デビル・ビオトープ
【ビオトープ】生物群集の生息空間を示す
一の悪魔に一のビオトープ。
熱心に美しいものを作り陶酔する悪魔もいれば、完璧まで持って行ってからぶち壊すのを喜ぶ悪魔もいたし、面倒臭がって放置する悪魔もいた。
ビオトープは悪魔の数だけたくさんあって、生き物を囲む。
悪魔が自分のビオトープに好んで容れる生き物は、心あるものだった。
「心あるもの」はずっとずっと昔に、ある悪魔が自分に似せて造った生き物だ。
それは悪魔の心を浮き立たせる要素を持って、ビオトープの中をいっぱいにする。
だから最近の悪魔たち―――と言っても、私達には考えられない位の時間間隔なのだけど―――の流行は「心あるもの」をビオトープに容れる事。
パターンこそあれど、「心あるもの」たちがビオトープで起こす行動は悠久の時を過ごす悪魔たちの慰めだ。
大抵悪魔たちはだらしなく座って、もしくは悠々と寝そべったりしながら己のビオトープを眺め、遥か遠くで輝く別の悪魔のビオトープの様子を気にしている。
自分のが一番だ、と悦に浸る者もいよう。
あんなにも輝いていないのかも知れない、と不安になる者もいよう。
一際輝く遠くのビオトープに焦がれ、焦れ、自暴自棄で自分のビオトープを壊してしまうものもいよう。……いいのだ。何度だって、気の向く様に造れるのだから、と。
ビオトープは主の何に対しても干渉出来ず、ただ静かにその役目を負っている。
その透明な容量に、「心あるもの」を満たして。
幾千万の星の様に、常闇に輝くビオトープ。
ビオトープの中から仰ぎ見れば、やぁ、やはり幾千万の星として。
その傍らには、常闇と輝きに悪魔が隠れている。
ある時、他所のビオトープの輝きに魅せられた悪魔が、そのビオトープを尋ねた。
悪魔の感覚は理解しがたいものがあるが、この悪魔もそうだった。
魅せられたのは、朱に輝く禍々しい凶星の様なビオトープ。
「何を要れたのか」
悪魔は凶星の悪魔に尋ねた。
凶星の悪魔は答えた。
「自分の牙を」
「牙を。何になった。どう作用した」
「獣になった。心あるものたちを、蹂躙しているよ」
「それは面白い」
悪魔と凶星の悪魔はじっと朱色に光るビオトープを眺めた。
凶星の悪魔の牙だった獣は、「心あるもの」たちを引き裂いては狂ったように暴れていた。
「皆死んでしまうな」
「面白いだろう」
「もうこれは捨ててしまうのか?」
「うむ、もう大分飽きて来た頃だ」
「私のと交換しないか」
悪魔は穏やかな緑色に光る自分のビオトープを、凶星の悪魔に差し出して見せた。
興味本位で、「心あるもの」たちの心地良い様、模範的に造ったビオトープだった。完成された美、とやらを見てみたかっただけに過ぎないし、その後でじくじくと腐らせようと思っていたのだけれど……朱色のビオトープを眺めて、ちょっと閃いた事があったのだ。
悪魔は凶星の悪魔に囁いた。
「また壊せばいい」
「いいのか」
「ああ。ここまで造る手間を省いてさ、」
やる、と凶星の悪魔は乱暴に朱色のビオトープを悪魔に押し出した。
悪魔はほくそ笑み、自分のビオトープを凶星の悪魔へ差し出した。
凶星の悪魔は嬉々としてそれを受け取り、人差し指の爪先でクルクル回した。
暖かな緑色の光が、一際光って闇を照らした。
さぁもう、緑色のビオトープの命運は凶星の悪魔のもの。
その行く末は、悪魔には関係のない事。
……それよりも……
悪魔は凶星の悪魔からひゅんと離れて、憐れな朱色のビオトープを抱え込む様に座り、覗き込んだ。
真っ赤な阿鼻叫喚が、心をときめかす。
―――でも、もっと面白く―――
悪魔は獣の牙に掛かりそうになっていた小さな「心あるもの」に、自分の血を一滴垂らした。
小さな「心あるもの」は、悪魔のたった一滴の血を、血の豪雨として身体に浴びた。
そして、襲い来る獣より遥かに早く動き、遥かに強い力で獣を仕留めてしまった。
「……おお」
悪魔の思った通りだった。
小さな「心あるもの」は、朱色に染まり、呆然とビオトープの朱い世界に立ち竦んでいる。
悪魔は心を浮き立たせ、朱色に光る凶星のビオトープの傍らに肘枕をして寝そべった。
「これは面白いよ……」
悪魔はそう言うと、自分の長い爪を齧り取り、ポイとビオトープへ放り込む。
爪は獣の姿を成して、ビオトープで暴れ出す。
そして、小さな朱色の「心あるもの」が、またそれを倒した。
悪魔は手を打って喜んだ。
喜んで自分のどこかを放り込み、小さな朱色の「心あるもの」の応戦を何度も飽きずに眺めた。
そして、何時しか血を分けた朱色の「心あるもの」に愛着を感じ始めた。
小さな朱色の「心あるもの」は、美しい大人の「心あるもの」に成長していた。
悪魔の美と力、「心あるもの」の心を持った、朱色の「心あるもの」を、悪魔はいつしか愛着を通り越し、酷く愛する様になっていた。
今日も、凶星の中で朱色の「心あるもの」が自分の力と同じ出どころの獣を散らす。
ああ、その残酷な美しさといったら。
ずっとお前をそうさせていたい。
悪魔は頭の中をぐつぐつさせて、ビオトープの透明な壁をベロリと舐める。
だから、「ずっと」に飽きるまで、お前の時だけ止めてやろう。
悪魔にとって、それは容易い事だった。
悪魔は退屈からしばし遠ざかった安心感に、まどろんだ。
ビオトープを一撫でし、大きな欠伸をすると、うっとりと朱色を眺めながら、美しい双眸を細め、長い髪を少し摘んだ。
それから、摘まんだ毛先を鋭い爪で百本程切ると、ビオトープに撒いた。
百本の髪は、百匹の様々な獣と化して、ビオトープへ散った。
「これなら、私が寝ている間、お前も満足だろう?」
―――死にはしまいさ。私の血を分けたのだから。
悪魔は眠りに落ちながら独りごちる。
朱色の「心あるもの」は本当に強かったし、他の「心あるもの」も、次第に悪魔の放つ獣に耐性が付いて来た。
強い者が勝ち残り、朱色に導かれながら洗練されて来ている。
目が覚めた時、どうなっているのか、悪魔は楽しみで仕方ない。
「少し眠るよ、朱色の姫」
悪魔は愛しい朱色の「心あるもの」へそう囁いて、ひと時の夢を見る。
朱色との、愉しくて、甘くて、悪魔だけが、幸せな夢。