006 『舞兎』
振り向けばそこには、ひょろ長い男がいた。
不健康そうな青白い顔と、死んだ魚のような目。
背中に剣を携えていることから、どうやら冒険者らしいとわかる。
誰? という問いを僕が発する前に、マーブルは顔をゆがめた。
「ストーカーが出没しやがったわ」
ストーカー。
そう呼ばれた男は、しかし嬉しそうに、ニタリと口を裂けさせた。
「『舞兎』。キミは僕だけのウサギさんになるべきなんだな」
その一言で、この男がどういうヤツなのかが大体わかった気がする。
「この町へ来て間もないころにね、一度だけパーティーを組んだことがあるのよ。それ以来、ずっと付きまとってくるヘンタイなの」
歯に衣着せぬ紹介をされても、男は動じない。
「僕たちの出会いは運命だったんだな。マギス神のお導きなんだな」
「残念ながら、あたし無信心なのよねぇ」
「問題ないんだな! たとえマギス神であろうとも、僕とキミの恋路の邪魔をさせはしないっ!」
支離滅裂である。
はぁ、とマーブルは溜息をついた。
「この前コテンパンにしてやったのに、まだこりてないのね」
「勝負したの?」
「そ、決闘を申し込んできやがったのよ。なんだっけ、『僕が勝ったら、キミは僕だけのウサギさんになるんだな!』だったかしら」
「で、コテンパンにしたんだ」
「そうなのよ。有り金ぜんぶムシリ取ってやったのにさ。学習しないんだから」
男はキシシと笑った。
「キミが僕の金を持つ、それは実質プラマイゼロなんだな。なぜならそれは、もとから二人の生活費だからさ! 二人で一つの財布なんだな!」
妄想たくましく、ノーダメージなようである。
「あの程度の額で二人分の生活費とか、笑わせるわね! あたしをお金で満足させたきゃ、一億シードくらいポンッと寄越しなさいな!」
発言のヒドさはマーブルも負けていない。
と、一瞬だけ男の視線が僕へ向いた。
「ところで舞兎。その男は誰なんだな? キミのお兄さんなのかな?」
「ん、ケイたんのこと? 彼氏よ? あたしの彼氏。デート中なの」
腕にギュッとしがみつかれて、トキめいた。
あたしの彼氏――感動的な響きだな。
もうゴールしてもいいよね?
いや、この場の方便ってことはわかってるけど。
しかし、その方便の効果がテキメンだった。
それまでずっと狂気の薄ら笑いを浮かべていた男に、劇的な変化が生じたのだ。
目が怒り、眉が怒り、口が怒った。耳も怒った。
つまり、タイヘンお怒りになった。
「か、カレシぃ? カレシだとぅ!? しかもデートだとぅ!? ま、ままま舞兎! キミぃ、僕を裏切ったな!?」
「裏切るも何も、あたしとあんたは、ハナから何の関係もありませんけどー? 無・関・係な間柄ですけどー?」
マーブルは男に見せつけるように、より強く僕の腕に抱きついた。
柔らかい感触が当たってますって。
役得ですって。
「舞兎ぃ! き、き、キミにはオシオキをしなくちゃぁならない! 円満な夫婦生活を送るためには、互いを思いやる気持ちが大切ということを教えてやらねば!」
激昂した男が背中の剣を抜き放つ。
細身の長剣だ。
ガリガリくんのくせに、武器を構えるとやたら威圧感があった。
堂に入っている、というのか。
「『多撃』ノア・フラテス! キミに決闘を申し込むんだな! 僕が勝ったら、キミは僕だけのウサギさんになるんだな!」
男はジロッと僕へ目をやり、こう付け足した。
「その後で、キミを成敗してやるんだな。それでメデタシ、メデタシなんだな」
めでたくないよ、とばっちりだよ。
「ほんと、面白いほど煽り耐性ゼロな男だこと」
マーブルは僕から身をはがし、コキコキと首を鳴らした。
「ケイたん、ちょっと待ってて」
「待つのは良いけどさ。大丈夫?」
木刀とかじゃなくて、真剣だもんな。危ないんじゃないのか。
いや、たとえ木刀であっても、危ないことには変わりないが。
「心配してくれてんの? 平気よ平気、ちょちょいのちょいだから」
自信満々で――いやそれどころか、まったく気負う様子すらなく前へ出るマーブル。
このへんの感覚は、ぬくぬくと日本で育った僕にはわからない。
かりに勝てる確率が99,99%であっても、相手が武器を持っている時点で僕なら身がすくむ。
昨日にしたって、最初の一撃をかわすまではマジで恐怖していた。
