21、サラマンダーとウンディーネ
『五指』を含む『神の手足』の面々が撤退した後には、戦いの傷跡と数多くの兵士の死体が残った。中には辛うじて息のある者もいたが、放っておけば直に死に至るだろうことが容易に理解できた。
この場には彼らを助けようとする慈悲ある者は居ない。
『五指』や他の『神の手足』を逃したサラマンダーも、倒れている人を可哀想だとは思っていたが、仕方のないことだと割り切ってもいた。
これが、自然の摂理である……と。
「おい、本当にあいつらを行かせて良かったのか?」
サラマンダーから放たれる不可思議な圧力から解放されたラウディが一番に口を開いて『神の手足』を見逃したことへ非難した。
「そう言うならラウディが止めれば良かった」
「そうそう。ルルなんか存在感に気圧されて動けないどころか口も開けませんでしたよー。今だって気合い入れないと声が震えそうなんですから」
「情けないですわよ。私、たとえ目の前に大精霊がいようとも、態度は変えませんわ」
「「声震えてるよ」」
「っ黙りなさい!」
それに対して他の始まりの精霊種族達は「仕方ない」「どうしようもない」といった感情が主だっているようで、ルルディが口にした通り言葉を発するのも一苦労の調子で、本当に今、ようやく喋れるようになったところまで思考と意識が回復したところだった。
「あー、で? あいつらの後を追うのか? それとも、本当に見逃すのか?」
そんな中、サラマンダーと一度邂逅したことがあるカザミは至って平静に質問してきた。
しかし、カザミが問い掛けたのはサラマンダーではなくネロに、である。それも、腕を組んで尻尾を力なく垂れ下げた状態で……。耳は辛うじて強気を保っていたが、腕を組むフリをして体の不調を誤魔化し、この状況を作り出したサラマンダーに直接話しかけるのではなくネロを介して、ということから普段飄々としているカザミでも躊躇われるほどの存在感を、今のサラマンダーは放っていた。
そんな諸々の感情を正しく読み取っていたサラマンダーとネロは、小さく肩を竦めて視線を交差させて意思疎通を図り、カザミの質問にネロが答えた。
「馬鹿ね。そんな簡単に事は運ばないわよ。追跡・追撃する場合は追う方がフリなのよ? 先行した『神の手足』が罠を仕掛けていたらどうするつもりなのよ」
「それくらい俺だって知ってるっつの! じゃあ、それならどうするんだよ。神様だか大元帥だか、あいつらの喉元に噛み付く機会を見逃すのかよ!」
むしろネロに噛み付かんばかりの勢いで問い詰めるカザミを、サラマンダーもネロもやれやれといったふうに見ていた。
どちらかと言えばサラマンダーもネロも神様側の存在である。
常日頃から神を「ぶっ倒す」と宣っている『ゴリアテ』に嫌悪を抱かないのは、どう頑張ったところでただの第三種族如きが神に敵わないと知っているからであり、心情としては困難にまっすぐ向かっていく子供を見守っているような状態だった。
要するに「無理だろうけどまあ頑張れ」である。
シギルが彼らにした事を思えば二人とて一発どころかボコボコに殴ってやろうという気持ちはあるが、平たく言えば身内に喧嘩を売っている『ゴリアテ』に対しては怒りを通り越して同情している方が大きかったりする。
一方、現在進行形で絶賛敵対中の『神の手足』を本当にシギルが作ったのだとしたら、それはボコボコどころか半殺しである。シギルの一番近くにいた自分達を何故世界から排除しようとするのか、悲しみを通り越して怒りを覚える。
だからこそ実際に会って問い詰めないと気が済まないのである。
故に、ネロは神の元へ辿り着くその方法をカザミや『始まりの精霊種族』達へ説明する。二人の神の元へ確実に行くために……。
「フーが覚醒した今なら、アイネの檻を壊せるでしょう。彼女の力を借りるわ」
「アイネ? アイネは閉じ込められてるのか?」
「ええ。風の祠っていうところにね。彼女が何をしたのかはわからないけれど、自由を愛する彼女からすればあそこは地獄ね」
「なら、早々に行ってあげないとな」
淡々と話すサラマンダーに、カザミが待ったを掛ける。
「ちょっと待てよ! 行くって何処にだよ。話の流れからして全員で行くわけじゃないだろ? そこの精霊種族達はどうでも良いとして、俺ら『ゴリアテ』とミーシャ、マイム、それとお前の連れの二人はどうするつもりだよ」
「エーテルとモエギは『ゴリアテ』で預かってくれないかしら? 彼女達は絶対辿り着けない場所に行くから」
その時点で「付いてくるな」と暗に言っているネロに、カザミはカチンときて更に言葉を重ねた。
「『ゴリアテ』は第三種族と合成種族を保護するけどな、普通の動物種族まで面倒見きれねえよ。ミーシャ一人で手一杯だっつの。連れの二人はお前が連れて行けよ、チンチクリンが」
