人の『顔』
人には『顏』がある。
イケメン? 不細工?
……いやいや、自分が言いたいのはそっちじゃなくて、人としての側面。
別の方向から見たときの姿。
よく聞く言い方だと……
「アイツには~としての顔がある」
とまぁ、そんな話は置いておいて……最近色々と考える事があった、自分の【顔】について。
家族、友人、先生、その辺であった人、インターネット内……その時、その場所によって自分の話し方が違う。相手によって自分の顔を変えている? いや仮面を変えてるの方がしっくりくるかも。
仮面の変わった自分は【本物の自分】なのか、はたまた自分の中で生まれた別人格なのか……
相手が変わるとひょっこり現れるその仮面に「お前は誰なんだ、なんで此処にいるんだ? 」と問いかけたい位だ。
家族と会っている自分、友人や教師と話している自分、仕事場での自分、Twitterで呟いている自分……そしてコレを書いている自分。どれが本当の【顔】なの?
多分、全員に聞いて返ってくる答えはこんな感じだろう。
「どんなに仮面が変わっても、私はお前だ。その存在を否定するんじゃない」
「私を否定するということは、その仮面で築いてきたモノも否定することになる」
「今までの全ての仮面を否定するというのであれば、お前は此処に存在しなくなる」
なんで分かるかって? そりゃ自分だもの。いきなり認めるような事をするなと言われても困る、今言ったばかりじゃないか。この仮面も私自身、否定するのであれば大切なモノが壊れてしまう。
どの方向から見ても、例え仮面が変わったとしても私は私だ。
※※※
「……って話を書こうと思うんだけど、どうよ? 」
「『どうよ?』って言われてもなぁ……書けば良いんじゃないか? お前が書きたいんならさ」
「え~……そんなテキトーな事言わないでさ、もうちょっと真面目に考えてよ~」
「そもそも人の顔って言っても……」
とある休日の昼下がりのお話。
※の後は書いてて耐えられなかったから付け加えた。
大丈夫、後悔しかしていない。