ。けっきょく歩いていくしかないならさいしょからそう言えよな」
「まあマイム、そう言うなって」
「おれ、一ヶ月も歩きたくない」
「でも、センティルライドまで行かないとエリクに会えない──」
「やだ! 父さんなんかおいて母さんのとこに帰る!」
否定し続けるうちに引っ込みがつかなくなったのだろう。地面に座り込んで駄々をこね始めたマイムを見て、またかと思ったのは一人や二人ではなかった。その空気をしっかりと感じ取っているエーテルは、わざと全員に聞こえるように大きなため息を吐いた。
「あのなぁマイム──」
「やだ!!」
「っいい加減にしな!」
「っ……ぅ、うわぁあん! エーテルおばちゃんが怒ったぁあ!」
窘める言葉も聞かずすぐさま拒絶したマイムに、優しく宥めようと思っていたエーテルも思わず怒鳴ってしまった。
「泣くんじゃないよ! みっともない!」
「エ、エーテルさん……」
「そこのリス止めないでくださーい。ルルも頭ぷっつんしました」
エーテルを落ち着かせようとしたモエギをルルディが冷め切った目で止めた。
元々ルルディは我慢というものが苦手であり、力を奪われてからというもの何かにつけてすぐ愚図るマイムに、とうとう堪忍袋の緒が切れたのだった。
「ただでさえ力も使えないバカなガキはお荷物なんです。ちょっとは黙って歩けないんですかー?」
「ルルディ止めなさい。子供相手に貴女の方がみっともないわよ」
「何と言われようとかまいませーん。ルルはみんなが思ってることを代わりに言ってるだけでーす」
「みんな、そう、思ってるのか? おれ、いらない子……なのか……?」
言われたことを反芻し、縋り付いているミーシャに確認するように顔を上げたマイムは、彼女が困って視線を忙しなく動かしているのを見て、今まで以上に大きな涙の粒を大きく見開かれた瞳から零した。
ミーシャとしては急に話を振られて戸惑ってしまっただけであるが、マイムからすれば図星を突かれて答えに窮しているように見えたのだった。
「何もそこまでは言ってない──」
「おれ……いない方がいい、のか……?」
否定しようとしたエーテルの言葉も耳に入らないようで、呆然と涙を流して絶望の言葉を口にするのみだった。
それを見た大人達はやり過ぎたと後悔していたが、ルルディだけは追撃を止めなかった。
「同情を引こうとしたって無駄ですよ。要らない子とか、悲劇の主役になって悦に入ってるみたいですけど? あんたのためにどれだけそこのサルやタヌキが色々やってるのか分かって言ってたら最悪ですよ。オオカミの手の平っぽいですけど、ノーム様の手まで煩わせて本当ムカつく」
最後のノームの手を煩わせてという言葉に一番重みがあったような気がしたルゥだが、ルルディの言い分に概ね納得していたのだった。
「アンタが要らない子なんて、誰も思っちゃいないよ」
ルルディによって絶望していたマイムに、エーテルが優しい言葉を掛ける。ただ優しいだけではなく、そのあとにきちんと厳しく諭すような、愛情というものはこういうものだと教えてくれるような言葉だった。
「ここにいる誰もそんなこと思ってないし、もちろんクレアやエリクだってそうだ」
「でもっ……あの、きいろっ──」
「それはマイムが駄々をこねるからさ。子供だし、甘えたいだろうし、アタシだって甘やかしてあげたいよ。でもなマイム、それは今じゃないんだよ。身勝手でどうしようもない大人の言い分だけど、アタシ達は辛くて苦しい旅の最中なんだ。だからマイムには成長して欲しいと思ってる」
──……なんだろう? 胸のあたりが、モヤモヤする。
エーテルに諭されるマイムを見て、ルゥは心が暖かくなるような、それでいて苦しくなるような違和感を覚えた。
それが何なのか、思い出すための記憶の蓋が開きそうで開かないもどかしさに軽い苛立ちを感じつつ、他の人と同じように二人のやり取りを見守った。
「っでも、でも……!」
「でも、なにさ? これからずっとアタシやミーシャに手を引かれて、甘やかされて歩くのか?」
「ぅうっ……」
「ここまで頑張ってきただろう? 母親がいなくて寂しかったのは分かる。だからって甘えられる存在ができたって、寄りかかってるだけじゃ意味ないんだよ」
『甘えてばかりじゃダメだよ。ルゥは頑張りやさんだろう?』
ふと、ルゥの脳内に優しい声が流れた。
記憶の中で何度か聞いたことのあるようなその声の主の顔は思い出すことができず、やがてその声さえも淡雪のように溶けて消えてしまった。
ルゥの心に残った仄かな灯火があまりにも暖か過ぎて、無性に泣きたくなったのだった。
いつもに比べれば少し長めでした。