003 マーブル・フレサンヌ
「依頼がさー、ダブルブッキングだったのよねー」
どこぞへ連れて行かれる最中、女の子がそう説明しだした。
連れて行かれる、というのは――彼女が「こっちこっち」と、まるでハナから約束していたかのような気安さで、僕を引っ張って歩き始めたのである。
「集落の近くに住みついた、キプロクスを倒せって依頼だったのよ。ほんで、あのゴリラたち、『目的が同じなら一緒にやるか』みたいなノリだったのよね。アホじゃない? て思うんだけど。で、キプロクスはあたしが倒したのよ。あたしが倒したんだから、報酬はあたし一人で貰うのが道理じゃない? べつにパーティー組んでたわけじゃないんだし。それをあのゴリラたち、『山分けだ』とか言い出してさー。アホじゃない? て感じよね。アホよね?」
何となく話の筋道を理解できてしまうのは、やはり異世界小説で得た知識のおかげだろうか。
たぶん冒険者ギルドがあって、そこで依頼を受けたら、《剛胆物》の面々とかち合ってしまったということだろう。
冒険者ギルド。
興味を惹かれるどころではない。
僕はその響きに、ハッキリ憧れを抱いている。
が、それに関する質問は後回しだ。
その前にまず、この世界のことを知りたい。
いや、それ以前に。
「ねえ、キミの名前はなんていうの?」
あっ、と少女は口をまるくした。
「そういえば名乗ってなかったわね。あたしは、マーブル。マーブル・フレサンヌよ。マーブルでいいわ」
「マーブルね」
「うん。しっかり憶えときなさいよね。世界一の冒険者になる女の名なんだから」
世界一、か。
悪名を馳せそうな子だよなぁ、なんて思ってしまう。
口には出さないでおくが。
ところで彼女は、緑色のローブを着ていた。
その下はダボッとしたパンツスタイルに、茶色いブーツ。
肩に提げられた、黄ばんだ荷物袋。
いかにも冒険者らしい風体である。
とくに、腰のとこに差した小剣が、チラチラ覗くのに胸おどらされる。
ダガーっていうやつかな、あれ。
この子、職業的にはシーフっぽいし。
「んでさ。ケイたんって、何者なの?」
「何者って?」
「めっちゃくちゃ強いじゃん、あんた。手慣れてる感じだったし。じつは結構、有名な冒険者だったりする? ケイって偽名?」
「いや、本名だよ。あと、手慣れてないよ。人と殴り合ったのなんて初めてだし」
「それは、魔物とはいっぱい殴り合ってきたけど、みたいなトンチ?」
「違う違う。ホントに初めてだったんだ、あんなふうに戦うこと自体が」
「ふーん……?」
胡乱な目付きで見つめてくる。
まったく信じてくれていない。
まぁでも、そうだよな。
もし逆の立場だったら、僕も信じないと思う。
あんな一方的な戦闘シーンを見せられたら、そりゃあね。
むしろ、自分でも理解できていないのだ。
どうしてあの筋肉に打ち勝つことができたのか、そしてあの妙な感覚は何だったのか。
だから、彼女に信じてもらうためには、腹を割って話す必要があるだろう。
べつの世界から来たこと、この世界のことが全然わからないこと……
いや、話したところで信じてもらえるかは微妙だが、とにかくこのままでは進展しない。
歩くうちに、人影がまばらになってきた。
だいぶ遅い時間らしい。
それでも、他人の耳がある場所で事情を明かすのは控えたい。
僕が学ランなんぞを着ているせいか、すれ違う人に、大抵二度見されてるし。
「あのさ、マーブル」
「なによ」
「今どこへ向かっているの?」
「宿よ? あたしが部屋とってるとこ」
宿。
それは好都合だ。
内緒話をするにはもってこい。
が、無一文という問題があった。
これはもう、彼女に頼み込むしかあるまい。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
「なにさ」
「その……あー、まことに申し上げにくいことなんですが、あー」
「ハッキリしないわね。言ってみんさいな。聞いてやるかはべつだけど」
僕は深呼吸をしてから言った。
「じつは僕、ゆえあって金がないんです」
「ふーん?」
「それでその、宿泊代を貸していただけると助かるなあ、なんて」
