004 この世界について知ろう
マーブルが部屋をとっているという宿屋『ジョージン』は、たいへんオンボロだった。
幽霊屋敷の二歩手前といった外観。
「安いのよ、ここ。あと、店主のおっちゃんが元冒険者で、話のわかるやつ。そのうえ冒険者ギルドとも比較的近い。悪くないわよ」
寝床そのものの質に対するコダワリは、あまりないらしい。
入口のドアを開けた先は、狭いロビーだった。
マーブルは、カウンターのなかに立っている「おっちゃん」に威勢良く言いつけた。
「おっちゃん! 今日からこの子も泊まるから、ご飯の量を倍にして! あとお風呂も二人分ねっ! そのぶんの追加料金は払うから!」
はいはい、とおっちゃんは苦笑する。
ヒゲを生やした細身な人で、「おっちゃん」というより、「おじさま」とでも呼んだほうが似合いそうな風貌だった。
名をジョージというらしい。
冒険者時代は職業《剣士》で、引退時の冒険者レベルは29だったとのこと。
それがスゴイことなのかどうか、今の僕にはわからない。
内装もまたオンボロで、三歩あるくごとに床がギィギィ鳴った。
一階はロビーや食堂などの共有スペース、それとジョージ氏のプライベートスペースがあるだけで、客室は全部二階だった。
全部といっても、四部屋しかないが。
急な階段をのぼってすぐのところが、マーブル契約の部屋だった。
彼女は十日ごとに前金を支払い、ここに住みついているらしい。
宿というより、賃貸契約みたいなノリである。
ちなみに、ギルドで依頼を受けて遠出する際は、きちんと不在日数分の料金をキャッシュバックしてもらうんだとか。
元冒険者で話のわかる店主、というのが、そういう面で生きてくるんだろう。
「どーぞどーぞ」
招かれて室内へ入る。
暗くて何も見えなかったが、先に入ったマーブルがランタンをともすと、おぼろげに室内の様子が浮かび上がった。
間取り的に当然だが、さして広くない部屋だった。
入って正面に、カーテンの閉まった窓がある。
左右に一台ずつベッドがあり、両方の壁の高いところには、服を掛ける用であろう出っ張り。
あとは中央に、経年劣化の著しい丸テーブル。
あるものといえばそれぐらいの、質素な部屋である。
向かって右手側のベッドへ腰を下ろしたマーブルが、反対側のベッドを指して言った。
「ケイたんはそっちね」
「うん……うん? え?」
「なによ」
「え、なに? 一緒の部屋で寝るの?」
「当たり前でしょ。二部屋とるとか経済的じゃないし」
「経済的って……いや、それはそうなんだろうけど」
良いんだろうか。
べつに妙なことをしようとは思わないが、それにしたって、二時間前に知り合ったばかりの男である。
警戒心ゆるゆる過ぎへんか?
「冒険者やってりゃ、むっさい男と同じテントで寝なきゃいけないこともあるじゃん。それと比べたら、ケイたんは全然マシよ、綺麗だし。服ヘンだし、頭もまっくろだけど」
文末が余計だ。
「じゃあ、まぁ、失礼しまして」
「ドア閉めてね」
「はい」
ギギギ、ギィ、ギィィ~ッと立て付けの悪い扉を閉め、左側のベッドに座る。
硬い感触で、寝心地は良くなさそうだ。
ランタンは丸テーブルの上に置かれていた。
その灯り越しに、マーブルはローブを脱いで壁にかけ、ダガーを枕元へ置き、腰にくくり付けていたポーチを外して床へ置いた。
荷物袋も床に下ろされた。
「ケイたんも、そのヘンな服脱いだら? それ脱いだら裸?」
「いや、Tシャツ着てるよ」
「てぃーしゃつ?」
「うん」
学ランのボタンを外して脱ぐ。
すっかり脱ぎ終えてから、しまった――と焦った。
よりにもよって、なかに着ているものが、「カレーは辛ぇ!」と書かれたクソTだったのだ。
「かれーは、かれぇ?」
「お、おう」
恥ずかしがるとドツボにハマりそうだったので、堂々と見せ付けてやる。
