1、女神の広場
大草原地帯を更に歩く事五日、石造りの家々が見えてくる。
硝子細工という特産品を持つケイナンよりは少し小さいが、町というには大きめの多種族町カジュカである。
四大精霊が一人であるウンディーネを祀っており、白を基調とした建物の至る所にウンディーネを象った石像や石碑が取り付けられている。
そんなカジュカであるからこそ精霊種族や動物種族間の差別や諍いがほとんどないという極めて珍しい町なのだが、ここでもネロは頭巾を外すことはしなかった。
確かに町の中にはネロと同じ様に頭からすっぽりと頭巾を被っている者は見かけるが、その者は大概が大柄でガタイの良い傭兵や犯罪臭のしそうな危ない雰囲気を纏っており、ネロの様な子供がそういう格好をしていると逆に浮いてしまってしょうがない。特に、一緒に歩いているルゥとエーテルは普通に顔を晒しているので尚更だった。
「凄い、見られてる気がする……」
「なあ、ネロ。カジュカに来たんだし、頭巾を取っても良いと思うけど」
「いやよ。それより今日の宿を探すわよ。何度も言ってるけど安いところ以外は認めないわよ。私の手持ちが白石1枚と、エーテルの手持ちが黒石1枚、白石6枚、灰石5枚。エーテルのお金に頼るわけにもいかないから、最悪野宿ね」
「アタシは別に構わないけど。宿代くらいなら普通に出すよ?」
「ダメよ。贅沢は敵! ほら、さっさと探す!」
「でも──」
頭巾の話題を軽く流して今日泊まる宿の金銭的な話しをするネロに、ルゥは尚も食い下がろうとするエーテルに苦笑いを向けて言葉を飲み込ませた。
ネロが機嫌を損なうだろう距離感を短い付き合いながらも徐々に理解してきたルゥは、エーテルを誘って先を進む彼女に大人しく付いて行った。
町の入り口から大通りが終わるまでは大体どこに行っても店の並びは似たようなもので、食事処や宿屋、露店が左右に軒を連ねている。
育ち盛りであるルゥは、普通だったら屋台に目を奪われて足を止めるのだろうが、港町だけあって売っているのは魚介料理ばかりなため、彼としては早く宿について肉料理を食べたいと思っていた。
「いやー、どれも新鮮で美味そうだね。お、あれ買ってって焼こうか?」
「はぁー……。カジュカに来ればルゥが大人しくなると思ってたのに、まさかエーテルが煩くなるとは思わなかったわ」
「ネロ、早く宿屋行こうよ。僕、お肉食べたい」
「そうね。置いて行きましょう」
「あっ! ちょっ! 置いてくなって!」
その後も度々足を止めるエーテルを度々置いてけぼりにしながら町の中心ほどまで進んで行くと、賑やかな露店はめっきり減って落ち着いた雰囲気の食堂や宿屋、そして民家が見えてくる。
この辺りは、近くにウンディーネの石像が据えられた噴水とベンチが数脚置いてあるだけの大きい広場があり、その広場がカジュカきっての名所であるため、立地条件的にどこの店も料金は割高となっている。
ネロは名所を通過して更に町の奥へ行こうとするが、ルゥが少しだけ休んで行こうという提案をし、エーテルがその提案に乗ったため広場のベンチに座って小休止することになった。
噴水の中心に据えられたウンディーネの石像は細部まで作り込まれていてとても美しく、何より目を引くのは腹部に埋め込まれた青く光り輝いている晶霊石だった。手の平ほどもあるそれは、一般に出回っている物より丸みを帯びていて一目で高価なことがわかる。
この世界でなら多種族共和国で十年は豪遊できるだろう。
現実世界に置き換えて分かりやすく例えるなら、都内の一等地に建てられたマンションの一室を買い取れるほどに相当する。
「凄いね……」
「ああ。流石、ウンディーネが救った町だけあるな」
「ウンディーネが救った?」
「なんだルゥ、カジュカの話を知らないのか?」
「なに、それ?」