「……どうやらウンディーネの正体どうのこうの以前に、貴方は私が嫌いみたいね。エーテルとモエギを連れて行ったら彼女達確実に死ぬわね。私はそれが嫌だから置いて行くのよ。少しでも生存する確率のある、貴方達の方へ」
そこまで話したネロに、サラマンダーは意外そうな顔をした。
基本的に精霊種族は精霊種族同士の僅かな繋がりしか重要視しない。それなのに彼女はただの動物種族を気に掛けている。
サラマンダーとしてもネロにそこまで言わしめる動物種族が気になるが、ネロが普通の動物種族は死ぬと言うのであればそれは事実であり、サラマンダーはその情報を一寸の疑いもなく信じている。ならば、サラマンダーは連れて行かない方が双方の為であると結論付けて何も口出しする事はなかった。
「……いつ戻るんだよ」
「明確な時間は算出できないけれど、アイネを救出したらすぐ戻るわ」
「チッ、分かったよクソが。で、俺らはお留守番するとしてこいつらはどうすんだよ」
「連れて行ってもしょうがないから置いて行こうと思ってる。けど──」
「ルルも一緒に行きますよ!」
「私も行きたい」
「ネロが行くところは俺様も行くぞ!」
「ラウディが行くのなら私も行きますわ」
「……案の定、全員付いてくるつもりね」
やれやれとため息を吐いたネロだったが、次の瞬間には過冷却水ばりの冷たい表情になっていた。
これはネロが本気で怒っているときの表情であり、サラマンダーは触らぬ神になんとやらと素知らぬ顔でアイネが居るだろう場所を探り始めた。
「私達は遊びに行くんじゃないのよ。貴女達が何故ついて来たがるのかは聞いても理解したくないから聞かないけれど、はっきり言って迷惑よ。邪魔。無意味。犬死にも良いところよ」
「でも……」
「でもじゃない。貴女達は待機。帰ることも移動することも許可できないわ」
「ネロの癖に生意気じゃありませんこと?」
「レイディの癖に、私に口答えするのね。この、ウンディーネの生まれ変わりである私に」
「くっ……。それを言われると、何も言えませんわ」
「しかしだな……」
「ラウディもしつこいわよ」
ネロと精霊種族が押し問答を繰り返している間にサラマンダーはアイネの居場所を探り当て、あとは出発するだけになった。
本当なら今すぐにでも用事を済ませておきたいサラマンダーだが、ここで下手に口を挟むとネロの機嫌を損ねる事になりかねない。急いでいるのはネロも同じだろうが、本気で怒った彼女は言いたい事を言い切らない限り後々まで怒りを引きずるのである。
「ルルディ。私達は待つのが正解。これ以上ネロを怒らせても良い事ない」
「……わかりましたよー。一番シルフに会いたいはずのリバちゃんがそう言うなら、ルルは我慢しますよ」
「レイディもラウディも」
「分かりましたわ」
「仕方ない。俺は大人だからな。待っててやるよ」
「はぁ……。じゃあ、フー。行きましょう。アイネの場所は分かる?」
「ああ。さっき調べておいたから分かる」
「……本当に、サラマンダーね。フーというよりはフォティアって読んだ方がいいかしら?」
「別にどれでも良いよ。俺達の呼び名なんて統一されていないからな」
「そう」
それ以上ネロが言葉を発する事はなく、目を閉じて精神統一を始めたのだった。
サラマンダーも同じように目を閉じ、先ほどアイネの居場所を探った要領でこの世界に存在する火を辿り始めた。
この世界で使われているありとあらゆる場所の火。
原始的な方法で起こされた火。
晶霊石を用いた火。
明かりとして使われているものから調理用、入浴用など用途は多岐に渡っている。
その中から暗い場所を照らしている小さな明かりを探し、土や風、水という他の元素が近くにあるもの。特に風の力を封じている感覚を探した。
以上の工程は先程ネロが怒っている時にサラマンダーが行った過程であり、今はその工程をすっ飛ばしてアイネの閉じ込められている場所にある灯火に狙いを定めている。
「行くわよ。……水よ、我を彼の子の元へ導け」
「俺を、あの灯火の元へ導け」
ネロとサラマンダーが口にした言葉は祝詞いのりではない。
ただ、自らが創造した場所へ正しく辿り着けるようにとの"おまじない"に過ぎない。
そもそも、世界に存在する特定の元素を辿れる精霊種族など存在しない。第三種族なども論外である。
故に、彼らの言葉を精霊種族が模倣しても何も起こる事はない。
小さく言葉を真似たレイディにサラマンダーは微笑み掛け、そして火の玉に導かれるまま火炎の力を以ってアイネのいるトワイノース大陸の風の祠へと全速力で駆けて行った。
サラマンダーがいっぱい喋った回です。
そしてついにシルフであるアイネさんが正式に登場します。