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YUKO:2014 - The Sweet Page

作者: 志室幸太郎

 少し肌寒い四月の、午後十一時を回った頃。翌日が祝日ということもあり、都内の主要な駅の周辺はまだまだ沢山の人が行き交っていた。

 居酒屋はどこも満員で、仕事の愚痴や恋愛相談など、それぞれがそれぞれの会話をしながら酒を飲み、つまみに舌鼓を打つ。今もまた、すっかり酔っ払ったサラリーマンの集団が店から出てきた。

 彼らが歩くその道路の下には、世間一般には知られることのない無数の地下通路が走っている。地上とは打って変わってその通路は静まり返っており、ただ最低限の照明が明滅しているだけだった。

 通路を辿っていくと、ある小さな扉が現れる。それは一見なんの変哲もないドアだったが、内部から複雑な施錠機構によってロックされていた。

 しかし扉の先にあるのは、やはりなんの変哲もない日本家屋の玄関のような空間。今は常夜灯のみによって照らされている廊下を奥に進むと、半開きになった扉から薄く光が漏れていた。

 部屋の中にいたのは、十代半ばと思しき黒髪の少女。

 寝間着姿でベッドに寝そべり、小説に夢中になっているようだった。読んでいるのは最近発売された恋愛小説のようで、ページをめくる度に見開いた目がスタンドライトの光を反射して輝いた。

 その後も黙々と読み進め、最後の一文を目でなぞると、「はあー」と深く息を吐いた。

 本を閉じ、仰向けになって天井を見つめる。


「素敵です……。恋とはどういうものなのでしょう……」


 少しの間思案していた少女は、胸の上に置いていた本をもう一度開く。どうやら印象深かったシーンがあるらしく、そのページを読み返しているようだった。

 また自然と顔が綻び、心をくすぐられているような感覚に身悶えする。

 落ち着きを取り戻すと、もう一度ヒロインを自分に置き換えて考えようとする。しかし生まれてからずっとこの地下で暮らしてきた少女には、その光景があまり鮮明には想像できなかった。

 物語に登場する学校や、デートのシーンにあった映画館なども、その存在を資料を通して知識として知っているだけに過ぎない。

 今の生活に不満があるわけではなかったが、外の世界への好奇心もまた拭えるものではなかった。

 少女はまたそのページを見つめ、唐突に破り取った。

 そしてなにを思ったのか、紙片を口に咥える。さらにもそもそと口を動かして咀嚼し、ついには飲み込んでしまった。


「……甘い」


・・


 長南シノユキは焦っていた。朝から暦史書管理機構日本支部の重要な会議があるにも関わらず、起床したのが開始時刻の十分前。盛大に寝坊したのだった。

 几帳面な性格のシノユキにとってこんな事態は前代未聞であり、半ば混乱しながら身支度を済ませ、神保町の古書店経由で地下通路に入って競歩のような速度で歩く。

 もう目の前の角を曲がれば会議室。時計を確認すると、まだ一分ほど余裕があった。危機的状況を乗り越えたことに安堵し、角を曲がろうとしたその時。丁度反対側からやってきていた小さな人影に気づいたが、シノユキは足を止めることができず激しくぶつかってしまった。


「いふぁふぁ……」

「すっ、すみませ――お嬢様!?」


 シノユキの声が思わず裏返る。かなりの勢いで体当たりしてしまったのは、暦史書管理機構日本支部長の令嬢、有栖川ユウコその人だった。

 要人を傷つけてしまったことでシノユキは完全に血の気が引いていたが、なんとか冷静さを保って助け起こした。


「大丈夫ですか!? お怪我は!?」

「ええ、ふぁいじょうぶです。すみません、会議に遅刻しそうで……」

「そうでしたか、本当に申し訳ありません……。お嬢様?」

「ふぁい?」

「それは……それにその恰好……」


 ユウコはなぜかセーラー服姿で、トーストを口に咥えていた。トーストは朝食を取る時間がなかったのかもしれなかったが、学校に通っていないユウコがセーラー服を着ていることは不自然極まりなかった。