「ふーん……?」
眉間にシワを寄せられる。
あ、これは無理かな。
というか、普通に考えてありえないよな。
出会ったばかりの、どこの馬の骨ともわからんヤツに金を貸すとか、社会に出てやっちゃいかんことトップスリーには入るよな。
とすると、野宿かあ……
やったことないけど、できるかなあ……
と、僕がブルーな気持ちを抱えたころ。
「いいわよ?」
「えっ?」
「お金、貸したげる」
「マジっすか?」
「た・だ・し」
マーブルはニヤリと悪い笑顔を浮かべると、背伸びをして僕に顔を寄せてきた。
僕は高校生男子としては、平均的な身長だ。
マーブルは、同じく高校女子の平均に当てはめれば、やや低めくらいだろうか。
反射的に身を反らした僕に、彼女は言った。
「あたしへの借りは、でっかいわよ。利子がつくわよ。日毎に倍々くらい」
「もうちょっと手心を加えてもらえない?」
「ダメよ、ダメダメ、絶対ダメ。でもべつに、お金で返してくれなくても良いから」
「たとえば?」
「そうねー。とりあえずあんた、今からあたしの言うことを聞きなさい。絶対服従」
「します。聞きます。言うこと何でも聞きます」
「何でもって言ったわよね、いま」
「あっ」
やべえ。言質をとられた。
この子の素性もわかってないけど、とりあえずマトモではない性格らしいことは薄々感じられる。
そうでなければ、あの筋肉ゴリラの世話を、いきなり押し付けてきたりはしない。
こいつはマズイ。
「一例として、どのようなことを申し付けられるのでしょうか?」
シタテに出てみれば、マーブルはいっそうに相好を崩した。
「難しいことは言わないわ。まずはあたしの仲間になって?」
「仲間?」
「そう。あたしとクランを組みましょう?」
クランってなんだ、と質問を挟む前に彼女は続けた。
「あたしは今、十五よ。一年半くらい前から冒険者やってるわ。基本はソロ、たまに他のパーティーに混ざったりしながらね。でも、クランを組まずにこなせる依頼って、どうしても限られてくるのよ。強敵を狩るときとか、即席パーティーではやっていけないなって思った。足引っ張られていつか死ぬわ、あんなの。だから、信用できる仲間を持ちたいと思った」
クランというのは、ネトゲでいう「ギルメン」「クラメン」に相当する間柄の仲間たち。
んで、パーティーってのは、あくまでその依頼をこなすために組んだ集団の単位。
そういう分類かな。
「でもさ、あたしのお眼鏡に適うヤツって、なかなかいないのよね。いても、すでにクランに所属してたりとかさ。あたしもまだレベル20だし、引き抜くのも難しいし。……で、今日、あんたに出会った。さっきの戦いぶりを見て、こう、キュンときたわ」
ニコッとされた。
勝ち気に吊り上がった目と唇。
正直かわいい。
「あたしは絶対、世界一の冒険者になる。その片棒を、ケイたんが担いで? あたしと一緒に世界を股に掛けるの。この世を制覇するのよ!」
宿泊代の見返りとしては、あまりに大きすぎる要求だった。
だけど断ろうとは思わない。
――冒険者。
良いじゃないか。
まさに僕が憧れていた、異世界小説の世界だ。
相棒が美少女という点もバッチリ。
文句のつけようがない。
しいて言うなら、もう少し清楚な感じの子がヒロインだったらなお良かったが、そこは良い。これは文句じゃない、ただの理想論である。
乗せられてやろうじゃないか。
『世界一の冒険者』――その素晴らしい響きに。
「わかった、キミと組もう」
そう返事をすれば、マーブルは「よっし!」と小さくガッツポーズをした。
表情豊かで、憎めそうにない子だ。
「可愛いは正義」を地で行っている。
さて。
あとは僕が自分のことを話して、それを受け入れてもらえるかどうかだが。
ぼかしても良いけど、どうであれ、「この世界のことワカリマセーン」は伝えとかないと不便だもんなあ。
小説だと、転移前に、神様チックなヤツがいろいろ説明してくれる展開が多かった気もするけど、僕の前には現れてくれなかったな。
いや、やたら説明を端折りたがる神様も多かったし、状況的には大差ないか。