マーブルは笑わなかった。
眉をひそめてこう言った。
「髪が黒い、目も黒い、服がヘン。脱いだらまたヘンな服。かれーはかれぇ」
すでに何度も言われたことだけど、この世界では髪が黒いのは珍しいのか。
「ねえ、もう一度訊くけどさ。ケイたんって何者なの?」
僕はいささか沈黙し、溜めを作った。
これはキッカケだ、と思った。
事情を話すための。
「マーブル、聞いてもらいたいことがあるんだけど」
「なに? 言っとくけど、クランの件はやっぱナシにして、とか言い出したら首輪つけてやるから」
「つけてどうするの?」
「服従する悦びを体に叩き込んでやるわ」
こわい。
「そうじゃないけどさ。僕の話を聞いたら、むしろマーブルのほうが心変わりするかも」
「それはないわ。たとえケイたんが国に指名手配された極悪人でも、あたしは手放すつもりないから」
ずいぶんと惚れ込んでくれているようだ。
やっと捕まえたフリーの実力者(っぽいヤツ)、という強い思いが彼女にはあるんだろう。
しかしこれなら、洗いざらい打ち明けても許容してもらえそうだ。
「じゃあ、話すけど――」
◇
僕は違う世界から来た、という旨を告げても、存外マーブルは驚かなかった。
ただし彼女は、勘違いをしているようだった。
「違う世界って、魔界? 冥界? てことは、やっぱケイたんは魔族か冥族なわけ?」
「あー、違う。そういうことじゃないんだ」
「どういうこと?」
「なんていうか、こう……この世界のカテゴリー内にある世界じゃなくて、もっとべつの世界っていうか」
「???」
「あーっと……パラレルワールド的な? そんな感じ」
「ぱられる……なにそれ?」
そのあとも喩えを変えつつ説明したけど、うまく伝わらなかった。
どうもSF的な知識は、この世界では通用しないらしい。
結局、こんなふうに言うしかなかった。
「とにかく僕は、ものすごく遠い場所から来たんだ。そのせいで、この世界のことがサッパリわからない。地理に文化、生物、冒険者というものに関しても、詳しく知らない」
「言葉はわかるのに?」
「言葉はわかるのに」
なんで言葉はわかるんだろう?
ていうか、めっちゃ日本語だしな。たまに英語とか混ざったりするとこも、いかにも日本語だしな。なんでだ。
「まぁ……わかったわ」
不得要領そうながらも、一応マーブルは納得してくれた。
「いいわよ、なんでも聞いて。わかる範囲で教えたげる」
「ありがとう、助かる。じゃあ――」
質問開始。
◇
Q「この世界の地理を、大まかにで良いので教えてください」
A「三つの大陸と、あまたの島から成っている……らしいわ。あたしも行ったことない場所だらけだから、詳しくは知んない」
Q「世界地図はないんスか?」
A「帝都イスマニアの大図書館に展示されているそうよ。帝都は、ここから南のほうにあるわ」
Q「印刷技術はないの?」
A「インサツ? なにそれ?」
Q「質問を変えますが、この町は大陸所在ですか?」
A「そうよ。ここはイスマニア帝国セントブラハ公爵領の第一都市、メーシャル。ニューラウノ大陸の南部に位置しているわ」
Q「この町について語ってください」
A「ニューラウノ大陸最大級の都市よ。中央区、居住区、商業区に分かれているわ。ちなみにここは商業区の東側で、このへん一帯は俗に『冒険者区』なんて呼ばれてるの」
Q「冒険者区?」
A「冒険者ギルドがあって、ギルドと提携している酒場がある。当然、この町を訪れた冒険者は、ここに集まる。そうすると、冒険者向けに商売を始めるヤツも集まってくる。結果的に、冒険者と冒険者向けの商人、あとは依頼者や物好きな観光客が紛れ込むだけの、おかしな界隈になりましたとさ」
Q「冒険者ギルドって、どんなどこですか? わたし、気になります!」
