032 ゴーガスタへの道中4
我々を乗せた馬車は、ここまでかなり快調なペースを刻んだらしい。
「これなら予定よりも一日早く、ゴーガスタへ着けそうです」
古傷の奔る顔を、ニヤリとさせたデニス氏だったが。
残念ながら、万事が上々とはいかなかった。
まるで彼のセリフをフラグにしたかのように、この日の昼過ぎ、急激に天候が崩れたのだ。
それも雷を伴う激しい雨で、馬の一頭が驚き、ヒヒンヒヒンと暴れ出す始末。
やむなく馬車を止め、天気の回復を待つことになった。
しかし結局、夜になるまで雷は鳴り続け、この日の進行はここまでに。
順調なペースで稼いだぶんの貯金を、見事に使い果たした感じである。
気温はいちじるしく下がり、地面はぬかるみ、外は最悪のコンディションだった。
そんな小雨にけむるなか、四回目の見張りタイムがやって来た。
◇
「メーシャルの酒は、どうも甘くて好かねぇな」
大樹の幹に寄りかかり、グラスをかたむけるトレスト氏が、眉間にシワを刻んで言った。
「ケイよ、お前さんも飲んだらどうだ? 冷えっぱなしじゃ風邪ひくぜ」
「いえ、酒はちょっと」
僕は腕組みをしたまま断る。
腕組みといっても、仁王立ちしているわけではなく、寒さに体を縮めているのだ。
初夏の夜とは思えない、凍えるような外気である。
ダウンジャケットとマフラーがほしい。あと撥水加工の手袋も。
「お前さんは酒弱なのかい」
酒弱ってのは、字面の通り下戸に相当する語句らしい。
この「下戸」のように、日本独自の文化から発祥した言葉は、この世界では通用しないこともある。
「わかりませんけど」と僕は言った。「アルコールは、二十歳を過ぎてからにしようかなあと」
「なんだそりゃ。お前さん、なんの宗教を信仰してんだ?」
「無信心っす。酒については、単なるポリシーっすね」
「ほう?」
面白がるように口をゆがめるトレスト氏。
以前にも話したことだが、この国に飲酒の年齢制限はないのである。
郷に入っては郷に従えと言うし、僕も飲めば良いのかもしれないが、今のところ抵抗感がぬぐえていない。
それはそうと、今宵の見張りは、男二人の組み合わせになっていた。
ちょうど良かった、なんて思う。
いい加減、彼に問い質したいと考えていたことがあったのだ。
その「問い質したいこと」を、僕は単刀直入に口にした。
「トレストさんは、なんで僕のことを、人間以外の種族だと思ったんですか?」
トレスト氏は、もったいぶるようにグラスの中身を一口あおり、それから言った。
「黒髪ってのは珍しいからな。何となくそう思っただけさ」
おいおいおい。
「見た目で判断したわけじゃないって、キッパリあなたに言われましたが」
「おっと……そうだったか? こいつはしまったな」
全然「しまった」って顔してない。
マジメに答えろよと、僕は意識的に目を鋭くする。
「まぁ、そう睨むなよ」トレスト氏はますますおかしそうに、「体質みてーなもんでな。俺には、人体に巡るマナが見えるのさ」
「……人体に巡るマナ?」
「あぁ。見えるっつーより、わかる、と言ったほうが正しいかもしれねーが」
含み笑いのような表情をして続ける。
「マナっつーのは、ある意味、人の心の映し鏡だ。魔法の才がある者に限られるが、その者の精神の動きに敏感な反応を示す。んで、人のなかには、常にマナが存在してんだ。魔法を使うときなんかには、その量が爆発的に増加するわけだが、普段はゼロってわけじゃない。常にいくらかのマナが、人のなかには存在している。あたかも、精神に巣食うがごとくな」
僕へ流し目をやり、
「たとえば今も、俺の目には、お前さんに巡るマナが見えてるぜ。おっ、こいつ、なかなか警戒しながら聴いていやがんなって、そんなこともわかるわけだ」
呵々と笑うトレスト氏。
僕は無表情を貫いたが、内心おだやかではなかった。
――マナはある意味、人の心の映し鏡。
そしてトレスト氏には、そのマナが「見える」のだという。
それが事実だとしたら、彼にはある程度、他人の心が読めてしまうってことになる。
そりゃあ警戒しないわけにもいかない。
僕は雨音に紛れて深呼吸をし、気を取り直した。
「それはわかりましたが、それだけじゃ、僕の質問への答えにはなっていませんよね」
トレスト氏は笑声を収めたが、「確かにな」と言った顔は、あいかわらずニヤついていた。
グラスをちびりとやった彼は、こんなふうに語った。
「お前さんの精神には、やけに多くのマナがはびこってんだな。それこそ、魔法を使う瞬間みてーな莫大な量が、常時存在している。そしてそのマナは、絶えず何かに怯えているようにも見える」
「絶えず何かに、怯える?」
どういうことかと言外に問うたが、トレスト氏はそれには答えなかった。
代わりにこんなことを言い出した。
「昔、お前さんと似たような、『怯えるマナ』を宿した男を見たことがある」
宙へ視線を這わせるようにして、
「ちょうど今日みたいに、雨の降った日だった。その男は、俺の故郷の墓場に立っていてな。何をしているんだと問えば、円滑ではない死を迎えた魂を、見定めに来たという」
なぜだろう、心がざわついた。
トレスト氏は言った。
「その男は、冥族だった。後にも先にも、俺がこの目で見た、ゆいいつのな」
決定的な一言を、彼は僕へもたらした。
「要するにお前さんは、その冥族の男によく似ているのさ」
「……」
ヤバイ、と僕は無性に焦った。
そしてその焦心が、「マナが見える」彼には伝わってしまうのではと思い、なおも焦りをつのらせる。
そう、僕は一度死んだ人間だった。
冥族というのは、選別された死者の魂とヴィオラが言っていただろうか。
間違いないのは、彼らが、死と密接に関わり合う者たちということだ。
すなわち、僕とまったくの無関係とは考えがたい者たち。
僕は、人間ではないのだろうか?
