039 地下水洞3
これまでにも何組か、天然洞の探査に乗り出したパーティーはいたらしい。
だが、進んだ先に何があるのかは、現時点では確認されていないとのことだ。
「奥へ行くにつれて、魔物の影が濃くなり、撤退を余儀なくされた――との報告がなされているようであります」
妖精の明かりのもと、デニス氏が、ギルド産の情報をまとめた紙面を読み上げる。
「内部構造に関してましては、一見複雑そうなものの、通行可能な道は限られ、結果的にほぼ一本道になっている、とのことであります」
「ふむ」
相槌を打った僕のそばで、ダガーの手入れをしつつマーブルが一同へ言葉を向けた。
「行くわよね?」
「当然!」
打てば響くといった反応を示すアンナマリー。
他の誰からも、異議が出る気配はない。
せっかくの未踏破ダンジョンが目の前にあるのだ、僕としても挑戦したい気分である。
「そういうことになりましたが、問題ありませんか?」
お伺い立てると、ラジェンタ卿は、
「ええ、もちろん構いませんわ」
そう微笑み、抱きっぱなしの黒ネズミを撫でた。
その隣で、デニス氏が胃のあたりを押さえる動作をとったのは、申し訳ないが見なかったことにしよう。
舗装された地面が終わると共に、水路も途絶えた。
隊列はそのままに、茶色いトンネルを黙々と歩む。
しだいに遠ざかっていく水音に、わずかばかりの心もとなさを喚起される。
が、その静寂を打ち破るかのように、またぞろネズミが、僕らの行く手に立ちはだかった。
「いい加減に飽きてきたし、もっとバリエーションをよこしなさいな!」
マーブルは文句を言いつつも、さくさくと敵を処理をしていく。
アンナマリーが狙っていた個体にまで、チャクラムをぶつけ、自分の獲物にする。
「これであたしが15ポイント、あんたが5ポイント。もうあたしの勝ちで良いわよね」
「……あのさあ、マーブル。言おうかずっと迷ってたんだけど」
「なによ?」
「飛び道具はずるいぞ!」
「はぁ? そう思うんなら、あんたもその、馬鹿デカい剣を投げつけて攻撃すりゃ良いじゃないの」
「そしたらボク、丸腰だよ!?」
「あら、あたしとケイたんは、武器がなくたって充分に戦えるけど?」
さり気なく僕にヘイトを分散させないでほしい。
それはさて置き、確かにマーブルの言う通り、現れるのがネズミばっかりでは食傷気味だ。
しかもヤツらは、敵役としては力不足で、これじゃいつまで経っても中衛以降に出番がまわってこない。
できることなら、僕も早いとこ雑魚と戦って、雪杖の感触を確かめておきたいんだが。
ここは一つ、隊列の変更を申し出てみようか――
具申する機を窺い、完全に警戒心を失っていたときだ。
「!?」
奇妙な物体が落ちてきた。
上からである。
落ちてきたといっても、地面にまでは落下せず、それは宙で静止した。
位置としては、ラジェンタ卿の眼前あたり。
なんか、子犬みたいなヤツだった。
しかしよく見れば、そいつは蜘蛛だった。
妖怪めいた大グモ。
毛むくじゃらで、たぶん胴体だけで四十センチはあろうかというサイズ。
こげ茶色の体躯には、幾筋もの鮮やかなラインが光り、見るからに毒を持っていそう。
そんなヤツが、ぷらーんと天井から糸を伸ばしてぶら下がり、奇襲を仕掛けてきたのである。
あまりに唐突な事態に、一瞬、だれもが言動を失った。
その一瞬を経て、ラジェンタ卿が絶叫した。
「きゃああああぁぁっ!」
マグダレーナもまた、「いやああぁぁっ」と悲鳴をハモらせつつ、ものすごい形相で跳びすさる。
人間どもが動転しているうちに、しめしめと言わんばかりに蜘蛛は足を動かした。
