043 ささやかなる祝勝会
「美味じゃなイカ」
でっかいゲソ焼きを頬張って、ヴィオラはご満悦だった。
現在、湖のほとりで焚き木を囲み、ささやかな祝勝会をもよおしている最中である。
「いやはやー、面目ない」
ぽりぽりと赤毛の後頭部を掻くアンナマリーは、すっかり綺麗な顔に戻っていた。
湖水で墨を洗い流したのだ。
ただし、衣服に付着したぶんは、この場で取り去るのは無理だったらしい。
彼女のビキニアーマーには、黒い斑点模様が残っていた。
それでも彼女はまだマシで、マグダレーナのローブに至っては、元からその色だったのかのごとく、黒に染まってしまっている。
その真っ黒ローブのマグダレーナも、僕たちに向かって深く頭を下げた。
「ごめんなさい」
彼女らが何を謝っているって、イカ墨を喰らって動転し、以後の戦闘に参加できなかった件についてである。
「いや、二人が足の半分を引き付けてくれたのが、結果的には良かったよ」
僕は言った。
ただの慰めってわけではなく、事実だ。
彼女たち二人と、それにヴィオラが敵の注意を引いてくれなければ、僕とマーブルがタイミングを合わせて行動するなど、土台無茶な話だっただろう。
付け加えるならアンナマリーは、漂流しかけた僕たちに、剣の鞘を差し伸べて救助もしてくれた。
「本当にお見事でしたわ」
ぺたんと女の子座りのラジェンタ卿が、音を立てずに拍手しながら言った。
「ケイ様とマーブル様はもちろん、皆さまも。あれほど強大な魔物にも臆せず立ち向かうとは、とても勇敢ですこと。あなた方は、わたくしが思い描く冒険者像にピッタリと一致する、素晴らしき冒険者たちですわ」
どうやら僕たちは、彼女のお眼鏡に敵ったようだ。
これなら彼女が伏せた、「なぜメーシャルの冒険者ギルドに依頼を出したのか」という事情も、教えてもらえるかもしれない。
ところで、「貴重な体験ができました」と満足げなラジェンタ卿も、ゲソを食べている。
というか僕も含め、皆が食べている。
なにしろ超肉厚なそれが、五本も六本もあるのだ。
食い意地女王のヴィオラとて、僕らが食べても文句は言わない。
さすがに生食は気が進まず、焼いたうえで食べていた。
調理法はブツ切りにし、適当な棒に刺し、焚き木の前に立てる。
ある程度焼けたら裏返し、まんべんなく熱を通す。
軽く塩を振る。
それだけだ。
それだけなのだが、これが美味いのである。
弾力があってジューシーで、なにより新鮮。
噛むとジュワッと、混じりけのないイカのうま味が口全体に広がる。
噛めば噛むほど、口の中が全部イカになっていく。
熱くて甘くて濃厚で、咀嚼しているとついつい顔がほころぶ。
あんなナリの魔物だったが、味は普通にイカだ。
否、普通よりも美味いイカだ。
しかもこのゲソの持ち主たるイカは、再生機能を備えている。
つまり無限食糧だ。
今後もし海の旅をすることがあれば、キング・クラーケン氏にはぜひとも同行してもらいたい。
そうすれば少なくとも、飢えて死ぬことはなくなるだろう。
◇
いちおう言っておくと、焚き木を燃やしているのは調理のためだけでなく、人間を乾かすためでもある。
巨大イカがあれだけ暴れ回ったのだ、何だかんだで、全員が湖水を浴びてしまっていた。
なかでもズブ濡れだったのは、むろん、直接湖に飛び込んだ僕とマーブルである。
そこで、僕とマーブルの服が乾くまでのあいだ、フォフォンナハマの二人が、湖周辺を探索してくれることになった。
二人は、たっぷり三十分以上をかけて僕たちの前まで戻ってきた。
「こっから先には、進む道がないみたいだよん」
開口一番、アンナマリーはそう報せ、
「あと、やっぱ魔物も見当たんないなー。全部、さっきのイカが食べちゃったのかな?」
「もしくは、イカから逃げて、どこか違う場所へ移ったのかも?」
マグダレーナが補足した。
いずれにせよ、この付近に魔物がいない原因が、キング・クラーケンの存在にあることは間違いないだろう。
しかしそうすると、一つの疑問が浮かんでくる。
すなわち、「キング・クラーケンは、一体いつ、どのようにしてここに現れたのか?」
少なくとも、先駆者たちがギルドへ情報をもたらしたときには、まだキング・クラーケンは登場していなかったはずだ。
当時は「奥へ行くにつれて魔物の影が濃くなった」、つまり現在とは逆の状況だったのである。
言い換えれば、キング・クラーケンがこの場に現れたのは、ごく最近のことだと考えられよう。
が、どんなふうにして?