エーテルの言うカジュカの話とは、カジュカが昔、魚介類を主食とする動物種族の集まる小さな村だった時の話。
海沿いのこの土地で彼らはそれなりにうまく生活をしていたが、ある年に嵐が巻き起こり、海が荒れ、村を高波が襲った。
そこにちょうど居合わせたウンディーネが海を鎮め、二度と被害が及ばないようにと守り石(晶霊石)を置いていった。
それ以来カジュカでは海の災害に遭うこともなくどんどん発展していったという。
「とまあ、アタシも旅芸人から聞いた話なんだけどさ」
「へえー。それならカジュカの人が精霊種族を嫌わないのもわかるね。……あ、ってことは、水の精霊種族のネロはウンディーネの子分? みたいな感じになるの? それなら、ネロが頭巾を取った瞬間大変なことになるかも知れないね」
ルゥの言ったことはあながち間違いではないが、訂正すると各精霊種族は四大精霊によって生み出されたものであるため、子分というよりは子供や子孫と言った方が正しい。
熱狂的なウンディーネ信仰の強いカジュカでネロが姿を晒したなら、あっという間に囲まれることが簡単に予想できる。それを危惧してネロは未だに頭巾を被ったままなのだと理解したルゥは、自分の考えが至らなかったことに対して謝罪をした。
「ごめん、ネロ。そこまで考えられなくて……」
「別に、ルゥが謝ることじゃないわ。それに、私が姿を見せたくない理由は他にもあるもの」
「え?」
「さあ、休憩はもう終わりにして宿屋を探しに行きましょう」
ネロが立ち上がったことで、ルゥはそれ以上何も聞くことができずモヤモヤしたまま彼女に続くことしか出来なかった。
ウンディーネの噴水の横を通り過ぎようとした時、ルゥがもっともな疑問を口にした。
「ねえ、こんなに普通に晶霊石が置いてあって盗まれないのかな?」
ルゥが見つめるウンディーネの噴水には、一応簡易的ではあるが杭と紐で柵が設けられている。
しかしそれは盗ろうと思えば紐を切ったり跨いだり、はたまた潜ったりして簡単に石像に触れ流ことのできる、本当にお情け程度の役割しかない。にもかかわらず、今まで盗難被害に遭ったという情報をエーテルは聞いたことがないという。もちろん周辺住民も聞いたことがないが、とても不思議だとこの広場に観光に来ている誰もが思っていることだった。
「晶霊石を見てみなさい。光っているでしょう?」
「うん。でも、それがどうしたの?」
「つまり、この晶霊石は待機状態にあるのよ。盗もうとしたら発動するように仕掛けてあるんじゃないの? 本当のところはどうか知らないけど」
「「へぇ……」」
ルゥとエーテルの声が重なった。
晶霊石の力を使うには二つの晶霊石が必要というのが、この世界の人口の大多数を占めている動物種族の当たり前の知識である。
力を蓄えた晶霊石。
その力を発動させるための晶霊石。
この二つが揃って初めて動物種族は晶霊石を使うことができるのである。
エーテルの宿屋でネロが部屋の鍵を開けたのも、扉を固定する力を持った水の晶霊石の力を、鍵となるもう一つの晶霊石がその力を解除させるよう発動したためである。
しかし、晶霊石の使い方はそれだけではない。
ルゥは旅の途中でネロが水袋に水を補充する様子を何度か目にしている。
そのとき、ネロは晶霊石を一つしか使用していない。
水袋の口を縛る紐に付けられた、装飾品に偽装された晶霊石。
それを使ってネロは飲み水を補充していたのである。
精霊種族についての知識がある動物種族ならば、精霊種族が晶霊石一つあれば力が使えることは知っているだろう。だが、今回のウンディーネの石像のように、一定の条件下に於いて自動で力を発動させることができるという知識を持つ動物種族など片手で数えられるくらいしか存在しないだろう。