A「言い方キモいんだけど……明日、直接行くわよ。ケイたんを冒険者登録しなきゃいけないし。そんときに色々教えたげるわ」
Q「冒険者登録! そういうのもあるのか……」
A「あるでしょ」
Q「ところで、この世界には魔法があるんですよね?」
A「あるんですよねって、そりゃ、あるわよ。普通でしょ。ないと困るでしょ。マナはどこにだってあるわ」
Q「マナ?」
A「魔法の源になるもの、エネルギーになるもの。詳しいことは専門家に聞いて」
Q「魔法は誰にでも使えるんです?」
A「ノーよ。使えないヤツは使えない。あと、属性による適性なんかもあるらしいわね」
Q「マーブルは使える?」
A「水属性と風属性の初歩だけなら。とくに水属性は、ソロで遠征するときには必須だし。飲み水持ち歩くのシンドイもん」
Q「マーブルは水を出すのか……」
A「? 出すわよ?」
Q「いきなりなんだけど、今日って何月何日?」
A「5月11日よ?」
(その日付は、僕の生前最後の日と完全に一致していた)
Q「この世界も、十二ヶ月で成り立ってるの?」
A「そうね。1月から12月までよ。毎月30日まであって、12月30日のあとの五日間は、『無の祭日』。合計で一年が365日。でも、たまーに『無の祭日』が一日増える年があるんだけど、なんでかしらね」
Q「それはたぶん、うるう年っすね。あ、十二進数の時計ってある?」
A「うるーどし……ジュウニシンスウ? あぁ、1から12までの数字の時計? それなら中央区の広場とか、あと教会にあったりするわよ」
Q「お風呂、あるんですよね」
A「あるわよ。入りたい?」
Q「まだいいっす。あ、トイレはある?」
A「トイレいきたいの? 一階にあるわよ、行ってらったい」
Q「まだ我慢できます。ところで、電気とか電化製品って概念はある?」
A「……雷属性の話?」
Q「最後に。今、僕とマーブルが話してる言語って、日本語って呼ばれたりしてます?」
A「にほんご……なにそれ? 第二公用語よ、今あたしたちが話してる言葉は。てか、自分で喋っといてそれすら理解できてないとか、ケイたん頭大丈夫?」
Q「もうダメかもしれない」
A「よちよち」
Q「総合すると、中世風というより、西洋風ファンタジーな異世界って感じっすね」
A「なに言ってんのかわかんない」
◇
文化水準は、中世ヨーロッパよりも高い世界。とくに衛生面はだいぶマシ。
しかし僕の知る現代と比べれば、数段落ちる。
そのぶん魔法があり、ある程度代用が効くようではある。
それでいて、ベースは西洋と考えて良いらしい。
探せば東洋風な国もあるかもしれないが、そのへんはおいおいわかってくるだろう。
質問コーナーを終えたのち、一階の食堂へ降りた。
夕飯を振る舞ってもらう。
主食は硬めのパンで、オカズは謎の木の実が浮かんだスープと野菜サラダ、それに少量の干し肉という献立。
米はないんですか、とジョージ氏に訊いてみたら、存在はするという。
ただし、この地域には流通していないらしい。
そのうちライス・シックにかかるだろうな、僕。
食事のあとは、お風呂をいただいた。
一番風呂がマーブル、次が僕。
今晩の宿泊客は、僕たち二人だけだ。
風呂場には、なめらかな石が敷き詰められていた。
シャワーはないけど、大きな木製浴槽があった。
水を温めるのには、「火の魔晶石」なるマジックアイテムを用いる場合も、普通に薪を使う場合もあるそうだ。
そのどちらにせよ、安くないコストが掛かるらしい。
そのため、ここらでは入浴を別料金に設定している宿が多いそうだ。
この宿にしたってそうである。
金を節約したければ、風呂を我慢しろというのが冒険者のセオリーらしい。
ちなみにマーブルも、風呂は三日に一度なんだとか。
あの美少女が二日間お風呂に入らないとか、わたし、興奮します!
