2、銀色の狼
前回、章管理をするのを忘れていました。
それをこの前書きで報告すると言う荒技を使わせてもらいました。
以後気をつけます。
では、本編の続きをどうぞ。
白煙に包まれた広場。その中央まで進んだルゥが見たものは、ウンディーネの石像が設置されていた噴水は地面ごと大きく抉られ、石像は噴水の水たまりの中で無残な瓦礫と化している姿だった。
ひび割れた顔は水に濡れ、まるで涙の中に沈んでいるように見える。
中心に埋め込まれていた晶霊石が抜かれたことに嘆いているのか、無機質だった彼女の表情は壊されたことで初めて感情を持ったように、ルゥの瞳には映った。
砂ぼこりと火薬、そして僅かばかりの血の匂いに満たされた広場で何かが動く気配を感じたルゥは、耳と鼻に意識を集中させた。
──……動いてる。近い気がする。でも、この匂い、どこかで嗅いだことあるような……。ダメだ。いろんな匂いが混ざってて良くわからない!
「ルゥ! どこに居るの!?」
「ネロ?」
「おーい! 居るなら返事をしてくれ!」
「エーテル?」
ただでさえ薄かった嗅ぎ覚えのある匂いは、ネロとエーテルの登場によってうやむやになり、やがては彼女達の香りに上書きされた。
ルゥの中ではそれで良かった。
覚えていないものよりも、懐かしく好きな匂いの彼女達の方が大事だからだ。
勝手に走って来てしまったことを後で謝らないとな……と考えながら、彼女達に自分の居場所を伝えるために大きな声を上げた。
「二人とも──」
「ルゥ?」
「え?」
自分の名を呼ぶ聞き覚えのない声と同時に風が巻き起こり、広場を覆っていた白煙がだんだんと薄れていった。
晴れた視界で広場の現状を確認すると、観光地だけあって怪我人が多く出ているようだったが、重症な者は居なさそうだった。
それに、ルゥはその光景よりも白銀の狼の動物種族の男が一人、凜然と立っていることに目を引かれた。
砂ぼこりを含んだつむじ風がその男の周りを舞うように回り、ルゥの物よりも暖かそうな尻尾を一つ揺らすと風が嘘のように止んで全てが地面へと還っていった。
軽く片手を上げて近付いてくる男にルゥは全然見覚えがなかったが、男の話は旧友に会ったかの様に途切れることはなかった。
「いやー、こんなところで会うなんて奇遇じゃん! なになに? 観光? ひとり旅? 良いねえ」
「お兄さん、誰?」
「は? なにそれ冗談? お前も冗談言う様になったのか? だとしたら──」
「カザミ! ルゥから離れなさい!!」
怒鳴り声とともに滑り込む様にしてルゥと白銀の狼──カザミの間に割って入ったネロの手には青く光る待機状態の晶霊石が握られていて、背に庇われる形になったルゥと訳も分からず付いてきたエーテルを混乱させた。
「ちょっと、どう言うことだか説明してくれよ……」
「相変わらずこんなチンチクリンとつるんでんのか? まあ、一人美人が増えてるみたいだけど? 羨ましいなおい。モテる男は良いねえ」
「チンチクリン!? ……いいえ、私は大人よ。子供みたいなあんな暴言、いちいち反応しないわ」
「ネロの知ってる人?」
「おいおいルゥ。そりゃないぜ?」
「カザミは黙ってなさい!」
「んだと? チンチクリン!」
ネロと火花を散らすカザミ、渦中にいるはずなのにエーテルと共に頭上で疑問符を浮かべるルゥという混沌とした空気が周囲に流れていたが、ルゥがカザミの手に握られているウンディーネの晶霊石を視界に捉えた瞬間、我を忘れて吠えた。
「それ! ウンディーネの晶霊石!」
「ああ、これ? そこのチンチクリンがご丁寧に待機状態の晶霊石の説明してくれたおかげで無事に回収できたんだわ。ありがとうな」
「っ聞いてたのね!?」
設置罠型の晶霊石の待機状態を解くには、晶霊石が定めた有効範囲の外からごっそり削って有効範囲をうやむやにすれば力は作動せず、不完全な待機状態のまま取り出すことができる。
ウンディーネが沈んでいる穴は、どうやらその過程で開けられたものだった。
「返せよ! それはっ……それは……えっと、なんだっけ?」
