9、変化の兆し
「ルゥ、ちゃんと説明してくれるわよね?」
マイムの様子がひと段落したと思って安心していたら、今度はネロが据わった目で睨んでいた。
当たり前だろう。大した説明もせずに勝手にマイムの力を暴走させ、四大精霊のエルデを来るかも分からない賭けで呼んだのである。
実際エルデがここに来るかどうかは賭けだったが、勝率は8割あった。
マイムから力を抜き取ることに関しても、絶対成功するという確証はなかった。しかし、それを素直に口にしたとしたら、ネロだけではなくエーテルからもこっぴどく怒られるだろう。
さて、どう説明したものかとルゥは考えたが、先ほどサラマンダーと会話したことを思い出し、こんな切り口で始めてみた。
「ネロとアイネは、どこまで知ってる?」
いきなり聞かれてもすぐには答えられない問いだろう。
ルゥ自身、気持ちが急いて行動も言動もいろいろと先走っている自覚はきちんとあるのだが、どうにも落ち着かないのである。
サラマンダーと自分の境界線がうやむやになっていくような、互いが互いを認識して会話を交わしたからこそ、一つになりつつある感覚が……。
自らの問いに困惑するネロとアイネに、気持ちを落ち着かせてもう一度、今度は分かりやすく言葉を紡いだ。
「ネロとアイネは、僕の記憶がどこまで戻ってるか分かる?」
「そんなの、分かるわけがないじゃない」
「私はフーくんの記憶が消されてルゥくんに転生したのも、ルゥくんの悲しい記憶が消されたことも風の便りでしか知らないわぁ。再会したのもついこの間だしねぇ」
ネロは素っ気なく答えたが、アイネはルゥの記憶についてほとんど知らないのだと言った。
「……アイネが幽閉されたのは、神様に反抗したからよね?」
なぜアイネが幽閉されたのかを確認するかのように、ネロが聞いていた。
ネロがクライスと共にサラマンダーの生まれ変わりであるルゥを探していた時、アイネはルゥ=サラマンダーということを知っていたことに由来するのだろう。自分の知らないルゥについて知っているのではないかと思っての質問だった。
「そうよぉ。フーくんが無茶ばっかりするからお母様が怒っちゃってぇ、それを宥めようとしたらああなっちゃたのよぉ」
「つまりほとんど知らないのね」
「あらぁ、優越感かしらぁ?」
ホッとしたような表情をしたネロを揶揄うようにアイネが言うと、すぐさまネロがムッとした顔をしてアイネに食ってかかっていた。
そのやり取りを眺めながら、ルゥは当初アイネに感じていた変な余所余所しさとは違った「無茶するなぁ」という、親しい間柄の者が起こした無茶な行動を心配するという感情が湧き上がっていた。やはり"ルゥ"の存在が薄くなっていることを感じたのだった。
「それでルゥはどこまで記憶が戻ってるのよ!」
己の心情を言い当てられてしまったネロが、恥ずかしさを誤魔化すように少し怒鳴るような形で聞いた。
ネロの声を聞いた『ゴリアテ』の面々も何事かと思い、シズクの状態とアイネの関係についての考えをひとまず置いて、こちらの会話に混ざってきた。
「なんだよ、大きな声出して。何かあったのか?」
「……なんでもないわよ。ただちょっと……そう、ルゥの記憶について話していただけよ」
「記憶? ルゥのやつ、なんか思い出したりしたのかよ」
「そういうわけじゃないわ」
疑問をぶつけてくるカザミやカガリに対し、ネロが先ほどの動揺からすぐに立ち直って説明を始めたが、当事者であるはずのルゥは、やはりその様子を静かに眺めているだけだった。
「なるほどな。確かにアタシもモエギも、ルゥが記憶喪失だって聞かされてから今の今まで側を離れてたし、どこまで記憶が戻ってるのか、それがどう影響するのか分からないからね。記憶が戻ったから、マイムの第三種族の力を消すことを思いついたのかも知れないってのも、併せて教えてもらいたいね」
どうやらエーテル達もマイムをあやしながら話を聞いていたらしい。真剣な眼差しをルゥへと向けていた。
それは精霊種族の四人も同じであり、興味や好奇心といった別の眼差しではあるがルゥを見つめていたのだった。
今やルゥには全ての視線が集まっていた。それらをしっかりと受け止めたルゥは静かに微笑んで俯き、そしてゆっくりと顔を上げた。
「なっ!?」
「はぁ!?」
驚きの声や息を呑む音、声にならない声などはそこかしこから聞こえてきた。
無理もないだろう。顔を上げたルゥの瞳は赤く染まり、髪や耳、尻尾なども徐々に色味を統一させていったからだ。
サラマンダーの容姿をとるのではなく、ルゥの姿を保ったまま……。いつぞやの『ゴリアテ』が遭遇したあの状態へと変化したルゥは、いつも浮かべる可愛らしいものや柔和な笑みではなく、大人っぽい澄ました笑みで話し出した。
「僕……いや、俺はルゥだよ。みんなの知ってる狼の動物種族のルゥ。でも、みんなが思ってるような可愛いルゥはもう居ない。今の俺は、大切な友達をこの手で殺したことで罪悪感に苛まれ続ける、悲しい一匹の狼種族だよ」
見た目や雰囲気だけでなく、話し方も少し大人びているルゥに周囲は驚くばかりだが、唯一ネロだけは安心したような顔をしていた。そして恐る恐る確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ルゥはニメアでの事件だけ思い出したのよね?」
「ニメアだけ……? うん、今のところはニメアだけって言っても良いかも知れない。けど、記憶の断片は揃いつつあるよ」
ルゥの記憶領域には、故郷で過ごした数年間の記憶が蘇りつつある。
育ての親から受けた愛情、友人達と楽しく過ごした思い出。そして呆気なく崩れ去る平穏、入れ替わるように襲い掛かる絶望。
──銀でできた刃物。地面を染める真っ赤な血。動揺して感情が昂ぶって、近くにあった火の晶霊石が反応した……。
燃え盛る家や木々から目を逸らさずにいると、新たな場面が見えてくる。
──灰色の世界と高い建物。この世界じゃない世界の光景だと思うけど、この別の世界をネロは、アイネは、エルデは知ってるのかな?