何故ならば発動条件の設定・書き換えが精霊種族にしか行えない技術だから、ということもあるが、精霊種族は自らの能力を吹聴せず、また動物種族は精霊種族について深い知識を持とうという気がないからである。
「そうそう。晶霊石といえば、アンタ達、ウチの木札どうした?」
晶霊石のことを考えていて思い出したのか、エーテルが二人に部屋の鍵として渡してあった水の晶霊石が埋め込まれた木札について訊ねた。
「ああ、そう言えばそうだったわね。ルゥ、返してあげなさい」
「あはははは…………。これ、ね?」
ルゥは引きつった笑いのまま、ズボンのポケットから真っ二つに割れた木札と、小さな青い晶霊石を取り出して見せた。
「え? それ? だって、木札……」
「なんか、壊れちゃった」
「ふーん……って、はぁ!?!?」
広場に居た全員が振り返るような声量だった。
視線から逃げるように急いで広場を離れた三人は、歩きながら木札について話をした。
「気付いたのはついさっきなんだ……。色々あって、壊れたんだと思う」
「壊れたって……ルゥ、お前なあ……。晶霊石を木札に埋め込むのって凄い費用が掛かるんだぞ?」
「いいじゃない。どうせ当分戻らないんだから」
「それはそうだし、替えの木札もあるから営業に問題はないけど……。でも……」
開き直ったようなネロの言い分に納得し切らない表情で自問自答を繰り返すエーテルに、ルゥはいつもやるように耳と尻尾を垂れ下げて上目遣いに再び謝った。
「本当に、ごめん、ね?」
「っわ、わかったよ……。もう、ルゥにそんな顔されたんじゃ、これ以上怒れないじゃんか」
「へへっ。エーテル許してくれるって!」
「そう、良かったわね……」
「ネロ、どうかしたの?」
「なんでもないわよ」
疲れた顔でなんでもないと言うネロを気にしつつも、ルゥは機嫌良く先へと進んだ。
広場から数百メートル離れたところで金額的に良さそうな平屋の宿屋を発見した三人。
塗装が所々剥がれた看板はかろうじて宿屋と読める程度で、壁には蔦が蔓延り、他の宿屋が硝子張りの窓を設えているのに対し木製の観音開きの窓、入り口の扉もボロボロで触ったら外れてしまいそうなほどだった。
あまりにも酷い状態の宿に絶句する三人だったが、とりあえず宿泊料金だけ聞いてみようとしたネロが扉に手を掛けたとき、ルゥが何かを感じ取り耳をピンと立てて周囲を警戒しだした。
「ルゥ? どうかしたの?」
「……わかんない。でも、嫌な感じがする──」
ルゥが言い終わるか言い終わらないかの瞬間、広場のある方角から大きな爆発音が聞こえて来た。
三人は一斉に爆発音があった方角へ体ごと振り向くと、上空へ向かって白煙が立ち昇り、次いで逃げ惑う人々の悲鳴と怒号が聞こえてきた。
「なんだ!? 一体何があったんだ!?」
エーテルの疑問に答える声はなく、しかしルゥは「行かなきゃ」と一言だけ残して広場の方向へと駆け出した。
「ちょっと! ルゥ! 待ちなさい!! ……っもう! 私達も行くわよ!」
「はあ? ちょっと! 一体どうしたって言うのさ!」
大して離れていない広場に向かう道すがら、ルゥはなんで自分がこんなにも急いでいるのか考えた。
今日初めてここに来たはずで、思入れも何もない。知り合いが居るわけでもない。なのに何故、こんなにも心がざわめいて仕方がないのか……。
その答えが広場にあるような気がして、ルゥは体勢を低くして走る速度を上げた。
多種族町カジュカ到着です。
特産と言えなくもないですが、魚介類の水揚げ高が結構あります。
肉食のルゥとしては面白くないですw
ちなみにネロもエーテルも雑食です。
そして裏設定でネロは大食いです。
金銭的に余裕がないので普段はあまり食べませんが、食べるものがあれば食べます。
そんな裏設定的なものも今後ここで披露していきたいです。