エピローグ
皐が学校からの帰り道に寄った本屋の入口近くの特集コーナーに、老舗のオカルト雑誌が平積みされていた。その表紙に、ある人物の名前を見つけ、それを手にとる。表紙には、現役大学教授特別寄稿『支配体制の維持からオカルトを考察する』と、オカルト雑誌らしからぬ文言が書かれていた。雑誌を開いて目次を見ると、特別寄稿は巻頭に掲載されていて、内容は、
『世間でオカルトと言うと、人狼(狼男の方が通りがいいだろう)、雪男、吸血鬼、魔女、幻のムー大陸等の存在の有無の証明に注目されがちである。学問の世界に生きる者にも、オカルトと言われるものを迷信と斬って捨てずに研究しているものが居るが、存在の有無の証明よりも、伝承の分布、共通項、伝承の広がりの時系列、天変地異や疫病の発生時期と伝承が歴史に現れた時期が重なっていないかを研究している者が大多数である。小職は今一歩踏み込んで、政治的な面からオカルトと言われている領域を研究している』
と、オカルト雑誌に掲載されるものとしては、異色のものだった。
立ち読みで終わらせられるような内容ではなかったのと、寄稿者が皐にとって重要な人物だったので、そのオカルト雑誌を購入することにした。帰り道の地下鉄の車内でも、購入した雑誌の続きを読む。
『オカルト好きでなくとも知られている人狼は、政治的な産物と言っても過言ではないだろう。人狼は、怪しげな薬とか、呪いで生み出されたのではなく、主食にしていたライ麦に起因する食中毒被害者のことである。食中毒被害者を、人狼と称しなければならなかった理由としては、社会不安の抑止が挙げられる。主食のライ麦を食すると、人狼(麦角菌中毒)になると知られれば、社会不安が生じるのは必至である。人狼の場合は、社会不安防止という三分の理があるだろうが、体制側に民衆の矛先が向かないようにする意味合いがないとは言い切れない。我々は、オカルトを民俗学の範疇での研究に留めず、疾病、病害虫、食糧生産、食文化、政治、宗教等の複合的な要素から、オカルトと言われているものを、再考察する必要があるだろう』
と、オカルトと言われているものを、民俗学的に考察し、更に今一歩踏み込んで、科学的、医学的、政治的に考察すると、人狼と言う隠れ蓑の後ろに隠れていた本質が見えてくると、寄稿者は語ってくる。
『本邦では化学性食中毒を腐敗アミン説や爆薬説という珍説・奇説で原因を隠蔽し、被害を拡大させ、被害者救済を遅延させるという破廉恥な行為が行われた。人狼には三分の理はあれども、本邦の化学性食中毒の原因を、上記の珍説・奇説と説明した行為には一厘の理もない。それらを開陳した連中は、私企業の経済的利益、国家レベルでの経済至上主義を守るためのものだった。本邦の四大公害病の一角を占める化学性食中毒とオカルトの関連性を、怪訝に思う読者が居るだろう。先に例を上げた人狼と化学性食中毒には、共通点がある。真の原因を隠し、でっち上げた原因を流布し、被害防止よりも社会的・国家的利益を守り、被害者を罵倒することである。洋の東西、時代を問わず、考えることは変わらないどころか、年月を重ねるごとに大衆扇動の手法は洗練され、その凶悪性はましているかもしれない』
と、公害病の件は、人狼の話以上に血腥く、反吐が出る話だった。
特別寄稿の最後の部分は、寄稿者を含めた人間に対しての警告のように思えた。
『オカルトと言われているものを、興味本位で消費したり、踏み込みの足りない研究で考察すれば、我々人間は、第二第三の人狼を生み出し、化学性食中毒に代表される四大公害病の悪夢を繰り返すだろう。時代が変わり、聖職者は科学者に変わり、異論を唱える者への罵倒は異端から非科学的と言われるようになった。科学の牙城とも言うべき医学の世界に分け入ろうとしていた者から言わせれば、科学を十字架や聖書のように振り回して、中世の聖職者のように振る舞う科学者には、速やかな退場を要求する。科学とは崇拝したり、恐怖や疑念を抱く者を罵倒し、押さえつけるためのものではなく、検証することではなかったのか?』