勇んで飛び掛かろうとしたものの、自らの行動の必死さに疑問が浮かんで来て途中で止まってしまったルゥに、カザミはニンマリと笑って言った。
「最後に会ってから一ヶ月も経ってないのに俺のことを忘れてるお前の記憶がおかしいのはわかった。きっと俺がお前を誘ったのも忘れてそうだから、もっかい言うな? ルゥ、俺の仲間になれよ」
「仲間?」
「そ。そうすりゃこの石返してやっても良いぜ?」
「ルゥ! 耳を貸しちゃダメ! この変態男! さっさとルゥから離れなさいよ! 水に力を与え給え、ディ・キュルムス!」
ケイナンで風の精霊種族の女性が使っていた祝詞の言葉をネロもきちんと唱え、水袋から無数の水弾を作り出してカザミに向かって真っ直ぐ飛ばした。
「相変わらず面倒なことしてんのなー」
祝詞を使わない事には精霊種族は攻撃に力を使えない。
しかし、祝詞を使えば敵に「今から攻撃する」と教える事になる。
力の発動速度にもよるが、精霊種族が繰り出す攻撃を防ぐには相当な反射神経を要するのだが、カザミはあくびでもしそうな言い方で尻尾を一つ振ると、彼の目の前に瞬時に風の防壁が形成され、飛んできた水弾の軌道を逸らした。
軌道を逸らされた水弾のいくつかは地面にめり込み穴を開け、その威力を物語っていた。
「うわ、あっぶね……」
「外されたっ!」
「ネロ!」
「おっと。ルゥ、お前に動かれると厄介だからな」
悔しそうに顔を歪めるネロの元へ駆け寄ろうとしたルゥをカザミは尻尾を大きく一振りしたことで風の檻を作り上げ、その中にルゥを閉じ込めてしまった。
「なに、これ? 出して! 出してよ!」
分厚い空気の壁は殴っても爪を立てても壊れることはなく、逆に己の身を徒らに傷付けるだけだった。
「どうだ? 仲間になるって話。受けてくれるか?」
「こいつの言うことなんて聞いちゃダメよ!」
「うるさいなー。お嬢ちゃんは黙ってなって」
そう言うと、さらに尻尾を一つ振って手の平に乗るくらいの小さな竜巻きを作り、晶霊石を持っていない方の手に乗せた。
「ちょっと待て!」
「「エーテル!?」」
今にもネロの元へ竜巻きを投げそうなカザミの前ににエーテルが立ちはだかった。
無謀とも取れるその行動にルゥとネロだけでなくカザミさえも驚愕したが、切羽詰まったような彼女にカザミは手を止めて話を聞く体勢をとった。
「急に出てきたら危ないだろーが」
「お前、|第三種族……なのか?」
「そうだけど。それがなに?」
「マイムっていう、8歳の猿の男の子、知らないか? 土の力を使える……アタシの甥っ子なんだ」
「マイム? 知らねえなあ」
縋るようなエーテルの問いをカザミは興味無さげにと切り捨てた。
「そうか……」
肩を落とすエーテルに「悪いな」と小さく言ったカザミは、手に持っていた竜巻きをネロの方へと投げた。
エーテルの話が終わるタイミングでネロが力を発動しようとしていたことに気付いたカザミが、エーテルを巻き添えにして『悪い』と言ったのだった。
小さな竜巻きはそれ自体に攻撃力はないが、風の力で巻き上げた小さな砂や石、木の葉は確実にダメージを与えていった。
「痛っ……!」
「きゃっ!」
二人は、風圧と痛みによって地面へと倒れてしまった。
「うっは。子供パンツ……。色気も何もねえな。あーあ、美人な姉さんの方もスカートだったらよかったのに。ま、その格好もそそられるけどさ。なあ、ルゥもそう思うだろ?」
「っし、知らない! ネロ! エーテル! 大丈夫!?」
カザミの下衆な同意を求める声に、頬を染めながらも頭を振って煩悩を排除し、倒れた二人を心配するルゥだったが、見えない風の防壁はいくら叩いてもびくともしなかった。
「もう止めてよ! なんでこんな酷いことするの?」
涙ながらに訴えるルゥの手からは血が流れ、それでも風の防壁を叩くことを止めない彼の行動は、地面に倒れていたネロとエーテルの顔を上げさせるには十分だった。
カザミに聞こえないよう声を小さくしてネロはエーテルに声を掛けた。
「エーテル。一回くらい空振りしたからって落ち込んでる暇なんてないわよ。これから何度もそういうことを味わうことになるんだから」
「分かってる……」
