二つの翼篇(似た者)
帰り道、皐がアケミに、
「アケミお姉ちゃん、お母さんと何話してたの?」
と、聞いてきた。
「皐ちゃんのことや皐ちゃんのお父さんのこととか、色々だよ」
と、皐に当たり障りがないことを答える。死者でも生者でもない者が生を受けると、調和が取れた存在が生まれ、悪魔と天使の翼を片方ずつ持つなんてことは言えない。
別れる直前に、恵に頼まれたことも、皐に伝えるのは躊躇われる。
地獄と天国の中間地帯から出て、皐とアケミが一緒に歩いていると、物陰に、季節外れの黒のピッグスキンのコートを着た若い男が立っていることに気がついた。
物陰に立っていた若い男は、近づいてくる人物がアケミであると確認すると、吹かしていたタバコを踏み消し、ゆっくりと物陰から出てくる。
アケミも物陰から出てきた若い男の正体に気が付き、歩みを早める。用がない時には帰ってくるが、用がある時には帰ってこないと嘆いていた息子の公正が、前触れもなく帰ってきたのだ。
公正がアケミに声を掛けようとしたのだが、それより先にアケミが、
「何時も、ふらっと帰ってくるのね……」
と、言う。
「俺にも、色々事情が……」
と、公正は言うが、
「事情ね……」
と、アケミは言う。公正が何をしているのかは、知っているが、子供に聞かせるようことではないので、そのことを暈す。公正は、無かった事にする力を持っている。肉体、記憶、魂を存在しなかったことにする力を……
皐は、公正から何かを感じ取ったのか、アケミの背後に隠れて、公正をちらっと見ると、すぐに隠れた。
皐の存在に気がついた公正は、皐がどんな目に遭っているのか知っているのか、
「他の連中と違って、虐めたり、怖い目に遭わしたりしないから、怖がるなよ」
と、皐に言うが、皐はアケミにギュッと抱きつき、背後に隠れたままだった。アケミは、皐を安心させるように、
「大丈夫だからね、皐ちゃん。この男の人は、私の息子の公正だよ。皐ちゃんのことを、虐めたりしないから」
と、皐に若い男の正体を教えるのだが、皐は公正を怖がったままだった。
公正は、皐が怖がっているのを、お構いなしに話しだした。自分の父親のこと、子供の頃に何があったのかを……
「俺も、お前と同じで子供の頃、虐められてたんだよ。俺の親父が人間で、半端者とか、人間の子がなんでここに居るんだとかって……」
と、皐に話す。続けて、
「彼奴等は、血とか親でしか、自分が何者か定義づけできない奴らなんだよ。生き方で自分が何者か定義づけできない甘ちゃんで、悪い意味で俺より人間だよ。血とか親がどうこうじゃなくて、どう生きるかが問題だ」
と、皐に言う。
アケミが公正に期待していたことを、矢継ぎ早に行う。悪魔の翼を持っては居るが父親が人間で、子供の頃に虐められていた過去を語り、皐に血とか親でしか自分を定義づけできないのは甘ちゃんで、自分で自分を定義づけしろと教える。
公正が、自分を虐めていた連中は、悪い意味で俺より人間だと言ったのを聞いて、悪魔は単に寿命が長く、人知を超えた力を持つだけの存在なのではないかと思えてきた。血とか親で自分を定義づけしているところなんて、人間にそっくりとしか言いようがない。悪魔は、神に盾突いて堕とされた存在だと人間は言っているが……
アケミが公正の言ったことの意味を色々と考えていると、アケミの背後に隠れていた皐が、公正の目の前に出てきて、背中の悪魔と天使の翼を出して見せる。
「これでも?」
と、皐は言う。皐の黒々とした悪魔の翼と白々とした天使の翼を見た公正は、息をのんだ。半端者、悪魔なのか!天使なのか!と言われているのは知ってはいたが、せいぜい翼が黒と白の羽でまだら模様だろうと思っていたが、まさか悪魔と天使の翼が片方ずつとは思ってはいなかった。
公正は、何か言わなければならないと思うのだが、中々適切な言葉が浮かばない。前言と矛盾するようなことを言う訳にはいかないので、下手なことは言えない。しかし、何も言わなければ、前言を否定することになるから、何も言わない訳にはいかない。意を決して、公正は皐に、
「翼の色が揃ってなかったり、両親揃って悪魔じゃないと自分は悪魔ですって言えないのか?両翼が悪魔の翼なのに、父親が人間だから、半端者って遠回しだったり、人間の子って直球で悪魔じゃないって言われたけど、自分が悪魔かどうかは、他人に決めてもらうことか?違うだろ?」
と、自分が何者であるかは、他人に決めてもらうことではないと、言う。
それを聞いた、皐は、言われていることを上手く飲み込めていないのか、
「でも……」
と、言う。
公正は、皐が自分を何者だと思っているのか、聞くことにした。皐が自分で、自分自身を定義づけ出来ないのなら、他人が決めることじゃないと言っても、効果がないから……
「皐は、自分は悪魔だと思ってるのか?それとも、天使だと思ってるのか?まさか、好き勝手言ってる奴らに言われた、半端者だと思ってるのか?」
と、皐に聞くと、
「皐は、悪魔だもん……」
と、小さい声で答える。それを聞いた公正は、
「自分が悪魔だと思っているのなら、それで良いじゃないか。自分で自分自身を定義づけできない奴らの言葉は気にするな」
と、皐に言って、皐の頭を撫でる。公正のことを怖がっていた皐は、頭を撫でられるのを拒まず、受け入れる。そして、
「うん」
と、返事をする。その返事を聞いた、公正は、皐の顔に自信が満ちている事に気づき、
「自分が何者なのか自信なさげにしてたのが、嘘みたいだな。皐は、これからどうするんだ?」
と、聞くと、
「お父さんに会いに行く!」
と、皐は答える。
公正は、皐が父親に行くと言うのを聞いて、父親に甘えるどころか、父親の顔も知ることも出来なかった公正には、皐が羨ましく思えた。
「そうか、お父さんに会いに行くのか。いっぱい甘えろよ」
と、公正は皐に言う。
「うん」
と、皐は言う。
「甘えるのは良いけど、お父さんを困らせるなよ」
と、皐に釘を刺す。
アケミは、公正と皐のやり取りを見て、多少雑なところはあるが、皐に方向性を示すことが出来たのではないかと思った。自分が何者かなんて、他人に決めてもらうことではない。自分で何者であるかなんて、自分で決めることだ。皐は、自分自身で、自分は悪魔だと言ったのだから、誰かになんと言われようと、もう大丈夫だろう。
皐が、父親に会いに行くと言ったのを聞いて、アケミは、恵に頼まれたことを引き受けないわけにはいかなくなったことを思うと、少し心配になる。引き受けるからには、全うしなければならないが、それを全うできるか不安がないわけではない。
だが今は、皐の前途が明るいものであることを祈ろう。折角、皐が自分の人生を切り開きつつあるのだから……
アケミが、これからの事を色々と考えていると、公正はアケミの方を見て、
「俺の仕事は、終わったから……」
と、後は任せたと風に言って、歩き始めた。
「公正お兄ちゃん、ありがとう」
と、皐は公正に言う。
「がんばれよ」
と、公正は、手を振りながら言う。
皐は、公正が見えなくなる手を振った。