「なにか変ですか? あ、もう会議始まっちゃいますよ!」

「しまった……! 急ぎましょう」


 二人はなんとか時間ギリギリで会議室に駆け込んだ。

 シノユキは室長にぼさぼさの髪をいじられたが、会議は予定通りに始まる。

 異端書の取り扱いや人事、偶発性コロニストへの対応策などが滞りなく議論され、二時間ほどですべての議題が片づいた。

 しかしその間、一同は支部長の隣に座るセーラー服姿のユウコが気になってしょうがない様子だった。


「ご苦労様。ユウコ、なにか言うことはあるかな?」


 支部長に言われて立ち上がると、ユウコは真っすぐにシノユキの方を見る。


「長南シノユキさん。このあと私のところに来てください」


 名指しで呼び出され、シノユキは朝のことを咎められるのだと頭を抱えた。

 支部長の号令で会議が終了し、二人を残して会議室から人が消えていく。シノユキは意を決して立ち上がり、ユウコの傍へとやってきた。


「お嬢様、申し訳ありません……。今朝は私の不注意で……」

「いいえ、本当になんともありませんでしたから」

「え? 今朝の件ではないのですか?」

「はい」

「それではなぜ呼び出されたのでしょう」

「その……お昼ご飯、一緒に食べませんか?」


 ユウコは照れた様子でそう言った。


「え?」


・・


 食堂にユウコとシノユキが現れると、休憩中だった暦史書管理機構の職員たちがざわめく。ユウコは普段自室で食事を取り、仕事も自室内にあるアーカイヴで行うため、一般の職員が目にする機会はあまりないのだった。

 ユウコはそんな様子を気にすることもなく、空いているテーブルを見つけて席に腰掛ける。シノユキも冷や汗を浮かべながら対面へと着席した。


「実はお弁当を持ってきたんです」


 ユウコは肩にかけていたトートバッグから、可愛らしい弁当箱を二つ取り出した。


「お、お弁当」

「自分のご飯をいつも作っているんですけど、今日は作りすぎちゃって……」

「はあ」

「良かったらどうぞ」


 そう言って、ユウコは片方の弁当箱と箸をシノユキの前に差し出した。


「いいのでしょうか、自分のような若輩者が……」

「若輩者だなんて。シノユキさんは立派な大人ですよ」

「恐縮です……。では、お言葉に甘えて」


 シノユキは恐る恐る弁当箱の蓋を開け、そして硬直した。

 卵焼きやタコの形のウインナーなど王道のおかずが並び、隣に詰められたご飯の上には桜でんぶでハートマークが描かれていた。


「これは……」

「お気に召しませんか……?」

「い、いえ。いただきます」


 上目遣いで見られて、シノユキは慌てて箸を取る。卵焼きを口に運ぶと、出汁の香りと程よい甘みを感じた。


「美味しいです」

「そうですか、良かったです」


 ユウコは安堵し、自分も弁当箱を開けて食べ始める。

 傍から見れば穏やかな昼食の光景だったが、シノユキの脳内には無数の疑問符が浮かんでいた。この時間に一体どういう意図があるのかさっぱりわからない。

 様々な憶測が浮かんでは消える中、シノユキは黙々と弁当を食べ進めた。


「あ、ちょっと動かないでください」

「……! なにか失礼を……」

「動かないで」

「は、はい」


 蛇に睨まれた蛙のように動きを止めたシノユキ。ユウコは身を乗り出すと、その口元についた米粒を指で掬い取った。


「ついてました」

「あ、す、すみません……」

「ふふふ。はい」

「はい?」

「もったいないですから」


 そう言って、ユウコはその白く細い指をシノユキの口元に差し出す。


「え、いや、しかし」

「しかし?」


 ユウコの笑顔に底知れない圧力を感じて、シノユキは意を決した。


「失礼します……」


 最小限の接触で済むよう細心の注意を払って、ユウコの指先の米を唇で咥え取る。

 その行為や、食堂に居合わせた男性陣からの殺気で、シノユキは生きた心地がしなかった。


・・


「ご馳走様でした……とても……美味しかったです……」


 実際は途中から緊張で味がしなくなっていたが、なんとかシノユキはユウコの弁当を完食した。


「嬉しいです。お粗末様でした」

「では、私はこれで……」

「あ、ちょっと待ってください。このあともお仕事ですか?」

「今日は会議以外の予定はありませんので、緊急の要件がなければ特には……」

「そうですか……。良かったら、私の部屋に来ませんか?」


 聞き耳を立てていた職員たちが再びどよめく。シノユキ当人も動揺で眩暈がしそうだった。


「なぜです?」

「実は空いている部屋をシアタールームにしてみたので、良かったら映画でも見ませんか……?」

「な、なぜです?」

「……嫌、ですか?」

「いやいやいやいや、とんでもありません! 是非!」


 シノユキはヤケになってそう言った。


・・


 スクリーンに映し出される恋愛映画をぼんやりと眺めながら、シノユキは考え疲れて呆然としていた。これまでの出来事を一般的な関係性に置き換えれば、勤めている会社の社長の娘に朝から出くわし、手作りの弁当を突然振る舞われ、部屋に招かれて映画を見ているという状況になる。異常事態に他ならない。

