8、覚悟
裏の商人である白猫の老爺ブランの家を後にした私達四人は、少し進んだところで後ろから怒鳴り声に近い声が掛けられて足を止めた。
「待ちやがれです!!!」
聞き慣れた声の、聞き慣れない暴言に思わず振り返った私は弓を構える一人の女の姿を見た。
彼女の目に一切の迷いはなく、限界まで引き絞った弓の弦をいつでも手放し射抜くという覚悟があった。
「モエギは精霊種族が憎いです! お父さんとお母さんを殺し、お婆ちゃんをベッドから一生起き上がれない体にして、お兄ちゃんを死と隣り合わせの戦場へ連れ去ったあなた達が!! それでもモエギは、ルゥ君が大好きです!! 第三種族だとしても、モエギを救ったロビンフッド様です!! 強くて、優しくて、ちょっと頼りなくて、でもそこが可愛くてっ……! それに、ルゥ君が居てくれれば世界を変えてくれる気がするんです!! だからっ、だからモエギは例え精霊種族が居ようと、第三種族が居ようと、死ぬかも知れない戦場に行かなきゃいけないとしても、そこにルゥ君がいるなら這い蹲ってでも行くです!! それが、恋する乙女……『人は短し恋せよ乙女』です!!!」
想いというものはいつの時代も強いものね──。
「──それで? だからなんだと言うの?」
「モエギは付いて行くです! その覚悟を……見せてやるです!!」
言い終わると同時に矢を射掛けてきたモエギに、私は祝詞を唱えることもせず放たれた弓矢を空気中に作り出した水に封じ込めた。
水を作り出さなければ右肩に突き刺さっていたでしょうけれど……。心臓や頭を狙わないあたりがモエギらしと言えばモエギらしいわね。
私だから急所を外したのか、わざと外したのか、それとも元々人を殺める覚悟がなかったのかはわからないけれど……覚悟が甘いわね。
「貴女の覚悟は所詮この程度? 大切な人を守るためにその他を排除する覚悟。それがない限りは付いてくるなんて甘ったれたこと言わないで欲しいわね」
「今のはわざとです! 次は外さないです!! 例えネロちゃんであっても、エーテルさんであっても……」
モエギの覚悟の眼差しは、確かに言葉通り私の心臓を射抜くと言う確たる信念が垣間見えた。
「ねえ、ネロ。もうどうでもいいから行きましょうよー。ルル、飽きたんですけどー」
「私も飽きた。面倒」
「……そうね。これ以上は無駄ね。行きましょう」
ルルディとリバディに促されたネロはそれ以上モエギと向き合うことはなく、あっさりと身を翻した。
「ネロ……」
「エーテル何をしているの? 置いて行くわよ?」
後ろ髪を引かれているエーテルに無感情と取れる声を掛ける。
──こうやって無感情、冷徹と取れる演技をしなければいけないって言うこと自体、私も大概甘くなったものよね。
それでも、親しくなった相手からの拒絶の言葉ほど身を引き裂く凶器は他にないわ。
後ろを振り返ることなく足を進める。
ここでエーテルがモエギ側に付くのであれば、私はエーテルも容赦無く切り捨てる。
シギルに似ているから……と、少し寛大になりすぎていた気持ちを引き締めるように短く息を吐き出した。
「……精霊種族は嫌いです。モエギから色んなものを奪っていくです」
背中に投げられる独り言は、静かだけれどしっかりと耳に飛び込んでくる。
「モエギはもう、何も失いたくないです。ルゥくんと言う大好きな相手も」
私はそれでも足を止めない。
エーテルは、私を気にしながらも足を止めたまま。
「エーテルさんと言う、頼れるお姉さんも」
「……モエギ」
エーテルの嬉しそうな声が、遠く聞こえる。
「そして、ネロという好敵手であり、モエギの友達も、です」
…………はぁ。
「ネロ? 行かないんですか?」
「早く行かないと、早く帰れない。それはネロも困ること」
「そうね。ルルディもリバディも、そして私も暇じゃないものね」
でも、このどうしようもなく馬鹿な子を置いていくのは──
「──ちょっと勿体無いわ」
「何がですか?」
足を止めてモエギの方を振り返る。
エーテルと、弓を引き絞ったままのモエギと視線が交差した。
「……何しているのよ。早く来ないと置いていくわよ。エーテル。……モエギも」
「っああ!」
「っはいです!!!」
駆け寄る二人に背を向けて、あり得ない!という風な間抜けな顔をしているルルディとリバディを追い抜く速度で足を進めた。
「ネロが、折れましたよ? リバちゃん」
「もうすぐ雪が降る」
「いいからさっさと歩く! フォロビノンまでは遠いんだから、時間が勿体無いでしょう!」
賑やかな旅って面倒だけれど、良いわよね。
ね、ルゥ?
凄く悩みました。
書き直しました。
モエギの立ち位置が決まらなかったんです。
結局は『恋する乙女は最強』というポジションに収まりました。