フェリー
はい、と花乃から渡されたのはカードキーだった。
「部屋を手配してくれたんだ。」
「ううん、一緒の部屋よ。」
フェリーは、限られたスペースに部屋が割られているから狭いだろうと思ったが、花乃が予約して取った部屋は、特等客室で、普通のビジネスホテルの部屋並みの広さだ。
「大浴場もついてるからゆっくり湯船に浸かれるのよ。」
「よく利用するんだ。」
私にとってフェリーはそんなに乗るようなものではないと思っている。
「稀にね。ひとりになりたい時とか乗る。」
「僕は初めて。」
私は、こんなにすごいとは思っていなかった。所詮、カーフェリーだろうと思ってた。エントランスには、突き抜けの空間があり、正面には階段があり、エレベーターも設置されていた。最上階には、グランドピアノが設置されており、他にもゲームセンターやカラオケボックスも設置されており、普通のホテルと思わせるような豪華さであった。
「普段は二等寝台とかが多いけど、やっちゃんも乗るっていうし、ちょうど運良くここが空いてたから…ガンバちゃった。」
「いいのこんなのに泊まらせてもらって…」
私は恐る恐る訊いた。
「大丈夫。よくお世話になってたから。」
私たちは、荷物を置いて、食事をとることにした。
食堂の食卓は、床に固定してアンティークとして、椅子は揺れでも動かないようにチェーンで固定されていた。
「ここは朝、昼、夕、全てバイキング方式。そこは寝台列車の食事や飛行機の機内食とは違うかな。」
「でも、普通のレストランじゃないからなくなるのは早いよな。」
「当たり前よ。」
好きなものを選びつつ、栄養が偏らないように考えながらとった。このようなバイキングは栄養が偏りがちだ。料理自体は、美味しく、船の揺れも小さいので、船酔いを気にせずに食べることができた。
花乃と私は、部屋に戻り、それぞれの近況を語った。
「お母さんは元気にしてるの。」
「なんとか。」
私の母は、一昨年、癌になった。腫瘍が小さかったし、転移もなかったから、手術をして数日で退院して、今日まで再発は見受けられていない。
「それはよかった。」
花乃は私の母を知っている。私が大学生の時に、花乃を家に招いたことが何度もあった。なので、花乃自身も母を知ってるし、母ももちろん花乃を知っている。
そのあと、花乃の仕事場での愚痴を聞いたりして、話を聞いていると夕食の時刻になり、また食堂で食事をとり、そして、大浴場へ向かった。
「じゃあ、旅の疲れ、とってきてね。」
「うん」
花乃と私は同時に暖簾をくぐった。
中に入ると銭湯のような雰囲気であった。衣服を脱ぎ、大浴場へ向かった。銭湯ほど広くもなく、それでも窮屈感を感じさせない広さだった。
私は掛け湯をして湯船に浸かった。たまたま、目に付いた仙台行きの高速バスの広告を見て、動機もなく予約して乗って、その高速バスの中では、苦い青春の思い出の夢を見て、仙台に着くと偶然にも花乃と出会う…。こんなことがあるだろうか?何かが、花乃と私を引き合わせようとしているのだろうか。それもよくわからない。この数時間で起きた「偶然」について、なぜこうなったのか想いを巡らせたが、整理がつかなかった。明日には、また彼女と別れてしまうのか。私は、やや寂しく感じた。