「なら、気持ちを切り替えなさい。今はルゥをなんとかする方が先よ」
二人が作戦を練っている間、カザミは小さな竜巻き2個、3個と作り、それをお手玉のように弄びながら楽しげな表情でルゥを見ていた。
「俺はお前にどうしても仲間になって欲しいんだ。だから……そうだな、お前が仲間になるって言うなら、あの二人には手を出さないでやるよ。まあ、あのお嬢ちゃんが攻撃してきたら反撃はするけどな」
ルゥは考えた。
自分がカザミの元へ行けばネロとエーテルはこれ以上酷いことをされずに済む。
しかし、ここで彼に付いて行ったら今までネロと過ごしてきた時間を肥溜めに捨てるようなものだ。
短い付き合いではあるが、記憶を失くした自分に優しくしてくれた。記憶を探しに行こうと言ってくれた。
そんな彼女を裏切って良いのか……。
それに、例えカザミの仲間になったとしても、本人が言うようにネロの安全が保証されたわけではない。
考えれば考えるほど答えはまとまらず、これ以上考えることに時間を使えばカザミが痺れを切らして強硬手段に出るかもしれない。
ルゥがぐちゃぐちゃとした思考の渦に囚われていると──。
「……何だ? 地震か?」
かすかに地面が揺れていることに気付いたカザミの声を聞いて、ルゥも地面を注視してみた。
見た限りでは地面が揺れている感じはしないが、確かにルゥの中の動物的勘が地震であることを確信していた。
そのまま微かな揺れを探っていると、やがて地面が大きく割れてルゥを囲んでいた風の防壁が形を保てず空気中へと霧散していった。
「なに!?」
「ルゥとの会話に夢中になってるからよ、この変態! 水に力を……ディ・キュルムス!」
風の防壁が破られたことに固まっているカザミに向かってネロが攻撃を仕掛けるが、間一髪のところでカザミを宙へと攫っていった者が現れた。
「団長、遊びすぎだ」
「アーサー! 助かったぜ!」
悪魔のような翼を持つ、黒髪に金の瞳が恐ろしい蝙蝠の動物種族の男だった。
彼は片手に黄色く光る土の晶霊石を持っており、瞬く間に地割れを修復してみせた。
「もう十分楽しんだだろう。さったと帰るぞ」
「えー、でもルゥが……」
「あの者はまた今度でいいだろう。これ以上カガリを待たせると厄介だ」
「はいはい。そう言うことだから、またなー!」
「二度と来るんじゃないわよ!! 変態!!!」
拳を振り回して叫ぶネロを見て、難が去ったと安心したルゥがため息をついて地面にへたり込んだが、同じようにへたり込んでいるエーテルを視界に捉えて声を掛けた。
「大丈夫?」
「まあ……何とか。晶霊石をあんな風に戦うことに使ったのなんて初めてだったから、ちょっと、ビックリしてる……」
エーテルの手の中には土の晶霊石が二つ握られていて、さっきの揺れは彼女が起こしたものだと理解した。
「やっぱりエーテルは晶霊石の扱いが上手いわ。一回教えただけであっさりできちゃうんだもの」
「いやもう、いっぱいいっぱいだったから。あれで良かった?」
「上出来よ。だからこそあの変態が居なくなったんじゃない」
「そうだよ。エーテルのおかげで助かったんだ。ありがとう」
お礼を言いつつエーテルを引き起こしていたルゥの耳は、遠くから聞こえて来る複数の足音を拾っていた。
「……ネロ、エーテル。人が集まってきてるよ。ここから離れた方がいいと思うんだけど」
「そうね。こんな状況だし、下手に目を付けられても厄介だわ。……本当は、疲れて一歩も動きたくないけど、移動しましょう」
力を使ったことでフラフラしているネロに肩を貸しながら、ルゥはカザミのことを考えていた。
第三種族である彼が自分を仲間に引き入れようとしている理由や、記憶を失う前に彼となにがあったのか、なぜネロとあんなに仲が悪いのか……。
考えだすとキリがなくなってきたので、今はとにかく足を動かし、広場から離れた路地裏へ身を隠すことに集中したのだった。
新たなる登場人物カザミ。そしてアーサー。名前だけ出てきたカガリ。
この三人……特にカザミとカガリは重要人物です。
今後もたくさん登場しますので、ぜひ覚えてあげてください。