「今は、ルゥ……なんだよな?」
カザミの恐々とした聞き方にルゥは笑って答える。
「もちろん。さっきも言ったけど俺はルゥだよ。色々と変わってるかも知れないけど、第三種族として自覚したルゥってことで良いんじゃないかな?」
「……じゃあ、見た目が違ぇのはなんでだよ」
今度はカガリが唸りながら尋ねたが、それに対してもルゥは爽やかに笑って答える。
「んー、自覚したことで精霊の血が変化を起こしたって感じかな? 俺にもよく分からないけど、ネロがずっと小さいのも精霊の力が関係してるんでしょ?」
「ルゥに小さいって言われると変な気持ちになるけれど、その通りよ。みんなにも言っておくけれど、私は見た目通りの年齢じゃないわよ。それはアイネにもルルディ達にも言えることで、精霊種族が長命であることも関係しているわ」
だから"ちゃん"付けで呼ぶのも、チンチクリンと呼ぶのもやめて。
言外にそう告げるネロの視線はしっかりカザミとモエギの両名に注がれていた。しかし、カザミはどこ吹く風であり、モエギも苦笑いで済ませたあたり改善はされなさそうである。
「それで、その精霊種族の力が関係したらなんやの?」
シュカの最もな質問に、ネロはルゥの変化と精霊種族の血について話し始めた。
「精霊種族や第三種族が力を使えるのは、体内に精霊種族の血が流れているからよ。原理は私にも良く分らないのだけれど、血が濃い方が力は強いとされているわ」
「血? 血って、怪我したら流れる赤い血のことかよ?」
「カガリは血の気が多いのに、別段力が強いわけじゃないぞ?」
「うっせぇぞクソ団長」
「そういうことじゃなくて……なんて言えば良いのかしら?」
説明に悩むネロに助け舟を出したのはエーテルだった。
「ネロが言いたのってさ、例えば両親のうちのどっちに似てる……みたいな感じか? マイムはクレアに似てるから、きっと母親の……クレアの血が濃いってのと同じってことか?」
マイムの頭を不器用な手つきで撫でながら優しい瞳で言ったエーテルに、今まで魂が抜けたようにしていたマイムの口が「母さん」と言った。
「そうです! モエギはおばあちゃんにそっくりって周りから言われてるです! 大好きなおばあちゃんに似てるって言われてモエギは嬉しいですが、それはモエギの中に流れてる血はおばあちゃんの血が濃いってことです?」
「わ、私は……お父さんに似てる……と思う。お母さんにも、そう言われてる……し」
エーテルに続けとばかりにモエギとミーシャが言葉を続けた。それは落ち込んでいるマイムが血の濃さに反応を示したため、この話題を続けようと無意識に連携をとった結果だった。
「……なあ、マイム。エリク……アンタの父さんはマイムの力を制御したり、封印したりする方法を探すために家を出て行ったんだ。それはマイムが悪いわけでもないし、クレアが悪いわけでもない。ただちょっと、本当にちょっとだけ、この世界が難しいだけなんだ。マイムだって、そろそろクレアに……会いたいだろ? 抱きしめて、もらいたいだろ?」
「母さん、に?」
「ああ、そうさ。クレアもマイムに会いたがってる。確かに第三種族の力は凄いけど、それ以上に家族みんなで暮らせることの方が大切だと思わないか?」
「……うん」
涙を堪えるようにしてマイムはエーテルへと抱きついた。エーテルはマイムを優しく抱きしめ、家族愛というものの尊さを周囲に与えた。
しかし、そんなエーテルの言葉はマイムを傷付けないよう配慮されていたが、彼女やその姉が力を怖がっていた事実は消えず、言葉の端々に後ろめたさが滲み出ていた。
──便利な道具は、使い方を間違えれば凶器にしかならない。
「過ぎた力なんて、持たない方が良いんだよ……」
「ルゥ……」
ルゥの呟きにネロが反応したが、名前を呼んだだけでそれ以上何を話して良いのか分らない様子だった。それまでにルゥが言った言葉の重みを、全員が感じていたのだった。
別人格を認めること……。
それってどんな気持ちなのでしょうか。