毛だらけの足が狙うのは、恐怖からか硬直してしまっているラジェンタ卿だ。
「まずい!」
僕はとっさに雪杖を振るった。
デニス氏も剣を走らせ、トレストもまた、手を伸ばして何かを唱えようとしている。
が、どれも間に合わない。
蜘蛛は今まさに、ラジェンタ卿の顔面にとりつき、粘液のしたたる牙で噛み付こうとして――
その間際、重たい音と共に宙へ跳ね飛ばされた。
ラジェンタ卿の抱いていた怨念が、体当たりを喰らわしたのである。
「ナイス!」
僕はヴィオラを称えつつ、あらためて蜘蛛の胴体めがけて雪杖を振り抜いた。
まるでバールのようなもので叩いたみたいな感触がした。
ボゴッという音響ののち、蜘蛛は壁まで飛んでいく。
そこへデニス氏が迫り、ざくりと剣を突き立てた。
さらには「ヤダああぁぁ、蜘蛛ヤダああぁ」と錯乱状態のマグダレーナが、雨あられとマジック・ボールを連射。
もはや確認するまでもなく、蜘蛛の魂は天か地獄へ召された。
「リーリウ様! ご無事でありますか!?」
デニス氏が血相を変え、主のもとへ駆け寄る。
二体目がいないとも限らないので、そのあいだに僕は妖精を上昇させて警戒。
ラジェンタ卿は、怨念がジャンプした反動で尻もちをついていた。
すぐには立ち上がれないようで、力なくへたり込んでいる。
息が上がっているし、顔面も蒼白だ。
それでも彼女は、震える声を抑え、しっかりと応答した。
「ええ……無事ですわ。すみません、取り乱しました」
取り乱さないほうがどうかしてる。
と、先行していたアンナマリーが、「おーい、大丈夫―?」と戻ってきた。
マーブルも一緒だ。
マーブルは、壁際に転がった蜘蛛の死体を見るなり、
「あ、それ毒もってるヤツじゃん。危なかったわね」
さらっと恐ろしい事実を告げる。
「本当に危ないところでしたわ」
卿は落ち着きを取り戻し始めたようで、冗談っぽく苦笑してみせた。
それからデニス氏の手を借り、起立した彼女は、僕とヴィオラへ深く頭を垂らす。
「ありがとう、助かりました」
もう一人、大蜘蛛の登場に恐慌をきたしていたマグダレーナは、幼馴染に背中をさすられていた。
「マグ、だいじょぶ?」
「……だいじょばないかも」
「ほら、深呼吸しな、深呼吸」
「スー、ハー、スー……」
なんだか微笑ましい光景に、人心地つけていると、デニス氏が決然とした調子で開口した。
「リーリウ様、これ以上は危険であります。引き返しましょう。御身に何かがあれば、国中が大騒ぎになりますぞ」
満をじしてのセリフって感じである。
デニス氏からすれば、危機に面した直後たる今こそが、主を説得する千載一遇のチャンスってわけだ。
ところが、ラジェンタ卿の胆力は、並大抵のものではないらしい。
彼女は「いいえ」と、キッパリ首を振ったのである。
「皆さまが進むのならば、我々もお供しましょう。依頼に応じてくれた者たちの活躍を、わたくしはこの目に、しかと焼き付けたいのですわ」
「……御意に」
ここで落胆を顔に出さなかったデニス氏も、さすがの自制力と称せよう。
そんなおり、ヴィオラが鳥型の怨念を生み出した。
パタパタと羽ばたかせ、天井付近へ飛翔させる。
闇にまぎれる黒鳥に、二体の妖精さんが、不思議そうな眼差しを向けていた。
「安堵するが良い。以後、我が上を見張る。もう不覚はとるまい」
ヴィオラの発言を受け、ラジェンタ卿は、美しい顔に完璧な微笑を復活させて言った。
「頼もしいことですわ。ありがとう、小さき魔王の娘よ」
するとヴィオラは、ぺったんこな胸部を押さえながら、ムッとしたように抗弁した。
「我は、小さくない」
公衆浴場で貧乳扱いされた件が、まだ後を引いているようである。




