邂逅篇(再会)
皐と言う少女と出会ってから、数日が過ぎた。アケミは、あの日と同じ様に、木陰で本を読んでいた。アケミが今日読んでいるのは、南アフリカのアパルトヘイトの実情を国連で告発しようとする南アフリカの黒人を国連の本部が有るアメリカに送り込もうと画策する男たちの物語。彼女は、その作家の社会派の残り香が有る推理小説が好きで、読み漁っていた。しかし、今日彼女が読んでいるのは、推理小説ではない。社会派のサスペンス小説だ。序盤では送り込もうとしていた黒人が、実は耳目を集めるための囮で、本命は別の人物だったことが終盤で判明する。アケミは、小説を読み終えて、人間も私達も大差がないなと思う。色々な御託を並べて、差別を正当化し、過ちを認めないところなんて……
男たちの企みは、成功したのか失敗したのかまでは、書かれてはいないのだが、願わくは企みが成功したと思いたい。この作家の作品で、これに似た作品が推理物にもある。インドシナ難民問題を取り上げたものだが、新婚の夫婦が失踪するものだ。失踪したと思われていた新婚の夫婦は、誘拐されて監禁され、戸籍を利用される。最後は、ハイジャックを起こし、人質と交換で人道物資をインドシナ難民に届けようとするが、結果は……
アパルトヘイト問題を取り上げたサスペンス小説も、インドシナ難民問題を取り上げた推理小説も、彼らの企みや行動が報われたのかは書かれてはいない。現実を知っている者として言わせれば、無意味ではないだろうが状況を打破するには、不適切か無力だろう。アパルトヘイト問題については名誉白人と担がれ、インドシナ難民問題についてはアリバイ作り以上のことは、何もしなかったと言われかねないだろう。
アケミは、人間と同じことをなんの躊躇もなくしていることに憤りを覚えた。人間が逃れられない寿命という宿命から逃れられた種族なのだから、人間より多くを学び、人間の過ちをなぞり書きするということはないだろうと思っていたが、逆に長い時間が暇を持て余させて、暇つぶしに人間の悪習を真似させるのだろうかと、考える。
アケミが、小説の内容から、数日前起きたことを考えていると、誰かが後ろから覗き込んでいるような気配を感じた。振り返ると、皐という二つの翼を持つ少女が、後ろに立っていた。何か用があるのかなと、本をしまい、皐の方に体を向ける。そして、皐は、
「アケミお姉ちゃん、この前は、助けてくれて、ありがとう」
と、言う。アケミは、皐の頭を撫でる。そうすると、皐は何だから恥ずかしそうにする。
「皐ちゃん、ここ数日、見かけなかったけど、大丈夫?」
と、皐に、大丈夫だったのかと、聞く。
「うん」
と、皐は、アケミに答える。それを聞いて、アケミは、
「そう、良かった。ここ最近、見かけなかったから、心配しちゃったぞ」
と、皐のことを心配していたことを伝える。実際、ここ数日見かけず、本当に心配していた。ショックやストレスで、寝込んだり、引きこもっているのではないかと思っていたからだ。眼の前に居る皐を見る限りは、寝込んでいたとか、引きこもっていた風には見えなかった。
アケミが一安心していると、皐は、思いがけないこと言ってきた。
「アケミお姉ちゃん、お姉ちゃんの翼を見せて……」
と、皐は、アケミに言う。アケミの翼が見たいと、皐は言うのだ。アケミの翼は、いわゆる悪魔の翼と人間に認識されている、コウモリのような翼だ。アケミは、この翼を、あまり良くは思っては居なかった。それどころか、自分の翼のことを呪ってさえいた。皐が見たいというのなら、無下に断るのは悪いと思い、見せることにした。
「皐ちゃん、今、見せてあげるからね」
と、言い、翼を出す。黒く、大きなコウモリのような翼を……
皐は、黒く、大きく、立派なアケミの翼を見て、驚きと羨望の眼差しを向ける。そして、自分の小さく、弱々しく、白と黒の片翼づつの翼と見比べ、俯く。