冥族なんだろうか?
そしてそれを知るためにも、目の前の男に明かすべきだろうか。
自分が一度死に、異世界へ来た人間なのだということを。
衝動的に、僕が何かを口走りかけたときだった。
ふいに背後で物音がした。
同時にすっかり聞き慣れた、思わず安心してしまうような罵声が飛んだ。
「人を惑わすのも大概にしときなさいな、このクソエルフ」
マーブルだった。
木陰に隠れていたようだ。
怒った顔して、僕をかばうような位置へ進み出る。
「ケイたんは、あたしと違って純朴なんだから。あんたみたいなヤツの虚言だって、うっかり真に受けちゃうのよ」
自分でいうのも情けないが、正当な評定である。
マーブルは僕のことを良くわかっているな。
実際に僕は今、懐柔されかかっていたのだ。
まだ誰にも話していない「秘密」を、明かしてしまおうかという衝動に駆られるくらい。
トレスト氏の言っていることが、事実かどうかは関係ない。
簡単に口車に乗せられてしまう、僕の性格上の問題である。
突然のマーブルの乱入にも、トレスト氏に驚いた様子はなかった。
マナが見えるらしい彼のことだから、ひょっとすると、マーブルが盗み聞きしていることにも、とうに気付いていたのかもしれない。
「少なくとも、今この場で語ったことにウソはねーよ」
トレスト氏が言い、マーブルも言い返す。
「うさんくさいのよ、あんたは。マナが見えるだの、冥族に似ているだのと、あんたのほうこそ何者って感じよ」
「見ての通りにエルフだぜ。神官で宣教師で客人だって、紹介もされたはずだけどな」
「怪しいもんよね。宣教師よりもペテン師のほうがお似合いだわ」
「そいつは、ひでぇ言い草だ」
相好を崩すトレスト氏。
こういうとこで笑い出すから、ますますうさんくさいんだよなぁ。
「あんた、冒険者とは違うわよね。何の目的で旅してんのよ」
マーブルの問いに、トレスト氏はいっそうに口角を持ち上げた。
「宣教だって言ってんだろーが。まぁ、俺個人としての旅の目的は、ほかにもあるがな」
「何よ」
トレスト氏はグラスの中身を空けると、こうつぶやいた。
「人探しさ」
誰を探しているのかという点については、とうとう彼は口を割らなかった。
◇
「ホンッと頭にくるわ、あのエルフ」
丸一日が経過し、すっかり雨雲が去っても、マーブルの機嫌は曇ったままだった。
「あいつ、ディーバ教の神官とか自称してたけど、ほんとはケンペロ教徒なんじゃないの?」
ケンペロというのは、前にも言ったが、邪神として知られる神だ。
なんでも人類混沌を提唱しており、この世界で「テロリスト」と呼ばれるようなヤツらは、大抵がその信者なのだそうで。
「ケイたん、あいつの言うことは信じちゃダメよ。ケイたんは流されやすいんだから」
念を押されて、僕は苦笑する。
不本意ではあるものの、事実なのがいかんともしがたい。
それはさて置き、最終日の僕の相方はマーブルだった。
公正を期したグーチョキパーによる組み合わせだが、結果的に僕は、全員と一回ずつペアを組んだことになる。
何だかんだ言って、マーブルの傍は落ち着くな、なんて僕は思っていた。
なかなかぶっ飛んだ言動をとる彼女だが、それにもそろそろ慣れてきたのかもしれない。
あるいは、毒されてきたとも言えるだろうか。
まあ、どっちも良いが。
どうであれ僕は、彼女と共に「世界一の冒険者」を目指すつもりだ。
僕は声をひそめ、話題の転換をこころみた。
「明日、やっとラジェンタ卿って人に会えるね」
「ん、そうね」
マーブルはあっさり笑顔になって、
「どんな無理難題を押し付けてくるのか、今から楽しみだわ」
難題なのは良いにしても、無理なのはちょっと勘弁してもらいたいところである。
ともあれ、最後の夜も無事に過ぎ、翌朝早くから進行再開。
しばらく行くと、大きな河川に行き当たった。
カーテン川といって、この地域に住む人々の暮らしを、古くから支える水源なのだという。
そのカーテン川に沿って進むこと数時間。
遠くのほうに、薄っすらと、大きな壁のようなものが見えてきた。
そこはイスマニア帝国セントブラハ公爵領、第二都市のゴーガスタ。
五日間の旅路を経て辿り着いた、僕たちの目的地である。