できれば今後、二度と対人戦はやりたくないなと、今でも思っているくらいだ。
マーブルはダガーを抜き、男のほうへ差し伸べた。
凛とした声で言い放つ。
「『舞兎』マーブル・フレサンヌ! あたしが勝ったら持ち金ぜんぶ頂くわ! その剣も服も、いっさいがっさい売っぱらってやるから覚悟しなさい!」
二人の名乗りを聞きつけてか、ゾロゾロと周囲に人が集まり始めた。
「おうおう何だ、朝から決闘か?」「お、『多撃』と『舞兎』じゃねーか。どっちに賭ける?」「舞兎かな」「舞兎だなぁ」「俺も舞兎で」「フッ……これでは賭けが成立しないね」「そうね。残念だわ、ロミオ」
「あの、こんにちは」
ロミオとジュリエットが隣に来たので、話しかけてみた。
ロミオは長身のイケメン、ジュリエットはお姫様みたいに華やかな人だ。
「こんにちは。……おや、黒髪の少年。昨晩はお見事だったね」
「ありがとうございます」
「あら、服を変えたのね。カラスのようだわ」
「昨日の服も、個性的で良いと思ったんだけどな」
フトコロが深い人たちのようだ。
マーブルと男――ノア・フラテスのほうを窺ってみると、今にも決闘が始まりそうな気配だった。
僕は早口で訊ねた。
「あのノア・フラテスって人、強いんですか?」
「強いよ。レベル20に達した冒険者たち――いわゆる『新世代』のなかでも、なかなかの有望株さ。その異名の通り、多彩な剣の技を持っている」
そう言われて不安になる。
本当に大丈夫なのか、マーブル。
僕の懸念を察したように、ロミオ氏は優しい口調で言った。
「心配はいらないよ。『多撃』は確かに強い、だけどね――『舞兎』のほうが、数枚うわてさ」
彼のセリフをゴングにしたかのように、ノア・フラテスが動いた。
「僕の愛を受け取ってもらうんだな!」
またたく間にマーブルとの空隙を詰め、剣を振る。
――速い。
正直、僕はその動作の全貌を目で追えなかった。
だが、マーブルはもっと速かった。
気が付いたら彼女は宙を飛んでいた。
とんでもない跳躍力でノア・フラテスを飛び越え、くるくる回り、すたっと着地。
キミだけ無重力じゃない? みたいな身軽さだ。
ノア・フラテスは素早く後方を向き、剣を構え直した。
「キシシ……それなんだな、舞兎。キミのその美しい戦い方に、僕は惹かれたんだな」
「あら、だったら、こういう動きはもう封印しようかしら」
「そんな余裕、すぐに無くしてやるんだな!」
ノア・フラテスは再度石畳を蹴った。
マーブルに詰め寄り、鋭く縦に剣を振る。
マーブルはそれを、半身になって回避した。
次いで繰り出された横薙ぎには、ひょいっと飛んで対応。
さらなる袈裟がけは、上体を低くし、相手の肩口のほうへ回り込んでかわす。
再びの横薙ぎ、それに対してはもう一度跳躍すると、なんと振り抜かれる最中の剣の腹を踏み台にして、大きく後方へ飛びすさる。
軽やかに着地したマーブルのピンク髪が、ふわっと乱れて落ち着いた。
その下にある彼女の顔は、涼やかな微笑。
まるで楽しげに踊っているかのよう。
なるほど――『舞兎』だ。
ピンクのウサギが、楽しそうに舞っている。
「まだまだっ、これからなんだな!」
ノア・フラテスは二度、三度と突貫した。
その激しい攻撃を、マーブルは同様にひらひらといなした。
最初はやんやと騒ぎ立てていた観衆は、今や静まり返っている。
ロミオは「ブラボー」と小さく言い、ジュリエットは「素敵」と微笑んだ。
みんな見惚れていた。
マーブルの一挙一動に。
僕も見惚れていた。
すごい。戦い方に華がある。
しかしそう感動しつつも、僕の胸には、むくむくと不可解な思いが沸き上がっていた。
ノア・フラテスの斬撃は、速い。
全体的なスピードでいえば、僕と戦ったギルバートよりも上だろう。
でも反面、その突進の速度に限っていえば、ギルバートのほうが上だったようにも感じるのだ。
それなのに、ノア・フラテスの動きが、僕の目には追いきれなかった。
ギルバートの動作は、スローモーションであるかのように、完璧に見切れたのに。
正確には、ギルバートが自分に迫ってくるにつれて、妙にハッキリとその動きを把握できるようになったというか。
うまく言えないが、確実に何かの「補正」が掛かっていた、そんなふうに思う。
あれは、何だったんだろう?
