15、驚愕の連続
楽しげに呟かれた言葉は真っ青な空から大量に降り注ぐ水にかき消された。水と言っても豪雨では足りない。滝……いや、海の水を上空に転移させたような水量は『五指』に容赦なく襲いかかり、後方に下がっていた『神の手足』もあっという間に全部隊を飲み込んだ。
しかし、ルルディ達始まりの精霊種族達がいる場所には一切水が押し寄せることもなく、洪水特有の濁流音が聞こえてくる以外は至って普通であった。
レイディの風の防壁に守られながら目の前に広がる光景を見ていたルゥは、呆気に取られながらもこの光景が当然であるかのように受け止めていた。それは暴力的な能力に悔しさや絶望を通り越して素直な賞賛を送りつつあるカザミと同じように冷静であったが、心の片隅では確かに「駄目」だと必死に訴えかけていた。
それは元来争いを好まない彼の性格ゆえか、魂に刻まれたもう一人の人格に由来するものかは分からなかった。
──本当、まだまだだね……。
「水に、大いなる力を与え給え。ウル・キュルメリオ」
ルゥが自分の未熟さに内心ため息をついていると、いつの間に風の防壁の外へ出ていたのか、ネロがレイディの放った祝詞を自らが作り出した水の壁で相殺していた。
「なっ!? 私の祝詞が……!」
「レイディ、やり過ぎよ」
地形を変える勢いの洪水をたかが高位の祝詞の高波で止めたネロはレイディに冷水の如く厳しい注意を浴びせ掛け、続け様に聞きなれない祝詞を唱えた。
「水に与えた力を世界に還し給え。リ・キュルストア」
「チッ……。せっかく煩い小蝿共を始末する良い機会でしたのに」
「レイディ、私達精霊種族は大精霊と違って無から有を生み出すことはできないわ。今、貴女が最高位の祝詞を唱えたことでこの世界の海の水位がどれだけ減ったと思っているの? 生活用水にされている川や湖は無事のようだけど、あんまり派手にやり過ぎると……神に消されるわよ?」
「はいはい。今後は気を付けますわ」
ネロの脅しにも全然懲りた様子を見せないレイディに周囲はやれやれといった様子で、どうやら彼女が反省しないのはいつものことらしい。
「どうなることかと思ったけど、やっぱりネロ」
「私、なんか『始まりの精霊種族』であることに自信をなくしそうですー」
「流石はネロだな! 俺の隣に並ぶだけのことはあるぞ!」
「全く……っ」
自由な精霊種族達に頭を抱えるネロだったが、力を使い過ぎたのか少しだけふらついたように見えた。
ルゥはモエギの手当てを受けているシュカや、彼女を心配する『ゴリアテ』達を気にしながらも急ぎ足で風の防壁外へと出て行った。
「ネロ、大丈夫?」
「……大丈夫よ。少し、疲れただけだから」
短い息を吐いたネロは頭に当てていた手を外してルゥに向かって優しい笑みを返した。
どうやらルゥが風の防壁を難なく通ってきたという事実はリバディ達と違ってネロの中では既に当たり前のこととして認識されたらしい。
「この狼、また……」
「リバちゃん、顔が怖いですよー?」
ルルディとリバディのやり取りを聞き流しながら、レイディはネロに向き直って反省皆無で文句を垂れた。
「ネロ、どうしてくれますの? 敵が体勢を整えていましてよ?」
「あんな奴ら、貴女なら高位の祝詞で十分でしょう? いくらラウディが見てないからって世界を壊さないでもらいたいわ」
「なっ!? べ、別に私、は……! ら、うでぃの気を引こうなんて考えてませんわ!!」
「説得力皆無」
「レイの顔真っ赤ですよー? 呂律も回ってないですしー?」
「レイディ、かわいいね」
「はぁ!? お、狼に言われても嬉しくありっ、ありませんわ!!」
「……天然人タラシ」
「あー、これはネロの苦労が伺えますねー」
「……大変なのよ」