「良いな、アケミお姉ちゃんの翼……」
と、皐は言う。しかし、アケミは皐とは逆のことを思っている。
「私は、皐ちゃんの翼に憧れるな……」
と、アケミは、皐の翼に憧れていることを言う。それを聞いて、皐は驚く。自分の悪魔とも天使とも言い難いこの組み合わせの翼のどこが良いのかと。皐にとっては、どちらでもないという事が、耐えられない苦痛なのだから……
「えっ、どうして?皐は、嫌だな、この翼……」
と、皐は、自分の翼を嫌悪する。アケミは、皐に自分が何故憧れるかを、話そうと思った。少女に聞かせても問題がない範囲で、過去の話をしながら、憧れる理由を。
「お姉さんは、皐ちゃんの翼に憧れちゃうな。だって、天使の翼だよ。天使は、お節介焼きで、お高く止まっていて、いけ好かないけど……」
と、アケミは言う。天使の翼には憧れる。あれは、救済や癒やしを与えることが出来る存在の象徴だ。自分の背中にあるのは、充足しか与えられない者の象徴だ。しかし、天使の翼には憧れるが、天使自体はいけ好かない。呼ばれもしないのに出しゃばって来て、色々とかき混ぜたと思ったら、居なくなっている何てこともザラで、無責任なところがあるからだ。一番いけ好かないのは、お高く止まっているところだ。それでも、天使の翼には憧れを抱く。
「皐は、嫌。悪魔なのに変だもん……」
と、皐は、自分の背中の片翼を嫌悪していた。悪魔には存在し得ないそれを……
「皐ちゃんは、どうして、嫌なの?」
と、アケミは、背中に生える翼の天使の片翼を嫌う理由を聞く。あまり深く追求するべきではないとは、解っているのだが、皐の翼を責め立てていた子供を追っ払っても、一時的な問題解決にしか成りえない。諭すにしても、物分りが良くなければ、労多くして功少なしだろし、問題解決の確実性を求めるのなら、責め立てる行為を無意味にするしか無いだろう。そのためにも、皐が天使の片翼を嫌う理由を知り、嫌う必要がないと諭すしかない。
「皐は、悪魔だよ。悪魔に、天使の翼があるなんて、変だよ。アケミお姉ちゃんは、どうして、天使の翼に憧れるの?」
と、皐は、悪魔に天使の翼があるのは、変だと言う。そして、アケミが、何故、天使の翼に憧れるのかと、理由を聞いてくる。
「お姉さん、昔、悪魔なのに人間に恋をして、最後は救えなくて……」
と、理由の一部を、皐に言う。救わなければならなく成った理由は、血腥い話になるので、皐には言えない。更に続けて、
「片翼でも、天使の翼があれば救えたのかなって……」
と、言って、アケミは我に返る。少女に聞かせるような話ではないのではと……
皐は、アケミの話を聞いて、
「アケミお姉ちゃん、皐は、天使の翼を持ってるけど、何も出来ないよ……」
と、言う。アケミは、皐に、
「それは、皐ちゃんが、使いこなせてないだけだよ」
と、言う。皐には、気休めに聞こえるかもしれないが、アケミの子供も、最初は上手く使いこなせていなかった。
「そうかな」
と、皐は、半信半疑な顔をする。
「そうだよ」
と、アケミは皐を安心させるように言う。
アケミから、天使の翼に憧れる理由を聞き、皐が、自分の背中から生えている翼の片翼を、ほんの少しだけでも、嫌う事が減ればいいなと、アケミが思っていると、皐が、言うべきか言わないべきかと逡巡しているような顔をする。それを見て、
「皐ちゃん、どうかしたの?」
と、皐と聞く。
「何でもない」
と、皐は答える。しかし、何か、言いたげであるのは、間違いない。無理に聞き出して、皐に嫌われたら、元の木阿弥になるからと、皐が自分の意思で話すの待つことにした。
「明日も、会えるかな?」
と、皐に聞くと、
「うん」
と、皐は答える。
「じゃあ、また明日。皐ちゃん、バイバイ」
「アケミお姉ちゃん、バイバイ」
と、アケミと皐は、別れた。