7、事件
あれはいつの事だったかしら? 確か、ルゥが10歳にも満たないときだった気がする。
あの子と合流して、ようやく三人での旅も慣れてきて、少しわがままで甘えたがり、それでいてとても素直に育ったあの子を襲った事件のこと……。
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フォロビノン大陸の北の方、木々が生い茂る森林地帯。その中に小動物の動物種族がひっそりと暮らす集落がある。
特に用事もなくて、ただ通り過ぎるだけの予定だったその集落で出会ったリスの老婆。
親切そうな笑顔で私達に食べ物を恵んでくれた。
あの子は嬉しそうに受け取って、私もクライスもそれを微笑ましく見ていた。
「いっただっきまーす!」
貰ったのは世間一般で食事に出る黒いパン。
ルゥは特に疑いもなくそれを口にした。
そう、変な嗅覚を持っているルゥでさえ嗅ぎ取れないほど、特に何もなく見えた黒パン。
「……ッ?!」
咀嚼して飲み込んだ途端、ルゥは胸を抑えて苦しみだした。
「ルゥ!?」
「どうしたんだい? 喉に詰まらせた、とかではなさそうだ──」
「ざまあみやがれ! この異端者共がッ!!
優しかった老婆の表情が一転、憎しみに彩られた狂気の表情で高笑いをしながら罵詈雑言を吐き続けた。
「世界を壊す存在が、のうのうと生きている今この時が間違っているのさ! 世界の中心であるわしら動物種族を片手で捻り潰すような悪逆非道の者達が、生きていて良いはずがない!! なら、わしが殺して世界に貢献して神の役に立つ!! そうすればきっと、あの子が帰ってきてくれる……!」
「くる……しっ…………、ネ、ロ……たす…………」
「ルゥ!!」
「ネロ、どいて。僕がなんとかするから、ネロはあの老婆を落ち着かせて」
「落ち着かせてって……。ルゥを殺そうとしてるのよ?! 生かしておくなんて……」
「ネロ。それでも彼女はこの世界の住人だ」
「…………分かったわよ」
クライスに言われて興奮した……というよりは狂気に身を包んだ老婆を落ち着かせようと話し掛けるが、「近寄るな」と足元に落ちていた木の枝を投げられてしまった。
──この老婆……! ルゥを殺そうとしただけじゃ飽き足らず私にまで敵意を、殺意を向けてくるなんて、クライスがいなければさっさと…………いえ、落ち着くのよ私。それは誰も望まない。ルゥも、クライスも、この世界も、シギルでさえも……。
「仕方ない。けれど、私は貴女を許しはしないわ。……水に更なる力を与えたまえ。バル・キュルムス」
「反逆者め! その、呪われた……力、が──」
本来なら周囲を警戒するために使う結界に似た力だけれど、濃度を高めて集中的に使えば酸欠に近いことを起こせる。
息苦しさにゆっくりと膝から崩れた老婆をそのまま放置してルゥの元へと駆け寄った。
「クライス、ルゥは?!」
「心配ないよ。毒は浄化できたと思う。けれど、あんまり力を使いすぎるとシギルに見つかっちゃうから、あとは頻繁に水を飲ませて自然に毒を排出させるしかないね」
「分かったわ。ルゥ、辛くても水を飲んで」
「……ぅ、ん」
水袋を口に充てるとゆっくりと飲み下し始めたルゥの様子に一安心した私は、これからどうするのかとクライスに尋ねた。
反精霊種族派。
この世界を作ったときからシギルもクライスも危惧していたことがこうして現実に、今目の前にはっきりと提示されてしまった。
今までの旅でもそれとなく影は感じていた。それでも、私達に危害を加えるような愚か者はいなかったし、彼らのとる行動といえば殺害というよりは迫害に近く、それも命を奪うものまでとはいかないものばかり。
油断、していたのでしょうね。
「……彼らの言い分も分かるけれど、これは僕達が手を出して良い問題じゃないんだよ。この世界がどうなるのかは、彼らの手に委ねられているんだ。シギルもそれを分かってるし、僕もそうだよ。まあ、今やってることは完全に越権行為なんだけどね」
あははと困ったように笑ったクライスは真剣な表情に戻して言葉を続けた。
「この世界が滅びるまで、僕達は観察者として見届けるしかないんだ。辛くて、悲しくてどうしようもなくなってもね」
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あの時のクライスの表情はとても辛そうだった。
それはきっとルゥが危険な状態にあっても手助けがほとんどできない自分の微妙な立ち位置を嘆くものだったのかも知れないけれど、この世界に生きとし生けるものの生と死を手を拱いて見てることしかできないもどかしさから来るものが大きかったのでしょうけれど……。
私は、例え親しくなった動物種族や精霊種族が居ても、たった数人の家族を守るためなら躊躇いはしないわ。
だから、あの子を守るために、私は貴女を拒絶させてもらう。
あのリスの老婆に似た、貴女を……。
ネロがモエギを警戒していた理由が明かされました。
このネロの話が終わったら怒涛のネタバラシが続くと思います。
しかし終わりまではまだ遠いでしょう……。