 なんとなく隣に視線を向けると、ユウコの横顔が目に入る。二人掛けのソファに一緒に座っているため、普段は遠くから見ているだけの少女の顔がすぐ傍にあった。

 視線に気づいたユウコが、少しはにかんで見つめ返してくる。

 本来ならばすぐに視線を逸らすところだったが、すでに思考回路が焼き切れているシノユキはユウコの顔を見つめ続けた。

 次第にユウコの顔が赤くなっていく。


「あの……そんなに見られると恥ずかしいのですが……」

「すみません……」


 謝罪しながらも、シノユキが視線を逸らすことはなかった。まだあどけなさは残るものの、人間という造形の理想を感じさせる美しさに、シノユキは吸い込まれそうになる。

 ユウコもまた、その流れに逆らおうとはしなかった。

 二人の顔が徐々に接近していく。

 そしてその唇が触れようとした瞬間、部屋にパコンと小気味の良い音が響いた。


「いい加減にしろ」


 現実に引き戻されたシノユキが目にしたのは、丸めた紙束でユウコの頭を叩く有栖川ヨミヒトの姿だった。

 ユウコは叩かれた頭をさすりながら、険しい顔をした兄を見上げる。


「お兄様! どうしてここに?」

「どうしてもなにも、機構中がお前の話で持ち切りだ」


 食堂でシノユキとユウコのいちゃいちゃを目撃した職員たちによって、噂が広まるのは一瞬のことだった。

 冷静さを取り戻したシノユキの顔がみるみる蒼白になっていく。


「ヨミヒト様……! こっ、これはその……!」

「ああ、いいんです。気にしないでください」

「え……?」

「ユウコは小さい頃から、本に影響されて突然わけのわからないことをしだしたりするんです。どうせ恋愛小説でも読んだんだろう?」

「はい……。素敵でした……」

「素敵でしたじゃない。地下暮らしで退屈なのはわかるが、あんまり他人に迷惑をかけちゃダメだぞ」

「うう、ごめんなさい……」


 シノユキはヨミヒトという救世主に安堵し、項垂れるとともに特大の溜め息をついた。


・・


「よう、今日はご苦労だったな」

「ええ、本当に大変でした……」

「あまり邪見にしてやるなよ。囚われのお姫様にはあれくらいの我儘が許されなきゃ酷ってもんだ」

「そういうものですか」

「そういうもんさ。だがそれが、あの子を囚われのお姫様にしている原因でもあるんだがな」

「……どういうことです?」

「後学のために教えておいてやる。有栖川嬢はi6のジーンを持つジーニアスだ」

「意味がわかりません」

「能力の呼称は“一時の夢想家モーメント・ドリーマー”。気に入った本に登場するキャラクターになりきることができる。発動条件は、その本のページを“食べる”こと」

「食べる? 本をですか?」

「該当するキャラクターが登場するページをな。そうすることでキャラクターだけじゃなく、そのページに書かれたシチュエーションすら再現することもできるらしい」

「まさか、今日寝坊したのも――」

「アホ、それはお前の不注意だ。……おそらくな」

■記録対象

・有栖川ユウコ

2000年2月22日生まれ 血液型不明

日本に存在するアーカイヴの番人。

コロンシリーズを管理する家系の一つである有栖川家の長女。

保護されたコロニストに真実を明かし、選択肢を提示する。

黒髪ぱっつんストレートで、典型的なお嬢様の風貌。

口調も非常に丁寧で、凛とした澄んだ声をしている。

良い意味でも悪い意味でも計算高い。


特殊能力:一時の夢想家モーメント・ドリーマー

思い入れのある本のページを食べることで、そのページに書かれたキャラクターを再現することができる。イデアに干渉することによって可能になるものであれば、どんなフィクションも再現できる。

食べたあとに眠り、目覚めた瞬間から再現が始まり、再び眠りにつくことで再現が終了する。

当人にとっては再現中の出来事は夢のように感じられているため、再現終了後は曖昧な記憶しか残らない。


・長南シノユキ

1988年4月19日生まれ A型

暦史書管理機構異能対策室所属。

テクノカットの憎たらしいイケメン。

几帳面で神経質な性格。


特殊能力:グーテンベルクの手

内容や質感など、正確に記憶した本をイデアから実体化することができる。

記憶している本は六冊で、現在判明しているのはお気に入りの小説と、エイシストールという魔法を使用できる異端書。

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