四人の女性精霊種族が『神の手足』そっちのけで賑やかに騒いでいると、『五指』の隊が隊列を組み直してしまい──当たり前ではあるが──雄叫びとともに突撃してきた。
「おい、お前らが遊んでるから敵が回復したぞ!」
「ご、ごめんなさいですわ……」
ネロ達の会話を呑気に眺めていただけのラウディも同罪だと思うのだが、彼のあまりの剣幕にレイディだけが反射的に謝ってしまった。
「世界に影響を及ぼさない程度の力で迎撃するわよ。ルゥは危ないから皆んなのところに戻ってなさい。水に更なる力を与え給え。ディ・キュルムシド!」
「はーい! ルルも迎撃しまーす! 土に更なる力を与え給え! ディ・スティレイド!」
「私もやる。風に更なる力を与え給え。ブル・ヴァイディド」
「よしよし! 全員いい感じだな! 俺様も負けないぞ! 火に大いなる力を与え給え! ディ・フォルメリオ! 更に……ブル・フォルナード!!」
「遅れは取りませんわ! 水に大いなる力を与え給え。ブル・キュルメリオ!!」
水の散弾、土の散弾、複数のカマイタチ、無数の火の散弾に火の大太刀、水の大太刀。
四属性が千万無量、縦横無尽に一帯を駆けて『五指』の軍隊へと四方八方から迫るが、彼らの総指揮官は彼女達の攻撃を全く意に介すことなく「神的は滅すべし!」と叫びながら突撃を止めることはなかった。
指揮官が敵に向かう以上、部下達も雄叫びを上げて自らを鼓舞しながら後に続いた。
「はぁ!? あいつらなんなんですかー!? こっちに突っ込んでくるとか狂気ですよ!! っていうか、攻撃あんまり効いてないっぽいんですけどー!」
ルルディが苛立ちと驚愕の混ざった声を上げた。
先ほどよりも気合の入った攻撃は『五指』率いる部隊達の鎧に傷を作り、凹ませて徐々に数を削っているが、やはり隊長格の五人は飛んでくる攻撃を剣で斬り伏せた、盾で防ぎ、馬を操って器用に避けたりして尚も突撃を止めようとしなかった。
「死ね! 地獄に堕ちろ! 異端者共!!」
馬に跨った男が剣を振り上げながら雄叫びを上げ肉薄してくる。
「っ来るわよ! みんな構えなさい!!」
「あーもうっ! こっち来ないでくださーい!!」
ルルディはイライラしながら祝詞を唱えずに力を発動させた。
一度や二度では祝詞を唱えずに力を使っても影響はないが、流石に今の今まで力を使いすぎていたらしく、大した強度の壁を作ることはできなかった。それでも横幅5メートル、高さ3メートル、厚さ10センチメートルの壁はアーサーが作るよりも立派で、この場を凌ぐには十分かと思われた。が、しかし……。
「ふんっ! 神より賜ったこの剣の前には、どんな障害も無意味!」
怒号とも取れる雄叫びとともに剣を横薙ぎに一閃した騎士の攻撃に、ルルディの作った土壁は脆くも崩れ去ってしまった。
「なんで!?」
「死ね! 異端者ァ!!」
迫る凶刃にネロ達精霊種族は動くことができなかった。
目の前に迫った死への恐怖もあるだろう。しかし、ネロに至っては幾度となく死線をくぐり抜けてきたはずである。にも関わらず咄嗟に動けなかったのは、『五指』が使用している剣が通常出回っている金属よりも純度が高く、感じる嫌悪が強かったからである。
第三種族であるルゥとて同じことだが、考えるよりも先に体が動いた。
「ネロ──!」
ルゥは自分が何をしたのか理解できなかった。
ただ、気付いた時には『五指』の一人は馬ごと跡形もなく消えていた。
他の面々も一体何が起こったのか理解できていない様子で、まるで時が止まったかのように固まってしまっていたのだった。
今回は長いです。
区切るところがわからなかっただけです……。
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