026 魔界と冥界
何本もの路地を経由し、やがて見知った通りに出た。
振り返ってみても、ポッキー嬢と思しき人影はない。
うまく撒けたようだ。
今ごろどっかで、息を切らしているのかもな。
体力なさそうだったし。
迷子にならないかとも思ったが、そこまで心配してやる義理はないだろう。
ジョージンへ戻った僕たちは、マーブルの部屋へ直行した。
時刻は逢魔時、だいぶ薄暗くなっていたので、ランタンをともして机上へ置く。
椅子が足らないので、僕とヴィオラが丸テーブルを挟んで座り、マーブルはベッドに腰かけた。
「ほんで、なに? ケイたんは、どこであのフード女に憑かれたわけ?」
さっそくマーブルが本題を切り出す。
僕は頭で筋道たてつつ、長々と語った。
魔術師ギルドへ入会した経緯、図書館で魔法の基礎を学んだこと、冥属性とリガン・ロナの関係性、イブサン氏とポッキー嬢および研究室の存在について。
僕が長広舌を締めくくるや、ずっと身じろぎもしないで聴いていたヴィオラが開口した。
「ふむ。うぬは冥属性の使い手か。ただの人ではないとは思っていたが……どうりで、我のクマにも対抗しうる力を持っているわけだ」
「知っているのか、ヴィオラ?」
勢い込んで訊いた僕に、ヴィオラは「うむ」と小さく首をゆらし、それから衝撃の一言を浴びせてきた。
「冥属性は、『冥王』バルバナーシュが操ったとされる力」
「『冥王』……?」
唖然としてしまう。
『冥王』といえば、《五勇神》の一人である。
とんでもない大物が引き合いに出されたものだ。
ヴィオラはとうとうと語った。
「その冥属性の加護により、『冥王』バルバナーシュは、一対一の戦闘において無敗を誇ったという。かの者の前では、どれほどの速さも重さも、まるで意味をなさなかったそうだ。我が父『魔王』ガッデスと、正面から渡り合えた者は、歴史上『冥王』を除いて他にいないと言われている」
どれほどの速さも重さも、まるで意味をなさない。
そのフレーズに、僕は自分が持つ「力」との共通点を見いだした。
距離が狭まるにつれて、敵がスローになる現象。
それと同時、タカが外れたかのようなパワーを発揮する自分。
これまでの戦闘のなかで、何かしら「発動するための条件」があるようだとは感じているが、それでも確かに、似ている。
僕の前では、どんな速さも重さも、あまり意味を持たないに違いない。
とすると、冥属性のマナ、なのか。
僕のこの異質な力の根源にあるものは。
「ちょっと待ちなさいな」
と、そこでマーブルが口を挟んだ。
彼女も僕と同じく、意表をつかれたような顔をしていた。
「全然聞いたこともない話ばっかなんだけど。あんたそれ、マジな話?」
「おおまじ」
さらっと答えたヴィオラに、噛み付くかのようにマーブルは、
「なんでそんなことを、あんたが知ってんのよ」
やれやれ、といった具合にヴィオラは肩をすくめた。
「何度も言っているであろう。我は『魔王』ガッデスの娘であり、第二十三王女であると。父から直接聞いたわけではなくとも、母から、あるいは家に伝わる文献から、それぐらいの知識を得ることはできる」
マーブルは何ともいえない面持ちをした。
「それ、マジな話?」
「おおまじ」
僕は訊ねた。
「『冥王』バルバナーシュは、伝説の通り、冥族っていう種族なのかな?」
「そうらしい」
とヴィオラ。
続けざまに僕は質問する。
「冥族ってどんな種族? あと、その冥族がいる冥界っていうのは、どんな場所なんだ?」
ヴィオラは少し考えるようにしてから、こう問い返してきた。
「うぬら人間の側には、どう伝わっている?」
マーブルが答えた。
「冥族ってのは死んだ人間の魂みたいなもんで、それの行きつくところが冥界。正直、まゆつばな話しか聞かないわね」
要は、宗教上の「死後の世界」みたいなもんか。
もっとも、『冥王』バルバナーシュが実在した人物らしいことから、異世界にそのような領域があるということ自体には真実味がありそうだが。
「我ら魔族がもつ情報にも、大差はない」
ヴィオラはそう断定したのち、「ただし」と言い加えた。
「広義においてはそうだが、狭義においてはやや異なる。冥界は、選ばれし者たちが死後に住む世界とも言われていた」
「選ばれし者?」
「そう」
ヴィオラはうなずき、
「選ばれた死者の逝く世界。誰が、どのように死者の魂をより分けるのかは定かでないが、その選別の役割を果たすのが、『冥王』ではないかとの説もあった」
「……」
『冥王』。
冥界の主。
それは、死を司る神のような存在らしい。
もしくは閻魔大王か。
なんにせよ僕は、その『冥王』に会ってみたいと思った。
なぜなら、「死者の魂が選別される」のが事実だとしたら、それが自分に無関係なこととは思えなかったのだ。
すなわち、僕は何者かに「選別」されたことにより、この異世界へ転移したのではないか?
そう思えてならない。
まさか、すべてが偶然の出来事ということはないだろう。
何者かの恣意が働いたと見たほうが自然だ。
そしてその「選別」した人物が、『冥王』である可能性は高そうだ。
彼が「冥属性の使い手」であることも、その証左になるだろう。
というのも、僕に「力」を与えたのもまた、彼なのではないかと思うのだ。
つまり、『冥王』と接触できれば、自分の異世界転移のルーツを知ることができるかもしれない。
知らなければならない事ではないが、それでも、知れるものならば知っておきたい。
「冥界には、どうやったら行けるのかな」
つぶやいた僕に、ヴィオラは真顔で返してきた。
「我がこの場で、冥界送りにしてやっても良い」
「……それは、ここで殺してやるって意味っすか?」
「うむ」
うむ、じゃねーよ。
なに恐ろしいことを平然と口走ってんだ、この五十歳は。
「ま、ほかにも行く方法があるかもしんないし?」
ぐぐっと伸びをしながらマーブルが言った。
興味を抱いてくれたようで、ニコニコと楽しそうな顔をしている。
「魔界へ行くついでに、冥界に立ち寄っちゃうってのも悪くないわよね」
「……そうだな」
僕は笑って返した。
ヴィオラにも不満はないようだった。
決まりだ。
魔界と冥界、そのどちらにも行くことを僕は目指そう。
~ インターミッション1 完