皐は、特別寄稿の執筆者の『医学の世界に分け入ろうと』と言う件に疑問をいだいた。しかし、ある人が活躍し、オカルト雑誌とは言え、特別寄稿を依頼される実績があるのだとわかり、安心した。
皐は、その雑誌を通学カバンに入れると、最寄り駅で降り、アケミと住んでいるアパートに足早に向かった。
アパートに着くと、試しにドアノブを回してみたが、アケミはまだ帰ってきていないようで、鍵がかかっていた。皐は、自分の部屋に入り、制服から私服に着替えると、
居間でオカルト雑誌を読み返した。
本屋の店頭と地下鉄の車内で読んでいた時には、見落としていた執筆者略歴と執筆者の写真が、本文の最後に載っていた。
赤池敏彦 茨戸文教大学人文社会学部人文社会科学科助教授 博士(社会学)
北海道医科専門大学医学部医学科中退
茨戸文教大学人文社会学部人文社会科学科卒業
茨戸文教大学大学院人文社会学専攻人文社会学講座修士課程修了
茨戸文教大学大学院人文社会学専攻(宗教社会研究室)後期博士課程修了
博士論文『食中毒被害者は如何にして人狼にされたか』
皐は、執筆者略歴を見て、本文中の『医学の世界に分け入ろうと』の件の疑問が解けた。赤池敏彦は、医学部を中退していた。医学部を中退し、人文社会学部(宗教社会学研究)に転向したことに対して、ある不安を覚えたが、特別寄稿の内容を見る限りは、不安は杞憂に思えるが、実際に確かめたわけではないので、不安は残る。
皐があれこれ考えていると、玄関の方でドアノブを回す音がしたので、皐は玄関に向かった。玄関では、アケミが靴を脱いで部屋に上がろうとしているところだった。
「アケミ先輩、おかえりなさい」
と、皐が言うと、
「ただいま。図書館で調べものしてたら、遅れちゃったの。ゴメンね、皐」
と、アケミは皐に謝罪し、自室に荷物を置くと、居間の食卓の椅子に座る。
皐は、今の食卓に広げていた、雑誌を見せながら、
「アケミ先輩、この大学知ってますか?」
と、茨戸文教大学の事を聞く。アケミは、赤池敏彦の特別寄稿に目を通す。あの人らしい内容だと思った。
「まあ、名前くらいは……」
と、答える。
偶然とは言え、皐が自力で自分の父親が教鞭をとっている大学を見つけ出すとは思ってもいなかった。アケミは、この大学に通っているのだが、人間の世界に来た時に、父親は自力で探す、どうしても自力で探せない時に手伝ってもらうと言うことにしていたので、父親が教鞭をとっている大学に通っているとは言えない。
学会誌の論文以外は単著の著作がほぼ皆無の赤池助教授が、大衆雑誌、それもオカルト雑誌に特別寄稿するとは夢にも思わなかった。最近、化学性食中毒訴訟が高裁で被告の責任を認定する判決が出たが、被告が上告するという恥知らずな行動に出たのが、赤池助教授には我慢成らなかったのだろう。博士論文で、『食中毒被害者は如何にして人狼にされたか』と、食中毒被害者を、怪しげな薬を使ったり、呪いを行った者と糾弾し、異端の行為をした者として処刑し、本質的なものから目を背けさせ、食中毒の被害を拡大させたとも言える行為を、取り上げただけのことはあると思った。
皐は、赤池敏彦が教鞭をとっている大学を知り、
「アケミ先輩、私、この大学を受けようかなって……」
と、アケミに打ち明ける。
「皐が行きたいところを、受ければいいじゃない」
と、皐に言う。今からなら、センター試験対策をすればどうにかなるだろう。あそこの倍率は、一倍前後で安定している。入るは易いが出るは難しと、言われている私大で、入った後が大変だと嫌厭されているらしい。
「はい」
と、皐は、アケミに言う。
「頑張るんだぞ」
と、皐に言うと、壁に掛けてある時計を見る。時計の針は、夕方の六時を指していた。
雑誌に目を通すのに夢中になって、良い時間になっていた。夕飯の準備をしないといけないなと、食卓の椅子から腰を上げ、
「私が、夕飯当番なのに、遅れてごめんね。何食べたい?」
と、皐に聞く。皐は少し考えて、
「チキンライスが食べたい、アケミ先輩」
と、答える。
「はい、はい、わかりました」
と、アケミは答え、冷蔵庫から材料を取り出す。