それがわからない。
なにしろヴィオラの発言によれば、キング・クラーケンは『魔王』が生み出した、魔界の海の守護者である。
要は、もともと人間界にはいなかったはずの魔物なのだ。
それがなぜかこの場にいて、確かに僕たちと戦った。
ひょっとしたら――キング・クラーケンも、異世界転移したんだろうか。
ヴィオラと同様に、魔界から人間界へと。
もちろん、もしそうであっても、詳しいことはサッパリである。
そもそも、ヴィオラ自身の転移についても、通り一遍の話しか聞いていないのだ。
具体的なことはわからない――というよりもむしろ、ヴィオラの語りはヘンなとこばかりが具体的で、結局要領を得なかったという印象しかない。
あらためて、彼女から話を聞いてみるべきかもしれないな――
そう思いつつヴィオラを見れば、彼女はいまだ「美味でゲソ」とイカを食っていた。
自分の顔よりも大きくカットしたやつを、シュレッダーにかけた紙みたいに吸い込んでいる。
キミ、一時間くらいずっと食べっぱなしだよね。
どこにそんな入っていくんだ。
◇
湖面は静まり返っていた。
僕とマーブルに両目をやられ、沈んでいったキング・クラーケンは、今や影も形も見えない。
この湖は、相当に水深があるらしい。
その深いところで、キング・クラーケンは、ジッと目の再生を待っているのだろうか。
それとも目の再生は済んだけど、当面は潜伏するつもりだろうか。
どのみち敵には、もう僕たちとやり合う気はないようだ。
けっこう長い時間が経つのに、彼が浮上してくる気配はまったくなかった。
ぱちぱち爆ぜる焚き木の音を聞きながら、僕が湖へ視線を馳せていると、
「つーかさ、道がないなら、あのイカと無理に戦う必要なかったことね?」
アンナマリーが元も子もない発言をした。
それを言っちゃぁお終いってヤツだ。
ボスを倒してこそのダンジョン制覇。
それに、あの敵を撃破したことにより、僕たちはラジェンタ卿に認められたようだから、決して無駄足だったわけじゃない。
「これからどうする?」
誰にともなく意見を乞うたマグダレーナに、
「まだ探索したけりゃ、ここに来る途中に沢山あった、埋まってる道を進めってことかしらね」
マーブルが濡れた髪に手櫛を通しながら返した。
「それはさすがに無理じゃない?」
僕の言葉に、デニス氏が「そうですな」と同意してくれる。
「あの瓦礫を除けて進むには、本格的な調査隊を派遣する必要があるでしょう」
「ま、そうよね」
マーブルはうなずく。
彼女にしても、言ってみただけという感じで、本気で崩落した道を行こうとは考えていないようだ。
「んじゃ、これくらいにしといて、戻るとしましょっか」
本来の依頼内容、「地下水洞の掃除」は充分に果たしたことだしな。
「湖には近付くな」という貴重な情報も持って帰れるのだ、ギルド側も納得してくれるだろう。
こうして、僕たちは地下水洞および天然洞の冒険を終えた。