いや、風呂入らない日も、水属性を使って体拭いたりはするみたいだけどね。
入浴を済ませ、ロビーで頭をガシガシ拭いていたら、ジョージ氏に声をかけられた。
「ケイタンくんでしたか?」
「いえ、ケイです。タンはいらないです」
「そう。ケイくんですか」
「はい」
ジョージ氏は手にしていたガラスのジョッキを渡してくれた。
ガラスといえば、部屋や風呂場の窓もガラス製だったし、透明ガラスの技術は一般に普及しているようだ。
で、飲んでみてから気付いたのだが、ジョッキの中身は果実酒だった。
お酒は二十歳になってから。
なお、この国には飲酒の年齢制限はない模様。
「こう言っては何ですが、ケイくんは、よくマーブルさんとつるむ気になりましたね」
だって、ほかに頼れる人がいなかったもん。
「彼女は日頃から、仲間が欲しい、仲間が欲しい、と連呼していましてね。だったら猫をかぶりなさい、あなた見てくれは良いんだからと言ってやったら、それは絶対にイヤと断言されましたよ。自分に素直に生きられないなら、冒険者になった意味がない、と」
「はぁ」
「どういう縁で知り合ったかは知りませんが、仲良くしてやってください。傍若無人ではあるけど、あれでけっこう、情にもろい面もある子です。ココロザシも大きいですし」
世界一の冒険者になる――
それを堂々と高言できる「ココロザシ」は、確かに見上げたものだと僕も思う。
「ところでケイくんは、見事な黒髪ですね」
「あ」
しまった、うっかりしていた。
それも訊こうと思っていたことだ。
「ひょっとして、黒髪って魔族や冥族の象徴だったりします?」
「うん? そんなことはないと思いますが?」
違うのか。
「でも、珍しいことは確かです。ここまで黒一色な頭髪、私もじかに見たのは初めてですよ」
「いろんな人に、魔族だ、冥族だと言われました」
「あぁ……それはたぶん、《五勇神》の伝説の影響でしょうね」
「五勇神?」
「知りませんか?」
「えーっと、詳しくは。良かったら教えてください」
ジョージ氏が語ってくれたところによると。
むかーしむかし、何百年も前の時代。
魔を統べる者『魔王』ガッデスが、「人間を滅ばしてやるぜ!」とイキったらしい。
その際、「そうはさせん!」と立ち上がった五人の勇者が、これ五勇神。
どんな面々だったかというと、
『大剣士』アンドロ(人間♂)
『偉大なる魔術師』シルヴィエ(エルフ♀)
『天力』ダイタロン(ドワーフ♂)
『神邪眼』ベアトリーチェ(魔族♀)
『冥王』バルバナーシュ(冥族♂)
で、当時(のモノとされている)記述のなかに、「『邪眼の女王』と『冥王』は黒髪だった」という一文があって、一時期ちまたで話題になったらしい。
「だからといって、魔族や冥族が全員黒髪ってわけではありません。ただ、魔族も冥族も、そうそう実物にはお目に掛かれませんから。象徴ではないにせよ、実物を見たことのない人間のあいだでは、黒がイメージカラーとして定着してしまっているわけです」
「なるほど」
「あとは、まぁ。よくわからないモノは、とりあえず魔族や冥族に分類しておけという、安易な発想もあるでしょうね」
魔族や冥族はUMA扱いなのかよ。
それにしても、敵が『魔王』なのに、なぜ《五勇神》に「魔族」が混ざっているんだろう。
「魔王」と「魔族」は無関係なんだろうか?
あと『冥王』というのは何者だ?
『魔王』と同じく、冥界を統べる王的な称号なのか、それとも単なる異名に過ぎないのか?
興味は尽きないが、そこで階上から、ドタドタとせわしない音が響いてきた。
「もー、ケイたん。どんだけ長湯してんのよ。……って、もう出てんじゃん」
階段から現れたのは、寝巻きに着替えたマーブルだった。
風呂の後なので髪は下ろしており、毛先が湿ってしんなりしている。
首にはタオルを掛けていた。
「なになに、なに飲んでんの。あ、酒じゃん。あたしにもちょーだい」
僕の手からジョッキをぶんどり、ぐびぐびと中身をあおり、
「ぱーっ、うめー!」
自由だなこの子。
「寝る前に引っかけるかい? 用意するよ?」
ジョージ氏の提言に、しかしマーブルは首を振った。
「んー、今日はいいわ。明日早起きしなきゃなんないし」
「依頼かい?」
「ううん、ケイたんとデート」
で、でででデートですって奥さん。
まあ、そういう「デート」ではないってわかってますけど。
「ほれ、そんなわけで寝るわよ、ケイたん」
部屋に連行され、ベッドに寝かされ、ランタンを消された。
おやすみー、おやすみー、と言い合って毛布をかぶる。
それっきり物音一つしなくなった。
静かな室内で、だけどなかなか僕の頭に睡魔は侵攻してこなかった。
異世界転移のこと。
母さんや親父のこと。
なぜか美少女と同室でおやすむという、この異様な事態。
この先どうなるんだろうか、という率直な不安が渦巻いた。
だけどその渦に、「異世界」そして「冒険者」という、かつては憧れだった現実がブレンドされた。
ぐるぐるまわって、綺麗なマーブル模様を描いた。
マーブルはもう寝たのかな。
なんだかんだ、戦闘による疲労もあったのかもしれない。
何度か寝返りを打っているうちに、少しずつ意識がぼやけ始めた。
僕は抵抗せずに意識を手放した。