そういえば異世界小説だと、転移の際に、何かしらのチートをもらうのがテンプレだった。
もしかしたら、僕にも何かあるんだろうか?
他人にはない、特別な技能のようなものが。
考え事をしているあいだに、戦局は膠着していた。
ぜーぜー肩で息をしているノア・フラテスを、まったく呼吸の乱れていないマーブルが呆れたように眺めている。
「もう諦めたら? どんだけやっても当たんないわよ、そんなへなちょこ剣」
「ま、まだなんだな! ここから! ここからが僕の本領発揮なんだな!」
発揮する本領なんて、もう無いんだろうなと思ってしまう。
もはや彼は、破れかぶれだ。
そもそもマーブルは、回避に徹しているだけで、ここまで一度も攻撃していない。
ダガーも使っていなかった。受け流しにすら使用していない。彼女はずっと、体の動きだけで敵の猛攻をさばいている。
それだけ両者の実力に差があるということだろう。
「あたしは優しいからね、素直に負けを認めれば、今夜の宿賃くらいは残してやらんでもないわよ?」
「ま、まだだと言っているんだな! 僕の秘奥義を喰らうと良いんだな!」
「秘奥義なんてあるんだ、スゴイわねー。でも、とりあえず休んで息を整えなさいな。はい、これでも舐めて」
「?」
ひょいっと。
マーブルはローブの下に忍ばせていた手を出し、何かを投げた。
ノア・フラテスの顔面めがけて。
ゴルフボールくらいのサイズの球体だった。
それは、罠だ。
明らかに罠だ。
冷静に考えればわかる。誰にでもわかる。すぐわかる。
だが、このタイミングで。
酸欠で思考能力が鈍った、しかも会話の途中というこの瞬間に、軽い調子で何かを投げられれば。
人は、受け止めてしまう。
ついつい素手で受け取ってしまう。
反射での行動だ。
だから、ノア・フラテスがそれを呆けた顔でキャッチしたことは、誰にも責められはしまい。
そして彼の手に収まるや否や、その球体はプシュッと音を立てて破裂した。
一瞬、間があって。
ノア・フラテスの膝が落ちた。
「うぎゃああぁぁぁっ!! 目がっ、目がああぁぁぁ……!!」
人をゴミのようだと思っている大佐みたいに喚いている。
剣を投げ捨て、両手で顔を覆い、
「うがあああぁぁぁっ……!!」
阿鼻叫喚である。
一同ポカーンとその光景を見やるなか、マーブルは露骨に顔をしかめた。
「きったない悲鳴ねえ。もうちょっと綺麗に嘆きなさいな」
この子絶対ドSだよね。
「安心なさい、クシワの果汁よ。五分もすれば視力は回復するわ。じゃ、これで決闘はおしまい。良いわね?」
「い、癒しの水よ、我が苦しみを――」
「こらー!」
ノア・フラテスが詠唱らしきものを発した刹那、マーブルは走った。
その助走の勢いを乗せた飛び蹴りを、相手の顔面にかます。
「取り除きたまふごっ!?」と、ノア・フラテスは仰向けに転がった。
「そういえばあんた、聖属性を使えるんだっけ。うっかりしてたわ」
ギルバートもそうだったが、この世界では、戦士や剣士が魔法をたしなむのは普通のようだ。
まぁ、使えるんだったら覚えたほうが良いわな、そりゃ。
「よっと」
マーブルはジャンプし、相手の腹の上に着地した。
次の瞬間には、「ぐぇっ」とうめいたノア・フラテスの口のなかに刃物が侵入していた。
ダガーの刃だ。
……それ、刺さってないよな?
「あたしの勝ちで、あんたの負け。認めないなら、このままザックリいくわよ」
「マッ……負げ、だんだな……」
カエルの断末魔めいた声による敗北宣言。
こんな彼でも命は惜しいらしい。
「よろしい」
マーブルはダガーを引き抜き、付着した唾液を相手の首でペタペタとぬぐった。
刃に引っかかれて、ノア・フラテスの顎の下に一筋の血が流れた。
なんて怖い光景なんだ。
なお恐ろしいことに、マーブルは舌なめずりをしてニッコリ笑うと、
「じゃ、取り決め通り、身ぐるみ剥いでやりましょうかねー♪」
むき始めた。
容赦ねえ。